4−15
差し込む陽光、眩しさに目を細めると、強化ガラスの向こう側には資源プラントの滑らかなドーム壁と垂直線の太陽パネルが、ビルの合間を照らしている。密集した共同住宅とリニアのステーション、上下の階層に分かれた高速道路の合間に落とす影、横浜拘置所を、ビルの屋上から見下ろした。
あの壁の中に、鈴がいる――逸る気持ちを抑えて、加奈はベルトの固定したワイヤーを屋上の縁に括り、リペリング降下の要領で壁を蹴りながら飛び降りる。アンバランスにブロックを積み上げた、子供が作ったレゴ・ブロックの牙城にも似る共同住宅と橋梁の間をすり抜けて、壁伝いに伺う。10mほど先には、監獄めいた鉄条網とアウシュビッツの収容所のような、陰気な雰囲気の拘置所が聳え立っている。仰々しい装甲がなされた護送車が入り口につけ、防護服の警官がライフルを持って列を成していた。都市警にしては重装備だ、と思った。戒厳令のせいばかりではないだろう、あれのライフルは作動性に定評があるコルトのカービン・ライフルだ。コンパクトなボディにであるにも関わらず、7.63mmを3点バーストで吐き出す。米軍のレンジャー部隊でも使用されていたものを、国内でライセンス生産しているものだ。都市警の装備レベルは、デフコンの危険値レベルに応じて変わる。戒厳令下であっても、あの装備は大袈裟に過ぎる。
クローンを怖れているのだろうか、と加奈は思った。もともと“中間街”で発見され、さらにクローンであることが判明した今、当局は鈴の存在を過剰に怖れている――そんな風に、見てとれる。ともあれ、警官たちが強化外骨格を身につけているわけではない、ということがせめてもの救いだった。あんなもので押さえつけられたら、今度こそ命はないだろう。馬力、火力、全てが桁違いだ。高分子アクチュエータの衣を纏い、複合チタン殻の鎧で覆ったあの馬鹿でかい機械服は、朝鮮有事で初めて導入された。国連軍の先遣隊、共和国機甲化小隊が世界で初めて強化外骨格による戦闘を展開し、北朝鮮の人海戦術を蹴散らした。あれ一体でどれだけの脅威か、少なくとも加奈一人では太刀打ちできない。
都市警にも導入されているとは聞いたが、しかし入り口を固める防護服は、本当にただの防護服のようだ。所轄の機動隊と、なんら変わりは無い。それでも、都市警の装備レベルとしては最高であり、対する加奈は拳銃と空気射出の短針銃、あとはハンドグレネード1つ。こんな装備でやりあおうと言うのか、馬鹿げている、と自嘲気味に首を振る。今やろうとしていることは、国家反逆罪に相当する。生体取引の嫌疑どころの騒ぎではなく、一気に第一級犯罪者の仲間入りだ。
どうかしている――。
グリップに弾倉を装填し、スライドコック。撃鉄が起こると、薬室に銃弾が送り込まれた合図となる。左手に手榴弾を持ち、身を屈めた。
どうかしているよ、加奈。と自分自身に問いかける。どうしてそこまでやる必要がある? あの娘が新伝龍三に繋がる鍵だから? それとも、自分のDNAが流出することを怖れているのか。
問いかけてみる、自分の行動原理を。こんな愚かな真似を、してまで。どうしてあの子を助け出そうと……。
その時、拘置所の電子ロックの入り口が開かれ、中から拘束された鈴が警官に連れられて出てきた。
背中がささくれ立つ。
筋肉がうねるのを感じ、細胞が沸き立つ。熱を帯びた神経素子下、電子と分子がざわめくのに、加奈は銃を握り締めた。燃える、呼吸。平坦な鼓動が振幅するのを、早くなる脈拍と噴出す汗が知らせていた。左腕の端末が、アドレナリンの過剰分泌を告げているのにも目もくれず、ただ、注視する。視線の先にいる鈴と、囲む警官、研ぎ澄まされる神経が指先に集中する。
手榴弾のピンを外し、投擲。
閃光が焼きついて、空気が収束する。再び弾け、突風が吹いた。護送車が風に煽られて、かすかに揺れた。
「敵襲!」
と兵士が叫び、発砲するが閃光弾の炎に目を焼かれ、しばらくの間盲目となる。狙いはそこにある。
飛び出して、ブローニングで狙いをつける。4連射。防護ヘルメットに着弾し、脳震盪を誘発する。
呆然として突っ立っている警官の顔面に蹴りを入れた。本気で蹴るわけにもいかないが、手心を加える気も無い。膝で蹴り上げると、顎の骨が砕ける感触がした。ここまでで5.3秒、次の初動は0.2秒。
警官の一人がライフルを構える。短針銃を、コルトの銃口に向けて射出。23連発、シリコン針が銃口に吸い込まれるように入り、薬室内に突き立つ。警官が引き金を引くと、同時だった。
銃身内で、弾頭とシリコン針が接触、発火。
