4−13
「納得いくかよ」
とショウキが怒鳴ったのは、仙台の寒空の下だった。
「クローンだかなんだか分からんが、なんで加奈が都市警に身柄を拘束されにゃならんのだよ」
《詳しいことは、まだ……分かりませんが》
デバイスから、山下の声が聞こえてくる。山下も、こういう事態は考えていなかったのだろう、動揺している。
《どうやら、晴嵐さんには生体不正取引の疑いがかけられているようで……あの対象、いや鈴ちゃんの2種類のDNAのうち、1つが晴嵐さんのものと一致したようです。もう1つは不明ですが、ですがその……》
「はっきり言いやがれ。あいつは、あの子はどうなるんだ!」
つい、大声が出てしまう。激昂のあまり、10月の冷え込みも忘れるほどに、体が熱く鳴っていた。都市警の突入班と陸軍の兵士が、その声に怪訝そうな顔で振向いた。が、ショウキはお構い無しに
「クローンに関する法律は、クローン人間製造を禁止していても実際に出来ちまったときのことを考えた法はねえ。鈴がこの後、どうなるか。“特警”で守ってやるしかないだろうよ」
《こちらとしても手が出せない状態です。今、国会で審議中らしいですが……それに、晴嵐さんのことも。本部に仕掛けられた生体分子機械に、晴嵐さんの生体が使われていたのも気になりますし》
なるものか、とショウキは吐き捨てた。あいつは、ヤクザに自分の細胞を売り渡してサムライを増やすような行為をする人間じゃない。だれよりもサムライを憎んでいるような女だ。いや、それ以前に自分自身を売るあさましい奴ではない。それは、ショウキが一番よく理解している、つもりだ。
「細胞の出所、もしかしたら例の施設とやらかもしれねえだろう」
《施設、ってなんですか》
「ああ、お前は知らないのか。加奈と李飛燕はな、クソムカつくことに同じ孤児施設の出身何だとよ」
《いや、初耳です。そんなこと》
「そのことについては、加奈の口から直接説明させようと思っていたんだがな。あんな事態になったから」
《まあ、それはともかく。その李飛燕が、施設にいた頃に晴嵐さんの生体を盗み出した、ってことですか》
あり得ない話でもないだろう、とショウキが言う。細胞がどれだけの期間、保存できるのか分からないが、少なくとも取引に関わっていないということを裏付けるには――しかし、その事実を法廷で証言したところで果たして証明できるのだろうか。生体取引が無かったということを。実際に取引が「なかった」ことを証明するのは至難の業だ。何を以って取引とするのか、例えば血液を売った現場でも押さえない限り、過去にどの時点で取引があったのか、報酬はどれだけ受け取ったのか。公式な文書が残されているわけでもない。つまり――
「やばいな、このままじゃ有罪が確定しちまう」
ショウキは唸った。これまで不正取引をした人間が、冤罪であったという判例は記憶に無い。あったとしても、ごく僅かだった。
「山下、俺は戻る」
《は、ええ? 今からですか?》
「拘留されているんだろう、加奈は。だったら、できることは……」
《法廷に立つ、つもりですか? しかし、そんな時間は。すでに九州の“中間街”でも同様のウィルスが散布されていて》
「だからって、このまま指咥えて見てろってのか」
《そういうことでは……今は戦時ですし。それに仙台からここまでは》
「こっちも戦時だ」
ショウキはそう言って、通信を切った。次に、突入班に向かって
「後は任せた」
そういうと、隊長の男が手を振って応じた。やはりな、とショウキは思う。
「どいつもこいつも、俺たちを厄介払いしたくて仕方ねえのさ」
都市の連中は、とひとりごちてバイクに跨った。
