6―4
ロープから地上に降下したショウキの後ろを、秋水と数人の同盟兵士が続いた。
「んで、テロリストの姉ちゃんよ。なんでお前さんが着いてくんだよ」
「秋水」
そう言って、秋水は国産のライフルを構えた。
「柳秋水、わたしの名前です。テロリストとか呼ばないでもらいたいですね」
「だってテロリストだろうが」
「わたしたちは理想のために戦っているの。ただ破壊活動を繰り返す、その他のヤクザとは違います」
「そうかい」
とショウキが言って
「んじゃ秋水」
「いきなり名前で呼ばれる筋合いもありません」
「どうしろってんだ」
そう、ぼやいてS&Wを抜いた。
「その回転式だけで大丈夫なのですか?」
「慣れない銃は使わねえ主義なんだよ。その国産銃、どうも作動が面倒でよお」
「だからって、拳銃だけじゃ。火力が不足しているのでは?」
「こいつがあるから」
左腕をまくって見せる。手首から電気銃の射出口が覗かせた。帯電針は100連発装填済みだ。秋水はへえ、と感心したように言って
「電気銃ってね」
「サムライもイチコロだ」
同盟の、カーキ色の軍服を着用した兵士たちが岩石の上に降り立った。ヘリが上昇し、ローター音が遠ざかる。と、機体の表面が一瞬虹色を放ったと思うと、黒々とした壁面が透明を帯びた。霞みとなって消えたように見えた。
「なんと、光学迷彩か」
ショウキがひゅう、と口笛を吹いた。
「原理さえ分かれば、造ることは簡単です。生体利用技術は、何も都市だけのものじゃありません」
秋水がいたずらっぽく笑った。
「偉そうに言うな、どうせ協力者とやらが洩らしたんだろう」
「どうでしょうかね、それより」
秋水が急に真顔になって
「一応着いたわけだけど、あの人……晴嵐さんの位置が特定できなければ」
「ふむ」
ショウキが左腕の端末に触れる。液晶が瞬いて、グリーンの燐光放つ。電波状態は、こんな辺鄙なところでも良好だ。回線を開く。
「暗号回線でなく、一般回線なら開けそうだが……傍受される怖れもあるな。まあしかし、やってみるか」
「何をやるって?」
いつの間にか、秋水の口調がくだけたものになっていた。馴れ馴れしい女だ、と思いつつ
「とりあえず、呼び出すんだよ。加奈を」
通信状態になるのに、呼び出しのコール音が鳴った。秋水が隣で
「呼び出したところで、応じるの?」
「まあ、大丈夫だろう。あいつは、俺が呼び出せばとりあえずは応答するから。こういう状態でも、な」
秋水はショウキの、無骨な腕に埋め込まれた端末を眺めながら
「信頼しているのね、互いに」
まさか、とショウキが首を振った。
「あんた、加奈のことを知っているわけじゃないだろうが……一度、会っただけで。俺はあいつを、まあ信頼はしているが、俺があいつから信頼されたことってのは殆どねえよ。あいつは全部、自分1人で背負い込んじまうんだ。何もかも、自分だけで片付けて。まあ、そういうのも必要なときもあるが」
必要なときもある。そういう、ことも。だけど、1人では抱え切れない事だって確かにある。無理することはないんだ、加奈。少しは頼ってもいいんだ、誰かを――だから、頼れ。コール音が響くなか、そう思った。
なかなか呼びかけには応じてこない。
「ねえ、やっぱり出ないんじゃ……」
「黙ってろ」
と秋水に一喝した。あいつは出るはずだ、何だかんだであいつは――
その時、回線の接続を告げる表示が、液晶に刻まれた。
GPSの光点はここか、と加奈は廃墟となったその建物に足を踏み入れた。門柱に書かれた文字――すっかり擦れているが、どうやらここは学校のようだ。この界隈の子供が通っていた中学校、校舎はすっかり荒れ果てている。コンクリートの牙城に蔦が絡まり、表面に入る亀裂は悲劇めいてさえいた。ガラスの破片、それすらも朽ちていて細かい結晶が土に紛れて、時折反射する。
この中に鈴がいるのか――そう考えると、胸の底が疼いてくる。こんな荒れた所、あんたには似合わないな、鈴、と思ってベレッタ拳銃を再装填。スライドコックが重々しく鳴り、対機甲弾が薬室に送り込まれた。
逸る心、今すぐに踏み込んで、それで――いや落ち着け、と言い聞かせる。こんな所、闇雲に動いたら嵌り込む迷路みたいなものだ。奴らの戦力、1人は潰したがもう1人は、そしておそらくかなりの手練れであろうあの男がいる。気配を全く感じさせない、あの男――疾人と言ったか。また、奴と遭遇したら。途端、移植したばかりの右足が焼ける気がした。
あの男の瞳、深い闇の色をしていた。吸い込まれそうな、昏い目。そいつに見据えられたとき、感じたのは恐怖だった。サムライ相手に、怖いと思ったのはあの一回だけだ。刃の感触、纏う空気に射竦められて、体が動かなかった。また、奴と対峙するのか――そう考えると、宵闇に絡め取られそうな感覚になる。
