3―12
「あれは金属錯体の製造マシンだ。あれだけの電気浴びれば、いくらサムライでもひとたまりもない」
暑苦しいフードを取り、上着を脱ぎ捨てた。
「なるほどね……そのカッコは、耐電……服……」
息も絶え絶えで、ウィドウが言った。失くした両腕の断面から、細い金属の棒が覗いている。セラミック刃の残骸か、と思って
「あんたがあれに耐えられる体だったら、あるいはあの研究室の端末が無配線形コンピュータだったら。この手は使えなかった。わたしも幸運だった」
「幸運、ね……」
とウィドウが呟いた。
「果たして、そうかしら。しょう、ぶは……まだ」
「何言ってる。もうこれで、お遊びは終わり、わたしの勝ちでね。あんたを逮捕する」
するとウィドウは笑って言った。
「はは、そうかも、しれないけど。でも、痛みわけ、だと思うわよ」
「何がだよ、この状況で」
「さっき、いった、でしょう……切り刻むの、はじめて、って」
そう言えば、そんなことを口にしてたなと思い出し、だから何だと銃口を突きつける。ブローニングを握る手が少しだけ震え、銃を落としそうになった。
「いままで、の敵、は。切り刻む必要、なかった……みんな、あたしがちょっと切っただけで、逝っちゃうんだ。あたしの、どく、のせいで」
どく? 何だそれ、と言おうとした。急に、指が痺れてくるのを感じる。指から手首に、ささくれるような痺れが駆け上がって、それが全身に広がってきた。
何、これ――とその途端、膝から下が千切れそうな痺れに襲われる。立っていられず、その場に座りこんでしまう。皮膚の上を、数千匹の蟲が這い回っているような感触を、覚えた。
「は、ははは。やっと効いてきたね。丈夫なんだか、鈍い、んだか……」
ウィドウはよろよろと立ち上がった。勝手に動くな、と言うが銃を握ろうにも、力が入らない。
「毒、といったか……」
「そうよ。あたしのこの刃は、ちょっと触れただけで神経をやっちまう、毒に満ちている。合成物じゃない、天然ものの、ね」
「姑息な手を……」
息が切れる。動悸がする。端末がレッドに変わり、呼吸不全と酸素濃度の低下を表示した。
「そんなもの仕込んで、相手を切るなんざ」
「言ったでしょう。これは天然物、あたしの体の中で勝手に作られるんだ。作られた毒を、刃に帯びる。便利だけど、さ。これじゃあ、切り刻めないでしょう。だから、切り裂き処女なの、あたし」
上手いことをいったつもりなのか、くくっと喉を鳴らして笑った。回復してきたようで、ウィドウの口調が元に戻りつつある。立ち上がって、加奈を上から見下ろした。
「せっかく、せっかく切り刻めると思ったのに……あんた、毒でヤられちまうし、こんな腕じゃもう、切れない。どうしてくれんだ、あんた」
そう言って、加奈の腹を思い切り蹴飛ばした。胃の内容物がせり上がって、胃液を吐き出す。ウィドウが加奈の頭を踏みつけた。
「体内に毒を宿す、って? そんな改造、聞いた事、無い……」
「だから、天然だって。生まれたときから、こうなんだってば。だから、あたしの名は毒蜘蛛なの」
「生まれながらに、体内に毒を?」
もはや舌も回らなくなってきている。朦朧とする意識の中、加奈は思った。どういうことだろうか、そんな人間がいる、というのだろうか。河豚や蛇みたいに、毒を宿した突然変異体のような個体が。
いや、あるいはそうなるように作られているのか。最初から、最後まで――
「この!」
ウィドウが下腹部を蹴りつけた。鉛の塊を押し付けられた心地がした。ウィドウが蔑む視線で
「この毒はねえ、神経毒だよ。放っておけば手足が腐ってくんだ。生体分子機械でも分解しきれなかったようで、ご愁傷さまっ!」
今度は顔を蹴りつける。人工歯根が折れて、血と共に吐き出した。その様子を笑う少女の整った顔は、醜悪なものに見える。舌を引っこ抜いて、顎を外してやろう。喉に手を突っ込んで、声帯を引きずり出してやる――そう思っても、体が言うことを聞かない。痺れは徐々に、冷えに変わっていく。筋肉が固まって、血が堰き止められている。手足が岩石か何か、無機物のものに変わっていく。畜生、体さえ動けばあんたなんて。思えども、この体。鉄屑を詰め込んだ麻袋みたいに、だらりとして反応しない腕、色を失った脚。呼吸が、細くなる。端末が、危険値を示していた。そうは言っても、動かないんだよわたしの体――と誰に言うでもなく呟く。
