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夜狗-YAKU-  作者: 俊衛門
47/87

4−10

 都市外縁から日が昇るのを、本部の窓から臨む。

 朝焼けの朱がソーラーパネルに反射して、切り立つ刃めいたビルに陽光の粒子を浴びせている、その合間を、都市警のヘリ、軍の“ハチドリ”が獲物に狙いを定めたハゲワシの如く旋回し、各ビルのランデブーポイントに離着陸を繰り返す。入り組んだ都市の高速道路ハイウェイ上を、共和国防衛軍陸戦部隊の装甲トラックが、汎用多脚戦車を伴って走行していた。一般道一部は封鎖され、防護服姿の兵士と化け物めいた強化外骨格パワードスーツが、人間の殆どいない街を闊歩する姿は、さながら地獄の鬼がのさばっているかのようだった。

 戦場だな、とショウキは呟く。各都市とも、政変後初めてもたらされた戒厳令下にあった。全市民に防護マスクの支給、ワクチンの摂取が義務付けられた。塩基情報コードを管理するデータベースは凍結され、“特警”他、軍、都市警、保安局による操作網が、現在各行政都市、産業都市で展開されている。

 かくいうショウキも、これから事件があった高崎、その周辺の“中間街セントラル・シティ”へ飛ばなければならない。『天正会』だけで手一杯だったのにこの上さらに、とショウキはため息をついた。手間がかかるぜ、クソ野郎と。

 加奈の話では同じ施設にいたという、ただそれだけの接点だったそうだが。

「何だかね」

 わだかまる思いを打ち消すように、銃のシリンダーを閉じる。5連発の実包は、サムライ殺しの機甲弾。

 いずれ分かることだ、あの男を捕らえれば。李飛燕と加奈がいた、施設とはどういう所なのか。なぜ施設出身のストリートチルドレンが、傭兵団を創り上げるまでになったのか。そして、ショウキの知らない加奈。

「どうしたの、浮かない顔して」

 と言う声の方に振向くと、見慣れない格好の涼子が廊下の向こうから歩いてきた。都市迷彩に身を包み、軍用の短針銃フレッチャーを腰に吊っている。

「なんだ、そのカッコ」

「白衣じゃだめだって言われて、着替えさせられた。わたしはこれから松本に行かなければならないの」

「その短針銃フレッチャー」 

 とショウキが顎で示して

「やっぱ、例の水銀針が入ってんのかよ」

「護身用に……って言っても、使わないのに越したことはないんだけどね」

「良く言うよ、オリンピックの銀メダリストが。もっとも、射撃の腕だけで戦闘に耐えうるわけじゃないがな」

 S&Wのトリガーガードに指を引っ掛けて、手の中で回して収める。西部劇のガンプレイだ。前方に銃を一回転させて、ホルスターに戻す。

古典的クラシック

 と言って涼子は笑う。

「加奈、明日退院だってね」

「あの松本の事件があってから、早く出せって医者に突っかかったらしいが。鈴の説得でなんとか押しとどめたそうだ。あいつが人の言うこと聞くなんざなあ……」

「すっかり馴染んだわね、あの子。姉妹みたい」

 なんだよ、そりゃ……と半ば呆れつつ。ショウキは窓の下を見た。都市警の車が本部につけて、中から張劉賢が降りて来るのを見つける。なんで張が、と思ったものの今は戦時、ということか。

「姉妹、ねえ……加奈には似合わねえな、そういうの」

「あら、兄弟姉妹っていいものよ。ショウキは一人っ子?」

「まあな」

 母は直ぐに死んだしな、と口の中で言う。もっとも顔も思い出せないが。

「その口ぶりだと兄弟いるのかよ、お前さん」

 涼子は、少し淋しげな笑みを見せ

「弟がね、もう3年会っていないけど。広島の大学に……」

「もしかして、呉の学園都市かい」

 ショウキが驚いて言った。大学、研究機関を揃えた学術複合都市は行政都市、産業都市と並ぶ環境建築型の都市である。学費、研究費はもちろんのこと、生活費に至るまで、人材育成のために国から補助金が出る。その分、学生や研究者は完全自由とはいかないらしく、都市の外に出るには制限が課せられる。なるほど、会えないわけだとショウキは

