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夜狗-YAKU-  作者: 俊衛門
56/87

5―2

「カナさんが逃亡、ショウキさんも行方不明、ねえ……」

 通信を終えた加藤がぼやくと、テントの中に突入班の隊員が入ってきた。

「お疲れ様です、先輩」

 その隊員がマスクを脱ぐと、ブロンドの髪が首筋に流れ落ちた。作戦行動前に配属された、特殊部隊上がりの新人が、屈託無く笑った。

「お前、その髪切れっていっただろうに。作戦行動中、髪が邪魔になることだってある」

 年の頃は加藤とそう変わらない、20そこそこのその女に加藤が言う。母親がロシア人だとか言っていただけあって、彫りの深い西洋系の顔立ちをしている。道を歩けば男共を振向かせるほどの容姿をしているが、加藤の好みとは違った。

「あら、でも晴嵐さんだって髪、長くしているじゃないですか。加藤さんのお気に入りの」

「いまごろはひっつめ髪だろうよ」

 加藤が書類を眺めて言う。横浜港で都市警が回収した毛髪が、加奈のものであるという報告がされていた。都市警が加奈と交戦し、行方をくらました。現場にはショウキもいたのだろう。S&Wのマグナム弾が残されていたという。

 そのショウキも、行方が分からない。

「あと、別にお気に入りってわけじゃないさ。尊敬しているってだけで」 

 女が、コーヒーどうぞ、とカップを差し出してくる。どうにもこの女、加藤と同じ隊に配属されてからというもの、ことあるごとに世話を焼きたがる。自分のことは自分でやる、と言っても聞かないのだから――オレに気があるのかこいつは、けど残念だな。オレはもともと日本人好みなんだよ。大和撫子、ってやつかね、などと思うが、淹れられたコーヒーに罪があるわけではないので素直に頂くとする。

 味も素っ気も無いインスタントのコーヒーを飲みながら、衛星端末の液晶を操作する。相変わらず、ワイドショーでは持ちきりだ、加奈の逃亡劇。やはりマスコミは、加奈を史上最悪の反逆者にしたがっている。討論番組では、馬鹿な学者が『天正会』や李飛燕と通じていた、なんて言っていた。

「馬鹿言うなよ、クソ。あの人がそんなことするわきゃねえ」

 とひとりごつ。コーヒーを飲み干して、カップを乱暴に卓上に置いた。勝手なこと言いやがって、こいつらにあの人の何が分かるというのだ。どんな思いでオレたちが“中間街セントラル”に下りていると思っている、都市の人間が見捨てた荒野に――コーヒーカップを満たす液体に似た感情が、心中を覆いつくす。吐き出しそうな言葉の激流を喉元に押し込めた。

「ところで」

 と、女が急に加藤の肩越しに端末を覗きこんできた。女の顔が、直ぐ横にある。

「お、おい。何を……」

 加藤が引き剥がそうとするが、女は笑って

「何慌ててるんですか。加藤さんって、見かけによらず初心なんですね」

「見かけによらず、って余計なお世話だっ」

 背中に当たる柔らかい感触に、顔が上気しているのが分かった。いくら好みではないといっても、さすがにこうも密着されると本能に抗えるはずもない。離れろ、というと女は案外素直に引き下がった。

「マスコミには、対象の存在は知らされていないんですか?」

「ああ?」

 女が言うのに、加藤が不機嫌な声で返した。

「いえ、晴嵐さんのDNAと対象AのDNAが同じで、政府はその対象を不正生体利用副産物として処分しようとしている、と……」

 そういえば、どの番組でも加奈のことばかり報じていて鈴のことは一言も触れていない。

「だからどうしたってんだ」

「法律では規定されていないですが、昔からおおむね、クローンは人間とされているのに。それを物、として処理しようというなんて。世論が一番、食いつきそうだなと思って。誰かが訴えれば、人権委員会の査問にかけられかねませんよ。それに、拘束してから24時間のうちに処理しようなんて、急ぎすぎじゃありませんかね? 政府も」

