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夜狗-YAKU-  作者: 俊衛門
6/87

1―2

「加奈」

 と呼ぶ声がしたのは、病院の抗菌室を連想させるような本部内の廊下でのことだった。染み一つないまっさらな壁、天井はセラミックでできている。

「ショウキか」

 振向くと、銀髪の大男がこっちに向かって歩いてくる。ショウキは古臭い米軍払い下げのジャケットを着て、サングラスをかけていた。毎度同じ格好で、変わるものと言えば下に来ているシャツの色ぐらいなものか。不精者なのかわからないが、着る服には無頓着なのだ、この男。もっとも、加奈自身も人のことは言えない。紺色のスーツは飾り気のないパンツスタイル。人工絹が社会一般に普及しているというのに、未だにポリエステルの化学繊維に身を包んでいるのだから。

「もう、傷はいいのか」

「ん」

 加奈はそっけなく答えた。肩に手をやって

「あの程度なら一晩で直る。大して深くもない」

「そりゃ結構なことで」

ショウキは居心地悪そうに体をゆすった。時折、加奈の首筋と右肩を見るのに加奈は

「見るなら堂々と見ればいいだろうが」

 言うと、ショウキが慌て視線を外した。

「責任でも、感じてるのか? 援護が間に合わなかったのが。あれはわたし一人の判断だから。あんたが気に病むことはないさ、何も」

 加奈の背後から、円筒形をした清掃ロボットが通り抜ける。ドーム状の頭部に備え付けられたランプが赤くなった。ポーンという警告音を発するが、要は“邪魔だ、どけ”ということだ。

「てめえが避けろよ、人間に造られた分際で」

 悪態をついて脇に逸れると、ドラム缶のボディが滑るように抜ける。後ろから腹いせに、寸胴のボディに蹴りを入れてやる。踵が突き刺さって、3cmほどのくぼみを生ませた。

「いや、しかしな」

「なんだよ、まだ気になるのか? ならば、報告書に書けば――」

「そういうことじゃねえよ」

 ショウキが強い調子で遮った。それほど大声ではなかったのだが、セラミックというのは良く音が響く。すれ違った20代そこそこの女性職員が驚いて振向いた。

「なによ、出し抜けに。何か気に障ること言った?」

 あからさまに不満顔になって、食って掛かる。

「報告書とかいう話したいわけじゃねえよ、ただもう少し慎重になれって言うわけだよ。お前のあの行動は俺の目には死に急ぐようにしか見えねえ」

「だから、死にはしないって別に」

生物分子機械バイオナノマシンがあるから、てか。だとしても無理に突っ込むことはないだろうが、あのサムライにしたって」

「何がいけない、あそこで黙って引き下がっていれば良かったっていうの? サムライ相手に尻尾巻いてさ」

 と言う加奈の言葉には、鬼気迫るものがある。ショウキが黙っていると

「ヤクザとサムライを潰すための“特警”だろう、躊躇してどうするんだよ。なあ?」

「そのサムライるために、自らの身を削ってまでもか?」

 ショウキがサングラスを外す。色素不足の、グレーがかった。気まずい一瞬の間のあと、やがて深くため息を吐く。

「ま、いいさ。大事にゃならなかったんだからな。ただ、サムライっていってもいろいろだ。この間の奴は、まあせいぜい遺伝子導入だろうが“中間街セントラル・シティ”ってところはあれ以上の化け物がいるんだから」

「“中間街セントラル・シティ”のことなら」

 落ち着きを取り戻した声で、加奈が言った。

「わたしの方が詳しいだろうよ、あんたよりかは」

「そうかい」

 サングラスを胸ポケットに差し込んで、ショウキは伸び一つして

「それなら、東京の方も詳しかろうよ」


 ミーティングルームの真ん中には、馬鹿でかいデスクが置いてある。スチールやセラミックではない、天然の檜を使ってある。まだ切り倒したばかりの真新しい木の香りが、目の前に立つと漂ってくる。権威めいて仰々しい、派手ではないが存在感を放っており、その立派過ぎる佇まいには不釣合いなほど小柄な人間が座っている。

