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夜狗-YAKU-  作者: 俊衛門
9/87

1―5

 あの“中間街セントラル・シティ”で、ストリートのガキに過ぎなかった加奈を拾ったのは幸雄だった。加奈が生まれ育ったのは、伊豆の“中間街セントラル”の一角。孤児ばかりを集めた施設だった。温度のない壁に囲まれた世界が、ある日紅蓮の炎と伴って崩れ落ち。加奈自身も火炎に焼かれた。目の前が赤くなったとき、死を覚悟した。

だが、次に映ったのは病院の白い壁。カプセル越しに覗きこむ男の顔に、心地よい安堵感を覚えた。それが、晴嵐幸雄との出会いだった。

 幸雄は焼け焦げた自分の手足を新たに作ってくれた上に、加奈が歩けるようになるまで看病とリハビリに随伴した。ようやく、壁に手をついて歩くまでになったとき、初めて加奈を病院の外に連れ出した。立ち並ぶビル、塵一つない道路。そして何より、差し込む太陽の光に圧倒された。“蟻塚”が全てを遮る、“中間街セントラル”とは何もかも違った。そして幸雄は、加奈にこう言ったのだ。

『今日から、ここに住むんだ』

 

 それが、今から15年前。

 

 感謝はしているよ。でも、辞めるかどうかの判断基準にはならない。いまのところ――多分、なにか切欠がないと。そう言うと、幸雄はそうかと寂しそうに笑っていた。

 幸雄には、妻も子もいない。生物学の研究に生涯を捧げ、セイラン・テクノロジーを一代で創り上げ、その後に残ったものは富と名声。だが、富や名声よりも大切なものを私は築けなかった、と言っていた。そのせいか、幸雄が加奈に接するときの態度は親が我が子にするのと同じだった。加奈のことを、本当の娘のように思っているのだろう。それがありがたくもあり、同時に違和感を拭いきれない。15年たった今でも、「親子」という語が独特の響きを持って聞こえるのはそのためだろうか。幸雄のことは、父親というよりも未だに「養父」であるという感覚でいる。

 幸雄の心配は、おそらく一生かかっても加奈には分からないだろう。窓の外、トンネルの暗い壁面を見ながら思った。

「親の心、子知らず、か」

 つい、口に出して言った。隣に座っていたショウキが何だ、それはと聞くのになんでもないと答える。リニアというものは、振動が少ないため乗っていても殆ど音がしない。隣で独り言なんぞ呟けば、否が応でも耳に入る。そのことを失念していた。

「東京なんて、久しぶりだな」

と駅弁をほおばりながらショウキが言う。のんきな奴め、今から行くところがどういうところか知らないわけでもないだろう。加奈が言うと、ショウキはほうじ茶で弁当を流し込んでから

「もちろん知っているがな。ただ、東京は俺にとっては敵地であるとともに故郷でもあるんだよ。小さい頃、東京の下町に住んでいた」

「生まれたところが、懐かしいか」

 トンネルが切れ、車内に光が差し込んできた。ショウキは当然、とばかりに頷いた。

「そりゃあ、いい思い出ばかりじゃないさ。俺の親父のことで、いろいろとあったしな。まあ、そうは言ってもやっぱりな、ほら、なんというか望郷の念って奴か」

「ボウキョウ、ね」

 まるでそれが耳慣れない異国の言葉であるかのように、何度も口の中で繰り返す。窓の外を流れる景色が、見慣れたビルから樹木の生い茂った山中に至り、木々の隙間から段々と茶色い構造物群がまばらにみえる。“蟻塚”の岩肌めいた密集集落、瘡蓋のようなバラック群、やがて線路沿いの遮蔽物が全て取り払われて視界が開けると、果たして乾燥した空とひび割れた土地の“中間街セントラル・シティ”が広がった。

「帰りたい、とは思わないな。あそこには」

 “蟻塚”と並び、突き出た煙突が、空間を切り取るナイフの鋭さを以って立っている。あれは、工場か何かだろうか。かすかに昇る黒煙が、稼動していることを知らせていた。クリーンエネルギーが当たり前の昨今、旧時代の遺物がまだ“中間街セントラル”では機能している。そしてその下には、都市と同様に人が住んでいる。

でも、と加奈は続けた。

「でも何も知らない人には否定されたくはない」


 かつて、この国の首都であった街は、ヤクザたちの蜂起によってこの国最大の“中間街セントラル・シティ”へと姿を変えた。

 『興国の政変』、と歴史には刻まれている。2014年、この国は君主制を捨て共和国へと生まれ変わった。国が興る、という意味で「興国」とされたが一部の人間にとってはそれは「亡国」であった。天皇と呼ばれる王族を、表向きは完全に民主的な手段によって排除し、真の民主国家を目指した。しかし、それをするにはあまりに急ぎすぎた。天皇を廃したことによる、ナショナリストたちの怒りは政府にぶつけられ2016年には大規模な暴動が起こった。

それを機に、各地で保守勢力が蜂起。当初、警察によって直ぐにでも暴動は鎮圧されると思われたのだが、ヤクザたちはバイオで肉体強化を施した傭兵を戦力に投入した。傭兵たちは、後にサムライと呼ばれるようになるのだが――武力と無秩序が支配する“中間街セントラル・シティ”が生まれたのは、そうした背景があってからだった。

 『興国の政変』後、東京を訪れる人間は2種類に限定されることとなった。一つは、旧首都に残した知的財産を回収するためだけに訪れる研究者。もう一つは、東京に巣食う無頼ごろつき共を相手にするような――すなわち加奈たちのような人間。ここ最近は特に、警察や軍の出入りが激しい。3年前にも、東京新宿区で警官隊と衝突があったばかりであるがため、余計に。


