0―3
ドアが内側に吹き飛び、壁の一部が砕ける。そのドアに続いて加奈とショウキが飛び込んだ。土埃がわっと舞い上がる、その先にある黒山の人だかりを見据える。いきなりの闖入者に及び腰になっていた。サブマシンガンをフルオートにしてレーザーポインタで狙いをつけて、叫んだ。
「“特警”だ! 全員床に伏せろ、さもなくば……」
怒鳴ったと同時に、右斜めで銃火が瞬いた。加奈とショウキにある空間を横切ったかと思うと、通路の向こう側のパイプに当たって乾いた金属音を出した。
「射殺する、って言いたかったけど手間が省けたわね」
今撃ったと思われる男の頭に照準を合わせる。9ミリ弾が眉間に吸い込まれたのを確認すると、銃口を右に振った。
発砲、断続的な銃声が銃火と薬莢を撒き散らす。ヤクザたちが手にしているのはチェコ製のCz。操作性ならこちらの方が優れている。レーザーポインタが二つ、新たに灯る。裏口から突入した加藤と山下のものだ。銃火の列が壁に並び、閃光とともに銃声の不協和音を奏でた。
身を低くして、壁伝いに走りながら3点バーストで発砲。銃弾が交錯し、ヤクザたちの撃った銃弾は壁を穿ち、加奈の放ったものは彼らの肉を貫く。弾が当たるたび血の狼煙が筋となって立ち昇る。一瞬、何かを言いたそうに口を動かすのだが脳髄に深く突き刺さった銃弾にはもはや抵抗する術はなく、膝から崩れていった。そうして力尽きて倒れこんだ屍が、次々と生み出されていった。
あと2人。それで完了。
銃を向けた。ふと、血煙の向こう側でショウキが何か言っているのが見えた。銃声の波が、声を掻き消す。繰り返し繰り返し、ショウキの口は同じことを言っている。
一瞬、銃声が途絶える。
「避けろ――!」
ショウキの怒鳴る声が聞こえた。直後、首筋に何か熱い鉄の棒を叩きこまれたような感覚を覚えた。
横殴りの衝撃に、首を折る。よろめいてその方向を見ると、タンクトップのアジア系の男がリヴォルバーを構えていた。銃口から立ち昇る硝煙、撃たれた。
互いに発砲。
リヴォルバーからの銃弾が、右手の甲を穿つ。グローブ越しに血が滲む。衝撃で銃身が跳ね上がる。照準の先に、男の腹に銃弾がめり込むのを見た。
右足で、踏みとどまり、倒れるのを防ぐ。踏ん張った足を蹴り足に変え、駆ける。
跳躍する。
呻きながら男がS&Wを構える。重いものを持ち上げるときのように、振り上げる腕は震えていた。そして銃声。
加奈が拳を突き出すのと同時だった。男が撃った銃弾は壁を砕き、加奈の左腕が銃創に突き立つ。
「クリア」
と加藤が言った、とともに男の体がずり落ちた。
「な、何故、お前。首を……」
痛み、よりも撃たれて立っている加奈に驚きを隠せない様子だった。男はまだ10代後半ぐらいに見えた。ならば、この世の理も分からぬも無理はない。知らぬまま、この男は逝く。
「特別なんだよ、わたしの体は」
そういって首を拭った。黒っぽい血がグローブにこびり付く。傷口に指を差し入れ、肉にめり込んだ銃弾を抉り取った。血と組織が繊維のように、糸を引いた。
この血も、肉も。
あんたが壊せる代物じゃあない。言うと、男はこと切れた。
「8人も要らなかったなあ」
と加奈が言うと、加藤と山下の後ろからあと4人が続く。それぞれ出番がなかったことを嘆くような、不満顔である。とは言うものの、警戒を怠ることはなかったが。加藤の隣でしゃがみこんだ山下に、加奈は近づいた。
「立てるか?」
声をかけると、丸刈りの青年が不安な面持ちで加奈を見上げた。機動隊上がりだけあっって筋肉質な体躯であるが、情け無くもへたり込んでいてはそれも形無しである。機動隊なんてクソ度胸がなければやっていけないと思っていたが、そうでもないのだろうか。
「はあ、なんというかその……」
