6―1
GPSの赤い点が海上を移動するのを、加奈は目で追う。
軍のAI搭載の自律型強襲ボートを走らせながら、海軍の追っ手を振り切る。海上を移動する点は、鈴の首筋に埋め込んだビーコンだった。加奈の端末にのみ反応する、一定の周波数を発している。鈴の護衛――と言うか鈴を囮、とするために埋め込んだ発信機、こんな形で役に立とうとは皮肉な話だ。左腕の装甲を外し、端末から電極を伸ばしてAIと同調させた。これで、このボートはGPSの導くままに走るだろう。はるか後方の、他のボートたちに追い着かれないように、加奈は注意深く後方を監視する。暑苦しいマスクを脱ぎ捨て、ライフルを単射にして狙いをつけた。
一発、発砲。
後方20mまで迫ったボートの、船体に対機甲弾が着弾する。強化プラスティックのボディに風穴が開き、船体が一瞬浮き上がったかと思うと、一気に船体が炎に包まれた。燃料に引火したようだった。燃える船体が並に煽られ、後ろから突っ込んできたボートの、舳先に当たる。
轟、と火柱が立ち、後続の船体が真っ二つに割れた。
爆発と共に昇った波飛沫を切り裂くように、新たな銃弾が飛ぶ。船体の中腹を狙い、きっちりエンジンだけを狙い撃つ。機甲弾が炸裂してエンジンを破壊して、バイオガスに引火する。海上に爆炎が立ち上がり、夜の水面に橙の光が差す。確実に殲滅したのかどうか、確認する気は起きなかった。敵の足を止められればいい。
光点が、伊豆半島に延び、半島の先端に着いてやがて止まった。やはりというか、そこは加奈たちにとって全ての始まりの場所でもある。思い出にでも浸るか、飛燕、と呟いた。
飛燕の顔、最後に見たのは自分こそが勝者であるという、確信に満ちた表情だった。一方の鈴は――後悔の念を抱いているような、そんな顔をしていた。溜め込んだ苦悩を誰にも話せない、ただ溜め込むことしか知らない。抱えてしまった苦しみの大きさに、呆然としているような――見るものが見たら違うと答えるかもしれないが、加奈はそうであろう、と感じる。
真実もあったさ、とショウキが言っていた。嘘じゃ無いことも、と。ショウキの父親は最後まで信じていた、と言った。騙されても、裏切られても信じていた。鈴は、世間一般から言えばテロリスト、サムライなのかもしれない。だけど、と思う。
最初に保護した時の、痛みを噛み殺すような顔。誘拐されたときに言った、誰かの死を思っての言葉。“セイラン・テクノロジー”で、加奈の手を握って――最後に浮かんだのは、年相応に屈託無く笑う、鈴の姿だった。
あれも全部嘘だったというのか? 仕草、声、表情、言葉の一つ一つ――うれしそうに笑って、かと思うとしゅんとなって。普段は控え目なのに、時折大胆になって調子を狂わせる――それらのどこまでが嘘で、どこまでが真実か、なんてそんな価値判断は当てはまらない。全てが鈴であって、その全部を信じてみたいと感じる。ショウキの父が最後まで信じたように。愚かだ、と人は言うかもしれない。実際、愚かだ――合理的じゃない、ナンセンス極まりない選択だ。信じるもなにも、彼女は「テロリスト」に分類される。だけど、そんな枠組みが何だというのだ。あの時、鈴が言った言葉。「ごめんなさい」と言ったあの響きは、悲痛なものを内包していた。言葉だけでも、千切れそうな響きを伴っていた。
信じてみたい、信じたい。
自分自身すら信じられない自分が、そう感じている。初めてだった、自分のために泣いた人間は。あの子は、わたしを信頼してくれていた。言葉に出さずとも、鈴が自分を頼ってくれている、と。だから、わたしも信じなければ、それは嘘だ。それこそ、嘘だと――そう感じる。
信じている、それだけでいい。それだけでも、命を賭けられる。どんな結果だろうと……また裏切られるかもしれない。構うものか。
「わたしが信じている、それの何が悪い」
誰に問うでもなく独り呟き、騎兵銃を握りこんだ。
再びの銃撃。水面に銃弾が刺さった。存外にしつこいね、と言いながらバックパックから手榴弾を取る。ピンを抜いて、右腕に持ち、力を溜めて、投擲。
