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夜狗-YAKU-  作者: 俊衛門
79/87

6―7

 片目と言うのは以外と不便なものだ、と加奈は廊下を走りながら思う。遠近感が全くつかめないことが、これほどの不安を生じさせるとは。階段を昇るのにも足を踏み外し、廊下を曲がるときに危うく壁に激突しそうになったぐらいだ。ナノワイヤの神経レベルを過敏にさせても尚、視覚から入る情報と体のギャップに慣れないため、僅かなズレを生じさせる。

 この「ズレ」こそが、最大の敵。少なくとも、戦場ではそれが命取りになる。例えば銃を握ったとき、いつもの握った感じと違ったら。治ったばかりの傷がまだ疼くような感触を覚えたり、包帯の巻き方が甘いと感じたり――肉体に生じた、違和感が精神を不安定にさせて、心に隙を生じさせる。

 目の1つ、失ったぐらいでガタガタ騒ぐなと言い聞かせた。そんなこと、いつまでも気にしているからでき損ないノックアウトなんだ――だが、そんな精神論では片付けられないほど、被害は甚大と言わざるを得ない。

 右目の網膜に瞬く光点は、この学校の体育館に灯っていた。体育館の映像は、ナノカメラの光量が足りなくて観ることは叶わない。だがそこにいる人物が誰であるか、加奈には分かっていた。

 李飛燕――きっと奴は、わたしが来るのを待っている、という確信にも似たものがある。奴はそういう人間なのだ、自分の都合のいい用、自分が一番楽しめるよう、裏でシナリオを書き、演出する。あの時だってあいつは笑ってやがったんだ、自分の書いたストーリーがハマって、今回も。

「思い通りにはさせない」 

 と言って、床を蹴った。


 南棟から渡り廊下で、直接体育館へと至る。

 体育館の他に武道場やクラブの部室、その他実習に使うような教室が内包された複合施設のようだった。ここで、ここの生徒たちが学んだという実感が沸かない。三重の山中で見つけたあの会社や、閉鎖した工場など変わらない。廃墟は廃墟なままだった。加奈自身が学校に行っていないというのもあるのかもしれない、学校というものを理解できないのは。

 一階部分には武道場や部室、二階の体育館から生体反応がする。加奈は網膜上の光点に向けて歩を進めた。

 通路を抜けると、埃っぽい空間に出た。ナノカメラの生体反応が示す光点が現在位置を重なる。ここに、奴がいるのか――

「飛燕、李飛燕。いるのか」

 と怒鳴った。空間に反響する声が増幅して、何重にも重なる。誰も何も答えないが、確かにそこにいると感じられる。

 体育倉庫の扉を背に、ステージ、バスケットゴール、観覧席に目を走らせる。どこかにいる。

 光学レンズを起動させる。レンズ上に発光細菌が走って、赤外線センサの映像を浮かび上がらせた。ステージの上に白い人影が浮かんだ。加奈は銃を構える。左目だけで狙う、というのは思ったよりもやり辛いものがある。利き腕である右手で持って利き目である右目で狙うことに慣れていたからか、しっくりこない、ピースが嵌りきらない、違和感がある。グリップを握りこみ、銃身をやや左に傾けてリアサイトを左目に近づけた。

「李飛燕、そこにいるのか」

 と言う。ステージに銃口を向けた。

「せっかちだな、君は」

 どこか気取った感のある声が響いた。ステージの明かりが灯るのに、まず最初に見えたのは、異様な存在感を示すグランドピアノであった。仰々しく鎮座して、備え付けられたばかりのころはどれほどの音色を奏でたか――今は見る影も無く、塗装は剥げ落ちて埃を被っている。そのピアノの前に、李飛燕が座っていた。

「こんなところまで追いかけなくても良かったのに、桜花。いや、晴嵐加奈。あのまま大人しく引き下がってくれれば僕としても助かったんだけどな」

 飛燕は鍵盤を叩いた。音は、しなかった。

「ここまで来ちゃったんなら、僕は君を殺さなければならない。勘弁してもらいたいよ、これでも胸が痛むんだよ? 昔の仲間を傷つけるなんて本当はしたくないんだ。なのに――」

