4―16
警官はヘルメットが砕けて、後頭部から血が滲んではいるが死んではいなかった。ライフルを引ったくり、防護服の留め金を外す。ふと、鈴の方を見て言った。
「あんたじゃあ、この服はでかすぎるわね」
「え、ああ、はい」
と鈴が言うのに、防護服を剥ぎ取るのをやめた。意味が無い。
「あの、本当に逃げるつもり、ですか」
「もちろん」
ライフルの弾倉を確認し、ボルトを引く。警官から武器収納ハーネスを剥ぎ取り、腕を通した。肩と腰のベルトを締め付ける。タイトに縛る戦場の空気を纏った。ライフルを単射に切り替え、レーザーポインタの作動を確認する。
「逃げなければ、どの道あんたは殺される」
「でも、加奈さんまで……」
「ならあんた、1人で自分の身を守れるのか? あのままガス室にでも送られて、眠るように死んでいったかもしれない」
「そのために、加奈さんが。わたしなんかのために……」
「わたしのことはいい」
加奈は腰から短針銃を引き抜いた。銃のグリップ側を向けて、鈴に渡す。
「空気射出だから、反動はない。あんたでも撃てるはずだ。まあ、こいつらみたいな防護服には効かないけどね。シリコン針が100連発、神経針が50連発。あんたに預けるから、いざってときに使いな」
半ば押し付けるように手渡す。鈴は、両手で受け取った。安全装置と連射機構の説明だけしたら、自分はライフルの銃口を下に向け、壁に背をつける。聴覚デバイスが、追っ手の足音を拾っていた。
こっちへ――鈴を引っ張り、回廊の影に身を隠した。3点バーストで発射炎が閃き、銃声が断続的に鳴る。植え込みの枇杷の木に着弾し、クローン培養の樹木から枝と葉が舞い落ちた。その舞い散る葉の一枚を、さらにライフル弾が撃ち抜く。葉緑体が集積したそれが細かく裂かれるのを、一瞥した。
「伏せて」
と鈴に言って、銃火が収まる一瞬の隙を狙い、回廊の柱の影から銃口を向けた。レーザーポインタの光点が、防護服の隙間、喉に灯る。
引き金を引く。射出された弾丸が柔らかい喉を貫くのを確認した。僅かな隙間を縫う射撃に、警官は撃たれたことも自覚できなかったようだった。声を上げずに、ゆっくりと斃れる。隣にいた警官が驚いている。銃口を3mmほど右に振って、もう1人撃った。反動と共に、銃声を響かせる。薬莢がコンクリを滑り落ちる、乾いた音がしたのとほぼ同時に、警官が仰向けに斃れ、息絶えた。
「移動する」
加奈は鈴に、頭を下げるように言う。中庭の向こうから、駆けつけた警官たちが不規則に銃火を瞬かせた。コンクリの壁に弾痕がランダムに刻まれる。粉塵に混じって焦げ臭い、火薬の臭いが漂った。加奈は柱の影から発砲し、鈴に階段まで行けと言う。鈴が走るのに、加奈は発砲しながら後ずさり、鈴の盾となった。7.62mm弾の束が、空気のうねりを伴って飛来、耳元を掠めた。衝撃波が鼓膜を突き、異常に甲高く銃弾が啼く。野郎、とライフルを構える。警官が発砲し、右腕に着弾した。血の狼煙が噴き出る。筋肉を切り裂き体内に入った弾丸が、燃えていた。ぐ、っと痛みを噛み締めて、銃弾が飛んできた方向に発砲した。螺旋に回転した先端が、警官の防護マスクを砕いて顔の骨を叩くのを確認してから、加奈は階段に急ぐ。10段昇った躍り場に、鈴がいた。
「撃たれたんですか」
鈴が心配そうに訊いてきたが、オーライ、かすり傷だ、と加奈は微笑して見せた。傷口に生体分子機械が集中して、破損箇所を修復しているのを感じる。いつもだったら、体内マシンの自己組織化機能に飽かせて無茶な戦法をとることもできたが――これからは、そんな真似は出来ない。なるべく被弾しないよう、注意しなければならない。
体内マシンは無限にあるわけではない。これから逃亡するとあれば、人工血球の流出はできるだけ防がなければならない。
再装填して、ライフルを肩に担いだ。ナイフを抜いて、ハーネスからワイヤーを取り出した。次に取り出したのはハンドグレネードだった。ワイヤーを適度な長さに寸断して、グレネードのピンに繋いで、簡易ブービートラップを仕掛ける。躍り場にワイヤーを張り巡らせて、自身は2階に昇った。鈴を先行させる。
2階の回廊から、中庭にいる警官に向けて3発、撃った。ぱっと樹木の枝が散り、広葉樹の葉が舞う。警官たちが、上だ、と言って二人組で突撃してくる。
伏せろ、耳を塞げ、目を閉じろ。短く言うと、鈴はそれに従った。直後、大音響と共に直下が揺れる。ブービートラップが発動し、グレネードが爆発したのだ。焼け跡を確認することも無く、加奈は鈴を立たせると回廊を南に走る。あんな簡単な罠にかかるとは、所詮は都市警だな。だが、今はいいが長引けばSATや軍が出張ってくるだろう。それまでにここをなんとか――
ひゅ、と風を切る音がした。3点バーストの銃声が、反対側の回廊から鳴る。銃弾の1つが鈴の首筋を掠めた。
二手に分かれていたのだ。
鈴の長い髪が飛び散った。集弾するライフル弾が、黒く細い髪を舞い散らせる。鈴が倒れこんだ。
「このっ」
加奈はバーストに切り替えて、レーザーポインタの導くままに射撃。3連続射出、警官2人が斃れこんだ。
「大丈夫か」
と加奈はライフルを置いて、鈴を抱き起こす。どうやら、被害は髪を焦がした程度で済んだ。安堵するも、しかしこれで益々突破が難しくなった。確実に、包囲を狭めている。鈴を庇いながらでは、対応が遅くなってしまうのは必至だ。かといって、置いてゆくわけにはいかない。鈴を守る、という目的を果たせない。
「加奈さん」
鈴が震えながら言う。指の関節が白くなるほど、加奈の腕を掴んでくる。どこにそんな力があるのかと思うほどに強く。
「心配ない」
加奈は鈴の頭を撫でた。
「心配ない、わたしが守る。守るから……」
小さな身体を抱き締めた。細い肩、華奢な腰つき。小刻みに震えている。我慢していたのだ、この子は。いきなり軍のヘリに乗せられて、拘置所に押し込められて、何も分からないまま死刑を宣告されて。戦場や荒事に慣れていない鈴にとっては、どれほどの恐怖だったのだろうか。
「わたしが、あんたを」
守る。もう一度、言う。
階下では警官たちが、防護服の重苦しい足音を立てて踏み込んでくるのが分かる。時間が無い。これ以上、ぐずぐずしていられない。早くここを脱しなければ。
ふと、回廊脇の、ダストシュートが目に入った。