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夜狗-YAKU-  作者: 俊衛門
63/87

5―9

 北北西からの風を受けて嵐の気配を感じる。その日の空気は、朝から湿り気を帯びたものとなっていた。

 Web上から天気図をダウンロードするに、大型の台風が接近しているという。ここ最近多いな、とショウキは呟いてふと、目の前にある、木造の平屋建てを眺めて思った。見たところ築20年は下らない、古ぼけた民家。漆喰が剥げてぼろぼろになった壁が、刻まれた年月の長さを物語る。手入れもされず、家と門扉にまとわりつく木々が影を作り、掲げられた表札にはかすれた、判別しがたい文字で『久里浜』とあった。間違いなく、金が言っていた刑事の自宅であるが――正直、表札がなければ見落としていたであろう。遠目から見ると廃屋に蔦が絡まっていて、いかにも幽霊屋敷然としている。人の住んでいる気配など、殆ど感じられない。放置された山小屋、といった感じだった。

 それでも“中間街セントラル・シティ”で一戸建てに住めるということは、少なくとも密集住宅でひしめきあって暮らす、“蟻塚”の人間よりは裕福、ということになるのだろうか。一応、公僕に就いていたものにはそれなりの補助金が支給されることにはなっているから、おそらくは最低限、食って寝るぐらいの生活は保証されている、筈だ。最低限の文化的生活、というものか。最低水準よりは2,3階層ほど上の、都市の中ではホームレスに相当するであろう環境――大方、そんなところだろう、この久里浜翁の生活水準は。瓦が剥がれ落ちた屋根を眺めて思う。

 ジャングルめいた鬱蒼とした庭に足を踏み入れると、ナノカメラで家の周りを走査スキャンする。違法行為だが、それもやむをえないだろう。尾行されていたら事だ。GPSには何も写っておらず、木々の間から様子を伺い、果たして追尾した人間がいないか、ともう一度確認した。下田から修善寺まで、衛星からの監視システムに介入して、追跡する人間がいないかどうか――ただのヤクザだったら、そこまで警戒する必要はないかもしれない。だがあの時、ショウキの暗号回線に無理やり侵入してきたあの男。官僚か政治家みたいな、淡々とした口調。そして何より、“特警”捜査官の暗号回線に介入するなんて、ヤクザに出来る芸当じゃあない。

 政府筋か――あの施設の、焼き討ちを報じる記事に映っていた軍のヘリ。“蟻塚”で見かけたあの背広スーツ、はっきりした。やはり、あの施設には政府が、何らかの形で関わっている。でなければ、あんなえげつない手を使って警告までするだろうか。鈴が予告も無しにいきなり殺処分されることになった経緯も――あるいは関連しているやもしれない。

 やり口はヤクザそのものだった。友人、身内から攻めていくんだ、奴ら。本人に警告するのに、周りの人間を巻き込んでいく。そうやって精神的に追い詰めて、抗う気力もないぐらいまでに痛めつける。そのために金は、消された。俺のせいで。

 金、と呟いた。すまない、巻き込んでしまって。だが、あんたが死に際に教えてくれたこの情報ネタ、無駄にはしない――その思いで、ここまで来た。

 全てが終ったら、と思う。全部済んだら、この借りはきっちり返してやる。10倍にしてな――相手が誰だろうと、退くつもりはなかった。


 呼び鈴を鳴らすと、老人が出てくるのに、ショウキは

「久里浜雄二さん、ですね」

 と言うと、老人はぎらついて眼を細めた。齢70、とは聞いていたが、さすがに「伝説」と呼ばれた刑事だけあって、老人が身にまとう空気は険しく、厳のあるものだ。小柄な身体から滲み出る威圧感に、防衛本能のようなものが働いて。思わず、身構えた。