「鈴はどこだ」

 飛燕の言葉を遮り、加奈が言った。

「ショウキの所にはいなかった。鈴は、どこにいる」

「やっぱりせっかちだ、君は」

 と笑って

「鈴というのは、大体が仮の名前だ。彼女は桜花だよ」

「それはあんたが、わたしにつけた名だろう」

「君が死んでいたものだと、思っていたから。君の細胞を下に、もう1人の『桜花』を作り上げたんだ」

「『もう1人』?」

 奇妙なことを言う。いくらクローンであっても、遺伝子が同じというだけで同じ人間にはならないというのに。

「本来の桜花が生きていたから、どうしようかと思ったけどね。君は、僕の中の『桜花』とは違う人になった。だから君は、『桜花』ではない。僕が生み出した『桜花』こそ、本当の『桜花』だ」

「言ってる意味が分からないね」

 と言いつつ、じり、と歩を詰める。ミリ単位で間合いを詰めて、確実に仕留められる距離にまで。

「つまり、鈴を作った理由ってのは、単にわたしの替わりが欲しかっただけ、なのか」

「替わりじゃない、『桜花』そのものだよ。僕が思い描く、『桜花』。あの時のままのイメージが欲しかった。だから僕は――」

「クソ食らえ」

 加奈が吐き捨てた。飛燕はうんざりしたように

「ほら、そういう言葉。僕の知っている『桜花』はそんな風に言わなかった」

「うるさいよ、李飛燕。あんた、そんな理由であの子を生み出したっての。クローンとして生まれた子供が、どういう目に遭うのか。あんただって、分からないでもないでしょうに。こんなのは……」

 こんなこと、施設の大人たちと同じだ、と加奈は言った。胚を弄り、遺伝子導入して生命を造る。デザイナーズベイビー、あるいはキメラと呼ばれる人工生命体として生み出された子供が、どのような末路を辿るかなんて考えず、単純に思い通りの子供が出来ればいい。それが出来れば、自分の物にするのだ、まるで品種改良した愛玩犬を育てるみたいに。

「しょうがないじゃない? 君がいなくなるのがいけないんだ。君が僕を置いていってしまった、だから作ったんだ。君の細胞と、あの施設に残っていたデータを利用して」

「んで、鈴を生み出すばかりじゃなく、ハッキングウィルスも造ったというわけか。わたしの細胞とデータを使って。挙句の果てに、あんな殺人ウィルスをねえ。全く、αグループの連中にいじめられてビービー泣いてたあのガキとは思えないわ。あんなウィルスで、一体何をしようとしていたんだよ」

 飛燕は肩をすくめて言った。

「それ、教えなきゃダメ?」

「別に。教えないっていうなら、あんたを捕まえて無理やりにでも吐かせるだけさ。どうせロクでもない理由だろうがな」

「例えば?」

 飛燕は立ち上がり、能面みたいな笑みを貼り付けて

「例えばどんな理由だい? 晴嵐加奈」

「支配とか」

「へえ」

 と飛燕が言い

「誰に対する支配だって?」

「移民を殺すだけでなく、日本人も殺すよう仕向けるあのウィルス。任意に消したい人間の塩基情報コードだけを選別し、そいつだけをピンポイントに殺すあのウィルス――施設では造られはしなかったものの、同様の構想は施設内でもあった。ウィルスといえど、生体分子機械バイオナノマシンの1つだからね。暗殺用に改良すれば、与えるのは恐怖。導き出される結論は、子供じみた絶対的支配者リヴァイアサンへの欲求」