「姉弟揃って優秀だな、いま幾つなんだ」

「19歳。今、大学でロボット工学学んでいるわ。盆も正月も帰れないほど、忙しいみたい」

 そう言えば、涼子の家庭環境など聞いた事はなかった。ここにいる人間の、そんな私的プライベートなことは互いに関心を払うことはない。捜査部の人間は特に、だ。加奈の過去を知らないと同様、加奈も自分の過去を知らない。飛燕のことを知らずして、当然ではないか。それを自分は……

「そりゃあ、そうだよなあ」

「何が?」

「ん、いや。なんでもない」

 網膜が出立時刻を告げる。左腕の電気銃テイザーを軽くなでて

「では、健闘を祈る」

「そっちも」

 軽く手を振り、涼子は廊下の向こうに消える。さて俺も、と踵を返した時。

天井の一部から、氷柱のようなものが垂れ下がっているのを見た。

「何だ?」

 塗装がはげ、白くコーティングされたセラミック板が黒く腐食している。バイオ素材の天井が、焼け爛れたように溶けだしていた。光学グラフィーで見てみる。ぞっとした。中心温度が200度を越えている。丁度、炭が燻っているのと同じ、緩やかに燃焼しているのだ。つまりは――

「侵入者か!」

 消化器を引っ掴んで、消化剤を天井に向けて噴出させた。泡状に固まった白い薬剤が、酸素の道を塞ぎ、二酸化炭素を内包した泡が燃焼を抑える。だが、薬剤に塗りつぶされることはなく、天井に黒が広がっていく。病原体が人体を侵してゆくイメージ、セラミックの天井、ガラス張りの壁に黒いシミが広がっていく。腐食し、爛れ、ケロイド状に燃焼が拡大。

「科学班、D−2ブロック通路に消化剤持って来い!」

 消化器が空になって、ショウキがPDAに怒鳴った。黒が侵食する白の中、得体の知れない恐怖を感じる。目に見えない、という恐怖を。

《え、ええと何がありましたか》

 と年若い職員の声がデバイスに響く。ショウキは苛立ちながら

「何がじゃねえよ、さっさと持って来い。いいから言うことを――」

 言いかけた時、左右のガラスに大きく亀裂が入る。瞬間、分子間の結合を解かれた石英の結晶が、ヒステリックに甲高く悲鳴を上げ、砕け散った。防弾仕様であるにも、関わらず。バラバラに四散したガラス片が反射し、スターダストのように煌く。

「くぅ……」 

 透明な破片が視界一杯に広がり、顔の皮膚を叩く。鉄の腕に当たって乾いた音を立てるのに、ただ眼球を傷つけまいと目を閉じて――このままだと、下も。渡り廊下の床すら、崩れ落ちるかもしれない。そうなると、この身は。地上20m地点に掲げられたこの渡り廊下、その足場が崩れてしまえばどうなるか。考えるまでもない。

「くそっ」

 顔を覆って、来た道を走る。足元が沈む感触がする。ヘドロの上を歩いているようだ、身が沈む。ガラス片が耳を切った。前に進まない。ショウキは倒れこんだ。ようやくガラス片の嵐が止み、目を開ける。

 風を感じた。外界を隔てるガラスと天井が崩落し、外の空気が直接、ショウキの身を叩いている。そして、最後の砦たる床、足場が全て黒くなっている。砂糖菓子が熱にやられて溶けるように、二つの建物を結ぶ天空の回廊が、崩れ落ちそうになっていた。

 原因はなんだとか、そんなことは二の次だ。今は早く、ここから立ち去らねば――しかし、溶けた足場は底なし沼の様相を呈し、歩を進める度に足が沈む。もがけばもがくほど、足を溺め取られるようだ。それでも何とか、本部棟の手前まで来る。