 張り詰めた空気のホームに降り立つと、リニアは去ってゆく。東京への滞在時間は28秒と決められている。いくら武装された駅とはいえ、長時間停車させるのは危険という政府からの指示だ。

「それで、例の画像の出所はなんていったっけ?」

 加奈が問うと、ショウキは古ぼけた濃緑のパーカーをまくって左腕の液晶画面を見た。

「えーっと、新宿の《チープホテル》」

安宿チープホテルは分かったよ、だからなんていうホテルよ」

「だから、《チープホテル》っていうんだって、そこのホテルの名前が」

 安直チープな名前だ、と加奈が言った。警備員のチェックを受け、東京駅ステーションを出ると出迎えたのは砂塵舞う空気とアンモニア、そしてぬかるんだ地面だった。

「いきなりだな、オイ」

 ショウキがぼやいた。足を踏み入れたその先、靴が油とも堆肥ともつかない得体の知れないゲル状の物体に、踝まで埋った。慌てて引き抜くと、ぬちゃっと嫌な音を立てた。足を上げた、その靴底から半液状の泥が糸を引いている。こっちの方が乾いている、と加奈がショウキを手招きした。

「そいつは有機物の残骸だよ、ショウキ。たまに見るんだ、“中間街セントラル・シティ”では。蛋白質の欠片とかが放棄されて、年月が立つとそうなる。まあ、あまりお目にかからないけどね」

 ゲル状の物体は、魚が腐った臭いがした。ショウキは顔をしかめた。

「ふん、まあわかっていたけどな。故郷の変わり様は」

 “蟻塚”の集合住宅が軒を連ね、建物と建物の間を酷く狭い路地が走っている。両側の壁は月面よりも粗くでこぼこしていて、何年か前は舗装されていただろう地面は、砂利と鉛滓にまみれている。汚泥と油の水溜りが散在して、そこかしこから古いガソリンを撒き散らした臭いが充満していた。金属が溶け合わさった水溜りの上を、裸足で駆けてゆく子供たち。

建物が日を遮る。上空に鉄線ワイヤーが張り巡らされて、襤褸雑巾同然な洗濯物が吊り下がって重々しくはためいている。湿った空気の正体は、これだったかとショウキが言って

「伊豆の方とは、それでも違うな。同じ“中間街セントラル・シティ”とはいえ」

「同じ所なんてないわよ」

 と加奈が言う。

「なぜ、ここが“中間都市セントラル・シティ”って呼ばれるかわかる?」

「あまり気にしたことないな」

「本当は、地域ごとに色んな呼びかたがあるのよ。ただ、都市の人間が言うには全部が全部、都市以外の所は中流以下の人間、つまり中産階級の人間が住むところ、って意識なんだよ。だから、“中間セントラル”。中流なんてこの国にはないというのにね。富めるものか否か、富めるものしか都市には住めない。それ以外は皆、“中間街セントラル”だ」

 言いながら、周囲に目を配らせた“中間街セントラル”に降りるときは、あまり身奇麗にはしない。そうでないと都市の人間であると悟られる。そうなると、危険はずっと高まる。が――。

 すでに気づかれているだろうな。視線を感じる。壁際でたむろしている若者たち、路上にゴザを広げて野菜を売っている露天商の中国人、素足のままで立ちすくみ、物欲しそうに指を咥えている子供や“蟻塚”の中にいる者も。加奈たちの方を注視している。一歩、歩けば幾百という目がそれに合わせて動いている。監視カメラに睨まれていた方が、また精神が安定するというもの。都市の人間は、奴らにとっては異物なのだ。

 いずれ、排除しにかかるかも――ジャケットの下に収めたブローニングを意識した。

「ふん、富めるものっても俺たちがそれほど富を築いているか怪しいもんだ。狗にくれてやるのは、せいぜい餌代と犬小屋程度のもんだろう」

 ショウキは辺りを見回して

「あの中にヤクザどもはいるか」

 声を潜めて加奈に訊いてきた。やはり、気づいていたか視線に。だが加奈は頭を振って

「ヤクザとサムライは、主に夜動くんだよ。だから、わたしらの仕事も夜が多いだろう?」

 そう言って上を見た。

 “蟻塚”の隙間のわずかな空間、そこに掲げられた崩れた標識には『新宿区』とあった。3年前、『新宿闘争』によって潰れた歓楽街の入り口に立つと、廃墟と違法パチンコ店が軒を連ねる遊技場アーケードから球がぶつかり合う喧しさだけが流れてきた。派手な衣装を着込んだ少女たちが路傍に立ちすくみ、言い寄る男たちからは大麻草に火をつけたときの燻った匂いが漂ってくる。そこに来て、初めて新宿に来たと理解した。

「別に気取るわけじゃないが」

 とショウキが言いかけて、加奈が

「止まって」

 手を広げ、合図する。

「着いたよ」


 《チープホテル》は、名前の通りの安普請だった。壁面が黄ばんだ立方体が、底に置かれていてホテルであることを示すのは入り口に掲げられた《チープホテル》の看板のみ。扉の替わりに襤褸布が垂れていて、それが扉の替わりになっている。本当に粗末チープだな、と思った。

 名は体を現す。まさにぴったりじゃないか、《チープホテル》。ショウキがPDAの液晶に向かってなにかを言っている。画面には制服姿の警官が映っていた。気がつけば、ばらばらと制服警官がホテルの裏側に回って行くのが見えた。各々ショットガンを持っている。所轄が使うのは、大抵は暴徒鎮圧用のゴム弾。違ってかなり大人しい。ヤクザに情け容赦をかけているわけではないだろう、金がないんだろうなきっと。都市警なんかと比べると、地域限定で動く所轄にあまり国は予算を裂かない。

「行くぞ」

 と声をかける。

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