 つ、とまた近づいた。

「それも、悪くないね。でも、あまり興味は無いなそういうの」

「なら、なんだよ」

「ふふっ……やっぱり知りたいんじゃん」

 飛燕は含み笑いを噛み殺して言った。

「君はさ、この“中間街セントラル・シティ”をどう思う」

「は?」

 逆に、飛燕が問うのに加奈は訝しく思い、不審な声を出した。

「都市の人間は、最長で150年は生きるらしいね。ナノバイオ医療が発達して、老いることなく、長生きする。けどその外は? 外に生きる人はどうなる。都市の人間が繁栄を享受させている間に、“中間街セントラル”に生きる人間はハタチまで生きられれば幸運ラッキーって世界だ。都市に行った君には分からないよ、僕らがどんなにか」

 そう言うと飛燕の顔が曇った。目を伏せて、唇を噛む姿は感情を押し殺しているようにも見える。痛いのを、我慢している子供。大きな空間で、1人涙をこらえていた少女の姿に重なる。

「どんなに、僕らが苦渋を嘗めたか分からないだろうね。この“中間街セントラル・シティ”がどんなところか」

「それは……」

 分かっている、とは言いがたいかもしれない。加奈は“中間街セントラル・シティ”の人間ではない、所詮は加奈も都市の人間だ。

「僕らは“中間街セントラル・シティ”を解放するんだよ、僕らはこのクソッ垂れな街を変える。そのために、あれを造ったんだ」

「あれで、都市の人間を殺そうというのか」

「あそこに関わった人間が、どうなっているのか知っている?」

 唐突に話題を変えて聞いた。加奈は、否、と答える。

「あの施設はね、政府の実験場だったんだ。あの火災で、施設の全てが死んだわけじゃない。あそこにあるのものは、政府が回収して今のナノバイオ産業の殆どに生かされているんだ。僕がウィルスを造るのに、あそこのデータを使ったのと同じようにね。何と言ったっけ、政府のプロジェクト、それに基づいた建造された“ゲノム・バレー”にと」

 飛燕が言った。

「僕らがこの“中間街セントラル・シティ”で、這い回っている間、彼らは安穏として暮らしている。それがこの国の、大人たちだ」

「だからなんだよ、貴様」

「まだ分からない?」

 鈍いね、と飛燕が笑う。その物言いが癪に触った。

「この国は不条理を抱えている。それを全部、綺麗にしてやるんだ。僕がこの国の不条理を正すんだ」

「それが何で、ウィルスを使ったテロリズムに殉じることになるんだ。おかしいだろう、あの施設とは関係ない人間を殺すなんて」

「だから、わざわざ塩基情報コードを盗み出したんだ。あの施設とは明らかに関係のない、15歳未満の子供は除外してある。あそこに関わった可能性はないだろうからね。この国の大人たちは――」

「黙って」

 飛燕の言葉に被せて言った。

「それ以上言うなよ、あんた。自分てめえの都合だけで、あんた。そんな理由で都市の人間をろうってのか」

 狂っている。吐き捨てた。

「全部自分のことだろう、何が綺麗にするだよ。“中間街セントラル”で育ったことが、そんなにすごいことなのか。その恨みつらみをぶつけたいだけだろうが」

 加奈はそう言いながらも、確実に距離を詰めていた。

 あと10cm、近づけば確実に届く。

 銃口の先で、飛燕は寂しげに微笑した。失望感すら漂わせている。首を振って、

「やはり君は、都市の人間だね。僕らの事なんて、なに1つ分かりはしない。分かろうともしない」

「分かりたいとも思わないよ。テロリストの言うことなんて」

「そう」

 飛燕は、やおら手を上げた。

「ならば、仕方ない。君たちのやり方を踏襲するまでだ」

 そう言ったとき、背後で地響きがした。何か大きな物が落ちてきたような衝動だった。巨人が跪いたような、床全体が揺れる振動が膝の関節に響く。後ろを振向いた。

「な、なにこれ……」

 言葉を失う。そこにあったものを、目にして

「戦車だよ。君はよく、知っているんじゃないかな?」

 飛燕が言うのも、聞かず

 体育館の中央に降り立ったそれを見る。市街戦用多脚戦車が、昆虫の脚を突き出して、チェーンガンの銃口を向けている。水素ガスエンジンを用いて、生体分子モーターを備えた6本の「脚」で駆動する。“ハチドリ”と並び、生物機能工学が生み出した戦闘兵器だ。陸軍で10年前に採用された、甲虫を思わせるフォルム。20mm機銃を備え、表面は複合チタン殻で覆われている。