放物線の帰結した先で、火炎が弾けた。炸裂するナノ火薬が破裂して、周りの酸素を飲み込み、爆風を生み出す。衝撃波が鉄の破片を撒き散らし、強襲ボートの胴体部に穴を開けた。ガスが洩れて――気体というのは不安定なものだ――発火する。爆発が3,4回起こり、海面が燃え上がった。
「やるかよ」
貴様らに、この命くれてやるわけにいくか。
前方に海岸線が見えるのを、確認した。
岩肌の露出した、海岸線につける。
「それで、これはどういうことだ」
とショウキは、旧型ヘリのローター音を聞きながら言った。
「何故、部長とそこのゲリラ野郎が一緒にいるのか、とか。どうして都市に入れたのか、とか。今どこに向かっているんだ、とか……色々聞きたいことがあり過ぎて、質問事項をチャート分けしたいぐらいだが。とりあえず何から答えてくれるんだよ、選べ」
「最初の質問は、俺と紫田は昔、同じカマの飯を食った仲だった。道は違ったがな。二番目は、政府と警察に同盟の協力者がいる。誰とは言えない。最後の質問は、お前さんの相棒の下、イコール李飛燕のいる所だ。こんなんでよろしいか?」
押し黙っている紫田に代わって、柳が答えた。飄々として、ショウキが圧力を掛けるのにもどこ吹く風といった風情だ。国内最大ゲリラをまとめるだけはある、と変なところで感心してしまった。
「……なんつーか、他にも色々あったがとりあえずもうやめておく」
「結構」
と柳が笑った。
「この進路は、伊豆半島ね」
明蘭がノート型の端末を見ながら言った。
「加奈に埋め込んだ発信機が、それを追っている。李飛燕を加奈が追っているのだとしたら、間違いなく李飛燕は伊豆半島にいるはずね」
「いつ、そんなモン埋め込んだんだ。加奈に」
「拘束したとき。許可、必要だった? あなたの」
「別に、俺の許可なんざ……」
ショウキが言いよどむと、明蘭は液晶を睨みながら
「じゃ、問題ないでしょう」
と、キーボードを叩く。さっき、涼子を失ったばかりだというのにもう立ち直っていた。立ち直る、のとは少し違うのかもしれないが。感傷に浸ったり、途方にくれることなどはせず、自分のすべきことをする。それがプロの仕事だ、と常々言っていたっけな、明蘭は。もっとも、何かに没頭していなければまた思い出してしまうから、自分を忙しくさせているのかもしれないが。
「伊豆って、また伊豆かよ。いい思い出ねえよ、あんなトコ」
「まあ、晴嵐にとっては更に忌まわしいところだろうが……」
それまで黙っていた紫田が口を開いて
「ショウキが持ち込んだそのチップ、政府が血眼になって追いかける理由は分からんが……施設から流出したものだろうかな、そのタイプは20年前の規格だ」
紫田が言うと、柳が頷いて
「昔のぉ……なんちゅうたっけ、ホレ。ウィンなんとかて奴だったら使えるかもしれんな、紫田」
「ウィンドウズだろう」
「そう、それそれ」
などと言って笑う。笑いごとかよ、とショウキはひと睨みして
「その、20年前の端末なら中を見れるのか?」
「何かしらの暗号が組まれていなければ……もっとも、暗号を組んだところで大したものでもないだろうが」
紫田が言うと、柳が
「そういやお前、コンピュータに関しちゃ詳しかったなあ。根暗にも一日中、部屋に篭って弄ってたっけ」
「黙れ。一日中、というより年中女漁りに精を出していたどこかの誰かより、よっぽど有意義な時間の使い方だ」
むすっとした顔で、紫田がやり返した。
なぜかこの2人、性格は正反対だろうに妙に馬が合うというような……そんな感じがする。旧友と言っていたが、それだけの事だろうか。なにか見えない、信頼関係のようなものを感じる。立場上、2人は敵同士なはずだが。
「半島が見えました」
と、同盟の兵士の1人が言った。窓の外を見ると、突き出た岬には荒れた漁港がある。
「あそこにいるのか」
「間違いないわ」
明蘭が、端末を叩きながら言った。
「でも、この端末じゃ細かい居場所は掴めない。半径100m範囲で誤差が生じる」
「じゃあどうするんだ」
「加奈から、位置情報を送ってもらわないと」
そうか、とショウキが言うと
「とりあえず、下に降りないと」
「ここじゃあ着陸は出来そうも無いが」
柳が言った。紫田と明蘭、秋水の顔を見回して、最後にショウキの顔を見る。ショウキは柳の猛禽めいた目が射抜いてくるのに、黙って頷いた。
「ロープを」
ショウキが言った。