6―10
艦砲射撃が激しさを増し、砲撃の火柱が海上と廃墟の町の中に立ち上がる。着弾のたびに、岩石が舞い上がって、コンクリートの建造物が吹き飛ぶ様を見る。
「無人だからって好きに撃ちやがって」
と柳が言う。紫田は窓の外を覗きこんだ。すでに、校舎へも被弾していて火の手を上げていた。ウィルスを焼こうという魂胆だろうか。何にせよ、今降りたら砲撃の餌食だ。
「柳、例の物は投下できたか」
「校舎裏にな。小っちぇえボックスだから、奴らの目には届かんかったみてえだ。秋水が取りに行ったから、まあいいんだけどさ」
「あの砲撃では、援助も満足にできんか」
とため息をついた。ショウキが合流して、2人して戦車の殲滅に当たっているようだが――あの2人をしてどれだけ持ちこたえられるか。秋水が合流するまでに。
「しっかし、面倒なことになったなあ。いっそのこと、ここからミサイルでもぶっ放してあのイージス艦沈めてやりたいんだが」
「その気持ちは分からんでもないが、手を出した瞬間狙い撃ちだ」
「しかし、こんな所でただ見ているだけってのはよ」
柳が言うのへ、紫田はショウキから受け取ったチップを差し出して
「こいつを世間に公開するために、下手な行動には出られん。こいつは政府の、非人道的な実験を明らかにするものだ。こいつを失うわけにはいかない」
「面倒だなぁ、ならさっさとネットに流すなりなんなりしろよ」
「それができんから、困っているんだろうが。20年前の端末なんぞ、このヘリには積んではいない」
轟音とともに、ひときわ大きな火柱が立つ。校舎のすぐ横に突き刺さる。
「ナパームです!」
と操縦士が言う。見ると、着弾した箇所が炎に包まれ、校舎にまで波及していた。今度は校舎の裏手、丘の方に着弾。
火焔が拡大する。それは細胞に侵入したウィルスが増殖するかのように、瞬時に広がった。
「秋水!」
と柳が、窓に張り付いた。丁度あの辺だ、ボックスを投入したのは。柳が無線に呼びかけたが、ノイズが走るばかりだ。兵士の目に、緊張が走り、次に絶望の色が浮かぶ。
「諦めるな」
と紫田は言う。もはや、一刻の猶予もない。
「明蘭、端末は繋がるか」
「ええまあ。どこかにアクセスを?」
「人権委員会だ。政府が人権侵害を行っていることを、報せる」
「だって上から圧力がかかっているんじゃ。それに、証拠もないし」
「それでも、何かするしかないだろう!」
語気を荒げると、明蘭が肩をすくめた。
「そんな怒らなくてもいいじゃない」
明蘭が抗議するのに、紫田はすまない、と言って。
「証拠ならここにあるんだがな、この端末では中身は見ることはできない……」
「あー……お取り込み中すみませんが」
操縦士が振向いて言った。
「何やってんの、ちゃんと操縦してよ」
明蘭が抗議するのに、操縦士がすみません、と言ってから
「そのメモリ、ひょっとしたらこいつで解読できるかもです」
「何?」
紫田が立ち上がった。柳が振向き、明蘭は怪訝そうな顔で
「何言ってるの。端末なんてないじゃない」
「いやー、でもこの機体、結構昔のパーツ使っているんです。AIの自動操縦ソフトに、マイクロソフトのOS使っていまして。割と古い読み取り機器も備えています」
「どこだ」
「そこです」
紫田は操縦席に身を乗り出した。確かに、古いDSチップに対応したリーダーのようだ。長いこと使われていなさそうだが。
「早く言わぬか、この馬鹿たれが」
「すみません、さっきは全く聞いていませんで……」
まったく、といって紫田はチップをリーダーに挿入した。ぴったり、収まる。
「明蘭、端末を繋げ」
というと、明蘭は端末の有線ケーブルを延ばした。紫田が受け取り、電極をOSに接続する。ノート端末のキーと叩き、
「転送」
といって、更にキーを弾くと画面上に行列式が走る。
エラーコードが、急に表示された。
「なんか、パスワードがいるって」
「破れるか」
「やってみる」
と明蘭は、キーを操作した。マトリクスが入れ替わって、二次元的な文字列のコード解析が流れる。0と1の暗号解析を、分子端末のアルゴリズムに当てはめて、システムが弾き出す指数が関数表示を叩き出す。
逆転する係数が、一度分解したコードを当てはめる。その作業を、明蘭は目で追いながら指を動かした。手が、明蘭の意志とは別に動いているかのように、それ自体が別の生き物であるかのように踊っている。
「あとどれくらいかかる」
「10分」
と明蘭はそれだけ言った。紫田の言葉など、耳に入っていないかのように。柳が窓の外を見ながら言った。
「長い、10分だ」
校舎がまさに、炎に包まれつつあった。
