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夜狗-YAKU-  作者: 俊衛門
49/87

4−12

「貴様の言う通りだったな」

 総統室の椅子に身を預け、中森はELスクリーンに向かって話しかけた。

「あの男、李飛燕とやらが出てきたときも、もしやと思ったのだが……あの子供がクローン、となるとあの施設のデータは」

《おそらく、生きているのでしょう》

 デバイス越しに聞こえる、くぐもった声。有線接続された端末は、暗号回線を開いている。スクリーンの向こうにいる人間に向かって、中森は

「あの男、李飛燕とやらは間違いなく、βグループの……」

《ええ、生命力は弱いと思っていたのですが。少々、見通しが甘かったやもしれません》

「甘かった、じゃ済まされんぞ。例の伊13号も見つかっていないというのに、もしあの施設の存在が明るみに出たら」

《そのために》

 と、スクリーンの人間が言った。

《まずは、証拠となり得る全ての物を抹殺しなければなりません。李飛燕、“幸福な子供たち”、そして……あの子供》

 しかし、と中森は頬杖をついた。ため息を洩らして

「クローンという理由だけで、排除は出来ん。そんなことをすればマスコミに叩かれる」

 中森の首筋、腋の下に妙な汗が噴出してくる。ハンカチで拭きながら、端末を操作して言う。

「クローン人間に関する法律などないからな、ことは慎重を要する。裁判も長引くだろう。しかし、マスコミは耳ざといからな、そうこうしているうちに李飛燕のことも、そこから施設のことも……まあ、そうならないよう例の部隊が働きかけているのだが」

《法解釈の問題です、閣下》

 とスクリーンの人間が言い

《今ある法律を使い、合法的に処分なさればよろしい。そういった解釈は、この国の十八番ですからな》

「人権保護法に抵触する可能性がある」

《クローンが人かどうか、定義は曖昧です。仮に人であるのだとしても、情報を洩らさず極秘裏に……処分なされば。伊13号が見つからないのであれば、尚更》

「伊13号はともかくだ、貴様が残した検体も一緒に処分した方が良いかもしれんな」

《いや、それは……》

 と、言いよどむ。その時、別回線が開くのに、デスク上の端末を叩いた。秘書が、紫田が来たことを告げてくる。通せ、と命じて最後に中森は

「まあ、いずれにせよ奴は私の手の中。貴様も私も、生き残るために手段を選んではいられない、それは分かるな。私が政治生命を賭けるように、貴様も情を捨てることだ。追って連絡する」

 そう告げて、通信を切った。ELスクリーンの像が消えると、ノックが響いた。

「入れ」

 と言うと、紫田が入ってきた。中森は、今の話を聞かれてはいまいな、と思ってから

「『天正会』の潜伏場所を特定しないうちに、苦労が絶えないな紫田」

「閣下。本当にあなたが、私の部下の逮捕を?」

 紫田が訊いてくるのに、中森はそうだと頷いた。

「私の権限で、軍を動かした。生体不正取引に関わった疑いがあるからな」

「そうですか。しかし、証拠も無しにいきなり軍を動かすとは……これは越権行為では?」

「証拠ならあるだろう。あの娘、お前の所の部下と同じDNAを持っていた。クローンで無い限り、あり得ないことだろう」

 まくし立てる。紫田が眉をひそめて、不愉快そうな表情をしてきた。目に、糾弾するような色を浮かべる。鋭い視線を向けてきて、思わず目をそらした。

「それが一体どのような経路でもたらされた情報か存じませんが、確かに科学班でも調べた結果、対象が持つ2種のDNA鎖のうち、1つと晴嵐のDNAが一致しました。クローンであることは間違いありませぬが……しかしあの少女は新伝に繋がる手がかりとなり得るのです。どうか、身柄を引き渡して頂けませんでしょうか」