 あと2m……手を伸ばした。しかし、そこで足元に空気を感じた。

 一瞬の浮遊感。地面が消失する。ついに回廊は、腐食に耐え切れず、脆くも崩れるのを感じる。

 自由落下、本部棟が遠くなる。空中に投げ出された身体が、20m先の地面に叩き付けられるのを想像した。

 遠くなる残影。地面が近くなる。

 高周波が、耳に届いた。“ハチドリ”の分子モーター音と、清澄な羽の音が、収束する空気の残響となって聴覚デバイスを奮わせる。

「ショウキさん!」

 と呼ぶ声がして、ショウキの手を掴んだものがいた。“ハチドリ”が、ビルのスレスレを飛行して、ワイヤーに吊る下がった加藤がショウキの腕を掴んでいた。ショウキの身体は、ワイヤーを介して宙に吊られた形になっている。ワイヤーの行きつく先に“ハチドリ”の開かれたハッチがあって、そこから山下が覗きこんでいた。

「お前たち、どうして」

「今から出撃するつもりだったんですがね、明蘭の解析結果を聞いたあとで良かった」

 “ハチドリ”に引き上げられると、加藤がそう言った。どういうことだ、と訊くと奥の方から明蘭が顔を覗かせた。

「ショウキ、この間のハッキングウィルスが分かったわ」

「明蘭、なんでここに乗っている」

 と驚くショウキを無視して

「今のあれも、ウィルスの副作用ね。建物全体に、蔓延している」

 “ハチドリ”は一旦上昇すると、並び立つ二つの建物に向かって透明な薬液を散布し始めた。何やってんだ、とショウキが言うのにも訊かず、およそ2分間、空中からばら撒いて。

 ようやく収まったころには、ビルは水浸しになっていた。

「心配せずとも、これは部長も了承済みのこと。ワクチンを撒いたから」

「ワクチンて、何のことだよ」

「ハッキングウィルスよ。例の、メインコンピュータに入り込んだ。あれの正体は、高度なエージェント機能を与えられた生体分子機械バイオナノマシンだった。基本的なプログラムは、科学班の配列改竄分子機械ナノマシンと変わらない。ただ、違うのが、あれは増殖するタイプだったってこと」

「増殖する、って。つまり自己組織化するってことか」

 ショウキが唸った。

「そう。セラミックに付着し、バイオ素材を分解して自らの糧として無限に増殖する。つまり、本部棟に寄生していたわけね。“特警”のコンピュータを改竄するまでに成長し、データベースへの攻撃を仕掛けたのよ。ただ、増大し過ぎて壁を腐食させたのね。放っておいたら、建物全体が崩落していたわ。ワクチンが間に合ってよかった」

「なるほどね、しかしバイオチップがなければアクセスできんだろう。そこはどうやったんだ」

 もうひとつ、と明蘭が言って

「この生体分子機械バイオナノマシンは、本部の人間の蛋白質が使われていた。おそらく、ナノ単位のエージェントが結集し、バイオチップを偽装したみたい。データベース側でも、本人と誤認するほどにね」

「本部の人間の、って。誰だよ」

「さっき、DNAシークエンシングした結果」

 と明蘭が言って、そこで口を閉ざした。躊躇うように重い口で、その名を告げる。

「材料は晴嵐加奈、彼女の生体が使われていたのよ」

「加奈の?」

 その名を聞いて、頭の中が真っ白になるのを感じる。落下時と同じ、いやそれよりも激しい浮遊感。脳内がかき乱される心地がして

「……なんでまた、じゃああいつの細胞で、誰かがハッキングウィルスを作ったってことか」

「そう言うことになるわね。あの子が、誰かに細胞を売ったのか。もしくは……」

 回廊を欠いた本部を睨み、明蘭が呟く。

「すでに誰かが、どこかで保管していたのかもしれない。加奈の生体を。そして、本部に持ち込んだ」

 ショウキの網膜は、正午を告げていた。

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