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屋上に2人、向かいの北棟に1人、そして廊下にショウキと秋水、2人の突入員が待機している。ショウキと秋水が、教室の黒板側の扉に張り付き、残りの2人は教室の後ろ張り付いている。防護マスクを被っていた。ウィルス対策か。
ショウキはS&Wを構えた。狙撃を合図に、閃光弾を投げ込み、ショウキが先行。次に秋水たちが突入して、残りは屋上から侵入。鈴を確保する。何回も、突入してからの行動をシミュレートした。必ず、刺青の男を制圧する段になって、考え込んでしまう。
加奈の足を斬りおとすような男だ、その力は未知数。もしかしたら、予想以上にやるかもしれない。だから、挟みうちの布陣を取ったのだ。もう1人の子供は、加奈が静岡で遭遇したという少年だろう。帽子を目深に被っているのを、ナノカメラの映像で確認する。H&Kなんぞ持ちやがって、一丁前に――と思いながら観察した。
見た目はどこか、改造している風ではなかったが、そうは言ってもあのブラック・ウィドウという少女も見た目はただの子供だった。どんな改造を施しているか分からない。そのウィドウも、この場にいたら相当厄介な事になっていただろうが、先ほど加奈からウィドウを殺した、との報告を受けた。明蘭も、上空から確認したらしい。あの女が加われば、さらに厄介なことになっていたかもしれない。そう思うと、流石は加奈、と言わざるを得ない。
そこまで考えて、ふと思う。“幸福な子供たち”というのは、構成員は5人しかいないのだろうか。それとも、他にも仲間がいてどこかに潜伏しているのだろうか。傭兵団なのだから、もっとサムライがいても良さそうだが。
いや、よそう。今は、鈴を確保することが、先決だ。
ナノカメラの映像では、鈴はずっと俯いている。長い髪で、表情は伺えない。さっきから、ずっと同じポージングである。疲れないのだろうか、他の2人も同様に身じろぎ1つしない。サムライってのは、同じ姿勢でも平気なように出来ているのだろうか、などと考えていると秋水が親指を立てた。いよいよ突入開始だ。教室の後ろの2人にも、サインを送る。
その2秒後。
スドン、と抜けるような音がするのを受けて、ショウキがドアを蹴破った。
閃光弾を投げ込む。ぱっと爆ぜて、火の玉が生まれた。教室の真ん中にいた、刺青の男がゆっくりと斃れこむのが見える。狙撃が成功したのだ。だが、相手はサムライだ。念を押す意味で、リヴォルバーを撃った。
刺青男の頭が破裂するのを確認する。次に秋水が発砲し、通常弾が鈴の隣にいた子供に突き刺さった。子供は声を上げる事なく、斃れこみ
「クリア」
と言う声を聞く。思ったよりも、呆気なく済んでしまった。
「歯ごたえねえな、案外」
拍子抜けしてしまった。もっと抵抗されると思ったのに。もっとも、制圧に掛ける時間は早ければ早いほどいいのだが。
ふと、辺りを見回した。教室に突入したのは4人だった――これはどういうことか。
「おい、上の2人はどうしたんだ」
と訊く。手はずどおりなら、上からワイヤーで、もう2人突入してくる筈なのだが。
「うん、おかしいのよ。応答も無いし」
秋水も困惑顔である。サボってんのかな、これだからゲリラは――などと思って、しかしとりあえず、今は鈴を保護するほうを優先する。鈴に近づいた。
「おい、これ変だぞ」
と、突入員の1人が発した。
「どした?」
「こいつ、何っも喋らねえ」
「何だと?」
俯いて椅子に座っている鈴に向かって、呼びかけてみた。反応は無い。どうしたんだろうか、いつもなら加奈が何か言っただけで過剰に反応するのに――
嫌な予感が、過ぎった。
ショウキは鈴の髪を引っ掴み、顔を上げさせた。その顔を見て、ショウキはまた絶句する。
「ちょっと、なにやってんのよ。乱暴なこと……」
秋水が口を開き掛けるが、やはり同じように絶句する。それは鈴ではなかった。見た目にそっくりな、人形だ。良く出来ているが、肌が異様に光沢に満ちている。いかにも作り物然とした、彫刻みたいな顔をしていて、蝋人形か何かを思わせた。
「どういうこと? ナノカメラとやらは確かに生体反応を示したのよね」
「ああ、その筈だ」
と言いよどむ。ふと見ると、斃した他の2体も同じような人形だった。
