4−11
「早くしろ、鈴」
と言うと、加奈はジャケットを引っ掴んで羽織った。鈴が、ベッドサイドテーブルの周りに散乱した雑誌類を片付けて、シーツをきっちりと畳んでいる。病室の掃除をする、と言い出したが
「そんなことしなくてもいい、いいから行くよ」
じっとしていられなかった。松本、高崎での細菌テロに次ぎ、本部も生体分子機械によって被害を受けたという連絡が入ったばかりだった。退院は明日であったが、こんな事態にじっと寝ていられるほど神経は図太く出来ていない。
病院の受付で精算を済ませ、武器収納ハーネスを受け取る。肩から下げ、腰のベルトを締めると上半身全体をタイトに包みこんだ。各部に収められた銃、短針銃、そして弾倉の重みが加わると、あるべき所にピースがはまり、安堵する。鈴の手を引き、タクシーに乗り込んだ。
「横浜まで」
「今ぁ、戒厳令が敷かれていますぜ」
50過ぎの運転手が、のんびりと言った。加奈はIDカードを差し出し
「緊急事態だ。軍はわたしが説得するから、急いで」
と言う。運転手はため息をついて、車を発進させた。
軍用ヘリのローター、“ハチドリ”の羽の音、強化外骨格の分子モーター、装甲車両の水素エンジン、そして戦車。
デバイスを最大限に作動させて聞こえる、音の渦。どうやら、機甲化部隊が動いているらしい。馬鹿な奴らだ、と思った。李飛燕らは単独で、人知れずウィルスを撒くことができるのだ。ウィルスを詰め込んだバッグをどこかに放置して、アウトブレイクを起こさせればいい。自分には影響の無い、移民にだけ効くようインプットされたウィルス、その場から悠々と逃げ出せば良い。
鈴が俯いているのを見て、加奈は
「どうした」
と訊く。膝に手を置いて、スカートの端を握り締めていた。口を結んでいる姿は、最初に保護したときと同じくに見える。あの時は何かに堪えるような悲痛な面持ちだったが、今は躊躇いの色が見えた。
「怖いのか?」
「いえ……」
とは言うが、青ざめた顔は思い詰めた表情をしている。加奈は鈴の肩に手を置いた。
「心配することはない、本部にいればとりあえずは安心だ。まあ、その分自由はきかないが……今、本部でもワクチンを作っているだろうしな」
だから、と言いかけて、ふと違和感を感じる。
ローター音、分子モーターの律動が、どうもこちらに近づいて来ているように感じられた。それも八方から。“ハチドリ”が頭上にいる、それが感じられる。どういうことだろうか。検問というわけではなさそうだが、タクシー1台も通さないつもりだろうか。
話が分かる連中ならいいのだが、と思っているとき
鈴が、加奈の手を握ってきた。
「加奈さん……」
と言った声は弱弱しい。手のひらが、汗ばんでいた。
「心配するなよ、いざとなればわたしが――」
「違うんです、そうじゃないんです」
ローター音が降下してくる。運転手が急ブレーキを踏んだのに、加奈は前のめりになった。
「何やってんだよ」
と運転手に怒鳴ると、運転手が震える指で前方を指差していた。フロントガラスの向こうに、軍のツートンカラーに塗られたヘリと、2mほどの人型の機械が――軍の強化外骨格だ。そして、ヘリの直ぐ脇の空間が虹色に光った、かと思うと光学迷彩加工の“ハチドリ”が姿を現す。後ろを見ると、6本の脚が突き出た自走戦車が3台、道路を封鎖していた。
「加奈さん、違うんです。わたしは、あなたに……あなたの……」
鈴が、切れ切れに言う。声が、震えていた。しかし、鈴が何か言うより先に、加奈は
「すまん、鈴。話は後で聞く」
加奈は諸手を上げて――こう言うときは刺激しないほうがいい――車外に飛び出した。
「わたしは特別保安警察捜査部の晴嵐加奈だ!」
周囲の騒音に負けないように、そう怒鳴る。ローターとシリコン翼の巻き起こす風が、栗色の髪を束ねていた紐を飛ばした。入院生活で長くなった髪が煽られて、顔を叩く。“ハチドリ”から、下士官らしき男が降りてきた。加奈の下に歩いてきて、言った。
「晴嵐加奈か」
と一言。強化外骨格2体を伴って、加奈の前に立ち塞がった。タクシーと加奈との進路を塞ぐ位置に、強化外骨格が立つ。突起物が目立つ、岩のような形。加奈よりも頭2つ分高いそれは、高分子アクチュエータで作動する戦闘服だ。
