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「こっちの方は続けているんか、情報屋」
ショウキが言うと、金がまあな、といって
「これはまあ、オレのライフワークみてえなもんかね? こっちも危ない橋には違えねえが、まあパチンコだけじゃあ持たんから」
地元のヤクザに金払わなきゃならんだろうからな、とショウキは思った。違法パチンコは、ヤクザの専売特許だ。
「んで、黄尚鬼。あんたは何を知りに来た」
と金が、パイプ椅子に腰を下ろした。
「だから、その名はやめろよ」
「何でよ、お前えの名だろうが。自分の名は、誇りに思えよ。親から貰った名はよ」
「親など」
ショウキは押し黙り、不機嫌に鼻を鳴らした。
「親などと、俺には関係ない」
そうかね、と金は言って
「それで、知りたい情報はなんだ」
「何がある?」
「何でもありだ。何が知りたい? 商売敵の口座番号、浮気調査、総統のプライベートから夜な夜な女房が馬とファックしていないかどうか、など。色々とね」
「最後のは良く分からんが、知りたいのはそんなことじゃあない。この下田界隈の――」
とショウキは声を潜めて
「この辺に、孤児施設はあるか」
金が、ほう、と声を上げた。
「孤児施設? なんだ、ダンナも隅に置けないねえ。どこぞの、行きずりの女との子か」
「ぶっ殺すぞ、貴様。そういうんじゃなくて、この下田に15年前、焼き討ちされたっていう施設だ……聞いてないか」
ショウキがいうと、金は唸って
「ふむ……子供を預けてえんじゃねえんだったら、どうしてそんなことを?」
「ちと、訳ありでな。人に言えるようなことじゃあない」
言うと、ショウキは懐から札束を取り出す。都市内では金銭は完全に電子化されているも、都市の外では未だに古い紙幣が幅を利かせている。金は万札を引っ掴んで数え、指で弾くと
「オレがここに腰を据えてから」
と言うと、金は棚から青いファイルを取り出した。
「10年になるかな。地元の情報集めにゃ、余念が無かったから。この辺の事情はすぐ分かる」
「流石だな」
ファイルは随分古ぼけていた。開いて見ると、紙片を貼り付けたスクラップ帳となっている。
紙片は新聞記事、10年程前まで主流だった、紙製のメディア媒体だ。それが、A4サイズのページにランダムに貼り付けられている。記事は、地元の新聞のようだった。
「“中間街”じゃ、こういう紙の新聞がまだまだ主流なんだよな」
と金が言う。
「もっとも、最近じゃこの辺も電子化メディアっていうか、端末埋め込みする輩も増えてきたからよ。この新聞社も、10年前に潰れちまった」
「なるほど」
とショウキが言った。こういう紙の媒体なら、記録が消されるということはない。なにか手がかりがあるかもしれない。特に地元紙ならば、詳細が分かるかもしれないと思った。
「その施設、ってのは」
と金が切り出した
「地元の人間も、口に出すのはタブーみたいになってるらしくて。それ、10項目開いてみ」
ショウキはそれに従った。いきなり、『虐待』という文字が飛び込んできた。
「そいつは20年前の記事だ。あんたが知りたがっている『施設』、あそこはただの養護院じゃあなかったみたいだ。その施設では、しょっちゅう子供がいなくなるってんで……当時、中国がきな臭くなってきて、政府もそっちの方の対応に追われていたからな。人権委員会の調査も入らなかった、らしい」
続いてページをめくると、中国内紛と北宋中華政府の成立を報じる記事。その下に小さく、施設周辺の異臭騒ぎ、なんて記事があった。
「異臭ってなんだ、これ」
「あれだよ。蛋白質が分解されるとき、ものすごい臭いがするだろう。死臭、っていうか。そういうんがしたってよ。まあ、あんたはそんなもの嗅ぎ慣れているんだろうが……」
金が言うのに、ショウキは睨みつける。金は首をすくめて、黙った。
「で、その次がさらに3年後。2025年の記事だ」
と言って、金がページを3項ほどめくった。
『放火』という、ゴシップめいた太文字と煽り立てるように並べられた文句が、ページを占領していた。
「孤児院なら、この辺にも結構あるけど。15年前に焼かれた施設、ってのはそれだけだな。うん、意図的に誰かに燃やされたっぽい」
写真は白黒だった。すでに焼け落ちた建物から黒煙が上がり、焼け跡から潅木のように突き出た柱が、炭のようになっている。その写真を見ているうちに、奇妙な違和感を覚えた。