「壊れていたの?」
「そんなはずはねえ。俺たちの生体反応は、ちゃんと示していたのに――」
網膜で走査する。自分たちのいる教室は、確かに7人分の生体反応があった。ショウキ、秋水、突入員2人、そして3体の人形。どうなっているのだろうか――GPSで学校の俯瞰図を表示する。
もう一度、口を開ける事になった。
「こいつは……」
なんと、体育館にあった生体反応が増えている。1つ――おそらく、残りの李飛燕の生体反応の他に、もう2つ、生体反応を示す光点が。そして屋上には、2つ在ったはずの生体反応が1つに減っていて――
予感が、確信に変わった。
「やべえ、お前ら。ここから逃げるぞ!」
そういった瞬間。
斃した人形たちの衣服の下から、白い煙が勢いよく噴出したのだ。突入員2人が、その煙に飲まれて見えなくなった。ショウキは秋水に、外に出るように言う。
煙の中で、2人がもがき苦しんでいるのが見えた。口と耳の穴から血を流して、首筋が青紫色に変色するのを見る。突入員2人は呻き、叫んで床を這い、天を仰いで苦痛に喘いでいる。
――防護マスクが、まるで役に立っていない。
そう思った瞬間、男たちの皮膚が黒くなった。そして、表面に亀裂が入り
破裂した。
血飛沫と共に細かくなった肉片が飛び、脳漿が流れ出る。血に濡れた防護マスクがずり落ちると、ぐずぐずに溶けた男の顔が露になった。魂の抜けた、ただの肉の塊が膝をつき、うつぶせに斃れる。顔面が床に叩きつけられ、半液状になった皮膚がびしゃっと跳ねた。
「どういうことよ、あんた」
廊下に出た秋水が、怒気を帯びた声で言った。
「あんたのナノカメラとやら、信頼して乗ったんだ。それが、どうして部下を死なせることになるんだよ!」
いつものおっとしした喋り方ではない、語気を荒げて秋水が怒鳴る。
「すまねえ、秋水」
とショウキは、まだ煙が立ち昇るのに、言った。
「一杯食わされた、ありゃ“肉人形”だ」
「はあ? “肉人形”」
「屋上に行くぞ」
とショウキは声を掛けた。
「“肉人形”ってのは、文字通り肉の人形だ。蛋白質や髄液などの、有機物を塗り固めて、あたかも本物の人間がいるように見せかける囮だ」
屋上にいたる階段を昇りながら、ショウキが言った。
「体中に熱を発して、血液の成分すら混ぜるから戦場ではよく、影武者代わりに使われたんだよ」
「そいつに、ナノカメラが引っかかったってこと?」
「ナノカメラも随分改良されて、質の悪い人形にゃ先ず引っかからないんだが……あんな精巧なもの、こんな所で作れる奴なんざぁ……」
屋上まで、狭い階段を抜ける。ボロボロに崩れた石膏像やら劣化したキャンバスやらが積み重なっていた。
「そして、すまん。多分、お前さんの部下は……あとの2人も」
そう言って、ショウキは屋上へと出た。秋水も続く。
そこに在ったのは、負の空気、死の気配だった。
「遅かったな」
と言う、静かでなおかつ異様な迫力を伴った、血の底から沸き上がるような声を聞く。秋水が、顔を強張らせた。
「てめえの仕業か」
ショウキはS&Wを構える。銃口の先にいるその男に向かって、言った。
黒い男――頭の天辺からつま先まで、色のついた物を殆ど身につけていない。葬儀屋のような、黒ずくめだった。ただし、全身から立ち昇る空気感、それは死人を送り出す側ではなく、死人を生み出す側の人間であることを物語っている。祓っても祓っても、おそらく消えない血の池めいた臭い、黄泉の番人の如くに佇む。濁った瞳が物語る、幾多の修羅と苦闘の道を歩んだ、その足跡を。恐怖させるよりも萎縮させる、眼光を放っている。
その男の足元に、首を切られた突入員2人が斃れていた。男の右手には、刀が握られていた。やはり、とショウキは歯噛みした。自分のミスで、預かった兵を4人も死なせてしまった。
「秋水」
と言った。勝手に溜まってくる唾を、飲み下しながら
「お前さん、加奈の所に行け。こいつは俺がなんとかする」
そう、秋水の方を振向かずに言った。
「早く!」
言うと、秋水が踵を返して階段まで走るのを、足音で感じ取る。
男の手元が光った。クロームの、クナイの打剣。が、ショウキは左腕を伸ばしてそれを空中で掴む。摩擦熱で、鉄がちりちりと燃えた。
「貴様、俺と闘るつもりか」
「それしか、道はなさそうでな」
