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夜狗-YAKU-  作者: 俊衛門
42/87

4―5

「それはいい。それより、あとどれくらいで出来そうなんだ」

 男が訊くと、飛燕は白い喉を上下させて

「先日、実験した通り性能には問題ないです。あとは、いくつかデータをとって……」

「そんな悠長なことをしている、暇はない」

 と男は言って

「オヤジがどれだけの時間と金を、お前に費やしたと思っている。あれを作るために、お前たちは2年、2年だ。その間、都市警と夜狗の捜査から逃げ回って、それも限界に近い。つい先日も、iPS細胞を夜狗共に押収されたばかりだ。そういう痛手を被ってなお、貴様らは悠長なことを言っていられる。誰のお陰で飯を食ってられると思っている」

「あれを実際に使うには、遺伝子データベースから塩基情報コードをダウンロードしなければならないのです。あの防壁は一度に突破できるものではなく、幾度か試行を繰り返さなければなりません」

「時間がないんだよ、李飛燕」

 男は声を荒げて言った。

「この共和国政府から日本を取り戻すため、一刻の猶予もない。黙って与えられた仕事をしろ。直ぐに実戦投入できんようだったら……」

「静かにしろよ、あんた」

 奥の暗がりで、第三者の声がした。

「ウィドウが眠ったところだ」

 という声は、日本語だった。飛燕は声のする方に歩み寄り

疾人はやと

 と呼ぶ。暗がりの中に人影があった。10代後半の男が、簡易式のパイプベッドの傍らに立っている。上から下まで真っ黒な格好をしていて、左半面に刺青を入れている少年。  

 疾人、というのか。やはり日本人だなと思って。

「支那人の手下に日本人がいるんか」

 と日本語で言った。疾人はそれを聞いて、キッと睨んできた。

「悪いか、少なくともお前たちヤクザよりはマシだと思うがな」

 旧日本国時代に使われていた標準語だった。共和国になってからは、神奈川と伊豆の方言が混ざった日本語が「標準語」とされている。現在、東京の言葉を話す者は、少ない。

「疾人、どんな感じ? ウィドウの容態は」

 飛燕が、ベッドを覗き込んで言った。シーツに包まって、半裸の少女が眠っているのが見えた。

「腕はなんとかなった。銃創も大したことはない。ただ、逃げるとき水銀針をしこたま打ち込まれたらしく、体の汚染が止まらない。今、浄化をしているが……」

 見ると、透明な管が少女のむき出しの肩と腕、背中から伸びている。管の中を、赤黒い血液が流動していた。

「水銀針って何だい?」

 飛燕が訊くと、疾人は

短針銃フレッチャーってのは、シリコン針が主だけどたまに神経薬や水銀を仕込んだ針、装填れてくるんだ、都市の奴ら。えげつない真似しやがる、これじゃあどこぞのヤクザと変わらないな」

「おい、ガキ」

 疾人の物言いが気に食わなくて、男は詰め寄った。

「その“どこぞのヤクザ”ってのは誰の事を言ってんだ? 貴様」

「別に誰、とは言ってない。ヤクザなんてどこも同じだろうし」

「何だと……?」

 男はナンブの拳銃を取り出し

「口が過ぎると火傷するぞ、若僧」

 構えた。疾人は、昏い目を向けて

「あんたも、本職プロならば噛みつく相手を間違えるなよ」

 ベッドの傍らに立てかけた、日本刀を取った。左腰につける。 居合か、と男は撃鉄ハンマーを起こした。疾人の刀は、黒塗りの拵え。鍔はなく、柄尻には小さな勾玉が、紫色のコードを介してぶら下がっていた。赤い勾玉は、彼らのシンボルのようなものだったか、と思い出す。疾人は腰を低くし、親指を鯉口にあてがって、いつでも抜ける体制をつくっている。昏い目に射竦められた。

 冷や汗が、背筋を濡らす。どういうわけか、男が引き金を引いた次の瞬間には体がバラバラに切り刻まれる――そんなイメージしか沸かない。間合いだけなら、自分の方が勝っているのに。あれを抜いたところで刃は届かず、こっちは引き金を引くだけで殺せる。そのはずだ。

 なのに、銃弾が疾人の胸を抉る像を思い浮かべることは出来ず、それどころか、指を動かしただけでも――。

「ちょっとちょっと、止めなって疾人」 

 飛燕が間に入って言った

「大事なお客さんに刀を向けるの? そんなことしたらいけないよ、これは仕事ビズなんだから。それに、君が本気出したら無事ではすまない」

 つまりそれは、自分がこいつより劣るということか。少しばかり、癪に触る言い方だが、しかし認めざるを得ないだろう。

 相手の力を計るというのも、プロの条件だ。この世界ではごく当たり前のこと、自分より強いものには手を出さない。 男は銃を下ろして言った。

「それよりもだ、あとどれくらい時間がかかる」

「本当に直ぐ、ですよ」

 飛燕が疾人に、刀を下ろすよう言った。疾人は抜刀姿勢を解いて、刀を置く。それでも、男を睨むことは止めない。

「最終段階に入っています。各都道府県に設置された民生用データベースから、すべての塩基情報コードを取得し、もう2,3都市で使用してデータを取れば……」

 完璧です、と飛燕が言う。男は舌打ちして、ナンブを仕舞って

「あと1週間」

 と告げた。

「あと1週間でモノにしろ。でないと、資金を打ち切る。これは、オヤジの言葉でもある。分かったな」

 男はそう、告げた。飛燕はまた恭しく、古風な拝礼をして

「心得ております、イノウエさん」

 