「随分、物々しいですね。検問でしたら、県境でもできそうなものですが」
「あんたを逮捕するのには、都市警じゃ手に余る」
髭面の下士官が言った。一瞬、耳を疑う。逮捕? 何のことだ、と言い返そうとしたとき。
左右の強化外骨格が同時に動いた。鉄の指が、加奈の肩と腕を取り押さえる。瞬時の出来事だった。
「貴様、これは一体どういう……」
有無を言わさず、鉄の腕に抑え込まれて地面に伏せる形となる。抵抗を試みたが、びくともしない。上半身にかかる縛めは、たかだか生体分子機械で強化された筋肉で対抗できるものではない。軍事用に作られた、戦車並の出力を誇る人造筋肉に抗えるわけはないのだ。
「晴嵐加奈、あんたに生体不正取引の疑いが掛けられている」
下士官が言うのに、加奈は耳を疑う。
「生体不正取引……何のことだ、わたしは」
「その娘か」
加奈の言うことには耳を貸さず、下士官がタクシーの方を見やる。
強化外骨格の足の下から、見た。
兵士2人が車から、鈴を引きずり出しているのを。
「やめろ、鈴に何をする!」
立ち上がろうとするが、逆に顔を押し付けられ、アスファルトにキスさせられる。口の中に砂利の感触を残し、顔を上げた。嫌がる鈴を、兵士たちが引っ張って連行しようとしている。髪を掴んで、銃床で殴られた。
「馬鹿野郎、なにをしてんだ。畜生!」
鈴が何かを言っている。口の形が、6文字を象った。何を、伝えようとしているのか。しかし、それ以上は見えない。兵士たちが、放り込むように鈴を、ヘリに乗せる。加奈は強化外骨格の腕の中で、必死にもがいた。一瞬だけ、鈴の顔が窓に映る。ヘリが離陸する瞬間、加奈は叫んだ。
「鈴……!」
切り裂くような、声で――それも、ローターの音にかき消されてしまう。下士官が、連れて行け、と命じると加奈は両脇を固められたまま、立たされた。
「あんたら、何をしてんだ。鈴をどうするつもりだ、てめえ!」
両手の縛めがなければ、殴り殺してやりたかった。下士官が懐から書類を取り出し、突きつける。
「あれは、お前がテロリストに細胞を売った、そのルートを探る証拠となる」
「はぁ? ふざけんなよ、クソ野郎。鈴を物みたいに言いやがって、あんたら何考えてんだ」
「これは総統閣下の命令だ」
ぴしゃりと言い放った。そして、こうも言う。
「それに、物みたいなものだろう。生体物は、身体から切り離された瞬間、物質となる。生体を利用して造られた、副産物も同様にな」
「何が言いたいんだ、あんた」
下士官は鼻を鳴らして、馬鹿にしたように言った。
「人の容をした、クローン人間なんぞに呼び方がどうこうなど――」
クローン人間、だって?
「ちょっと待て、あんた……今、何て?」
抵抗する力を緩めて、加奈が訊いた。下士官はあからさまに驚いてみせた。
「なんだ、知らなかったのか。まあ、だからと言ってお前にかけられた疑いが晴れるわけでもないがな」
下士官は、顔を近づけて――息臭いんだよクソ野郎――言った。
「あの娘の塩基情報の中に、あんたのDNAが含まれていた。あいつはモザイク、キメラ型のクローンだ」
それを告げられたとき
思考の全てが掻き消えて、脳内が揺さぶられたような衝撃を覚える。一瞬が永遠とも感じられる時を刻み、呼吸が、止まった。
「あの子が……なんだって?」
“ハチドリ”の羽音、それのみを残し、世界が停止したように思えた。
「だから、クローンだっての、クローン人間。未だ生存が確認されていない、な。あんたのDNAを持っていたんだ、あの娘が」
クローン? 鈴が、わたしの? どういうこと? 意味分からない、何言ってんだこの男は――。
――キメラなのよ
明蘭の言葉が、脳裏に蘇った。あの時、鈴の細胞を検査したとき。
鈴のDNA、“UNKNOWN”。どこにもない。そう、どこにもなかったのだ。世界中のどこのデータベースにも――飽くまでも民生用のデータベース、には。
民生用でないところに、自分と同じ、データベースにあったと言うことか……つまり。
「あんたの細胞が、どこかで取引されていた、ってことだな」
下士官の言葉が止めとなって、加奈は膝を落とした。抗う力など、残ってはいなかった。