5―15
拘禁室の扉の向こうが騒がしい――と漠然とそんなことを思ったのは、10回目のまどろみから醒めたときだったか。眠りに就いた回数など覚えているわけもないが、うとうととしてまた目が覚めて、という試行を数回繰り返した後の出来事だった。
聴覚デバイスの、神経レベルを3、上げてみる。規則正しい足音、二人組で近づく。あれは軍靴、ではないな。何か鉄のような、硬いものが闊歩する音。あれは強化外骨格、忌々しい鉄の塊どもが踏みしめるのを聞く。
網膜で走査しようとするが、拘禁室全体に流れるジャミング電波がそれを妨げる。都市警のものより、もっと強力なものだ。舌打ちする。こんな時に、軍の奴らが来るなんて――むざむざ殺されてたまるか。
扉が弾き飛ばされ、内側に飛んだ鉄扉に追随するように都市戦用強化外骨格に身を包んだ突入員たちが突っ込んでくる。FN社製の騎兵銃を向け、
《対象を確認》
そんな乾いた声と共に、2人一斉に発砲した。
銃撃が炎を叩き、一続きの銃声が空間を支配した。発射炎が瞬くに、何連射か分からない、呆れるほど多量の銃弾を吐き出す。防弾ガラスの壁に着弾すると弾が炸裂して真っ白な炎を燃やす。ガラス壁が膨張し、熱で溶けだすのを確認すると加奈は身を伏せた。対機甲弾だ。
ガラス壁が粉々に砕け、後ろの壁に着弾する。弾丸が弾ける。火花が散る。鉄と鉄がぶつかって鋭い音をたて、焦げた臭いが充満した。
加奈は飛び出した。
銃火の中、単身で突っ込む。マスク越しには分からないが、兵士は一瞬、たじろいだのを見た。それはそうだろう、退避するのではなく飛び込むのだから。だがそれでいい、懐に入り込む以外に方法はない。銃撃というものは、後ろに下がる物体は狙い易いが前に飛び込むものは照準を合わせにくいものだ。飛び込む相手は、撃ちにくい。
もっとも、常人の反射神経を凌駕した、運動性能を持っていればの話だ。
一瞬にして、間合いを縮める。肩で当たり、兵士を吹き飛ばした。重い衝動を肩に感じる。前蹴りで銃を叩き落とし、蹴り足を戻さず回し蹴りに変化させる。蹴りの2連撃、それでもう1人の持つ銃を叩き落とした。強化外骨格共は慌てず拳銃を抜く。互いの間に位置する加奈を、狙った。
引き金を引く、その動作を如実に感じ取っていた。空気の僅かな流れや、撃ち出すタイミング。または勘のようなもの――2人一斉に撃つ、この瞬間を捉える。
地面に貼り付く、ように伏せる。挙動を感知させない静かなものだった。兵士たちの目には、加奈が消えた、と見えただろうか。発砲してから、ようやく加奈が伏せたと感知したようだった。
が、時すでに遅し。
互いに撃った銃弾が、向かいの相棒の喉を抉っていた。先端が外骨格の表面にねじ込み、甲冑を穿つ。同時に中の高性能爆薬が破裂して内側の柔らかい肉を破壊せしめる。炎が瞬いて、チタン殻が砕けると、強制的に分離させられた骨と肉、血管の一部が吹き飛び、喉から胸に掛けて、大きな穴が開いた。加奈が再び立ち上がる頃には、撃ったままの格好で倒れこむ兵士たちの姿があった。チタンの骨格から赤黒い肉が覗き、表面が抉られて削られた肋骨と頚骨、脊髄に至るまではっきりと観察できた。臓物を覆い隠すように溢れる黒い血は、加奈の体と同じであることを示す。血漿の海の中に、バラバラになった肉片と胸骨が浮かんでいた。
わざわざ血肉まで造り変えなくてもよかったものを、と呟く。生体分子機械の埋め込み率が多いと、蝙蝠病の発症率も高くなるだろうに、この上さらに強化外骨格など被せて、こいつらは自分たちのことを「人間」と意識したことがあるのか、疑問に感じた。あの施設にいたときほどではないが、今でも加奈は自分のことを「人間」であるのか否か、という思考に襲われるというのに――
考えるとまた眩暈が襲ってくる。あの錠剤、拘束されるときに没収されたんだっけと思う。鈴といるときは、フラッシュバックに悩まされることはなかったのに、いざ一人になると――頭を振って、幻影を抑え込もうとする。いや、先ずはここを抜け出すことだ、と。強化外骨格の収納スペースからナイフと取り出し、口に咥えた。刃は単分子加工だ、理論上切れないものはない。電子錠にあてがうと、バターでも切るみたいに簡単に切断できた。お次は武器だ。どうも、奴らの強化外骨格を剥ぎ取って着る、ということは出来ないだろう。破損が酷い。ライフルを奪い、ついでに残りのマガジンも頂くことにした。あの時、疾人に斬られたブローニング・ハイパワーと同じ、FN社製のライフルを持つ、というのは何かの因果か。これで拳銃もFNのハイパワーだったら、と思ったが、拳銃は期待はずれのベレッタだ。まあ、ブローニング・ハイパワーは相当古いモデルだから、現代では一部の愛好家ぐらいなものだ、使用するのは。その愛好家の1人だったのだが、加奈は。
ハーネスを剥ぎ取る。弾倉を換えて、ライフルのセイフティを単射にした。廊下に出ると、右側から銃弾が一塊、飛来した。壁に背をつける。廊下の壁に着弾し、破裂して大穴を幾つも開けた。
厄介だな、全員機甲弾装備か、と加奈はそこで思案する。ここを突破するには、このライフル一挺ではやや、心許ない。奴らの装甲を奪うことが出来ないだろうかと。
「やってみるか……」
加奈はナイフを抜いた。口に咥えて、ライフルを握る。銃撃がやむ、数瞬の間を突いて物影から単射で撃った。撃った先は兵士ではなく、兵士の頭上の天井だ。セラミックの天井に着弾して、白い炎と共に天板が崩れ落ちた。2人組の兵士が、僅かに上に気を取られる。それが狙いだった。
加奈が一気に飛び出した。兵士たちが銃を構える。距離は15m、2秒もあれば事足りる。
一足飛びで、間合いに飛び込む。眼前に、銃口があった。
ナイフを左手に持ち、手裏剣のように打剣した。ほぼ完璧な直線の軌道を描き、刃が1人の喉に突き立つ。声すら上げずに、その兵士が倒れた。左側にいた兵士が銃を向け、発砲。回し蹴りでその銃口をそらした。撃った弾、12連射が加奈の足元に刺さり、破裂する。間髪いれずに加奈は銃口を押し付け、こちらはきっちりと撃ち貫く。3発、撃てば腹から血を流して息絶えた。
足元には、ナイフを突きたてた兵士と腹を大きく抉られた兵士が倒れている。屈みこんでナイフを抜いた。ナイフは装甲と装甲の僅かな隙間から、内部の肉を、気道を貫いていた。幸雄に言われて習った手裏剣術、古臭い武術などと馬鹿にしていたが、意外なところで役に立つ。強化外骨格を無傷で鹵獲するなど、対機甲弾を装填した銃では絶対に無理だからな、と思ってスーツを脱がせにかかる。ヘルメットを取り、マスクを剥ぐと、その下はあどけない顔をした少年だった。どう見ても未成年だ。共和国も人手不足なのかね、とひとりごち、己の体にスーツをはめ込んでゆく。やや大きい気がするが、問題なく作動する。
マスクを被った。