「まあ、それはそうだが……」

 子供を物質扱いして殺す、などと人権意識が過剰に高いこの国のマスコミが取り上げないことなどおかしい。なにせ人権保護法というものは、移民に対して日本語で挨拶しただけでも、自国語を使う権利を奪ったとかで起訴できる法律だ。こんなあからさまな人権侵害など――生命倫理法に基づいた処分とはいえ、世論がどちらに味方するのかは火を見るより明らかだ。

 あるいは知らないのか――

 情報が遮断されている、何らかの報道規制がされているのかもしれない。政府はクローンの存在を秘匿し、極秘裏に処理しようとしている。何か、知られてはいけないことでもあるのだろうか……

 そこまで考えが及んでから、加藤は反射的に腕をまくり、PDA端末を露出させた。電極トロードを端末に差し込む。

「あ、あの加藤さ……ん?」

 女が不思議そうな顔をするのへ

「今からオレがやることは」

 と加藤が、睨みつけて言った。

「貴様は何も知らない。見てもいない。いいな、貴様は何も知る必要が無い」

 念入りにそう言うと、女は呆気に取られたように、しかし黙って頷いた。

PDAに繋いだ端末から送り込まれる、数列とマトリクスが網膜に走るのに、加藤はネット回線を開いた。衛星を介して侵入する。

 マトリクスが投影される。


 柳弘明は自前の刀を抜いて、照明にかざす。刃紋が、燃え盛る炎の如くに粗い。関の刀匠に作らせたものだ。さすがに戦闘に耐え得るものではないが、長年連れ添ってきた相棒だ。銃器やナイフなんかより、よっぽど手に馴染む。もともとああいった、人を殺すためだけに造られた武器と言うものは好きにはなれなかった。もちろん刀も、人を殺めるものではあるが、ただ刀はそれそのものが美術品である。美しさと実用性を備えた刀というものは、精神的な支柱、心の拠り所ともなるものであり、だからこそ「武士の魂」などと呼ばれる。昔の人間にとって、刀に掛ける思いは、現代人の想像もつかないことだっただろうなと、柳は思った。

そんなことは、黴の生えた古臭い理論だとこの国の人間は言う。古い物は一切、排除されなければならないと都市の人間は本気で考えている。分子が常に変換され、交代されてゆくように古いもの、老廃物は切り捨てる。そういう考えも、社会には必要だろう。けれど、その分子を生み出すDNAは変わる事はなく、次の世代に受け継がれてゆく。根幹は変わらないものなのだ。大本の、軸となる所。それすら変えてしまうのは違う、と柳は考える。人の場合は精神や信条、生体の場合はDNA、というように。

この国は変わってしまった。滅んだ、とも言い換えられるかもしれない。2000年続いた皇統の排斥――ナショナリズムの勃興、それが“中間街セントラル・シティ”が現れる原因となったと人は言う。だが、それだけが理由ではない。金融不安や産業の急激なシフト、そして皇統の排斥。権力から分離された権威のみの存在、天皇を切り捨てた。この行為は不道徳としか思えない行為だった。柳は熱心な天皇主義者というわけではない。ただ、その他の王朝――元が倒され明が興ったように、前の王朝に不満を持つものが王朝を打倒し、新たな王朝を築き上げる。世界的に見れば、王朝が500年以上続いた例はなく、大抵は200年前後で王朝が切り替わっていた。王朝が打倒される理由は様々だが――この国は政体が切り替わることはあっても国体、王朝が切り替わる事はなかった。それは天皇と言う存在が権力を持たず、「君臨すれども統治せず」を貫いていたから。権威のみの存在、その天皇に対して打倒する理由など何もなかった。正当な理由なく、天皇を追ったのは、20世紀末、ネットワークが広がりを見せ始めた頃に、ネットの世界で沸き起こった廃帝論、それが異常なほど大きくなって政府を動かすまでになった。ブームのような一過性のことだったはずだ、天皇排斥の声は。それを、近隣諸国との関係改善の目的もあり、政府は共和制の移行を決定した。この国の根幹が、揺らいだのだ。

