3―9
赤い瞳、である。色素の少ない、髪と肌はアルビノ体質であることを伺わせる。グレーの髪は、幾度となく染めてきたためか、毛先が痛んでいた。白い肌と対比させるように、黒いコートを着ており、首には赤い勾玉を施した首飾りをかけている。少年のピアスと、同じデザインだった。青年はふふっと含むように笑い
「ようやく思い出してくれたね、桜花。でも、15年ぶりの再会にはその手のものはどうかと思うよ?」
楽しげに言う。加奈は我に返って
「テロリストに温情をかけろと?」
銃口を少年に向けたまま、短針銃を抜いて飛燕につけた。短針銃のレーザーポインタが、飛燕の額に点った。
「テロリスト、か」
ふっと、飛燕が寂しそうな表情を作った。
「冷たいね、桜花。昔の仲間に、そんなことを言うんだ。僕の知る君は、もっと思いやりのある人だったのに。仲間だろう、僕ら」
「“僕ら”などと、一緒にするなよ。あんた、あの時死んだんじゃなかったのか。あの時、施設の人間は皆死んだと……」
「ふうん、誰がそんな事、吹き込んだの? そんな出鱈目」
飛燕は白い髪を、人差し指でくるくると弄んだ。動くな、と短針銃の銃口を突きだした。
「そうか、だから探してくれなかったんだな、君は。僕はあの時からずっと、君を探していたのに。君は誤った情報に躍らされて、“門”の向こうに行ってしまった……」
ため息をついた。加奈は帽子の少年を示して
「そいつはあんたの手下か」
「手下、だなんて。彼は僕の兄弟さ」
「桃園の誓いでも立てたのか?」
「文字通りの兄弟だよ。骨と肉、血を共有した、ね。この意味、分かる?」
という飛燕の言葉が、細胞の隙間に入り込んでゆく。その言葉の意味することが、どういうことか。考えるまでも無い。
「分かるよね、あの施設で生まれた君なら。僕と同じ血を持ち、同じ細胞を分けた君ならば。彼は祝福された子供さ、僕も含めて」
飛燕が肩をすくめて言った。
「あんたは何をしようと言うんだ、あの煙。一体あれはなんだ」
「まあまあ、そう焦らないで。僕にも喋らせてよ」
飛燕がまた喉を鳴らすように笑い、指先で髪を弄んだ。加奈は動くな、と命じて
「撃つよ、それ以上戯言吐くと」
短針銃の左側にある、切り替えを操作する。神経針からシリコン針に再装填されるのを感じた。
「どうぞ。やってみてよ、それが出来るなら」
「どういうこと」
「無理するなってことさ、桜花。手、震えているよ?」
馬鹿な、と言いかけたが。
レーザーポインタの光点が、揺らいでいるのを見た。銃を握る手が小刻みに揺れ、それがレーザーの光に反映されている。戦慄が指と、腕、体に伝播する。筋肉に力を入れて、必死に震えを抑え込む。脅えているのか、わたしは――赤い瞳が見つめてくるのに、勝手に震えが来る。奥歯を噛みしめた。
「今日は会えてよかったよ。今この瞬間なら神に感謝してもいい。昔、散々恨んだ神様にね」
と言って、背を向けた。
「動くなと言って――」
「ただ、ちょっと遅すぎたね。僕はもう、替わりを見つけてしまったし……」
なにやら意味深な事をいう。もう一度、動くなと警告する。飛燕は少し振り返って、寂しげな笑みを浮かべ、行こうか、と言って少年を連れて立ち去る。
反射的だった。銃声と空気の洩れる射出音が同時に響き、銃弾とシリコン針が交錯し、飛燕と少年の背中に飛来する。
目の前に赤い影が躍り、空中で火花を散らした。銃弾と針が、その影に弾かれた。
その姿を、間近に見る。赤いドレスに身を包んだ少女だった。体に似合わない派手な装飾品を首と手首、足首に巻かれている。少年のと同じデザインの、赤い勾玉のアクセサリーが揺れた。
赤に映える、黒い髪。長く、腰まで伸びている。そして手のひら、少女の指先から薄い刃が伸びていた。弾いたのはそれか、と思った。
「ウィドウ、ブラック・ウィドウ。彼女と遊んであげて」
飛燕が言って、少年を連れ出した。加奈は飛燕を追う。ブローニングを発砲するが、少女の内蔵刃に弾かれてしまった。
「あんたの相手は、あたしだよ」
ウィドウなる少女は内蔵刃を交差し、一足飛びで間合いを詰める。少女の端整な顔が鼻先に迫り、吐息がかかる。唇が、キスしそうなほど近い距離にあった。
瞬間、空気が燃えた。
ウィドウが右の刃を水平に切った。加奈は身をそらすと、刃が顎下を通り、喉に刃先が触れた。薄く血が滲む、セラミック刃の感触を感じつつ後ろに下がって、距離をとる。