額にびっしりとかいた脂汗を肘で拭いながらそれだけ答える。どうも、いろいろ限界のようだ。本当にこいつは試験に通ったのかと疑いたくもなるが、実戦経験の少ない警察にいたのなら無理もないかもしれない。加藤が山下に声をかける。まあまあだ、もう少しだなと。そんな慰めの言葉なんかが、果たして効果を持つのかどうか疑問だったが加奈の関心は別のほうに移っていた。
中央に鎮座した、ガラスの卓。黒塗りのブリーフケースの四隅には、シルバーの鋲がそれぞれ打ち込まれている。先ほどの銃撃で横っ腹に穴が開けられていて、そこから透明な液体がこぼれ出ている。その隣にあるキャッシュカードから、これが取引の目玉だったのだろうと推測できた。近づき、中を見ようと手を伸ばすが。
「加奈、ちょっと」
隣から伸びた手に阻まれた。ショウキの機械製の腕が加奈の右手を掴んで、引き寄せる。
ショウキが傷口を見るのに、加奈は手を引っ込める。手の甲、首筋の傷は完全に塞がり、元の滑らかな肌色を取り戻していた。ショウキが顔を強張らせて言う。
「お前、先走りすぎだぞ。俺の援護がそんなに頼りないか」
責めるというよりかは、諭すような響きがある。加奈は肩をすくめ
「制圧したんだ、文句はあるまい」
そう言ってショウキの手を振り払う。ショウキがますます渋面を作った。
「あの男、通常弾だったから良かったものの。特殊弾頭だったらいくらお前の体でも保たなかっただろう」
「ヤクザ風情が、対機甲弾やら水銀弾をそろえられるとは思えないけど。ホラ」
といって、先ほどまで首に埋っていた弾を差し出して見せる。瞳には深いビリジアンブルーを湛えて。
「特殊弾頭は軍や“特警”ぐらいなものよ、装備しているのは」
「だからと言って……お前がっ」
ショウキが何かを言おうと口を動かした。
「俺は、お前が」
そこから先は、何も言わない。それを口にすることが禁忌に触れることで、だからこそ躊躇している。そんな風にも見えた。何を言おうとしたのか、聞きたい気もした。でも聞かない。聞いてしまうのが罪であるかのような気がして。
顔を背けて、唇を噛み締める。やめてよ、そういうの。わたしに構うなよ。あんたが何か、口にすることじゃあないだろう――また顔を見たら、そんな風にあたってしまうかもしれない。だから、何も言わない。言えない。
「そいつを運び出せ」
会話と、内に溜まったわだかまりを断ち切るべく加奈は山下に命じた。今にも反吐を吐きそうになっている山下が、あたふたとケースに手をかける。取引材料を押収し、ついでに部屋の隅でうずくまっていたヤクザの生き残りを取り押さえればあとは県警の仕事だ。ショウキは紫田に連絡を入れた後、隊員に引き上げるぞと声をかける。
入り口に、気配を感じた。振向く。
銃声がした。何事かと、皆一斉に振向く。弾丸が加奈のこめかみを掠め、壁に着弾。山下が飛びのいた。ドアを蹴破った入り口に影が躍る。加奈が発砲。影は逃走。後ろのパイプに着弾する。
「まだいたか」
呻くと、加奈は走り出す。ショウキが待て、と言ったような気がしたが足を止めることはない。
加奈は足を踏み入れた。
石と鉄の城。
外界と遮断され、入り組んだ“蟻塚”の内部に溜まった空気は刺すような冷気の塊だった。錆びた鉄管に付着した水滴が、凍る風に揺られている。腐食した壁、天井からは金属が溶けてつららのように垂れている。地面に溜まった水は鉛と水銀が溶けこんだ色をしており、皮脂とアンモニアの臭気に混じっている。有機物と金属の合わさったモザイクの壁面は青みがかった茶色、その肌触りは古くなって生じた気泡が爬虫類の皮膚のようだった。粘性を持った液体が靴底に張り付いて、スリップする。上体を起こした先には暗黒が待ちうけている。
加奈は走査した。