背中の痛みを感じながら、ショウキの体を背負って校舎の中に入る。のしかかる巨体に、加奈の身体が悲鳴を上げそうになる。意識を失っている分、余計に重く感じた。戦車の追撃を避ける為、一旦は校舎の中にはいるがそれもいつまで持つかどうか。
「ショウキ……」
と言うが、ショウキは応えない。裂けた脇腹から赤黒い血が滴る。ショウキの血は、加奈のものよりも血漿内の人工血球の割合は低い。そのため、傷の治りは悪い。埋め込み率は、ショウキは決して高くはない。
それなのに、わたしなんかのために身を呈して――あんたは、そんなに頑丈には出来ていないんだ。腕切り落とされて、腹を貫かれて。わたしがあんたたちに何をしたのか、それを考えればこんなこと出来ないだろう。
俺を頼れ、と言った言葉が蘇って、込み上げそうになる物を押し込める。馬鹿だよ、あんた。こんな無理をして、わたしなんか助けてもどうなるんだ。生き残ったとしても、国家の反逆者という烙印を押され、都市を追われることになる。あんたはそれでいいの? 自分のことも考えろよ――溢れてくる、言葉の数々が脳裏に浮かんだり消えたり、繰り返している。
「加奈……」
とショウキが、肩口で言うのを聞いた。
「ショウキ、気がついたのか」
「加奈、そこ危ない」
と言った時、校舎の壁に砲弾が突き刺さった。空気が破裂する音とともに壁が砕け、破片が降ってくる。ショウキを引きずりながら避けると、足元に頭二つ分くらいはありそうな破片が降ってきた。
衝撃に、よろける。地面に、へたり込んだ。
「もういいからさ、俺のことは。お前は鈴を……」
「放っておけるかよ」
と加奈は言った。
「あんた置いて、あんたはわたしの相棒だろう。相棒見捨てるほど、落ちぶれちゃいない」
「馬鹿……俺なんかに、構っていたらよ。お前まで……くたばっちまう」
「構うものか」
校舎の屋上、南棟に戦車の姿を認める。向こうも、加奈たちの存在に気づいたようだった。身構える。
「わたしなんかどうなってもいい。どうせ骨に肉被せたような存在、だけどあんたは、曲がりなりにも普通の人間として生まれて、都市の内側に暮らしている。そういう人間と、わたしみたいな存在、どっちが生き残るべきどっちが劣っているか、わからないわけでも――」
「なら、あの子も劣っているのかよ」
ショウキが言うのへ、驚いて振向いた。
「そ、それは……」
「自分を否定する、ってことはあの子を否定するってことになるぞ。お前は自分のこと、ぞんざいに扱って――自分のこと、なんか物みたいに思っているんだろうがよ。あの子にとってお前は1人しかいないんだ。そうだろう? あんなに頼ってさ、お前たち。本当に姉妹か親子みたいだ」
まただ。
また、ショウキの言葉が突き刺さってくる。こいつはいつも、核心ばかり突いてくる。いくら防壁を張り巡らせて、侵入を拒んでも。ショウキはいつも、易々と加奈の中に入ってくるのだ。それは決して不快感を伴う侵入じゃない。
気がつけば、開かされている。
「それは……そんなこと……」
「鈴はお前のことを頼っている。お前は鈴のことを守ると決めている。互いに必要として、補い合って。そいつは不可分だ。DNA鎖の相補性と同じことだ、互いにとって互いは唯一だ。そして俺にとっても」
とショウキが立ち上がった。戦車が南棟から北棟に飛び移り、今まさにショウキの目の前に降り立ったのだ。
加奈の前に立ちふさがった。
「俺にとってもお前は唯一だ。お前に必要とされなくてもいい、だが俺にとってお前は……」
砲塔が、ショウキに向いた。
ショウキが銃を構える。リヴォルバーの銃口と、20mm機銃が、相対する。
「やめろ、ショウキ」
背中越しに叫んだ。ショウキが少し顔を傾けると、口元が上がったように見えた。
「やめろ!」
悲痛に響いた。ショウキが引き金を、引いた。
爆音が轟いて、一瞬、雷鳴のように届く。
チェーンガンの銃声はいつまでたっても響かずに、代わりに背後から、空気を切り裂く衝撃がした。
「そこどいて!」
と言う声がして、破裂するような射出音がする。加奈の後方から、ロケット砲弾が飛来して戦車に突き刺さった。
機体が炎に包まれる。
目を凝らすと同じように、四方から榴弾が飛来して戦車に突き刺さる。2発、3発と爆炎の華を咲かせて、機体を炎上させた。
「間一髪ね」
と女の声。ぼんやりと、その方向を見ると柳秋水がRPGを肩に担いで立っていた。
「あんたは……」
「お久しぶり。晴嵐さん」
屈託無く、笑う。何故ここに、秋水がいるのかと思ったがそういえばショウキが、報国同盟の連中と来ていると言ったっけ。
「は、美味しいとこ持っていきやが、って……」
とショウキが崩れ落ちるのを、加奈が支えた。
「あんた、そんな武器どうしたんだよ」