ガラス張りの牢獄では、時間の感覚がない。ECMジャミング装置で端末が無効化されているからか、あるいは蓄積する疲労が体内時計を狂わせているのか。多分、両方だと加奈は思う。四方を囲むガラスのせいで、常に外部からの視線を感じる。それがプレッシャーとなって、精神を病んでしまうものもいると聞く。都市警にしてはえげつない手を使うなと、加奈はボトルに口をつけた。プラスティックのボトルが壁に備え付けられ、水を飲むときは犬のように這ってチューブを咥え込まなければならない。男のアレをしゃぶっているみてえだな、と笑う警官の一人を睨みつけた。本当に、都市によって警察の質がここまで変わるというのはどういうことだろうか。“ゲノム・バレー”で会った青年警官を思い出して、もっとも腐敗するのは大都市の方が速いのかもしれない。そんなことを思いつつ、残り少ない水を含む。温まった純水が、それでも喉の細胞に浸透してゆくのを感じる。飢えはともかく、乾きまで抑えられるような体ではない。
一通り、潤すと脱力感のままに床に寝転がった。
朦朧とする意識の中、ただ床の冷たさだけが、唯一感じられる全て。それ以外、何も考えることが出来ない。それほどまでにショックが大きい、鈴のこと。
クローン技術自体、珍しいものではないし、2000年代の時点でクローン人間の製造も可能とされた。実際にクローン人間を生み出そうとした団体、研究機関は存在したが、クローン人間が生まれたことはない。いや、もしかしたらどこかでひっそりと生み出されて、今も生きているのかもしれない。存在が確認されて居ないだけで……しかし、いずれにせよこうして存在が明るみに出た事はないから、おそらく造られなかったか、造られても直ぐに死んだか。クローン一体生み出すのに、時間とコストがかかるので実際はクローン人間に有用性は、あまりない。生命倫理法でクローン胚の製造が禁止されているが、そんな法律はそれほど意味を成さない、だれも造りたがらないから――科学者や経済アナリストがクローンを論じるに、大体が同じ結論に達する。
ただ、それでも欲しがる人間がいることを、加奈は知っている。あの施設の大人たちがそうだった。あそこで何をやっているのか、何を研究しているのか。大人たちはばれていないつもりだったのだろう。だが加奈には――あそこに住んでいた子供たちには、彼らがしようとしていること、生み出そうとしているものは分かっていた。李飛燕はきっと、そこのシステムを拝借したに過ぎない。だから鈴を、加奈のクローンを――。
鈴のDNAが“UNKNOWN”だった理由、それは加奈のDNAを使っていて、なおかつ民生用データベースばかり探していたからだ。治安維持の関係で、“特警”や軍の塩基は別の場所に保管され、民生用の塩基情報とは区別される。軍人のDNAを閲覧することは不可能だ。軍事データベースは、どことも繋がって居ない。警察とも、軍とも。
ならば、一体誰が、加奈のDNAと鈴のDNAを照合したのだろうか。同じ“特警”ですら、閲覧は困難だというのに。
さらに1つ、疑問が頭をもたげた。鈴はキメラ、つまり2種類のDNAを持っている。そのうちの1つが、加奈のDNAだったがではもう1つのDNA鎖は? 誰のDNAだというのだろうか。やはり“UNKNOWN”の塩基だろうか。
いずれにしても不可解だ。それもこの時期に、李飛燕が“幸福な子供たち”を率いて現れて、『天正会』についた。こんな時に……これは誰かに仕組まれているのだろうか。
「下手人はあんたかね、飛燕」
と、その名を呼んでみる。野良猫が死んだからと言って涙を流していた、気弱な少年。異質な風貌で、施設の子供たちにはいじめられて、大人たちからも酷い仕打ちを受けていた。もっとも、虐待はどの子供にも平等に行われていたのだが。
殴られても、殴られても。じっと耐えていた少年。それが、傭兵団を率いるまでになるとは。皮肉な話だな、そう思った。
その時。
ガラス扉が開けられて、警官が入ってきた。加奈の、足の電子錠を外し
「出ろ」
と告げる。
「何、どういうことよ」
「いいから出ろ」
とだけ言う。