「なんでこれ、軍のヘリが写ってんだ」
写真の、焼け跡上空を旧型のヘリ――択捉でも投入された奴だ――が旋回していた。3機も。迷彩姿の国防軍兵士が、防護マスクを被って現場の封鎖、捜索を行っている。
「そう、それな。高々孤児院に軍が介入したってんで……おかしいでしょう、流石に」
ふむ、と言ってショウキがページをめくったが
「おい、これ以降のはないのか」
施設の放火に関する記事は、まったく見当たらない。施設のことに触れた文脈もなく、全然関係ないことを述べている記事ばかり、貼り付けられていた。
ああ、と金が言って
「それ以降、施設関係のことはなぜか全く報じられなってな。で、オレがここに来たと同時期に潰れちまったよ、その新聞社」
「なんでまた……」
「ま、これは噂なんだがね。どうも、国からの圧力があって潰されたとかで」
金は事務所内を見渡して――誰も聞いていないか確認するように――顔を近づけて言った。
「これも噂だが……そいつは、その施設はどうも、政府の重要施設だったんじゃないかって」
「まさか、このちっぽけな孤児施設がか」
「だって、軍が介入するなんておかしいだろう。今、その焼け跡は国の所有地になっている。たかが“中間街”の一地域を国が所有するというのもおかしいし。何か、見られちゃ困るものがあったんじゃねえかって、もっぱらの噂だぜい」
そんな陰謀めいたことが、本当にあるのか――とショウキは思ったが。しかし
「どういう、施設なんだって」
「そいつはわからね。オレぁ地元の人間じゃねえし。ただよ、元所轄の、今は引退している刑事がいてさ。そいつが未だに、この施設のことを調べているらしい。実はこの記事も、その爺さんから貰った奴でね」
だろうな、とショウキが言う。関東周辺で、ギャング相手にケチな詐欺を繰り返していた無頼朝鮮人が、地元でもない土地に関してこんなに詳しいわけはない。
「もっと詳しいことを知りたい」
「何だ何だ、やけに意欲的だね。なんかやばいことに首突っ込んでんの? 黄のダンナ」
「その名は止めろ」
そう言ってふと、こいつに俺が“特警”だってことを伝えたらどんな顔をするだろう、と思った。多分、金は今でもショウキが“中間街”のどこかで危ない橋渡りをしているだろうと、思っているはずだ。“特警”、夜狗だとか呼ばれている俺たちは、“中間街”の奴らにとっちゃ天敵だもんな――などと思う。もし、自分が“特警”だと言っても、こいつは変わらずに……いや、止めておこう、とショウキはその考えを打ち消した。考えるだけ無駄だ、と。都市の内部、“門”の向こう側に行った自分とこいつとの間には――途方も無く深い、隔たりがある。重ねた年月の永さもあり、決して埋まることのない淵を臨むような心地になった。
「その人物は今、ここに住んでいる」
金がそう言って、紙片を握らせた。
「あまり、外部の人間とは関わらない人だけど。まあ、オレが言うよりも詳しいことが聞けるだろうよ」
「そうか……」
とショウキは腰を上げた。
「助かったよ、金。あんたはやっぱ、いい腕している」
「へへ、そりゃあ長年あんたの相棒やってりゃあな」
鼻の頭を掻いて、金が笑った。
「よお、ダンナ。その仕事済ませたらよ。また一緒に組まねえか?」
金が言うのに、ショウキは目を見開いた。
「何?」
「まあオレも、いまはこんなナリだがよ。いつか一発当てるって夢、忘れたわけじゃねえ。そのためにオレらぁ、クソッ垂れなチョッパリどもと構えたんだろうが」
そうだったかな、とショウキは昔を思い出していた。東京を飛び出して、祖国を思ったあの時を。結局、ショウキが思い描いていた「祖国」は、ショウキを助けてはくれなかった。だからこの国で、せめて自分らしく生きようとしたのだったが――
「悪い、金」
とショウキは金鵄を咥えた。
「俺も、汚れ仕事から足洗うつもりだ。こいつが終ったらな。だから」
ショウキが言うのに、金はにっと歯を見せて笑った。
「冗談だよ、冗談。分かってるって。オレも今じゃ所帯もってガキもいるんだし、そんな無茶はしねえよ」
「ガキ? お前、結婚してたのか」
「3年前に。これ、オレの子」
といって、懐から写真を取り出す。赤ん坊が、写っていた。
「まあ、昔はヤンチャしたけどさ。っていうか、今の仕事もまっとうとは言えねえけど。こいつ守っていくんだったら、さすがに大人にならにゃ」
「そうか……金」
「なんだい」
「おめでとう」