ショウキが聞くと、秋水は
「父が届けてくれた。他の皆もね」
そう言うと、校舎の影と植え込みから、同盟の兵士たちが出てくるのが見えた。
「ナパームに焼かれそうになったわ。校舎に直撃しなかったけど、ここが燃えるのは時間の問題ね。早いところ、ここを出たほうがいいわ」
といって、秋水がショウキの傷を覗きこんで
「あら、随分深いわね。あとその腕」
「オーライだ、内臓はやられてねえ。いける」
「へえ、タフなのねあなた。タフな男って、好きよ」
秋水が言うのに、加奈は睨みつけてやった。
「あんたねえ、何いって――」
「冗談よ。他人様の物を盗るなんてことはしないわ」
「は、はあ?」
何がおかしいのか、秋水は加奈の顔を見て笑った。秋水は立ち上がって
「彼は、わたしたちが看ています。あなたは飛燕のところに」
秋水が言う。
「俺も行く」
ショウキが半身を起こす。
「その体じゃむりだって」
「っせえ、甘く見るなよ。埋め込み率が低いったって、このぐらい……」
といって立ち上がるが、うっと呻いて膝をついた。
「無理しない方がいいわ。あの刀の男と戦って、相当体力を使ったみたいだし。ここはじっとしていた方がいい。晴嵐さん」
と秋水が言って、肩のライフルを差し出した。
「銃弾は通常弾ですが、無いよりマシでしょう。あの李飛燕、なにかしら特別な改造はしていないみたいですし。ここは、あなたに任せます。あとで、わたしたちも向かいますから」
改まって言う、その姿はゲリラというより軍人のそれに近かった。伊達に、今まで共和国を相手に、地下で戦っていたわけではないということか。加奈は素直に、ライフルを受け取った。
「感謝する」
そう言って。
「ご武運を」
秋水はそう言って、敬礼してきた。一瞬、驚いたが加奈もまた敬礼で返す。ライフルを構えて、踵を返して北棟にと至る。
その時、北棟の屋上に砲弾が突き刺さった。
「紫田」
と詰め寄って
「俺ぁ、行くぜ。部下たちを助けなければ」
「待て」
と紫田が制すが、柳は紫田の手を振り払った。
「何を待てと言うんだ。このままだと俺の部下は、娘はやられちまう。お前の部下もそうだろう。このヘリはオンボロだが、それでもあのイージスの一隻ぐらいは沈める火力はある」
「馬鹿、昔とは違う。奴らは軍隊なんだ。例え、一撃食らわせることが出来たとしても、こちらが手を出せばたちまし餌食だ。いや、手を出すことすら許してくれんだろう。お前さんがいくら優秀でも、一介のゲリラが立ち向かえる相手では――」
「ならどうしろってんだ!」
柳が紫田の胸倉を掴んだ。これほど激昂している柳も、珍しい。
「落ち着け。今、明蘭がこいつのプロテクトを破って、それを人権委員会に」
「落ち着け落ち着けって、お前はいつもそれだな! 昔から大局を見守れだの、時代の流れだとか。いっつも、受動的で。能動的に動いた試しがあるか!」
鼻っ面を突き合わせて唸る。紫田は静かに言った。押し殺すように
「……わしだってつらいんだ、柳。お前だけだと思うなよ、誰だって同じなんだっ……」
柳の目が、頭1つ高い場所から見下ろしてくる。柳の体から発せられる気迫が、粒子の塊のように感じた。圧迫感を伴う空気が、圧してくる。紫田はそれに対して、一歩も退かず、睨み返した。柳の額に汗が浮かんでいる。同じように、紫田の首筋にも汗が伝った。
一触即発の空気が、流れる。
「お2人とも、お取り込み中悪いんだけどできたわよー」
と、空気をぶち壊す声がした。明蘭が、2人の睨み合いに呆れたように
「10分も待てないなんて、せっかちね。きっとアレも早いのねあなた」
ため息混じりに言った。
柳が何か言い返そうとするのを押し止め
「流石だな。それで、中身は」
「んーなんか書いてあるわね。『伊―13号』、なにかしら」
「伊、とは伊豆のことかの。よくわからんが」
とキーを叩く。
「なるほど、内容は実験レポートのようだな。ヒトモザイク胚の実験レポート、これだけでも重要な証拠となりうる。しかも」
と紫田が、キーを操作すると、画面が切り替わった。
「関係者のリストか」
紫田が言った。
「結構、大物の政治家や企業家の名前があるな」
柳が後ろから覗きこんで言う。
「施設の実験内容、どうやら各方面に生かされているようじゃないか」
皮肉っぽくいう。リストの最後に記載された名前を見て、吐き捨てた。
「成功の源はこれだったということだ」
言うと、明蘭に
「人権委員会にそいつを転送しろ。新聞社にもだ。この事実を公表する」
「けど、外圧がかかるんじゃないかしら」
「これほどの人権侵害、隠しとおせるわけはない。特に、その総責任者の名を見ればな」
了解、と明蘭は埋め込み端末に繋いだ。