「無理な相談だな、紫田。大体あの娘、素性も知れなかったそうじゃないか。“中間街セントラル”で発見された、“UNKNOWN”検体、キメラ。サムライかもしれないというのに、お前たちは泳がせていたのか。あの娘を」

 中森は、出来るだけ声のトーンを落として言う。紫田は眉根を寄せて、

「では、せめて部下だけでも……面会も出来ないのでは、事情を聞くこともできません」

「贔屓するなよ、紫田。身内だからと言って」

「贔屓は致しません。ただ、私は部下を信じております。彼らが私を信じてくれているように」

「信じていようと、所詮は他人だ。あの娘に対する処分は、国会の審議に掛けた後通達する。以上だ。お前は早く、新伝の足取りを追え」

 これ以上は言うことは無い。そう言い放つと、紫田は「分かりました」と言って踵を返した。最後に振向いて

「閣下、ひとつよろしいですかな」

「……なんだ」

 猛禽のような険しい目つきにたじろぎながら、中森は応えた。

「晴嵐を逮捕するのに、都市警を導入すれば良い話。何故わざわざ軍の、それも機甲化部隊など投入したのですか。いくらなんでも、やりすぎかと」

「当然だろう、あの女。軍用の強化マシンを埋め込んだ、全身凶器の女を都市警ごときが抑えられるわけがない。あんな化け物……」

「ほう、化け物、と言いましたな」

 紫田の目が、更に険しくなる。首筋を、汗が伝った。

「その発言は、人権保護法に抵触する怖れがあります。人権侵害的発言として。あなたが定めた法律ですぞ」

「だからどうした、訴えるつもりか? 私を」

「いえ、今回はそのようなことは……ただ」

 紫田は背中を向け、入り口の扉を押しながら、言った。

「国の長であろうとも、幾多の法律に縛られた個人に過ぎません。そのことを、お忘れなきよう」


 強化ガラス越しに見える、蛋白壁。デスクに座った警官が、なにやら端末に向かって話しているのが分かった。

 セラミックの床の感触が、冷たい。肩と首にかかる重圧を解こうと身じろぎしたが、電子錠で手足の自由を奪われている以上、簡単には動けない。

 加奈はため息をついた。

 あれから軍の“ハチドリ”に乗せられ、横浜の都市警本部に護送され、ろくな取調べを受けることなく拘留されてしまった。鈴がどうしたのか、本当にクローンなのか、加奈の疑問はことごとく却下され、手足の自由を奪われてぶち込まれた。横浜の都市警はつくづく“特警”を目の仇にしているらしく、あのデスクに座っている警官に下っ腹を蹴り飛ばされたときには傷口が開くんじゃないかと思った。覚えてろ若造がと睨みつけたものの、電子錠に締め上げられた手足ではそれ以上どうにもできなかった。

 加奈の手首よりも径の小さい錠は、皮膚に食い込み骨を軋ませる。そんなことでシリコンの皮膚と炭素同素体フラーレンの骨に傷をつけることは敵わないが、ナノワイヤで神経伝達速度を上げている分、痛みが何倍にも増して脳に届けられる。少し動けば、絡められた手首の関節と肘の関節が極まるように出来ている。おまけに、無理に壊そうとすれば高圧電流が20分間流れる仕組みになっていて、脱出はつまり、不可能ということだ。重犯罪者並の歓迎をしてくれる、それもこれも横浜市警のトップたるあの男の意向だ。