本当ならすぐに逃げたい――そしておそらく、それは賢明な判断だ。人間が持っている「本能」がそう訴えている。また、戦えばたちまち男のクナイに串刺しにされ、あるいは刀で切り刻まれる、とショウキの「経験」も告げていた。「それ」を一瞬のうちにやってのけてしまう、それだけの力量がある、この男は。
「逃げないのか、感心だな」
男は刀を、八相に構えた。刀を右肩に担ぐような構えだ。半身になる。
逃げたいさ、と心の中で呟いた。でも、逃げたら今度は加奈を追うんだろう? だから逃げるわけにはいかないさ。
この距離なら、外さない――
引き金に掛けた指に力をこめた。男は体を弛緩させて、左足を前に踏み出している。重心は均等、いや前足にややかかっている。男は瞬きすらせず、銃口を睨んでいた。その銃口と自分の顔、どちらが深い闇を湛えているのか確めようとしているかのように。
空気が張り詰めて、鋭角な沈黙が流れる。
呼吸も、脈拍も、鼓動も止まってしまいそうな息詰まる対峙。そこだけ、2人がいるその空間だけが、流れる時間が違うように感じる。
ショウキの額の汗が目に入るも、瞬きの瞬間に斬られると、分かっている。だから、瞬きなどしないし、筋肉の一筋すらも動かさない。先に動けば、斬られる。細胞がそう、警告している。彼我の距離は10m、その位の距離はこの男は縮めてしまうと解ってしまう。それは「経験」ではなく、男が発する警告めいたものだ。静かに滾る気迫が、斬る、と脅しつけるのではなく予告――そう予告しているのだ。
ショウキもまた、警告していた。気迫を銃口の先に送り込み、動けば撃つと相手に告げている。圧力を掛ける。
先に動けば。
動き出す瞬間、奴は無防備になる。どんな達人でも、出鼻を挫くことが出来れば勝機はある。その瞬間を伺う。
だが待つのではない。
こちらから動き出す、気配を見せつつ相手が出る瞬間を、呼吸を読む。タイミングを計りつつ、相手を誘い出し、出る瞬間を狙う。それは無言の攻防だった。互いに相手の圧力に飲まれて、手を出したなら――あるいは気を緩めて、相手の侵入を許したら。
命は無い、お互いに。
落とすのは、我の命か敵の命か。
最初の一撃で、決まる。そんな確信めいたものすら、感じた。
月明かりが、刃の荒れた刃紋を浮かび上がらせる。天を突く切っ先は、凍えるような気を放つ。銃口は、鈍色に照らされていた。
天に群雲がかかった。
ひょう、と風が吹いた。
永久なる時間が刹那となった。
どちらが先に動き出したのか、定かではない。ショウキが撃つのに男が動いたか、男が動いたのにショウキが撃ったのか――気づいたら、それは始まっていた。
轟音と振動音が、同時に響く。
ショウキの銃弾は、男の横顔を掠める。黒髪が束になって舞い上がった。
次には男の顔が迫り、刃が振り下ろされる。両断に振り下ろされる斬撃、耳元で振動剣の唸りを聞いた。
足が勝手に動き、気づけば横に飛んでいた。脳より先に神経を経由させて、考えるより先に体が動いた。一瞬だけ飛び、着地する。屋上の縁に、踵が触れた。
二の太刀が、来る。
その前に、撃つ。
左腕を差し出して、帯電針を射出する。男は刀を斜めに、霞みに構えて連射された針を弾いた。弾く瞬間、青白い電光が瞬いて空中放電、刀を稲妻が包む。
距離を取る。
銃を、発砲。男が向き直る。男の喉を捉えた。
仕留めた、と思った。だが、それは幻、残像。後ろの壁に着弾し、火焔を上げて炸裂する対機甲弾。
左斜めから、刃が迫る、気配がした。振向くと男が、刀を水平に斬ってくる。
斬撃が空気を焦がす。
左腕に衝撃を覚えた。手首を、剣先が切り裂いて電気銃の機構を破壊した。
戦慄する。
半ば倒れこむように後ずさり、難を逃れた。更に距離を取り、屋上の縁にまで、後退した。その瞬間、全身から一斉に冷たい汗が噴き出てきた。
なんて奴だ、と呟くが舌が回らない。口の中が乾ききって、舌が上あごに張り付いていた。まるで今の汗で、体の中の水分が全て抜けてしまったかのような心地がした。
「やるな、貴様。俺が仕損じるとは……」
男が刀を脇に持っていきながら言った。男もまた、玉のような汗を顔中に浮かべて、息が上がっている。
「疾人だ」
と男が言う。
「覚えとけ」
疾人は右足を前に出し、逆脇構えに取った。ショウキは銃を差し出して言う。
「ショウキ」
銃弾は、あと2発。電気銃はもう、使えない。