6―9
画面の向こうで、加奈が苦しんでいるのが見えた。
戦車が砲撃を繰り返し、加奈が物影にうずくまっている。あんな大きな弾に当たれば、いくら加奈でも――それは素人目から見ても分かった。
鈴は恐ろしさに、身を縮める。
「怖いかよ、てめえ」
サブマシンガンを持った梟龍が言った。
「あいつとて、戦車には敵わないさ。すぐに死ぬぜ、あの女」
「そんな……」
と鈴が言うと、梟龍は馬鹿にしたように
「馬鹿な奴だな、あの女も。護衛だかなんだか請け負って、その護衛対象に情を移しやがって。こんな所まできて死にに来てよぉ、何が哀しくてお前……」
「加奈さんは、そんなことは」
「うるせえ、てめえ」
梟龍が銃底で、鈴を殴り飛ばした。鈴は小さく悲鳴を上げて、突き飛ばされる。その背中に向かって、また踏みつけてきた。
涙が滲む。痛いから、ではなく。
「大体よ、てめえも。中途半端に名残惜しそうにするから、あの女が追いかけてくるんだろうが。本当ならここに潜伏して、飛燕がウィルス造りに専念しようって所で……軍も来ちまうしよお」
梟龍が毒づいたと同時に、どこかで砲弾が突き刺さる爆音が響いた。
「クソ忌々しい。てめえの優柔不断が、飛燕をてこずらせているんだ。分かってんのか?」
「優柔……不断……」
その言葉を、もう一度繰り返した。モニターで、戦車がチェーンガンを乱射する。その銃撃の向こうに加奈がいて、すぐに銃弾が生み出す粉塵の中に見えなくなった。
「中途半端なんだよ。何の覚悟もねえ、だから飛燕の足を引っ張るんだ。オレらぁ、あの人が無ければ生まれてこなかったんだ。なのに、恩に報いることもしねえで、やることっていったらせいぜいウイルスの運搬ぐらい。それすら、躊躇して。覚悟が足んねえ」
中途半端、覚悟。
そうなのかもしれない、わたしは今まで……この人たちに
「ったくよお、こんなことになって。あの人のお気に入りじゃなければこんな奴」
梟龍が、鈴の背中を蹴飛ばした。声が洩れる。ふと梟龍が
「なんだ、なんか背中に入れているな」
と言って、鈴の服をいきなりまくり上げた。
「やっ……」
「おーおー、なんだこりゃ。こんなもの」
鈴の腰に、短針銃が差してあるのを見て、梟龍はそれを抜き取った。
「すげえな、軍用だ」
と目を輝かす。その短針銃は、加奈から受け取ったものだった。
「ふん、一応役には立っているみてえだな。あの女から奪ったのか」
加奈から……預かったものだ。鈴のではない、加奈が預けてくれた。自分を、信じて。
血が沸き立つのを感じた。
「返して!」
自分でも、どうしてそんな行動に出たか分からない。気づいたら梟龍に飛びかかっていた。びっくりするほど大声が出て、喉が潰れるんじゃないかと思った。
「返して、それを返して!」
と梟龍に飛びかかる。梟龍が驚いている、その手に掴みかかった。
「てめ、この野郎!」
梟龍が腕を振るが、必死にしがみつく。背は鈴のほうが、いくらか高い。短針銃を奪おうと、もがいた。
だが、単純な力だけでは勝てない。
銃身を掴み、梟龍の右手首の、骨が出たとことを握る。そうして、捻り上げた。梟龍が悲鳴を上げる。加奈に教わった、唯一の護身術だ。伊達に“特警”に潜りこんだんじゃないんだから――
短針銃を、奪い返した。
「このガキ!」
と梟龍が激昂して、鈴を蹴飛ばした。座席の背もたれに肩を打ち付け、階段に背中を打ちつけた。
「決めた。やっぱ殺す、このクソアマがっ」
梟龍がサブマシンガンを向ける。レーザーポインタの光点が闇に灯る。
鈴は短針銃の安全装置を外して、銃口を向けた。いつ、梟龍の銃が火を噴くか分からない、その恐怖が勝って、無我夢中で引き金を引いた。
空気射出、30連発が響き渡る。
銃声は、聞こえない。
おそるおそる、銃を下ろして見ると、梟龍が顔面に針を打ち込まれて放心状態になっていた。呆然と立って、目を見開いて――その眼球にも針が刺さっている――やがて膝から崩れてうつぶせに倒れた。倒れこんで、梟龍が顔を上げて、目をかっと見開いて手を伸ばした。しかし、すぐに力尽きて首を落とした。
「や……いや……」
短針銃を持ったまま、鈴は震えが止まらなかった。自分が撃った、という事実が胸を突く。殺して、しまったのだろうか。銃身を見ると、セイフティレバーは神経針の射出を表していた。
この針はどうなのだろうか、刺さったら死ぬのだろうか。加奈からは、なにも説明を受けていない。ただ、撃てば当たる、と。
こんな簡単なものだったとは思わなかった。引き金を引いただけなのに――自分が放ったものが、突き刺さって人一人を斃してしまうなんて――いや、死んでしまったのかもしれない。
わたしが殺したの?