「邪魔する」

 という声が響いて、贅肉だらけの巨体が歩いてくる。来たよ、クソ野郎と、市警の長たる張劉賢を睨んだ。

「ざまあねえな、加奈」

 ガラス越しに、フィルターがかった声がした。

「気安く呼ぶんじゃないよ、豚」

 と呻くも、地面に這いつくばった姿で言っても迫力も何も無いというもの。加奈が言うのにも、案の定張はどこ吹く風といった風情で

「はっ、せいぜい吠えてなよ犬。犬は犬らしく、這いつくばるのがお似合いだ。まあったく、小憎らしいほど似合ってるぜ」

 周りの警官たちが、下卑た声で嘲け笑う。本当にここは警察かよ、と疑いたくなった。これじゃ“中間街セントラル”によくいる、ガキ共の窃盗団みたいなだ、と。

「あんた、ここから出たら覚えていな。その無駄肉、全部削ぎ落として強制的にダイエットさせてやる。ここから出たら……!」

「ほう、威勢がいいこって。でも、逆らってもろくな目にあわねえよ。出るのが遅くなる、ってのもあるけど」

 張は顔をゆがめると、壁に取り付けられたスイッチを押す。

 途端、電子錠から電流が流れ、加奈の身体を襲う。

「が……っ」

 全身に痺れが走り、筋肉が痙攣する。引きつった痛み、肉が硬直してゆく。びりびりと電気が走る音がして、やがて途絶えた。

「今のは微弱電流だ。だけど、あんまりうるさいようだと電圧を上げることも可能だ。金属まみれのその身体にゃ、堪えるだろう?」

 また、笑った。心底、憎いと思った。電子錠で縛られていなければ、こんなガラスなんぞ割り砕いて、張を締め上げてやるというのに。泡を吹いて、小便を垂らすまで殴り倒して……もっとも、それが敵わぬことは分かっている。分かっているだけに、余計に

 悔しい。

「まあ、それでも逆らうんだったら、そうだなあ……あの娘っ子、どうにかなっちまうかもしれねえな。俺ぁ、ガキには興味ねえけど、刑事ってのはストレスが溜まるからな。あれでも、一応は女だし。いっそのこと、ここでるってのも一興だなあ、おい」

「てめ……」

 意識を朦朧とさせながらも、動かせる肩の筋肉を使って這いずって、張を見上げるように睨む。張がたじろいでいた。唸りながら

「鈴に……手を……出したら……貴様っ」

「かっ、ほざけ犬畜生!」

 張が怒鳴ると、電子錠に電流を流し込んだ。骨の髄響く電流に、悲鳴を上げることすら出来ない。張は切っては流し、切っては流しを繰り返し、そのたびに筋肉と皮膚の組織が壊されていくのを感じる。瞼に青い電光を感じ、突き刺さる電撃に身を焦がす。肉と骨、眼球がバラバラに分離するような痛みを覚えた。

 やがて張が、スイッチを入れる手を休めた頃には、加奈の身体からは気力も体力も残ってはいなかった。

「ま、せいぜいそこで頭冷やしていろよ。犬が」

 ぺ、っと床に唾を吐いて張は出て行った。その背中に、罵倒を投げかけることすら出来ない。ただ、見送るしかなかった。不愉快なその背中を。

「ちくしょ……」

 身を縮めて、痛みが過ぎ去るのを待つ。瞼には、鈴の姿が映し出された。

 鈴、と呼ぶその響きが、感情の波を昂ぶらせる。これは一体、なんというのだろうか。こんな気分に陥るなんて――最初に保護した時の、悲痛な顔をしている鈴が目に浮かぶ。やがて護衛任務に就かされ、不本意ながらに一緒に暮らすようになって、最初のような哀しげな顔も和らぎ、笑うようになった鈴――けれど、あの時。兵士に連行されて、ヘリに乗ったとき。最後に目にした鈴は、最初と同じ、痛みに耐えるような思い詰めた表情をしていた。

 どうしてあんた、そんな顔をするんだ? あの時、あんたは何を伝えたかったんだ? あんたはどうして、わたしなんかを。

 「鈴……」

 うねる感情が、刃となって貫く。欠如ノックアウトが襲ってくるのを、ただじっと身をひそめて、ただ耐える。“中間街セントラル”では、こうしていれば痛みは過ぎてくれた。なのに今は……

 痛みは収まらず、増すばかりだった。

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