 その人間こそ、特務機関たる特別保安警察捜査部を束ねる、紫田遼である。

「先日の『天正会』の件だが」

 と紫田が言った、視線の先にはショウキと加奈がそれぞれ立っていた。右隣の加奈は不動の姿勢をとっているが、ショウキの方はというと片手をポケットに突っ込んでいる。紫田が話すのにも退屈そうに窓の外を見て、生欠伸をかいたところで加奈に睨まれた。

「まずは、これを見て欲しい」

 紫田はショウキのだるそうな態度にも、特に気分を害した様子もない。周囲の人間がどうだろうと、それに影響されない。事務的に、的確に己の仕事をするのが紫田遼という個人である。冗談一つ言わず、微笑一つ見せない紫田はその雰囲気といい動作といい完璧に秩序だって隙というものがない。もっとも、そういう男でないと務まらないかもしれない、この“特警”という組織は。軍とも警察とも違う、第3の暴力装置として治安維持に当たるこの特殊な機関は馬鹿らしいほど大げさで、あまりに秘密めいている。この国の治安、分断された地域を守護するという触れ込みで発足したが国民からは「番犬」と揶揄されるように、支持されているとは言い難い。

 後ろの木目の一部分がぼうっと淡く光り、今度はそれを脱ぎ捨てぱっと明るくなる。最初に三角形を重ね合わせた“特警”のロゴマークが浮かび上がるとすぐに画面が切り替わる。ノイズの激しい像、モノクロームのざらついた景色が映された。

「何だぁ、こりゃ」

 ショウキがそう言うのも理解で切る。呆れるほど、荒い映像だった。旧時代のクソ重たいカメラ機材で撮ったら、こういう風に映るのかもしれない。

「そうだろうな。これは“中間都市”の、とある場所の防犯カメラによる映像だ」

 加奈の思ったことは、計らずも的中した。あそこには、テクノロジーの恩恵を受けられない遺物も少なからず存在する。

 映像は、よく目をこらすとどうやらホテルのフロントのようだった。なるほど、都市の風景にはとても見えない。フロントにいる係の男が、パイプ椅子にもたれかかって煙をふかしているのが確認できる。都市の中でも、一番ランクの低いホテルでさえそんなことすればその場で解雇されるだろうなと思った。やはり“中間街セントラル”、なにも変わっていない。こういう怠惰なところは。

 しばらく見ていると、一人の男が入ってきた。男は全身を暗色のコートに身を包み、サングラスで顔を隠していた。フロント係が面倒くさそうにチェックインの手続きをしている。その後、何か一言二言話したあと男がサングラスを外し――

「とめて」

 加奈が唐突に言った。スクリーンは加奈の声に反応して、画像を停止させた。

「どしたの?」

 ショウキが訊くのにも答えず、食い入るように画面を見つめる。

「気づいたか、その男」

 紫田が言うのに加奈は頷いた。間違えようもない。散々見飽きているのだから。国営テレビのトップニュースにあがって、朝から憂鬱な気分にさせたニュース映像を思い出す。

 新伝龍三。3つの事件で指名手配されている、『天正会』の筆頭である。荒い画面からもはっきり分かる、尖った顎と耳がぴょこんと突き出て目立っている。

「こいつが撮影されたのは――」

 と紫田が続けた。

「2日前だ。お前たちが静岡の“中間街セントラル”で『天正会』とやりあっているときに撮られたもの。よりによって、親玉が隣の都にいたとはな。所轄がこの映像を入手し、“特警”に回してきたんだが」

「ちょいまて、本当にこいつ新伝か? そっくりさんじゃあねえだろうな」

 ショウキが口を挟んだ。

「そんな映像一つじゃ、判別しようがないだろう」

「確かに見辛いが、科学班で骨格データの照合も行った上での判断だ。新伝龍三本人であることに、間違いはない」

 科学班、というのに加奈は涼子との約束を思い出す。そういえば、話があるんだとか言ってたな。

「はー、東北ヤクザの筆頭が関東平野にお散歩ですか。余裕だねぇ」

 とショウキが言う。得心がいかぬように、サングラスを外して何度も画面を見ている。紫田が口を開いた。

「そこでお前たちを呼んだ訳だが、わからないでもないだろう」

 すると画面が切り替わり、再び幾何学的なロゴマークが中央に浮かんだ。次にEL素子の発光が徐々に抑えられ、やがて元の木目が浮き上がる。完全に消えたなら、透明な幕が貼り付けられたスクリーン後ろの壁が現れた。高分子EL素子が透明なプラスティックシートの上で発光し、像をつくる。消えてしまえば、薄い膜が残るのみとなる。