その時、梟龍が呻き声を上げた。どうやら、死んではいないようだ。ほっと胸を撫で下ろすが、しかし起きてきた梟龍が逆上して鈴に何をするか分からない。
鈴は短針銃を持って、階段に急いだ。体育館を、ここを出なければと思った。
その時、ドーンという雷撃が建物全体を揺らした。
チェーンガンの雷撃が壁を打ち崩して、脆いコンクリートに弾痕穿つ。樹木の陰に隠れて、遮蔽物の陰に隠れながら移動する。どうにかして奴の死角に回りこみたいものだが、しかし180度回転するあの砲塔の前に死角などありはしない。自動制御で敵の位置を把握し、確実に殲滅するまで追い詰める。6本の足は、これまで鈍重とされたキャタピラ式の戦車と違い、俊敏な動作を可能とする。姿勢制御ソフトと生体運動素子。3次元的な戦闘を可能とする跳躍力が、確実に獲物を追い詰める。
加奈は校舎の中に入り、2階に回った。弾倉はあと3本しかない。何度か発砲したものの、装甲が少しへこんだだけだった。複合チタン殻といっても、その硬度はモノによって違う。サムライたちが使う装甲とは、耐久性が違うのだ。
となると、まともにぶつかっても意味は無い。
《逃げてばかりじゃつまらないよ》
デバイスに、飛燕の声が響いた。
「何勝手に通信に割りこんでんのさ、あんた」
《そういうの得意だから。君も知っての通り》
またあのウィルスでも撒いているのか、と加奈が思った時、突然床が割れた。木とコンクリートを突き破って、20mm機砲の無骨な砲身が顔を覗かせる。黒灰色の、角ばった脚が、蠢蠢とゴミ溜めに集う蟲の群を思い出させる。
気色悪いんだよ、と加奈はベレッタを撃った。装甲の表面に着弾し、炎が炸裂するも、やはり傷1つつかない。舌打ちする。
チェーンガンの連続した銃声。
銃弾が木製の床をひっぺ返し、壁を削り取る。木屑と石の欠片、鉄が舞い上がって視界を遮った。発砲しながら教室の1つに逃げ込む。律儀にも戦車は、入り口に体を突っ込ませた。壁が崩れてガラスの破片が降注ぎ、装甲と触れ合って乾いた音を立てる。赤いセンサが加奈を見つめ、次には銃火の不協和音が轟いた。
木とアルミ、ガラスで構成された全てのもの――かつて子供たちが座っていたであろう机と椅子とが、20mmの前では灰燼に帰すより他無かった。蛍光ランプが砕け散って、真白い粉雪めいて降注ぐ。グリーンの炎が切り裂いて、紅の光学素子が無機質で、冷酷な感じを醸し出す。
加奈はガラスを突き破って外に出た。中庭を失踪すると、足元に銃弾が刺さるのを感じる。横に飛んで植え込みに隠れ、渡り廊下から南棟に逃げ込む。加奈がいた箇所を、0.1秒後、20mmの銃弾がぼうっと燃え上がる音を立てて過ぎ去った。
《逃げてないでさ、そろそろ遊ぼうよ。でないと、時間がなくなるよ》
廊下を走りながら、デバイスに声を聞く。向かいの北棟、3階の教室に、李飛燕の姿を認めた。遠隔操作で動かしているようだった。何かの端末に向かって、指を動かしている。
「あんた、卑怯だよ。そこから降りて来いよ。そうやって自分は安全なところにいて、自分は汚れないで。それでこの国を正すとか“中間街”を解放するだとか、御託並べてんじゃなよ。やってることは、あの施設の大人と変わらないじゃないか!」
そういったとき、校舎が揺れる衝撃を感じた。戦車ではなく、もっと大きな砲撃のようだ。
《そういう、いかにも分かってます的な説教、うんざりなんだよね》
と飛燕が言う。
《それはいいからさ、さっさと片付けたいんだよね。でないと君も、『桜花』もまる焼けだよ? 海軍の艦砲射撃でさ》
艦砲射撃だと、と言った時また建物が揺れた。今度ははっきりと、感じ取れた。砲弾が空を裂く音、爆撃の衝撃が細胞に響く。軍の奴ら、ここを嗅ぎつけたかと言って加奈は北棟の非常階段に至った。後ろから、戦車の20mmが撃ってくる。6本脚が地面を抉りながら進んでくるのを確認する。
やってられるか、畜生!