「何だあ、貴様」

 ぼそぼそと押しつぶすような声で言った。。ショウキはIDカードを懐から取り出す。

「電話、した者です」

 と言うと、老人の目が益々――険しいものとなる。

「ああ、新聞社の」

「久里浜雄二さんに、是非お話を――」

「帰れ」

 久里浜翁はそう言って突っぱねた

「おめぁらに何か言ったり、聞かせたりする話はにゃあ。とっとと、壁の向こうにけぇれ」

 かなりきつい訛りだった。壁の向こう、とは“ゲイト”の内側、つまり都市のことだろうか、などと考えていると老人は、ショウキを押しのけて扉を閉めようとする。

 が、ショウキのつま先が完全に閉まるのを防ぐ。

「久里浜さん」

 とショウキがいうが、老人は頑として聞かない。

「何もねえずら、話すことなんざぁ。あの壁の向こうへえってる奴、信用ならね」

「確かに、私は都市の人間ですが……」

 ショウキは声のトーンを落として

「お話したいのはこの界隈、下田の孤児院消失事件のこと」

 老人はそれを聞くと、

「……誰に聞いた」

「あなたが一番詳しいと。お聞かせ、願えますか」

 そう言うと、老人は無言でショウキを迎え入れた。


 「てぇしたモンはねえが」

 と老人は、ショウキに座るように言う。時代がかった卓袱台の前に座ると、部屋一面に飾られた感謝状が目に付いた。どうやら、「伝説」とまで呼ばれていることは本当のようだ。感謝状の額縁に混ざって、久里浜翁の若かりし頃の写真が飾ってあった。精悍な面構え、下っ端のヤクザを黙らせるには充分な迫力を醸し出している。横には、柔道着姿の久里浜が、どこぞの大会の賞状と優勝杯を持っている写真が、並べられていた。

「柔道を?」

 ショウキが訊くと、丁度、湯呑みと急須を盆に乗せて運んできた久里浜が

「そいつは地元の大会だ。当時はまだ、そんなことできる余裕があった」

 と言う。写真に写っている久里浜は、おそらく30そこそこ。『興国の政変』より前のことか、とショウキは思った。

「下田のこと、誰から?」

 久里浜がそう言って、茶を啜った。

「あの事件のことは、もう最近の若けぇは興味すら持たにゃあ。それをあんたらは」

「まだ記事にするか分かりませんよ。これは自分が独自に調べていることです」

「ふん、物好きだなあんた」

 ショウキも茶を頂くことにした。静岡ってのは緑茶が有名なんだよ、とか加奈が前に言っていた気がしたが……市販の茶葉なんてのは、合成調味料と着色料の産物だ。味なんて、自販機ベンダーマシンで売ってるペットボトル詰め飲料と変わらない。

「情報屋の、金、って朝鮮人から」

「ああ、あいつか」

 久里浜は茶を飲み干してから

「ここいらんこと調べて、ちょろちょろしてっからに。あの下田の事件のことも、根掘り葉掘り聞いてなぁ」

どうやら、かなり広範囲に渡って調べ回っていたらしい。情報屋ってのは、それそのものがライフワーク。奴の口癖だったな、とショウキは思って

「そいつに聞いて、あなたのことを知りました。引退された今でも、あの事件のことを追っていらっしゃる、と」

 すると久里浜は、天を仰ぐように、視線を泳がせた。記憶を探るように――やがてぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ。

「あっこの……施設は前々から奇妙だったんだよなぁ」

 と久里浜が言った。

「あの近辺じゃあ、人がよく消えたんだ」

「人が?」

「ああ。子供が失踪し始めたのが、2010年頃から。政変が始まって、共和国体制になってからさらに激しくなってな。わしらが皆、3交代で巡回していたがなぜ消えるのか、そのことを突き止めることが出来んでな。異変ちゅうたら、まだあったかの」

「異臭騒ぎ、って奴ですか」

「ほ、良く知ってんなら。そうか、あの朝鮮人に聞いたんじゃったな」

 久里浜は息を吐いて

「ありゃあ、水死体の臭いじゃった。浜に打ち上げられた、腐乱死体と同じ臭いがするのよ。その前は薬品というか、酸性のものを燃焼させたものだな」

 言って、老人は湯呑みを置いた。

「あっこは孤児施設なんかじゃにゃあ、実験場だったんじゃ」



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