冷静になれ、と自分に言った。平静に、精密に。鋭敏、かつ熱く。いつだってそうだ、そうやって生きてきた。感情は捨て、完璧な機械だ。それこそが、自分だ。いつもそうだった、だから余計な事に気を取られるな。だから、自分はでき損ないなんだよ。恐怖や警戒を抱くのは良い、飲まれるな。熱くなりすぎて我を忘れるな――限りなく零に近づく極限値、ではなくゼロになるのだ。全てに於いて。
一歩踏みしめるたびに、戻って行く。ゼロの極限、近似値に。精密な感覚。今は、余計な事は――
その時、端末が着信を知らせる。ディスプレイに刻まれた文字を目にすると
「ショウキ……?」
ゼロに近づいた値が、一気に跳ね上がったのを感じた。波紋のようにそれが広がってゆき、精緻で均一な水面が揺らぐ。どうして、ショウキがアクセスを? 無視しようかと思ったが、コールは途切れることなく、デバイスに響いてくる。堪り兼ねて、回線を開いた。
《加奈か、今どこだ?》
と言う声。素っ気無い、淡々とした声が、膜状に広がって包みこんでくるような響きを伴っていた。
しばらく、言葉に詰まる。
「……ショウキ」
沈黙を経て、それだけ言った。随分長い事、その名を口にしていなかったような気がした。変に、緊張してしまう。
「な、何か用?」
喉が震えるのを誤魔化そうとして、声が裏返ってしまった。変な風にとられたかな、と思ったがショウキは気に掛けた様子も無く
《用、ってなんかお前悠長だな。たるんでんじゃねえのか》
「何よ、あんたに言われたくはないよ。いっつもボケッとしているような人に」
《んなボケッとしてねえよ》
デバイスの向こうの、ショウキのむすっとした顔が目に浮かぶようで思わず笑ってしまった。
《加奈、良く聞け》
とショウキが言った。
《俺ら、今から援護しに行く。現在位置の座標を送れ》
「現在位置って、わたしのか?」
《ああ。お前の位置が分からん限り、援護のしようもない。今、李飛燕の所に乗り込もうってんだろ? 悪いがお前さんを尾けさせてもらった》
そう聞いて、加奈は――また、近似値が。ゼロに近づいた値が大きく振れるのを感じる。ショウキが言うのに、ざわめいて、心を波立たせる。精密な内面が、乱されてゆく、ショウキの言葉で。
「ショウキ」
と、掻き乱れる心中を鎮めて言った
「これはわたしの戦いだ。わたしの我侭で、勝手に踏み込むんだよ。あいつを……あの子を」
《助ける、ってか。テロリストを?》
「……何だと」
今度は激情だった。内面が激しい炎で包まれて、突き上がってくる衝動を覚える。そのせいか、少し語気を荒げてしまった。
《冗談だ、冗談。結構なことだよ、任務以外でアツくなるお前さん見るのも悪くない。ただなあ、加奈》
「何」
《一つ忘れていることがあるぜ》
何を忘れているというんだ、そう言うより先にショウキが
《俺はさ、お前の相棒だぜ。その事実、覚えているか?》
「え……えっと……」
言葉選びに迷っていると、ショウキが
《なあ、言っただろう。お前は前衛で、俺は後衛。お前を援護するんが、俺の仕事だ。そりゃあ、お前さんはずば抜けているさ。能力的に、“特警”の誰もお前には敵わないだろう。だけどな》
と言葉を切って
《だけど、お前さん全て抱え込ますほど俺ら無能じゃねえよ。お前がダメんなりそうなときは、俺がどうにかする。それが、後衛の役目だ》
「わ、わたしは」
声が震えていた。激情のため、ではなくて
「わたしは、自分の始末ぐらい……」
《その始末つけるのだってよ、お前さん1人の手に余るようだったら俺がちっとでも背負ってやるって言ってんだよ。少しは頼れ、俺を》
「わたしは――」
ショウキの言葉を聞いて、泣きそうになっている自分がいるのに気づく。やんわりと心の奥底を掴まれた心地がして、涙が溢れそうになっていた。乱されていく、内面が。
馬鹿、余計な事を言うなよショウキ、あんたがそんなことを言うから、また心が――揺らいでゆく。
「はは……別にあんたの助け、なんて……」
頼れ、そのために俺がいる、と。それが内側に沁みてゆく、それが膨張して熱く込み上げてくるのを、加奈はぎゅっと、握りこんだ。汗ばむ手のひらと共に、自分の脆い、弱いところを。ダメだよ、加奈。もっとしっかりしなきゃ、もっと強くならなきゃ――
「わたしは、だって……あんたたちに、迷惑を……」
《今まで、散々助けられたんだから。その位、なんてことねえさ》
ショウキの声は、穏やかだった。
《だから、俺がお前を助ける番だ。お前がどうにかなったら、俺が援護する。それが、相棒ってもんだろう》
浸透してゆく、その言葉。
込み上げるものが溢れだし、頬を暖かいものが流れるのを感じた。感情が揺れるのをそのままに、懇願するように言った。
「ショウキ」
と言って、消え入りそうな声で言った。
「今から送る。ここの、座標を……頼む、あの子を……鈴を」
《心配するな》
ショウキが言って
《そのために、俺がいる》
加奈は位置情報を送信した。