ベレッタを自棄気味にぶっ放した。天井が砕けて、天板がバラバラと戦車に降注ぐ。一瞬だけ、戦車の脚が止まったのを受けて、加奈は階段を昇った。飛燕が北棟にいるというのなら、ここからなら3階の渡り廊下が近道だ。それまでに、たどり着けるか分からないが
「加奈!」
とその時、階段の上から声がした。見上げるとショウキが身を乗り出しているのが見える。
「ショウキ!」
ほっとして加奈が階段を駆け上がる。
「遅くなってすまない。今、鈴の位置を特定した」
と言うショウキを見て、思わず絶句してしまう。
「ショウキ、あんたその腕」
右腕が、無くなってる。肩から先が。
「なあに、かすり傷だ」
「そんな訳ないでしょう。誰にやられたの」
「多分、お前さんも良く知っている奴だ」
「疾人か?」
昏い目をした刺青の男を、思い出す。
「お前の足の仇は、きっちり取ったぜ。腕、持ってかれたけどその位安いものさ、お前んこと考えれば」
そう言って微笑する。その笑顔がなぜか突き刺さるようだった。ショウキの、残ったほうの腕を撫で、一言、すまないと言った。
「気にすんな、それより」
とショウキが言って。
「危ねえぞ」
ショウキが加奈の背後に向かって発砲した。階段を駆け上がってきた戦車の足に着弾し、マグナム弾が爆ぜる。脚を撃たれた戦車が、バランスを崩した。その隙に、さらに3発打ち込む。機体が大きく傾き、階段から転落した。
「マグナムってのは、こう言うときに役に立つ」
などと言って、ショウキは加奈に行くぞ、と促した。走りながら加奈は
「鈴の居場所っていうけど」
「電磁シールドで隠していやがった。ナノカメラも、そろそろ時代遅れかもしれんな。それでいま、京都報国同盟の連中が――」
「報告同盟? なんでゲリラなんかと結託しているのあんたたち」
「そんなことも言ってられねえよ。いまや“特警”は、国家の敵、なんだから」
と言った直後、砲撃の振動が床に響き渡った。
「ほらな」
「海軍の艦砲射撃か」
加奈が言うとショウキが頷いて
「奴らにとって、都合の悪い人間を一掃できる機会だ。あの施設のことを知る、全ての人間をな」
「それって」
後ろから、20mmが響いてくるのに、慌てて教室の中に入った。
「ちと、下がれ」
とショウキが再装填しながら言った。片手であったが、わりとスムーズにシリンダーを交換する。
戦車と対峙した。
S&WM500の5連発が響いた。戦車の脚の付け根に、全て着弾する。右の脚から火花が散る。ジョイントの1つが外れ、撃った箇所からショートしたように煙が上がった。
「撃て!」
と言われるまでもなく、加奈は戦車の脚の付け根に向かって撃った。弾倉が空になるまで撃ちつくして、脚の付け根から炎が上がる。
もう一発!
だが、それより早く、戦車の砲塔が回転し、加奈の方に向く。20mm機銃の銃口が、眼前にあった。
「加奈!」
と叫んでショウキが、右側から――目には映らなかった――飛び出して加奈を突き飛ばす。
チェーンガンが火を噴いた。
吐き出された20mmの銃弾がショウキの脇腹を貫いたのを見た。皮膚を抉り、腹直筋を切り裂いて肋骨を削る。ひどく緩慢に映り、叫んだ声も聞こえないぐらいに、静寂が包む。腹を貫かれたショウキが、衝撃に吹き飛ばされて、窓を突き破って転落する――そんな全てが目に焼きつく。
ショウキ――!
叫んで、加奈もまた外に飛び出した。