5―13
ショウキと加藤がメインコンピュータにたどり着いたとき、明蘭が端末に向かってキーを叩いていた。
「直るか」
ショウキが言うのにも、明蘭は黙って首を振った。
「なんだってまた」
「ウィルスよ」
と明蘭が、液晶画面を流れる分子配列を睨みながら答えた。
「ワクチンを撒いたんじゃ、なかったのか」
「そのはずだけど、どうやら免疫プログラムを与えられていたみたい。耐性をつけて、逆に増殖しちゃった。インフルエンザみたいね」
「面倒だなあ」
ショウキはぼやくと、しかしそこである考えに行き当たる。
「ってことは、ここのセキュリティは全てダウンしているってことか」
「そう、なるわね」
「冗談じゃねえ。軍の奴らがここに来るかもしれねえってのに。明蘭、ちょっと来い」
まだ端末を弄っている明蘭の腕を、強引に引っ張った。
「ちょっと、何すんのよ。まだ直ってないのに」
「そんなモン、後だ後。軍事制裁が決まったってんは穏やかじゃない、俺らは国家の敵になったんだ。それを、セキュリティ全部切られた状態で軍を迎え撃つなんざ。“蟻塚”攻略するより容易いぜ、こんなビル」
すると加藤が
「でも、まだ情報が正しいかどうか分からないでしょう? どういうことか事態を……」
「ボケナス」
ショウキが明蘭を引っ張りながら言った。
「部長にも繋がらない、何かあったと判断するほうが妥当だろう。そうなると、やはり総統が発した――軍事介入、これはもう間違いないと判断するべきだろう」
廊下を歩きながら――歩くというより走っていた。焦りが足を動かし、自分が何かに走らされている心地がする。ショウキの、長年積み上げた経験だとかあるいは戦士としての勘、それよりももっと根幹にある動物としての防衛本能。それがショウキ自身を急き立てている。じっとしてはいられない。
「今すぐここを逃げなければ」
ショウキが呻いた。だが逃げるといってもどこに逃げればいい? 都市警も動き出しているようだし、“門”を出て“中間街”に潜伏するか? それとて、軍のレンジャー部隊が投入してくれば――クソ、あそこはヤクザ共の巣窟じゃねえか。そんなところに潜伏など――
「加藤」
とショウキが言った。耳に飛び込んでくる、清澄で甲高い羽音。かすかに、分子モーターのくぐもった音も混じっていた。
「聞こえるか」
「ええ、いっつも聞いている音ですもんね」
そう、言うと加藤はチェコ製の拳銃を抜いた。明蘭は、わけの分からないという顔をしている。
「分子モーター、高周波――“ハチドリ”の羽音。そしてあれを装備しているのは“特警”ともう一つ」
ショウキが呟いた。どうやら、逃げるのは無理だと。
空艦艇“ハチドリ”が唸る、振動が空間に波打つ中。光学迷彩が解除されると、宵闇に浮かび上がるのは、円筒形の機体。4機のそれが、“特警”の本部上空を旋回する。
共和国旗が記された“ハチドリ”の胴体部が開放され、強化外骨格の突入員が控えているのが露になる。市街戦用の、軽装甲のタイプだ。戦場に投入される、角ばった強化外骨格ではない。もっと丸みを帯びた、流線型のフォルムだった。銃はベルギー製の騎兵銃、サブマシンガンのサイズにライフル弾を装填し、最小のボディに最大の火力を備えている。
無線越しにGOサインが出ると、ワイヤーが一斉に下界に向かって伸びる。突入員の一団がワイヤーを伝って降下する、それは異様な光景だった。一つのビルに向かって甲冑の一団が降りてくる姿は、それまで閉ざされた都市で「平和」を享受していた人間にとっては明らかに安寧とは異なる、“門”の外と同じ戦場を現出させている。それは都市の人間にとっては脅威でしかなかった。向かいのビルで残った仕事を片付けていた、村井にとってもまた。
