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夜狗-YAKU-  作者: 俊衛門
51/87

4−14

 拘禁室を出て、電子錠を解かれると滞留していた血が一気に加速する。冷え切った手指に体温が戻り、体中の引きつった筋肉を伸ばした。まだ痺れが残る手で扉を開けると、張劉賢の渋面が出迎えた。

「運のいい野郎だ、犬畜生」

「黙りなよ、豚。これは一体どういうこと? 疑いが晴れた、ってことかしら」

「そこの御仁に聞きな」

 張が顎でしゃくると、コート姿の男性が、狭い部屋の隅に立っていた。帽子を深く被って、顔が見えなかったが、その人物が帽子を取った瞬間、驚いた。

「お養父さん?」

 晴嵐幸雄が無表情に口をつぐんで、立っている。どうしてここに、と訊くと幸雄は加奈の肩を叩いて耳打ちした。

「少し手間取ったが、腐敗していて助かった」

「それって……」

 なるほど、こういう所では金が物を言うということかと加奈は

「余計な事しないでよ。これじゃ、わたしが罪を認めているみたいじゃない」

 と声を潜めて言う。

「馬鹿を言うな」

 幸雄はなぜか、不機嫌そうな顔をしていた。押し殺したような声、笑みを一切見せることは無い。確かに、笑っていられるような状況ではないことは確かだが。それでも違和感を、拭えない。

 金で解決することなど、幸雄が一番嫌いそうな方法だというのに。

「命拾いしたな、晴嵐加奈」

 背後から張劉賢が言うのに、加奈は

「豚野郎」

 と罵る。一体いくら積まれたんだ、このクズが。金さえ手に入れば、なんでもするんだこいつは、と。しかし、それ以上は何も言わない。疲労のあまり、唾を吐きかけてやる気力も無かった。壁に手をついて歩くのがやっと。張はさっさとしろ、とばかりに加奈の足を蹴飛ばした。

「あんたぁ、わたしが万全ならその肉に拳をめり込ませてやるのにね」

「残念だなあ、ローストドッグにしそこねて。まあいいさ、どうせあの娘も極刑だし。これで」

「……ちょっと待て、誰が極刑だって?」

「聞いてねえのか? さっき、お達しがあったんだよ。議会で、あの娘の処分が決定された。生体副産物として、処理される」

「副産物、って……」

 頭に血が昇って、加奈は張に掴みかかった。

「どういうことだ、あの子を、物だって言うのか? 処分ってなんだよ!」

「国が決めたんだ、俺は知らん」

 警官5人がかりで加奈を押さえつけ、引き剥がしてくるが、加奈は手を放さない。尚も暴れようとするのに、幸雄が

「加奈」

 咎めるように言う。「そのことで話がある。外に出よう」

 幸雄が言うのに、加奈はようやく手を放した。


 署を出た後も、加奈の虫の居所は収まらない。

「鈴が処分される、って。どうして……」

「残念ながら、事実のようだな」

 幸雄がいった。

「非公式ではあるが、政府は鈴を生命倫理法に基づき、処分するようだ。流出生体による副産物はすべからく処分される」

「法解釈、ということですか。そんなこと、世論が……」

「だから非公式、なのだよ。正直、ここまで決定を焦る意味は分からないがな」

 幸雄は港の方を睥睨する。レインボーブリッジが軍によって封鎖され、高速道路ハイウェイがその影響で渋滞を起こしているようだ。一般車が列を成している。

 署の前に停まっている、古臭い車を見やって

「それにしても」

 と加奈が言って

「どうして、あのクズに金なんか払ったのよ。こんな手段で拘留を解かれたって、わたしは」

「だが、それを証明するのは至難の業だ。法廷に立ち、何ヶ月にも及ぶ裁判を繰り返しているうちに彼女は殺されてしまうだろう。そんなことがあっていいものか」

 鉄面皮の表情。強張った顔。今日の幸雄はなぜかいつもと違う、と感じた。切迫した口調とかみ殺すような声、こんな幸雄は15年間のうち一度も見た事はない。いや、それよりも

「言っただろう。手段を選んでいる、暇は無いと。いま、あの娘を失うわけにはいかない。かといって、他の者は全国に散ってしまっているからな」

 と幸雄は、小さな紙片を差し出した。

「横浜中央拘置所、そこの鈴がいる。今日の12時、護送される。」

「え……?」

 加奈は紙片を受け取った。どういうことだろう、なぜそのことを知っているのか。政界にも太いパイプを持つ、紫田ではあるが一般人に過ぎない幸雄がそんなことを――非公式じゃなかったのか?

「そこから先は、どうするかお前の勝手だ。だが」

 と幸雄は帽子を被って言った。

「心はもう、決まっているのだろう?」

 幸雄がそう言うのに、加奈は黙って頷く。

 そう、心はもう――決まっていた。


 加奈が立ち去るのを、幸雄は帽子のひさし越しに見送る。踵を返すと、沿道に止めてあった車に乗り込んだ。

「ちょっと、固さが抜けないね」

 と、運転席から声がする。真っ白な肌と髪をフードで隠し、マスク越しのくぐもった声でその人物は言った。幸雄はにっと笑って

「やっぱり、他人を演じるのは難しいや」

 幸雄は――いやその人物は、子供っぽく笑った。自分の顔を、手の甲で撫ぜる。

 皮膚に黒みが刺し、顔の造形が変化する。骨、関節が自身を造り替え、強制的に変質させた細胞間の構造があるべき配列に戻されてゆく。鼻と顎の骨、光彩、瞼に至るまで。日本人の中年男性を装っていた顔は、フィリピン人の少年のものへと戻っていく。

 続いて身体にも変化を生じさせた。骨と言う骨が音を立て、縮み上がり、腹周りの肉が空気の抜けた風船のようにしぼんでいく。大人用のスーツが、すっかり身体に合わないものになった。少年の体型には、あうはずも無く。

 彼はスーツを脱いだ。

「あの人の父親ってのもねえ、顔は知っていたけどイメージわかないから。演り辛いよ。第一、オレらに親なんていないわけだし」

 下に着ていたTシャツと短パン、といった軽装で言う。顔も体型も、子供のそれであり、晴嵐幸雄の面影などなかった。

「お疲れさん、梟龍」

 と、隣に座っている飛燕が声をかけた。梟龍はペットボトルの水を口に含んだ。

「あと変身中、異様に喉が渇くのな。細胞を変質させるとき、水分を必要とするのかな」

「分からないけど、確かに少年体型から成人体型になるには、それなりのエネルギーが必要となるね」

 晴嵐幸雄だった梟龍は、空になったペットボトルを投げ捨てる。飛燕は車のアクセルを踏みこんだ。今時珍しい、完全手動マニュアル車だ。AIによる自律運転はされない。

「さて、あの子が。桜花がこれからどう動いてくれるか」

 ハンドルを指で、リズミカルに叩く。鼻歌が洩れた。

「楽しそうだね」

 と梟龍が言うのに

「まあね」

 飛燕はハンドルを右に切った。

「この間会ったばかりなのに、もうドキドキしているよ。これからのことを思えば、特に」

 梟龍がおどけて言った。

 ショウ・タイム、って奴かな? と。

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