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「組み替えRNA、生体分子機械、鞭毛モーター……の残り滓」
明蘭が、切り替わる画面を見つめる。ELスクリーンに、蛋白質の残骸とシリコン同素体の、六角形のサッカーボールのような欠片が散らばっている図が、映し出される。ミーティングルームに集った人間の、殺気だった視線を一心に浴びつつ。
「えー、まあつまり。人工的に造られた、良く出来たRNAマシンということね。よく遺伝子治療で使われるやつ」
「そのRNA、盗まれた移民たちのDNAのみ造り変えて、細胞の形を変質させたということか。遺伝子導入治療や改造手術と、理屈は同じということだな」
ショウキが言うと、明蘭が頷いた。
実際のウィルスと同じくに、細胞の中に入り込んだときにのみ、固体の持つDNAを造りかえる――ウィルスというものは生物ではなく、化学物質であると定義されるが、生物の持つ自己組織化機能を持つ。細胞に入り込んだときにのみ、増殖し、RNAを転写してDNAに組み込み、配列を組みかえる。を変える。細胞に入り込まなければ、ウィルスは増殖することはない。
「もっとも、空気中でも増殖することが可能みたいね。生体分子機械の自己組織化機能を備えている。空気感染もする、厄介なタイプだわ」
「そのウィルスに対して」
と涼子が、明蘭の言葉に追随するようにいって
「ワクチンを散布し、ナノウィルスの増殖を抑えました。しかし、これは飽くまで応急処置にすぎません」
スクリーンには犯行直後の映像が流れている。休日のショッピングモール、家族連れやカップルが目立つ、時刻表示は13:56。
画面の右端に、黒ずくめの男が映る。
バッグを置いて、その場から離れ、その3秒後。バッグから、真っ白い煙が噴出し画面を埋め尽くした。煙の中で逃げ惑う群集を確認した。混乱の最中、防犯カメラに雫がかかる。それは、血、であった。ウィルスに生体を破壊され、皮膚が裂けた人間が映し出され、血涙を流す女が、夢遊病患者のように彷徨っている。パニックになった人の群に踏みつけられ、押しつぶされる。表皮が全て剥がされた筋肉の人形が、赤黒い肉を指先から垂らして、流れ出るゲル状の組織と骨の間から零れ落ちる小腸が床に張り付いて、尾を引く。皮膚が腐り落ちて、黒灰色の組織が崩落して、頭蓋骨が露になる途中で、涼子が目を背けた。
「で、まあその、さっきの奴ですが」
と加藤が、慌てて端末を叩いて映像を消した。
「黒ずくめの。ショウキさんが目撃した、刀の男と骨格が一致しましたが……松本のシステムに干渉するより先に、消えちまいまして
加藤が言った。
「衛星から追っていましたが、“門”周辺でロストしました。“中間街”には監視システムは及ばないんで」
「どうやって、奴ら“門”を潜っているんだ」
「多分、普通に」
「普通って何だよ」
すると紫田が腕を組んだまま
「奴らにとっては、“門”のシステムも物の数ではないということか」
と、唸った。
「都市のシステムを破り、ナノウィルスを散布して……これが全て『天正会』の仕業なんすかねえ」
加藤が言うのに、紫田が
「あの李飛燕について、『新宿闘争』では化学戦を展開したヤクザがいたが、その際に技術提供したという。関東方面の機動部隊が一番手を焼いたのが、“幸福な子供たち”のサムライたちだったようだ。奴らが『天正会』についているならば、厄介な敵となるな」
確かに、とショウキは自らの義手を眺める。あのクナイを投げた男と、同等の力を持つ人間がいるとしたら。“幸福な子供たち”、確認されただけで戦闘要員は2人。1人は加奈を沈め、もう1人は――
「一刻の猶予も無い」
紫田が言って
「すでに『天正会』の潜伏場所と見られる、“中間街”へ突入班を介入させる。科学班はワクチンの製造とサーバーの復旧を急げ」
「その潜伏場所って、どこだよ」
ショウキが言うと、紫田は
「改良した“猟犬”が、つき止める」
富士山頂に初雪が降り始めるのを臨み、“ゲノム・バレー”に陽が落ちる。