「よせよ、気色悪い」
と言いながらも、照れ笑いしている。ショウキも少しだけ、笑った。
「お前えさん、まだ独り身かい?」
「生憎な」
「そうかい。ならダンナもよ、尻のでかい女見っけて身を固めちゃどうだ? ガキはいいぞー、まあうるせえけんどな」
「考えてみる」
ショウキは言った。
やはり、こういう所は変わらないな、と感じる。昔、つるんでいた頃と少しも。金という男、詐欺をやるだけあってか話術に長けていて、そのおどけた口調で、仲間内では暗くなった空気を和ませるのに一役買っていた。こいつの周りはいつも、笑いが絶えなかったっけな。そう、思い出す。
「金」
と去り際に言った。
「何だ」
「いや……また会おう」
「ああ、美味い酒でも飲もうや、そん時は」
と、金が手を振るのが目に付いた。
店を出て、しばらく歩く。遊技場の喧騒が遠くなった頃に手の中の紙片を覗き込んだ。
「久里浜雄二……ねえ」
と、紙に書かれた名前を読み上げる。住所を見て、愕然とした。なんてこった、てっきりこの辺に住んでいるかと思いきや修善寺とは。今から行くのもな、と網膜に刻まれた時刻を見て思う。時刻は18:22、そろそろヤクザやサムライが動き出す時間だ。特殊弾頭は装備しているが、できれば衝突は避けたいところだ。余計な戦闘は体力を消耗するし、なにより目立つ。高価な機甲弾を食らわせるくらいなら、僅かな金を払って安宿に泊まったほうが、体力回復という点においても合理的だ。
仕方ない、と思ってどこか宿はないかと探す。この際、“蟻塚”の狭苦しく湿った寝床でも構わない。そう思っていた矢先。
網膜スクリーンが、時刻表示からPDAの着信を示すものに変わった。
「あん?」
腕をまくって、液晶を見る。“特警”関係者の通信は切っていた。この捜査はショウキの独断で動いているものであり、紫田から連絡があったら何と答えればいいのか分からないからだ。本部から帰還命令でもあったら、従わなければならない。面倒だから、通信回線を遮断している。しかしこれは……
「何だこれ、非通知?」
液晶に浮かぶ、“UNKNOWN”の文字。端末のメモリーに入っている、番号ではない。しかもこれは暗号回線。この回線を知っているのは“特警”関係なものだが……注意深く、端末を叩いて通信を開いた。
「誰だ」
PDAに向かって、小声で言う。デバイスの向こうにいるであろう人間は、しばし無言を貫いていた。
「誰だ、貴様。どうしてこの回線を――」
《貴様がショウキ、か》
やがて聴覚デバイスに、合成音声のような無機質な声が響いた。声は、男のようだが若いのか年を取っているのか分からない。訛りの無い、流暢な日本語だった。ショウキはさらに声を潜めた。
声の主に、心当たりはない。
「てめえ、何モンだよ。何故、俺のことを知っている。この回線に、どうやってアクセスした」
《余計な疑問は抱かなくてもよい》
「いいわけねえだろうが……」
上空から視線を感じるのに、ショウキは直ぐ脇の建物を睨んだ。“蟻塚”の中、3階部分から覗いた影。背広を着た男が、サングラスをかけてショウキを見下ろしていた。ショウキが見上げた途端、引っ込んでしまったが。軍服ではない、背広組のような佇まい。少なくとも、“中間街”には似つかわしくない。
《貴様、色々嗅ぎ回っているようだがな……犬みたいに。怪我をしたくなければ、今すぐここから立ち去ることだ》
「……何を言ってんだ」
背広の男が消えた方向を睨みながら、言った。押し殺した声で。
《怪我したくなければ、この件から手を引くことだ。いいか、二度目はない》
「だから、何言って――」
その時、背後から鋭い爆音がした。
「なっ」
腹に響くように、絶望的に轟いた。地鳴りすら伴う爆発。ショウキの背後から、ショウキが今、歩いて来た方向から――
振向くと、数m先の遊技場が並ぶストリート、その一角から黒煙が立ち昇っていた。轟々たる火焔が天を焦がし、ストリートはパニック状態に陥っている。あの先は、あの炎の中には――去り際に見せた、金の屈託無い笑みが、写真を見せて照れたように頭を掻く姿が、脳裏をよぎった。
《いいか》
と、デバイス越しに男が言う。
《警告はしたぞ。今すぐ、ここから立ち去れ》
乾いた声が、脳内で反響するのに、ショウキは何かを言い返すことも出来ない。ただ、頭の中を真っ白にして、立ち上がる火の手を見つめていた。回線が遮断され、鼓膜に群集の怒号とサイレンの音が蘇ってくるのを感じながら――。