ナノカメラの不鮮明な映像が網膜に焼きつかされ、上下3階層に渡る見取り図が三次元構造で浮かび上がった。相変わらずの違法建築かと加奈はチップを叩いて暗視レンズを作動させた。皮膚下に緻密に張り巡らされたナノワイヤが、視神経のみならずパルス信号を送り込むことで外部装置の操作も可能にする。全て、左の手首に埋め込まれたチップで行う。見た目には変化のない細胞の外と内で、分子と電子が双方向に高速運動しているのだ。
ダウンロードした地図を目の裏に貼り付けると、分岐された通路の一方向に向かって駆ける。天井から水滴が滴り落ち、首筋に当たる。暗がりでわずかな蛋白質の固まりを貪っていた、肥えた溝鼠の一団を蹴散らしと、目の前に白い幻がたゆたうのを見た。薄い光の絹を形にしたそれは、少年の格好をしている。目を凝らすとそれは霧散して消えた。またフラッシュバックか、このところ多い。プラスティックケースから錠剤を、直接口の中に放り込む。奥歯で噛んで嚥下すると、肌の下がちりと焼きつくような気がした。
端末が生体反応を確認。この先だ、加奈は空になった弾倉を捨てた。水溜りに弾倉が沈むのを確認、するはずもなく。新たに弾倉をつがえる。
目標まで、5メートル。
加奈の視神経は22:30と刻んでいる。
通路を右に曲がったところに、ヤクザの男が一人いた。丸々太った、太鼓腹の肥満漢、肌寒いとはいえ冬用のダッフルコートを着ていかにもな風体だ。さっき撃ったのはこいつだろうか、もっと痩せていたような気がするがとにかく、サブマシンガンを構えて男の胸に狙いをつけた。
「両手を頭の後ろに」
淡々と告げる。レーザーポインタが広い胸板を撫で回す。男は瞬きもしないでじっと物欲しげな視線をくれていた。
「『天正会』の者か」
と言ってみるものの、やはりじっとして動かない。かっと見開かれた目は充血していて、瞼は腫れ上がっていた。だらしなく開いた口の端から、つっと、涎が垂れていた。男は何か差し迫ったうめき声を上げて、いきなり加奈に飛び掛ってきた。その巨体からは想像もつかない、俊敏な身のこなしで。
狼狽は一瞬のことだった。引き金にかけた指の筋肉を動かす、それで事足りた発射炎が咲くと、簡単に倒れた。
やっぱり、『天正会』の者ではなかったか。横たわる骸をまたいで先に進む。血と溶液が混ざり合うのを横目で見る。端末を見た。
生体反応が消えていない。
振向くと、さっきまで横たわっていた男の姿がない。右の方から、気配がした。銃を向ける。突風が、わっと巻き起こった。と思うとサブマシンガンの先端が弾かれて、加奈は銃を落とした。距離をとる。
今しがた倒れていた男が立ち上がっている。撃った箇所は心臓、傷口から血を流したままに。男のコートの背中が膨れ上がる、と生地が裂けてはじけ飛んだ。男の背中から黒々とした細長い物体が2本、そそり立つ。明らかに異質なものが、男の両肩から生えている。
わずかな照明の下で、赤銅色に蠢くそれは甲殻類の腕、に見えた。恐ろしく長く、男の身の丈をこえて2mほどの長さ。細く角ばった腕の表面には黒い剛毛が渦を巻くように生え、ぬらぬらと粘性の液体で濡れている。滴り落ちる体液が糸を引き、男の腕に絡みつく。先端は研ぎすまされた鏃のようになっている。あれはおそらく人工の刃だろう。殻の隙間からはみ出す、ピンク色の筋肉が照り映える。
なるほど、あの腕を収納していたから太って見えたのか。実際の男の体は、中肉中背といったところだった。
「それがあんたの正体か」
加奈が先ほどまで握っていたサブマシンガンは、男の足元にある。加奈はブローニング拳銃を抜き放ち
「サムライめ」
唇を舐める。生体分子機械でヒトDNAをいじり、遺伝子導入を施した、バイオテクノロジーが生んだ人為生物。フランケンシュタインの化け物だ。サムライが持つ筋肉は、時にヤクザの戦力となる。傭兵くずれの、バイオ兵器。