 消えた画面から目を離して、2人は紫田の方に向き直った。

「東京に行け」

 紫田が唐突にいうと、加奈の心拍数がどっと高鳴るのを感じた。実際に鼓動が早くなっている。埋め込み型のバイオチップが反応するほどに。

「東京の“中間街セントラル”? あそこは全部が全部スカスカの“蟻塚”しかないようなものじゃねえか」

「場所の見当はついている。その映像が撮られたのは新宿のホテルだ」

 心臓が、ますます高鳴った。ショウキに見えないように、手の甲で汗を拭うと紫田の鋭い目がこちらを見たように思えた。見透かすような目が、加奈の心理まで読みとられたようなここ地にさせる。

「すでに向こうの警察の協力は取り付けた。現場の判断は任せるが、特殊弾頭はなるべくなら使うな」

「いやに慎重ね」

 加奈が発した言葉は、皮肉な響きを纏っている。それこそ紫田に渋面を作らせるには十分過ぎるほどに。

「世間の風あたりも厳しくなりつつあってな」

 と紫田が言って

「もっとも、“中間街セントラル・シティ”に活動を限定しているからそれほどの影響はないとはいうものの。サムライ、まあバイオ的に強化された人間を警告なしで撃つという我々のスタンスが人権保護法に反するのではと言われてな。排斥運動も起こってきている」

 人権、ときたものだ。これには嘲笑を禁じえない。あれを“人”だというのか、馬鹿げている。それならばサムライの前に歩みでて聖書の朗読でも勧めればいい。強化も何もされない人間の首を、なんの躊躇もなく切り落とすことが出来る奴らだ、その場で撃ち殺さないと危険なんだ。姿形が異様なだけでなく、そもそも人間らしい感情だとかもない。

 欠如(ノックアウト)だ、と加奈は思った。遺伝子が不完全な出来そこない(ノックアウト)、だから。ヤクザに雇われるしか、能がない。そもそも、あの化け物に人らしさを求めようもないだろう。もっとも、それを言うなら自分の身体だって十分化け物じみているが。

「んな世論でよ、“特警”の活動が制限されるなんてつまらんだろうが」

 とショウキが言うのに、紫田は唸って

「民衆というものは、すべからく権力や権威の類を嫌悪するものだよ」

 何か、重いものを腹に詰め込んだような声で唸る。


 昔からこの国は、人権意識が異常なほど高いんだとショウキが言う。移民を受け入れだしてから、その傾向がより顕著なものとなった。移民、もしくは外国人が国政に参加し日本人と同等の権利を与えられたことが切欠となり、差別もしくはそれに順ずる行為や表現が規制されることとなった。それが、2014年からの政変の種火ともなった。

「権力や権威に反抗する、ってなああれだ。昔の日本のこと言ってんだ、部長は」

 とショウキは、自販機から買ったコークの瓶に口をつけている。君主制時代の日本か、と言うと頷いて

「あん時ゃ、俺はまだガキだったな。くだらねえ遊技場アーケードの戦車ゲームに興じている間に、国民投票で君主が追われてな。それが切欠で右翼結社が蜂起して東京が崩壊して。それが、20年程前か」

「わたしは、その時は」

 スプライトの缶を投げると、清掃ロボットが滑りこんできて缶を回収した。ご丁寧に、床まで拭いて。

「“中間街セントラル”だったな。良く知らないよ、その辺の事情は」

「教科書にも載っていることだぞ」

「学校、行ってないんだよ。義務教育も受けていない。教養は全部、養父ちちに教わった」

「ほう」

 とショウキは言ったが、特別珍しい話でもない。教育水準は経済力と比例するのが普通だ。“中間街セントラル・シティ”に住まう者は特に、教育ということには疎い。

「でもお前は、“中間街そこ”から抜けた人間だろう」

「まあ、歴史とかあまり好きじゃなかったからな」

 網膜の時刻表示は、11:30。

「過去は過去。昔を思うのは苦手でね」

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