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夜狗-YAKU-  作者: 俊衛門
72/87

5―18

「墓標にはなんて書こうか、黄尚鬼」

「仇のために戦い、宗主国に噛みついた1人の朝鮮人ここに眠るとでも書けや」

「センスがないねえ、ま、犬畜生に墓標などと勿体ないがな……」

 ねっとりとした声で、痘痕だらけの顔を歪めて蔑むように笑った。せめて視線に質量でもあれば、睨みつけるだけでこの男を殺せる自信がある――が、いくら睨みを利かせたところで張にはかすり傷一つ負わせることはできない。

「待って」

 と涼子が、割って入った。

「ショウキたちは拘束するだけ、って言ったじゃない。殺さないって」

「ふむ、そうだったかな」

 張はわざとらしく、恍けて見せた。

「だって、抵抗し無ければ殺さないってあの時……」

「どうだったかなあ、ベッドの上での約束なんぞ覚えとりゃせんよ。お前さんの、あれの瞬間の声が大きくてな」

 涼子がくっ、と詰まったような声を洩らした。

「そんな……」

 大きくよろめいて、壁に背をつけた。絶望感を顔に貼り付けて、目線が定まっていない。

「騙したの、あなた……最初から……」

「最初からの予定調和だよ。そうだなあ、お前さんの弟。この間、報告が入ったよ。向こうの都市警からなぁ。連絡は一言『まるで女の子のような声だった』ってさ。親族のいない貴様ら姉弟だから引き取り手がないから、共同墓地に」

 それが止めとなって、涼子はその場にへたり込んだ。ショウキは目を見開いた。

「なんてこと……」

 と明蘭が言う声が聞こえた。

「心配するな、お前はわしが可愛がってやる。これからも、言うことを聞くと言うな――」

 言うか言わないかの瞬間、涼子が水銀針が装填された短針銃フレッチャーを向けた。だがそれよりも早く、銃声が響いた。

 張の手に、リヴォルバーが握られていた。銃口から煙が棚引く。ややあって、涼子がくずおれ、地面に斃れこんだ。

 ショウキの鼓動が、早くなる。

「ふん、惜しい女だったな」

ショウキの目の前に、血が下りてくる。筋肉がうねり、細胞レベルで血が満ちてきた。

「逆らわずにいれば、良かったものを」

 涼子の腹から血が流れて、都市迷彩の、グレーのジャケットを黒く染め上げる。微生物が増殖するように、血の溜まりが広がって、薄汚れたアスファルトがその血を吸い上げてゆく。

 涼子の目に、涙が一筋、あった。

「貴様ぁ!」

 ショウキが立ち上がった。兵士たちの、強化外骨格パワードスーツの腕を振り切って、掴みかかろうと手を伸ばした。だが、僅かの差で届かない。張はその顔に、余裕の笑みを浮かべた。

「ふざけるな、貴様! 狂ってやがる、この国は、貴様らは! 徒に人の命弄んで、嬲り、利用して、切り捨てる――何だと思ってやがる、この国の民を何だと思ってやがるんだ! 国家が大事か、富が大事か! そのためには個人はいらないってのか!」

「国家あっての個人だ」

 張が言った。

「国民は、国家に養われている。義務も果たそうとしないで、権利ばかり求め。政府のやる事為すことに文句を垂れるしかない、その能無しの大衆どもを飼っているのは誰だ? 政府じゃないか。貴様らとは違う、我々は背負っているものが違うのだよ」

「誤魔化すなぁ!」

 ショウキが叫んだ。悲痛な、叫びだった。

「詫びろ! この国の者に、全てに! “中間街セントラル”に、阿宮に……鈴に、加奈に。貴様らの勝手で死んだ奴らにっ――!」

 涙なんか、出る事も無い。沸き上がるのは怒りだけだった。

「こんな国のために生きてきたんじゃない。 “中間街セントラル”から都市に来たときは、本気でこの国の民のためにと思っていたんだ。命だって、差し出す覚悟だった。その結果がこれか! こんなもののために俺たちは――」

「うるさい」

 無慈悲な銃声が響いて、ショウキの腿を穿つ。もう一度撃って、両足の筋肉を断裂せしめる。膝から上の灼熱感に、耐え切れず、膝をついた。

「ふむ、マグナムで撃ってもその程度か。さすがに硬いな、金属錯体の皮膚というのは。ならこれなら」

 張は銃口を、ショウキの額に押し付けた。

「人間ってのは、頭を撃ってもなかなか死なない。脳の中心たる、脳幹を壊さない限りな。そしてお前のその硬い頭を完全に壊すには、どれだけの弾を使えばいい? まあ時間ならある。存分に、痛みを味わってそれから死ねばいい」

 兵士の1人が、明蘭に銃口を押し付けるのを横目で確認する。続いて視線を上に戻せば、黒光りする銃口の向こうにある、張の勝ち誇った顔があった。醜悪な面が、歪む。

 ここまでか――と、引き金が引かれるのを感じながら思った。脳裏に、加奈の顔が映る。すまねえ、加奈。お前の力にはなれなかった。だけど、お前は、お前だけでも――

 銃声が響いた。

 