短針銃の20連射。シリコン針が連射で吐き出される。顔を中心に打ちこまれた銀の雨を、ウィドウは左手だけで全て叩き落とした。
しかして、それは囮。
右のブローニングを、ウィドウの足に向けて発砲する。心地よい反動とともに、肉が潰れる手ごたえを想像する。
予想に反して、返って来たのは床を抉る衝動だった。
ウィドウの姿は頭上にあった。内蔵刃を仕舞い込み、天井の照明を掴んでいる。天井に張り付く姿は、蜘蛛のようだった。そういえばブラック・ウィドウってのは黒後家蜘蛛のことを言ったっけ、と思う。少女は腕の力で体を振り、空中で前転して着地した。ふわりとドレスの裾がはためいて、華奢な太股が露になった。
「なろっ」
ブローニングの2連射。全て弾き、ウィドウが地上に降り立った。刃の銀色が閃く。衝撃を感じると、短針銃が切り裂かれていた。銃身が真っ二つに割れ、中に収まっていたシリコン針と神経針が床にばら撒かれた。
「こんな針であたしとやろうなんて、どうかしているよあんた」
と、北京語で言う。右の指先から、針のような刃を出した。腕に刃を内蔵させる、見ない改造だなと加奈は思って
「そうだな。じゃあ、あんたに相応しい弾食らわしてやるよ」
ブローニングのマガジン・キャッチボタンを押す。ハーネスから、ラインの入った弾倉を取り出し、素早く装填。スライドコック。
対機甲弾だ、と加奈が言う。ウィドウが、唇を舐めた。
パトカーが本社ビルを取り囲んでいる。
赤色灯が、暗くなった辺りを照らしだして、制服姿の警官たちが慌しく動き回っている。その様子を、鈴はパトカーの中から覗く。
じっとしていられない。何か胸騒ぎのようなものを感じた。警官たちの話では、加奈があの中にいて何者かと交戦しているということだった。加奈がむざむざやられるとは思えないが――それでも、なんだろうかこの焦燥感。加奈がどこかへ行ってしまいそうな、そんな思いがして、じっとしていれれずに外に飛び出した。すると、制服姿の婦警が、危ないから中に入っていなさい、と強い口調で言ってきた。しかし、鈴はそれには従わずにビルの方を見ている。婦警が、入りなさい、と鈴の肩を掴んだが
「そいつは“特警”の預かりだ」
そう言ったものがいた。銀色の髪の、大柄な男が歩み寄る。確か、鈴が誘拐されたときに突入して来た、加奈のパートナーと記憶している。
「えっと……ショウキ、さん?」
「久しいな、っつってもあれから1週間ぐれえしか経ってねえか」
とショウキは言い
「加奈から連絡を受けてな、テロが発生したって」
テロ、と聞いて視界一杯に広がった、煙を思い出す。加奈が「見るな」といって視界を塞いだため、その後何があったのか分からなかった。暗闇の中で、男の悲鳴が聞こえた気もしたが。
「未確認の化学物質かもしれない、っていうから科学班の連中引き連れて、高速かっ飛ばして来た。ホレ」
とショウキは、先日、鈴を乗せたばかりのバンを指差す。その中から、なにやら機材を持った人間が数名降りてきて、その中に紺色のスーツに身を包んだ涼子がいるのを、確認した。
「涼子さん!」
ほっとして駆け寄ると、涼子が微笑んで
「無事だったようね。それで、加奈は何をしているの?」
と訊く。丁度、その時。ビルの中腹部分の窓ガラスが割れる音が響いた。振向くと、割れた窓から閃光がぱっと弾け、また別の窓から同じように光が爆ぜる。花火みたいに瞬間的に火の玉が、生まれては消えて――それが複数、生み出されている。
「あ、あの……中に、加奈さんが……」
どうしても震えてしまう喉からそれだけ搾り出し、ビルを見た。ショウキは、険しい顔で
「対機甲弾を使うたあ、都市の中で」
「相手はサムライね。でもどうやって“門”をくぐったのかしら」
涼子が怪訝そうに言う。ショウキはそれより、と鈴の頭越しに沿道を見て
「急がねえとまずいぞ。SATが到着しやがった」
ショウキの視線の方向には、無骨な装甲に車体を覆った車が、何台も停まっている。中からタクティカルスーツとマスクに身を包んだ人間が降りてきて、サブマシンガンを引っさげていた。
「ここにいろ、すぐに終る」
とショウキは回転式の銃を取り出した。涼子も同じように銃を出す。加奈のものより、はやや小さい短針銃が握られていた。