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夜狗-YAKU-  作者: 俊衛門
58/87

5―4

 湿った風、潮の匂いがする。波が打ち上げる、岩を叩く音が耳鳴りのように響く。


 その日、伊豆半島に吹いた風は荒く、凍てつく空気の塊は道行く人間の首をすくめさせるには十分だった。

 もう、冬の足音が近づいている、とその人物は時代がかった煙草を咥え、ネットからMP3プレイヤーに落とした音源をイヤホンに聞く。モスグリーンのパーカーを着込み、目深に被ったフードを取る。

 まばゆい銀髪は、少なくともこの伊豆界隈では目立つ。バラックの影、廃墟に群がる子供やサムライ崩れ共の視線を一身に浴びる。復刻版金鵄ゴールデンバットの煙が、潮風に煽られてどんよりと曇った空に消えてゆくのを、ショウキは睥睨するように見ていた。

「ここまで来ちまったか」

 感慨深げに言う。伊豆の“中間街セントラル”に降りるなんてのは、1ヵ月ぶりくらいか。あの時は、『天正会』の潜伏場所を叩くために降下したんだったけなと思い出し、その時加奈が取った行動を思い出す。ヤクザの下っ端の構成員たちを顔色1つ変えずに撃ち殺し、蟹か蟷螂の足みたいなものを移植したサムライを打ち砕いた、たった一人で。銃火を交えるためだけに生まれたような女だと、感じた。その加奈が、あの娘のために国家に弓引くことになろうとは。今でも信じられない。

 それだけ、鈴の存在が大きかったということか。最初は護衛を渋っていたようだったが、鈴は加奈に懐いていたし、加奈も言葉には出さずとも、どこか鈴を気遣っていたようだった――だが、さすがに今回の事態は驚愕ものだ。あの加奈が、こんな非合理的で何の得にもならない、益を生まない行為に出るなんてことは。サムライに対してはやや無茶をするきらいはあったが、総合すれば晴嵐加奈という女は常に冷静クール、だった。それがたった一人のために、ここまで思い切るとは……鈴が加奈のクローンだから、なのか。DNAを同じくする、という事実に親が子に抱くような情が沸いたのだろうか。あるいはもっと前から、その感情を抱いていたのだろうか。いずれにしろ、加奈にもそういう人間らしい感情がある、ということだ。おかしな話だが、“中間街セントラル・シティ”に降り立つ加奈はいかにも機械然としていて――有体にいえば冷徹クールだった。常に完璧を求め、任務には一切の妥協を許さない。そんなシビアな姿勢を貫いていた。あまりに完璧主義すぎて、理想と現実との僅かな乖離に苦悩するほどに――そんな厳しさが、今の若者には受け入れがたいのか、加奈と組める人間は本部でもショウキだけになっていた。何人も寄せ付けない、孤高の人――大方の人間が、加奈にそういうイメージを抱いていた。

 それが、鈴という少女のためにあそこまでするとは。人間、変われば変わるものだと、岸壁に押し寄せて砕ける、白い波飛沫を眺める。

 伊豆半島の先端、下田。かつて幕末時、ペリー来航の際に開港され、旧体制下では観光地として賑わったというが、今は見る影も無い。他と同じく、“中間街セントラル・シティ”の無秩序と混沌の中に呑み込まれ、自己保存欲が生み出す自然状態が横たわるのみ。そして、ここには社会的契約も絶対的支配者リヴァイアサンも存在しない。自分の身は自分で守らなければ、とショウキは左腕の電気銃テイザーに帯電針を送り込んだ。左胸に収まった5連発マグナム、そのシリンダーには対機甲弾が詰まっている。


 遊技場アーケードから流れてくる、チープで煩い効果音が流れてくるに、ショウキは騒音のする方へと足を進める。途中、ギャング崩れの若者たちが“蟻塚”の中から睨んでくるのを感じた。衆人環視の中、飽くまで平静に、冷静に歩を進めるが――内心冷汗ものだった。薄気味悪さを具現化したような、死んだ魚の目が、ショウキを追いかける。四方八方から突き刺さる目線、明確に敵意を感じる。都市の人間は、“中間街セントラル・シティ”の住人にとっては異物、気を抜くと排除しに来るぞ、と加奈が言っていたっけ。さすがに“中間街セントラル”育ちは言うことが違う、そして今まさにそれを口にした本人の生まれ故郷を歩いているのだ。

 下田の、孤児施設――としか聞かされてはいない。正直、その施設が残っているのかどうかも分からない。加奈と別れた後、李飛燕と加奈がいた、という施設の情報を独自に集めてみたが、どこにも記録は残っていなかった。焼き討ちされた、と加奈は言ったがそうした事件があったという記録も無い。おかしなことに、全てのメディアに問い合わせても結果は同じ。事実関係を確かめることは出来ない。李飛燕が関わっているからか、それとも報道管制が敷かれているのか――しかし、偶然にも下田の“中間街セントラル・シティ”に、ある人物が潜伏していることを突き止めたのだ。そいつに聞けば、あるいは。というわけで、ショウキは単独で下田に降りたのだ。

 ここにあいつがいるならば――違法パチンコの一つや二つ、目をつぶってやってもいい。

 遊技場アーケードが立ち並ぶ中、廃屋を改造したパチンコ店に入る。銀玉と釘が弾け、効果音とBGM、いくつも音響が跳ね返って耳に痛いほどの騒音が、ホールを満たす。聴覚レベルを最小にしても、不快に鳴り響く。だからパチンコって奴は……と思ったがここに奴がいるなら、少々の喧しさも我慢しよう。そう割り切って、ショウキは台の1つに座った。