「もういいわ、あんた。そのまま死んで――」
とウィドウが言った科白に被せるように、閃光弾が爆ぜる音がした。 僅かに首の筋肉を動かすと、黒いタクティカルスーツのSATが踏み込んできた。都市警か、と頭をもたげる。動くな、とSATの一人が命じた。H&Kを構えて。
「ダメだ、そいつはすぐに」
殺せ、と言おうとした。ウィドウが身をかがめて、その隊員の懐に飛び込んだのを見た。一瞬、隊員は何をされたのか分からないようだった。ウィドウは隊員の、僅かに露出する首筋に噛みついた。ぎゃ、っと隊員が悲鳴を上げる。続いてウィドウを撃とうと身構えるが、引き金に指をかける事が出来なかった。そのまま毒が回り、倒れてしまう。他の隊員たちが、ウィドウに向けて発砲した。ウィドウはすっかり回復したらしく、元のように軽やかなステップを踏んで銃弾の嵐を掻い潜る。そうして、同じように隊員たちの首に牙を突き立てていく。噛まれた瞬間、隊員たちの顔が青く変化し、白目を剥いて倒れる。
「止せ……」
加奈が力なく言ったときには、最後の一人が倒れこむところだった。
「これで信用した?」
言うと、ウィドウは加奈に歩み寄り、蹴飛ばして加奈の体を仰向けにする。そして、顔の近くに跪いた。直ぐ横に少女の足がある。破れた裾から、下着が覗いた。
「まだ死なないの? しぶといね。どうせだから、もっと直接的に毒を送ってやるよ。脳とかさ」
ウィドウはそう言うと、顔を近づけてきた。麻痺した頬に、吐息を感じられるほどに。唇が目の前に合った。
「や、やめ……」
かすかに抗議の声を上げたが、少女の顔が接近してくる。あと1cmのところまで来た。奥歯が勝手に鳴る。腕が動けば、そんなことは許さない。今すぐこの頬を張り倒してやるのに――そんな簡単なことも出来ないなんて。
潤んだ瞳と目が合った。少女の口が、笑いを象る。
唇が、首筋に沿う。舌を這わせて、耳元に息を吹きかけた。ちくり、と少女の犬歯が皮膚に当たる。そのまま一気に噛み貫かれて――
「加奈!」
遠くで呼ぶ声がした。ウィドウがその方向に向いた。
その途端。電気銃の連射音が耳についた。立ち膝になったウィドウが飛び上がる。放電する帯電針が目の前をよぎった。
「ショウキ」
弱弱しい口調で言うと、50口径が火を噴いた。マグナム弾が研究室の壁を撃ち砕く。
「加奈、大丈夫?」
と駆け寄る人物がいた。首を動かすと、紺色のスーツが目に映る。顔を覗きこんできたとき、少なからず驚いた。
「……涼子?」
「良かった、無事みたいね」
そういって屈みこみ、加奈の上体を起こしてやる。加奈はいまいち、状況が飲みこめない。
「なんで、あんたがここに?」
「呼んだのはあなたでしょう」
「呼んだって、だからって」
どうして、あんたが短針銃なんか持ってんの――と当然の疑問をぶつけようとした。が、涼子は
「いいから、喋らないで」
そう言って短針銃を――護身用の、戦闘には向かないそれを構えて撃った。10連発の空気射出、ショウキと対峙していたウィドウの左肩に突き刺さる。ウィドウは痙攣したように上体を揺らし、膝をついた。ショウキが銃口をウィドウにつける。
「じっとしな、でないと痛えぜ」
とショウキの声が聞こえた。ウィドウは敵意剥き出しで、鬼の形相でショウキを睨んでいる。
そいつの牙に、気をつけろ。
加奈が言うよりも先に、SATが踏み込んでくる音がした。ショウキが一瞬、そちらに気を取られた隙にウィドウは立ち上がり、窓の方へと走っていった。
「待て、貴様」
ショウキはウィドウの背中に向かってマグナム弾を撃つ。一発が肩の肉を抉ったが、ウィドウ止まらず、窓を突き破って外に飛び出した。
「この……」
追いかけようにも、立ち上がることができない。涼子が、動いちゃだめよ、と言うのに加奈は
「クソ、あのガキっ。飛燕、貴様……」
そう毒づいた、次には――
世界が暗転した。