ヒステリックに破裂音と、金属を砕くような爆音がして、コルトのカービン・ライフルが暴発した。銃本体が半ばから弾け、飛び出した部品に指を傷つけた警官がその場にへたり込む。恨むなよ、こっちも必死なんだと言ってブローニングで止めをさす。
「排除しろ」
と誰かが怒鳴るのに、加奈は、まだ状況を呑み込めて居ない、といった風情で立ちすくむ鈴を抱きかかえた。
「え、あの加奈さん?」
と驚いているのに、一言、迎えに来たと耳打つ。短針銃を収めて、足に力を溜めた。
「少し、揺れるよ」
と言った直後、四方の警官がライフルを向ける。その銃口の先に、鈴と加奈がいる。
発砲と同時に、加奈は跳躍した。銃火を逃れ、護送車を飛び越えた。着地すると共に、鈴を脇に抱える。背後から撃ってくるのを、射線を避けるべく斜めに走った。共同住宅の影に隠れ、壁に背をつけてブローニングで応戦する。去り際に撃った瞬間、弾切れになった。
「無事か」
と鈴に訊く。鈴は目を丸くして
「どうしてここに?」
「あんたを助けに来たんだよ。鈴」
「え、えっとそれって……何故ですか?」
「何故、って。あんた死にたいの? 議会で、あんたの処分が決まったんだよ。不正生体物利用副産物、なんだってあんたは。クソ食らえだ、全く」
そう言うと、鈴は俯き加減に呟いた。
「どうして……」
更に何か言ったが、聞きとる事は出来なかった。警官たちの銃弾が壁に突き刺さり、銃声と銃火の衝撃が襲ってきて、鈴のか細い声はかき消されてしまう。加奈は再装填した。
「話は後だ。行くよ」
と、鈴の手を引いた。鈴を己の身で隠すように、建物の壁と挟むような位置取り。小さな体が、加奈の腰周りにしがみついてくる。手のひらから震えが伝わってきた。
建物の裏手に回り、コンクリートの壁伝いに入り組んだ共同住宅の回廊を駆ける。都市の過密化が進むにつれ、日照権の問題が顕在化しつつある昨今、建物の間にはまともに陽が差し込まない。回廊を走っていると、ここが“中間街”なんじゃないかという錯覚に陥る。どこも変わらないな、とこぼして
「こっちへ」
と鈴を、建物の影に誘導する。遮蔽物から、様子を伺う。ビオトープガーデンに、警官たちが踏み込んでくるのを見た。クローン植栽の植え込みが、無骨なブーツで踏み荒らされる。
「あ、あの加奈さん……」
「黙ってな」
と端末を叩いた。左の網膜上に赤い光点が瞬いて、敵と自分の位置関係をGPSで表示する。同心円状に表示された座標、グリーンに光る中央の点が加奈だ。この建物の構造は衛星から位置関係を割り出し、ほぼ詳細な見取り図を描き出す。ナノカメラがあれば尚良かったな、と思った。あれならば建物の隅々にまで行き届いて、内部構造、回廊に至るまで全ての映像をリアルタイムで確認できる。まあ、無い物ねだりしても仕方が無い。今はここをどうやって突破するか、という問題。建物はすでに、包囲されつつあった。
突如、画面が乱れた。網膜スクリーンにノイズが走り、GPSの像が歪むと――予告無しにぷっつりと画像が消える。端末を確認すると、電波状態は圏外を表していた。局所的なジャミング装置か、と呟く。
まあ、いい。大体の位置は分かった。
加奈は銃を構えると、上空に向けて発砲した。銃声に気づいた警官3人が、ライフルを構えて壁伝いに近づいてくる。ライフルのレーザーポインタが建物の壁に差し込んで、黒ずんだ蛋白壁に紅の点が灯る。フォーメーションを組んで、互いにサインを交えて忍び寄る。
そのままだ――と唇を舐める。
一人、影から飛び出した。
警官の一人が、張り巡らされたワイヤーに足をかける。その瞬間、何かが切れる音がした。
建物の屋上から、頭1つ分ほどの石が上から降ってきた。警官が頭上を仰いだ、その顔面に石がめり込む。合成プラスティックの防護マスクが割れ、鼻っ柱を潰した。後ろの2人が発砲する、その頭頂部を新たに落下した石が打つ。
声も上げられない。3人同時に、斃れた。まさか、たかが石ころにやられるとは、思っていなかったであろう。
「ベトコンの罠だ」
と加奈が、非常階段の下から這い出た。鈴が慌てたようなそぶりを見せる。
「いつのまに、こんな」
鈴が言うのに、加奈は
「その辺、出歩くなよ。同じような罠はまだあるから」
と忠告した。電子戦だけが戦争じゃない、と言いながらうつぶせに斃れる警官を仰向けに引っくり返す。こういうゲリラ戦法は、あいつが得意だったな……名前も思い出せないが、壁にかけた写真の、戦友の顔を思い浮かべた。内モンゴル戦線で、国民義勇兵として戦ってたんだっけ。こういう野戦には、滅法強かった。