 斃れたのはショウキでもなければ明蘭でもない。丁度明蘭を撃とうとしていた兵士が、装甲の隙間から血を流して倒れるのが目に入った。

隙間、である。体表を覆う骨格の、僅かなスペースに向かって弾が放たれたのだ。撃たれたのは喉だった。人体の構造上、金属錯体を導入してもどうしても弱くなりがちな喉だ。

 不審に思っていると、連続して5発ほどの銃声が響く。全て、強化外骨格の隙間を狙って撃ち込まれ、兵士たちの喉を抉る。ショウキの腕にかかっていた縛めが、唐突に解かれた。

「は、え?」

 明蘭はわけが分からないという顔をしている。おそらく自分もそうだろう。そして目の前のクソ野郎は、いつまで立っても引き金を引こうとしない。

 一目見て、それが無理であることを悟った。

 張の喉から、刃が――刀の刃先が突き出ている。喉を貫かれ、張は絶命していたのだ。口からこぼれた血が、乳児の涎みたいにだらだらとこぼれる。

「久々に、届いた」

 と、張の背後で声がした。老人の声、刀の持ち主だ。老人、と思われるその人物が刀を抜く。張の体が崩れ、その人物を見た。

 散々、“特警”の資料で目にしていた顔だ。顎まで伸びた白髭、禿げ上がった頭。

「遅くなってすまないの、紫田の部下諸君」

 柳弘明――京都報国同盟の長だ。

「て、てめえ」

 ショウキがS&Wを抜いて構えるのに、柳は手で制して

「おや、今の若者は礼儀知らずじゃの。命の恩人に向かって」

「あ、阿呆! テロリストに命の恩人もへったくれも……」

「だが、我らが駆けつけなければお前さんも、そこの女性もやられていた――もう少し早ければ、そこのお嬢さんも救えたものを」

 そう言って、なぜか沈鬱な顔になる。涼子のことを、言っているのだろうか。

「あ、いや……一応、感謝しとくけどよ。それより、反政府ゲリラの筆頭のあんたが、どうやってこの都市に」

「抜け道はいくらでもある」

 と柳が、刀についた血を振るい落として納めた。仕込刀のようだ。

「紫田」

 と柳が言うのに、ショウキは振り返った。同盟のカーキ色の制服を着た女に支えられるようにして、紫田が歩いてくる。足を引きずっていた。

「部長」

「いろいろすまないな、ショウキ。こっちも手間取って――」

 そう言うと、涼子の方を向いて言った。

「手痛い、犠牲を被ってしまったな」

「いや、まあそれもあるけどぉ……」

 とショウキが口ごもって

「あんた、がっかりだぜ紫田部長」

「何がだ」

「まさか、本当にテロリストと通じていたなんて……そんなんで助けられてもなあ」

 紫田はそれを聞いて、むすっとした顔になった。

「こいつが勝手に来たんだ。わしゃ知らんよ」

 紫田の隣にいた女が、静かに微笑んだ。20世紀風の、質素な身なりの女は

「あなたのもう1人の仲間は、我々が保護しました」

 と言う。加藤のことか、と安堵した。同時に、テロリストであるはずの同盟の女に親近感のようなものを覚え始めているのに、困った。俺たちは法の番人だぞ、なんでこんな女に、と。

「詳しい事は」

 紫田が言って

「ヘリの中で話そう」

 ヘリ? と聞き返すと柳の後ろ、大通りにヘリが降下しているのが見えた。縄梯子のようなものを垂らしている。

「都市警とレンジャーが、こちらに向かっている。早く行くぞ」

「行くってどこへ」

「飛燕のところだ」

 と紫田が言った。

「飛燕? 新伝のところじゃなくて?」

「さっき、仙台で例のウィルスのアウトブレイクがあった。今度は日本人も殺されている。新伝の仕業とは考えにくい」

「仙台だ?」

 そんなの聞いてねえよ、と言おうとしたがあの脱出劇の最中、のんびりニュースなど見ていられなかったから知らないのも当然だろう。なんてこった、内輪もめしている間にそんな事が起こっていたのかよ、とショウキは思った。

「新伝は消された――飛燕に裏切られた、と考えるほうが妥当だろう。すぐに、奴らを追う。細かい説明は後でするから、早く乗れ」

 紫田に促されるまま、ヘリのローターが響く方に向かう。が、明蘭が、冷たく横たわる涼子の傍に座りこんでいるのを見た。頬を撫でて、何かを言うでもなく。じっと、佇んでいる。ショウキは近づいて

「明蘭」 

 と言う。明蘭は悄然とした面持ちで、ゆるりと顔を持ち上げた。行こう、と明蘭に声を掛けるとショウキはしゃがみこんだ。

 涼子の顔を、覗きこむ。

「すまんな、あとで迎えにくるから」

 と、涼子の瞼を閉じてやった。ジャケットをかけ、まだぼうっとしている明蘭を引っ張って立たせる。そのまま、ヘリへと走った。

 忘れずに、張の手からチップを奪い返して。

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