 男が帰ってゆくのを、“蟻塚”の屋上から飛燕は見下ろしていた。

「1週間で出来るのか、飛燕」

 という声がして、振向くと疾人が、変わらずに冷めた目をしていた。 

「そんなに思いつめなくても、もう仕込みは済んでいるんだし。君も、確認したでしょ?」

「いきなり計画変更って言われて、大分焦ったがな」

「それは悪かった」

 と飛燕は、再び下界を見下ろした。

 カブキ町、ここが歓楽街だったなんて今でも信じられないくらいだ。荒廃した街並みは、瓦礫と廃墟によってのみ構成された残骸たちの墓場。新宿だけではない。かつてアジア一栄えた都は、“中間街セントラル・シティ”という一方的な呼び名によってでしか認識されない、バラックと廃墟、過密型の建築物の集まった吹き溜まりと化している。

「どこも変わらないね、疾人」

 と飛燕が呟いた。

「伊豆から始まり、静岡、鎌倉、新宿。色んな所を歩いたけど、この国のどこに行っても同じ風景。荒れた旧市街地の中に、ぽつんと存在する浮島みたいな都市。僕らが生まれたときから、ずっと」

 飛燕が言うと、疾人は刀を肩に担いで

「結果、ああいう腐れヤクザが増えることになったわけだな。政府が、国の舵取りを誤ったせいで」

「ヤクザ嫌い? 疾人。まあ、君のお師匠さんのこともあるしね。でも、お客さんに手を上げちゃだめだよ」

 くすりと笑って、飛燕は

「国の舵取りを誤るのは、政治家じゃない。それを選んだ人たちのせいだよ。現代に生きるものたちが、自分たちのことしか考えなくなると国は傾く。自分たちに都合のいい様に国を動かして、未来の世代を考えなくなったときに国が滅びるんだ」

 そう言う飛燕の口調は、静かだった。疾人ではなく、もっと他の誰かに話しかけるような――幼い子供を諭すような口調で、優しく。

「DNAが次の世代に受け継がれるように、国もそうじゃなければならない。ねえ、疾人」

 とそこで、飛燕は振向いた。

「僕らの国は、そういうことのないようにしよう。子供たちに、優しい国をさ」

 笑顔を弾けさせる飛燕に、疾人は――やはり、昏い目をして言った。

「何か、お前楽しそうだな」

「そう? そう見える?」

「何年付き添っていると思っているんだ」

 腐れ縁にしても長すぎる、と疾人がため息混じりに言った。飛燕は

「やっぱり、疾人には敵わないなあ」

 と微笑んで

「初恋の人と会ったんだ」

「初恋?」

「そ、初恋。昔、施設で一緒だった子なんだけどね。あの時、生き別れになっていたんだけどようやく会うことができた」

「似合わない単語だな、お前には。で、そいつと会ってどうしたって?」

 すると飛燕は、少しだけ顔を曇らせて

「うん、でも哀しいことに彼女、夜狗イェグウだったんだ」

「なら、敵じゃないか」

「そうだね、時の流れは残酷だ。でも、いいんだ」

 飛燕は晴れやかに言うと

「もう、彼女の替わりは見つかったんだし。彼女と同じ肉、同じ骨たるもう1人の桜花が。その子がいれば、哀しくない」

「もう1人、ってまさか……」

 飛燕が口を開きかけたのを、飛燕は指で制して

仕事ビズだ、疾人」

 と言う。疾人はそうだな、と呟いた。

「今、あることを片付けることが先決だ」

 そう言うと、飛燕は屋上へと至る階段を降りた。

 通路を歩いていると、向かいから妊婦が歩いてくるのが見えた。道を譲ると、妊婦は深々と、白髪だらけの頭を下げた。良く見ると、妊婦はかなり年を食っていた。老婆、といっても差し支えない年齢だ。皺だらけの手指に握られた杖に、体重を預けるようにして歩いている。

「疾人」

 と飛燕が言って

「僕らも、ああして生まれたんだよね。どこの誰か分からない、女の人から」

「“貸し胎”か」

 疾人は、老婆の背中を見ながら言って

「あんな年になってまで、“貸し胎”なんぞやっているのか。自分の身がもたんだろうに」

「それだけ金はいいんだよ」

 飛燕が言う声には、悲痛なものがあった。

「自分の身体を切り売りして、子宮を貸す。そういうことをしてでも、家族を養わなければならない人たちがいる。そうしなければ、この街で生きていくなんてとても……」

「ふん」

 と疾人は言って

「胸糞悪い、話だ」

 そう吐き捨てて、疾人は先に行ってしまった。「もっとも、僕も同罪、だけどね」

 そう呟いた。老婆が見えなくなっても尚、飛燕はその場に佇んでいた。

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