晴嵐幸雄はニュースを見ていた。松本に次いで、高崎で原因不明の化学物質が散布され変死者が……とキャスターが言っているのに、人知れず恐怖する。
似ている、どころか同じではないか、と。先日の、本社での事件からずっと思っていたことだったが――マスコミは毒ガスかなにかと報じているが、生体分子機械の大手たる“セイラン・テクノロジー”の長たる自分が分からぬはずも無い。あれが何であるか、などと。RNA搭載型のナノウィルスによる遺伝子治療は、幸雄が20年前から研究していることだった。国のゲノムプロジェクトが発動された旧政権時代から、生体分子機械の最前線に立っていたのだから。
報道管制か、と幸雄は思った。おそらく、遺伝子情報もどこからか洩れているのは必至だろう。それでも、移民ばかり狙われていることを知り、とりあえずは安堵していた。自分は日本人だから、おそらく加奈も。
だが、事件の後に報じられた実行犯とされる男の画像を見た時、背筋が凍る覚えがした。
どこからか流れたのか、アルビノの男。李飛燕――と呼んでいた。
あの男――生きていたのか。
あの施設で、唯一死亡が確認出来ず、行方不明とされた少年が15年の年月を経て都市の内部に現れた。馬鹿な、どうしてあの男が都市に。いや、それよりどうして生きていた? 大体、なぜ生きていられる。あの施設を出ていて。
あの男が生きているとなると、幸雄が抱えていたもう一つの懸案事項が現実味を帯びてくる。すなわち、あの日。加奈が連れてきた、「鈴」という少女。
あまりにも似ている――そう感じた。加奈と鈴では、髪の色が違う。肌の色も、骨格も、体格も。それでも、何故似ていると思ったのか。空気、その人間が持つ雰囲気か……あるいは霊的なものかもしれない。似ている、といっても見た目ではない。例えば同じ胚が分裂して生まれた一卵性双生児も、育った環境が違ければ容姿も性格も異なる。逆に、二卵性の、違う胚から生まれた双子であっても育つ環境によっては一卵性かと見まごう程、似ることがある。
ただ、その程度の似る、似ないは問題ではなく、双子でなくとも間々あることだ。そうではなく、あの鈴という少女に感じたものはいかにも人形然とした……“中間街”での加奈と同じ物を感じ取った。無機質な物がヒトの形を象り、有機物の呼吸を無理やりに真似ているような違和感。加奈自身、おそらく鈴のそうした所を感じ取ることは無いだろう。他の者もそうだ。だが、自分には――少なくとも、長年生物分野に身を置いてきた幸雄にとっては、あの作り物めいた不自然さは、嫌と言うほど感じていた。
あの娘が、そう、ならば。
幸雄は秘書のアンドロイドを呼び、そして言った。
「あの娘の細胞は、採れているか」
アンドロイドは無機質な笑みを返し、透明なガラス基板を手首の収納スペースから取り出した。ゲル化溶液に浸された中央部分には、細胞が定着されている。やはり、優秀な秘書はどこの世界でももてはやされる。もっとも、機械だから優秀なのは当然、なのだが。
幸雄はもたらされた細胞を、丁寧に手のひらに乗せた。階下に降りて、研究室に――先日の戦闘の傷跡が残ってはいるが――に入る。塩基配列の解読を行う、電子レンジに似た機器。DNAの断片を電気泳動にかけて会席し、その情報を元に塩基配列を復元させる。塩基情報はコンピュータの画面上に行列として表示される。
もうひとつ、データを呼び起こす。
それは、本社に保管されている、『晴嵐加奈』の塩基情報だった。15年前に火傷を治療し、『加奈』という名を与えた時に細胞を採取した。それ以来、メンテナンスのたびに細胞を抜き取って解析にかけていた、そのデータの蓄積。本社の、幸雄しか知らないコンピュータの領域に隠しコードとして管理してある。他の者がこれまで、閲覧したことはなかった。
自分にだけ、許されている――
加奈のコードと、鈴の解析されたコードを、重ね合わせた。そこに映し出された結果を見て、幸雄の疑念は確信に変わった。PDA端末を露出させ、アンドロイドの秘書を呼び出す。
《お呼びでしょうか》
と言うのに、幸雄はしばらく考え込んで
「緊急事態だ。ホットラインに繋いでくれ」