「貴様、こんなものをどこで」

「以前、択捉に投入されたモデルだよ。ロシアンマフィアから譲り受けた。少し壊れていたけど、弄ってみたら直ったから使っている」

 だからと言ってこれは――チェーンガンの銃口が狙ってくるのに、悪寒のようなものが肩から首にかけ抜ける。鋏のようなマニュピレータをかちかちいわせ、紅の光学素子が見据えてくる。獲物を前に舌なめずりしているような、印象を受けた。

 奴ら、こんなものを――飛燕は今、ロシアンマフィアから譲り受けた、と言った。『天正会』の名は出ていない。となると、ギャングたちに銃火器と装甲車両を回したのも、『天正会』の頭越しに火器、兵器の取引をしていたということか。

 ベレッタを構えるが、こんなもの相手にどう立ち回れば――火力が違い過ぎる。対機甲弾であるとはいえ、拳銃弾で戦車の足を止める事すらできないだろう。

「そこで、彼女に見ていてもらおうか」

 飛燕が言って、二階の観覧席を見る。加奈もその方向を見る。月明かりに照らされて、佇むその人物を

「鈴……!」

 と叫んだ。生体反応でキャッチできなかった鈴が、少年に銃を突きつけられた状態で座っている。鈴は加奈の姿を認めると、駆け寄ろうとするが、少年に髪を掴まれて身動きを封じられた。

「貴様、どういうことだ! 鈴を放せ!」

 加奈は飛燕に銃を向けるが、それよりも早く、多脚戦車が加奈の方に突っ込んできた。鋏状のマニュピレータが肩に当たり、吹き飛ばされて壁に叩きつけられる。

 バイオセンサが、骨の損傷を訴える。マニュピレータが接触した肩の骨に、亀裂が入ったのだ。あの戦車は炭素同素体フラーレンが導入された骨であっても、楽々砕く馬力を誇っている。

「古い方の『桜花』が消える瞬間、『桜花』はこの世でただ1人の存在となる。世代交代って、奴かな」

 飛燕が言ったとき、多脚戦車の20mm機銃が火を噴いた。

 射線上に身を置いていた加奈は、飛び上がるようにして避ける。機銃が壁に弾痕を刻みつけ、薬莢が床にばら撒かれた。

 加奈、着地。また発砲してくるのを、跳躍してやり過ごす。バスケットゴールに掴まろうと、手を伸ばした。

 伸ばした手が、空を掴む。そのまま地面に着地した。

 情けない。あんなものすら掴めないなんてっ……!

 忌々しく、バスケットゴールを見上げた。片目だとやはり、遠近感覚が掴めない。

 チェーンガンが、連続した銃声を響かせた。

 横っ飛びに避けると、足元に銃弾が突き刺さる。二階席で、鈴が何ごとか叫んでいるのが目に入った。ここではまともに立ち会えない。

 窓ガラスに体ごとぶち当たり、外に飛び出した。

 戦車がその後を追う。



 「ここでは良く見えないな」

 と飛燕が言って、ピアノに近づいた。鍵盤の1つを叩くと、体育館の中央にグラフィックが浮かび上がる。鈴の、目の前に位置している。外に出た加奈と、戦車の動きが映し出された。

「衛星からのカメラだよ。ここなら、彼らの戦いも観察できる」

 飛燕が言うのに、鈴は俯いた。画面上では、加奈が中庭の像の影に隠れて、戦車の追撃を避けているのが見える。

「そこでゆっくりと、観察しているといいよ」

 と飛燕が言った。その言葉が、残酷な感じに響いた。

「もう直ぐ、終るから」

 と言う。梟龍が笑うのに、鈴は唇を噛んだ。加奈の姿を、まともに見られなかった。

「梟龍、後はよろしく」

 飛燕はそう言うと、体育館を後にした。



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