 機械に万札をねじ込むと、スティール製の玉が吐き出された。レバーを、操作する。パネルの電飾が瞬いて、液晶に往年のロボットアニメの絵柄が躍ってBGMが鳴りだした。フルCGアニメってんで、昔話題になった巨大ロボット物だ。実際に、馬鹿でかいロボットなんか造ったところで、兵器としての有用性は皆無。というより、まず造れない。日本人というのは、ロボットが好きなんだな、と思っていると、パネルが光ってリーチアクションを演出する。派手に電飾を光らせるが、こういうのはどうせ外れるようになっているんだ。案の定、絵柄が揃うことは無かった。昔、パチンコが産業として成り立っていた時代は、店側が不正を働けないようになっていたらしいが、パチンコが有害遊戯施設指定を受け、地下に潜った瞬間からパチンコはヤクザの資金源の一つになった。不正に金を搾り取る、なんてザラだ。それは分かっている。分かってはいるが……

「ちっ……ったく出ねえじゃんかよ」

 金鵄ゴールデンバットを噛んで、足を揺らして、台を軽く蹴飛ばした。さっきから、こうも外してばかりだと流石に苛立ちが募る。残り少ない俺の手持ち金を、いとも簡単に呑み込みやがっててめえ……とガラスケースを小突いた。液晶画面上をまた絵柄が流れているのに、リーチアクション。これもまた、外れ。

 クソッ垂れ、と毒づいて今度は思い切り蹴飛ばした。台が揺れて、隣で打っていた男が吃驚して飛び上がった。店員が飛んできて、お客様、他の方の迷惑になりますので……と言ってくる。ショウキはうるせえ、大体なんだこの店、客からむしりとるだけむしりとって、なんか不正してんだろう、と文句を並べ立てた。

「店長、呼んで来いや」

 と店員に言うと、おそらくは日本人であろう、若い店員はため息をついて店の奥に引っ込んでいった。

 また、外す。苛立ちはピークに達していた。多分、玉が出ないことに対して苛立っているんじゃなく、加奈のこと――勝手に“特警”を去ったことや、そこまで加奈を追い詰めた政府の対応――どうして政府は、鈴がクローンであることを公表しないのか。不正生体物を利用した副産物は処分されなければならない、生命倫理法に則った判断だというがそんなことは司法の判断に委ねるべきだろう。いきなり国会で決定して――いやそれすらも怪しい。本当に国会で審議したのだろうか。クローン人間は人間であるか否か、そんな議論は昔から何度もされてきたが、なかなか直ぐには結着がつくものではない。それをいとも簡単に、“殺処分”という決定が下るなど。

 クローンか、と思ってふと、そう言えば鈴はキメラだったと思い出した。加奈のDNAと一致したのは、鈴が持つ2種類のDNA鎖のうち、1つ。ではもうひとつのDNA鎖は、それもまた複製クローニングされたものなのだろうか。そもそも誰が、鈴を。わざわざキメラ人間を造りだす理由とは一体――

「お客さーん」

 と後ろから誰かが覗き込むのに、思考は遮断される。

「うちが不正しているとかイチャモンつけてんだって? あんまりそう言う態度関心しないね。事務所に来るか? そこでナシつけるか、怖いおニーさんが一杯いる中で」

 来たか、とショウキは金鵄ゴールデンバットを噛み、煙を吹きかけた。

「そりゃあ、不正も疑うだろうよ。A級詐欺師が営業ってる店なんざあ」

 つい、朝鮮語が口をつくのに、店長の男は一寸の間を置いて

「あんた、生きていたのか」

 と言った。禿頭の、痩せぎすの男は相好を崩して、ショウキの肩を叩いて

「久しぶりだなあ、キム。こんな所でパチンコなんざやって、もう詐欺の仕事ゴトはしてねえんか」

「は、あんな危ねえ綱渡りは、この年になるとな。それより、お前さんことなにしてんだ」

「ん……大したことは別に」

「なんだよ、はっきりしねえな」

 金は欠けた歯を見せて笑う。禿げ上がった頭を叩いて、尖った顎を撫でた。どこぞのチンピラといった雰囲気だがもともとは無頼ゴロツキ相手にペテンを繰り返していたような男だ。まともなシノギには就けないだろうな、と思いつつ。

「んで、今日はどうしたんだよ黄尚鬼ファン・ソンギ

と金が言うのに、ショウキは眉間にしわ寄せて

「……あんまりその名で呼ぶなよ、好きじゃないんだ」

「何でぇ、コリアン・コミュニティじゃ知らん者はいねえぜ。黄尚鬼の名をな」

「そうは言ってもな……」

 あまりいい思い出はないのだから、その名を使っていた間は――などと、この男に言っても仕方あるまい。

「よお、せっかくこうして会えたんだしさ。海老でも食わねえか、海老。この辺じゃ、良く獲れるんだよでっけえのが。オレが奢っちゃる」

「ああ……悪いけど、そっちはまた今度にしてくれ。今日、お前さんのトコに来たのは頼みたい仕事があってな」

 ショウキがそう言うと、金は顔を曇らせて

「いやあ、詐欺そっちはもう廃業しちまったんだ。いろいろあって、もたなくなっちまってよ。すまねえが……」

「誰がそんなこと頼むよ、誰が」

 これでも公僕なんだから……とは言わずに

「頼みたいのはそっちじゃねえ」

 ショウキはそう言って、金に耳打ちした。

「副業の方だ」

 しばらく、黙っていた金がやがて口を開く。

「事務所へ」

 


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