残務を片付ける傍ら、窓の外に現れた“ハチドリ”の機体を認めると、ノート端末に打ち込んでいた指を止めて、思わず窓に張り付いた。軍事に疎い彼でも、空中に漂う機体から吐き出されたそれが、強化外骨格であることは知っていた。戦場以外で、都市の内部で強化外骨格を見るなんて。窓一枚隔てた先は、明らかに戦争の空気を伴っている。択捉や朝鮮、村井がテレビの向こうで見ていたその戦場が、“特警”の本部ビルに向かって降下していた。
一体、どういうことか――と村井は思って、後ずさった。
そして村井がもう少し、軍事に詳しければその部隊が――共和国最強と呼ばれ、択捉の戦線にも投入された機甲化部隊、関東第12連隊であることを知っただろう。
鎧たちの姿が、光学迷彩に消えた。
冗談じゃない、とショウキは思った。到着が早い、奴らはこの本部を徹底的に叩くつもりだ。強化外骨格を投入してくるなんて、普通じゃない。ショウキは明蘭を引っ張りながら、武器保管庫へと急いだ。強化外骨格と対等に渡り合える火力が、今は欲しい。
「ちょっと、引っ張らないでよ」
明蘭が抗議した。
「全く、乱暴な男ね。女はね、強引なだけじゃだめなのよ」
「何の話してんだよ、馬鹿野郎。そんなこと言ってよお」
武器保管庫は分厚い鉄の扉に閉ざされていた。普段はここに入るには、静脈照合を掛けなければならないのだが、端末は沈黙していて扉を開けることは出来ない。ショウキは左拳を、思い切り叩きつけた。鈍い音を立てる。表面がへこんだだけだった。
「くそ、こんな時に武器が手に入らんとはなあ」
加藤は端末を弄るが、やはりダメなようだ。肩をすくめた。
「あんたたちって」
と明蘭が言い
「ホント、頭の中筋肉で出来てんのね。無理に決まってるでしょう、そんなもの」
「そんじゃあ、どうしろってんだよ」
「ちょっとどいて」
と明蘭がショウキと加藤を押しのけ、スプレー缶のようなものを取り出す。
「なんすかそれ」
加藤が言うも、ショウキはそれが何であるか分かっていた。缶底部のバルブを開放し、空気泳動型の分子機械を隙間から注入する。腕の端末を叩いて、液晶にマトリクスを投影させた。
「いっつもそんなもん、持ち歩いてんのか。科学班の奴らは」
「ショウキさん、なんすかこれって」
加藤が訊くのに、ショウキに代わって明蘭が
「ハッキングウィルスよ。この程度の端末なら、これでハックできる」
だとよ、とショウキが言うと加藤が感嘆の声を上げる。明蘭が端末を叩くと、果たして堅牢な鉄扉が開かれた。
「こんなん造ってよ、軍が警戒するのも分かる」
「ナノカメラ勝手に持ち出す人に言われたくないわ」
ショウキの言葉に、明蘭がそう返した。ショウキと加藤は中に入って、壁に掛けられた銃器の数々を物色する。強化外骨格には銃器が全く効かないというわけではない。基本的には装甲の隙間を狙うが、着用する方もそこが弱点だと分かっている。対策は講じてあるはずだ。それに、動いている人間のそんな所を狙うのは至難の業だ。となると、道は一つ。
「加藤、そこのボックス弾倉とれ」
ショウキはミニミを構えて言った。加藤は底部に赤い印の入った弾倉を渡す。
「対機甲弾、ですか」
「奴らの甲冑砕くには、このぐらいは必要だろう」
とボルトを引いて
「お前さんも何か取れ。鉄火場にゃ身ぃ置いたことねえだろうが、銃の扱い方は知ってるだろう」
そう、明蘭に言った。すると明蘭はサブマシンガンを手に取って
「嘗めないでよ。銃ぐらい撃てるわよ」
「それはそれは。年の功、って奴かね。大東亜戦争にも、参加したんか?」
からかうように言うと、明蘭がキッと睨んで
「最初にあんたを殺してやろうかしら」
「おー怖っ」
わざとらしく言って
「さて……」
弾倉を番えた。傍らでは加藤が、グレネードランチャー付きのコルト社製アサルトライフルを携えている。2人の顔を見回して、一言。
「逃げるか」