 共和国の成り立ちがそもそも、筋が通らない――きわめて不透明な、理にそぐわないものだった。天皇を排斥する理由なんてなにもない、圧政に苦しめられたわけでもない。ただ、ネット上に沸き起こった廃帝論が外圧となって政府が折れただけだ。それだけで、2000年の歴史を手放した。その結果生まれたこの国の情勢、“中間街セントラル・シティ”の不道徳性を指摘しても説得力などない。この国自体が、理に適わないものなのだから。

 古い物を排斥し、新しい物だけ享受する――新しい物を取り入れるのは、いい。だが古いものの蓄積、その上に現代がある。それを理解せずして、新しい物だけ追って、その繰り返しの果てに何があるのだろうか。伝統や民族の精神、そうした先人たちが遺したものを捨て去り、「日本人」というアイデンティティが喪失してしまえば、この国はもはや「国」ではなくなるだろう。人や物、情報が通過するだけの、共和制という政体を持つシステムとなり下がる。精神が、必要なのだ。この刀にこめられているような。柳は思う。変わらないものだってある、とあの時紫田に言った。紫田もおそらく、気が付いている。この国の行く末、消えて行く民族の枠組みを。だが、あいつには変えられないだろうと、感じる。紫田のせいじゃない、時代が紫田から変える機会を奪ってしまっているのだ。だから俺が変えるしかないだろう、と柳は刀を納めた。

「失礼します」

 と言う声がするのに、柳は入れ、と発する。扉を開けて、秋水が入ってきた。

「お取り込み中、申し訳ありませんが」

「何、構わないよ」

 柳は笑って娘を迎え入れた。

「横浜の都市警の暗号回線を拾ったところ、やはり間違いないようです」

 と秋水が言う。柳は声を潜めて

「奴ら、本気で“特警”を討とうと?」

「情報を信じるならば、そのようですね。現在、同盟からは3つの小隊を動かせますが、“ゲイト”の内側に至るには少々てこずると思います。第一、中に入ったところで都市警、下手をすれば軍が動きかねないので難があるのですが」

「それは考えるけど、それよりもな、秋水」

 と言って話題を変える。

「その他人行儀の喋り方、やめてくれんかね。部下がいない前では、せめて」

「だって、壁に耳あり、って言うじゃない」

 秋水はくだけた口調になって言った。

「公私混同はするな、って言っているのお父さんじゃない」

「だからって、今は別に構わんだろう。誰が聞いているわけじゃない」

 戦士として育てたものの、やはりどこかで甘くなってしまうのは親の性だろうか。年をとってからの子供だから、余計にそう感じる。

「横浜までは」

 と秋水が言って

「そう時間は取らないわね。どうする、お父さん。わたしは構わないけど」

 ふむ、と柳が言った。

「あまり、俺たち2人の因縁で組織を動かすというのもな……」

「そう? でもこの同盟はお父さんが作り上げたわけだし」

「別に、俺の力じゃないさ」

 柳は肩をすくめて言った。

「組織なんてものは、個人の力では絶対、作られない。国ともなると尚更。部隊の派遣を決めるなら、ちゃんと議会で決めないと」

「でも」

 と秋水が言った。

「筋を通すのもわたしたちの信条、じゃあないの? 政府が許されないことをしているのだったら、それだけでも部隊を動かす理由にはなるかと」

 信条か。そうだな、と言って柳は立ち上がった。信念、信条。そんな形の見えないもののために、俺たちは戦ってきたのだな――そう、言った。

「皆を集めろ。緊急会議だ」

 と告げた。紫田、お前は国の狗となってしまったのなら、俺が鎖を断ち切ってやろう――そう心の中で言う。鎖を斬られたなら、お前の牙に敵うものなど、いない。


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