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夜狗-YAKU-  作者: 俊衛門
29/87

3―5

 富士山麓生命産業特別区域は政府のプロジェクトのもと建造された、産学連携都市である。

 通称、“ゲノム・バレー”。ポストゲノム時代を迎え、生命産業がにわかに勃興し始めた今世紀初頭、ナノテクノロジーとバイオテクノロジーの融合を目指したナノバイオプロジェクトが、旧政府の主導のもと敢行されることとなる。これは遺伝工学、ゲノム創薬、ナノテク、クローン技術――およそ生物、生体利用に関する研究を企業、大学、研究機関の連携によって成し、金融機関と政府機関が資金を融通し、民間企業が産業として根付かせるという経済特区構想であった。この計画は、『興国の政変』により一度頓挫するが、政変が収まりを見せた2025年より、再び共和国政府によるバイオ産業特区構想が実現することとなる。

 静岡県東部、首都横浜に近い富士山麓に産学連携都市、“ゲノム・バレー”は他の行政都市と同じく環境建築アーコロジー型都市であるが、他と違うのは住環境の提供ではなく、生命産業企業たちに研究施設と資金を提供するためだけに造られたということ。各都市からの潤沢な資金がここに集まり、生命産業企業が新たな利潤を生み出し、都市に還元される。共和国の経済を担うものは間違いなく生命産業であり、“ゲノム・バレー”はこの国の富の象徴でもあった。

 “ゲノム・バレー”で最大の資本、企業規模を誇る“セイラン・テクノロジー”。その歴史は、“ゲノム・バレー”の歴史と重なる。15年前に晴嵐幸雄が創始したこの“セイラン・テクノロジー”は、類稀なる技術力と資金によって生体分子機械バイオナノマシン市場を席巻することとなる。現在はエネルギー資源、コンピュータ、遺伝治療薬の開発も行い、未だ成長を続けている。


 リニアが県境を超え、静岡に至ると“セイラン・テクノロジー”の広告が目に付くようになる。遠くに富士を臨み、沿線に生い茂る樹木が赤や黄に燃えているのを横目で見送る。鈴は、加奈の隣でペットボトルのお茶を飲んでいる。両手をそえて、少し口をつけては離して。また一口、含む。その繰り返し。中身がちっとも減らない。

まさか、こんな用事にまで随伴させることになろうとは。いくら紫田の命とはいえ、これでは本当に子守だな、とため息をついた。

 生物の持つ自己複製機能を備えているとはいえ、生体分子機械バイオナノマシンは永久に稼動し続けるわけではない。最低でも年一度、血液に溶け込んだ古くなった蛋白質マシン、鞭毛モーターを回収しなければならない。生体分子機械バイオナノマシンの残骸は、放っておくと血流が悪くなる原因となる。

 ただし、その程度のメンテナンスなら私立の病院でもできる。本部の科学班でも、職員を対象に行っているが、加奈の場合はその極限まで強化された肉体、金属錯体と炭素フラーレン骨を導入してあるがため、どうしても専用の機関で検査する必要がある。シリコン分子の残骸が血管を漂うと、血管内部を傷つけ、それどころか脳の血管が破裂する原因にもなりかねない。軍事用生体分子機械バイオナノマシンはもともと、生物の体にはない金属を導入し、柔らかい肉体を固い「殻」で覆うために開発されたものである。そのため、扱いには慎重を要する。“ゲノム・バレー”の検査機関は、関東圏の機甲化部隊が春と夏の二度、検査のために立ち寄るのだが加奈だけは特別に秋ごろに検査するよう、幸雄が取り計らってくれている。

「ところで、あんた」

 と鈴に話しかけた。

「は、はいっ」

脊髄反射を起こしたみたいに顔を上げ、体ごと加奈に向き合った。そんな畏まらなくて、と思いつつ

「とりあえず、検査している間は本社にいてもらうことになるからさ。大人しくしていてよ」

「本社、といいますと……」

「ああ、“セイラン・テクノロジー”のね。わたしの養父ちちの会社なんだけど、わりとセキュリティがしっかりしているから、わたしが居なくとも平気だろう

「は、はあ……」

 困惑と不安が入り混じった顔をして、ぎこちなく頷いた。伏せた瞼を覆い隠すように、長い睫が揺れている。どこか元気の無い鈴は、叱られたように俯いている。通路向かいの老夫婦が、訝しむように見ていた。加奈は声をひそめて

「やめなって、その顔。わたしが怒っているみたいじゃない」

「す、すみません」

「謝るなよ、だから」

 はい、と言って鈴は膝を見つめる。加奈は再び、窓の外に目を落とした。遠くに環境建築アーコロジー群の、黒山の構造物が見え始める。


 “ゲノム・バレー”にリニアが滑りこむと、静岡駅ステーションに幸雄が迎えに来ていた。

「加奈、久しぶりだね」

 加奈の姿を認めると、幸雄が相好を崩して言った。

「この間会ったばかりでしょう」

 と苦笑する。いちいち表現が大袈裟なのだから、それこそこっちが恥ずかしくなるくらいに。ヨーロッパ式の挨拶は、海外生活が長いからだろうか。

「1ヶ月も娘と会えないとなると、そりゃあ寂しいものだよ。この年になると、強くそう思う。お前がこっちに帰ってきてくれればな」

「そう簡単に、結論は出ないわよ」

 鈴が降りるのを待って、加奈は

「ぐずぐずするなよ」

 と声をかける。

「ときに、加奈……」

 幸雄が渋面を作るのに、加奈はどうかした? と訊く。幸雄の目は、加奈の後ろに隠れるようにしている鈴に向けられていた。一定時間、唸るような声を出し。やがて幸雄は言った。

「父親は誰だ?」


 本社に向かう車中、事情を説明するのに苦労した。鈴のこと、任務内容を部外者に洩らすことはできないが、かといって黙っていれば「どこの馬の骨とも分からない男と寝て、子供ができると共に捨てられた」というシナリオが幸雄の頭の中で確立されてしまう。必死に言い訳を搾り出し、ようやく、上司の子供を預かっているということで納得してくれた。

「考えてみれば、お前の歳であんな大きい子供がいるわけないわな」

 失敬失敬、と幸雄は加奈の肩を叩いて笑った。勘弁してよ、と加奈が言う。

「わたしだって、上から押し付けられて迷惑しているくらいなんだから」

 ちなみに鈴は、幸雄の秘書に連れられてどこかへ行ってしまった。どこへ連れていったのか、と問うと

「地元の小学校の生徒が、社会科見学に来ているんだ。ちょうど良いから、あの子にも我が社の見学をさせてやろうと思ってな」

 社会科見学と来たものだ。そういえば、なぜかロビーには小さい子供の団体が目立つ。早いうちから生命工学の分野に触れてもらおうと、毎年秋にはこうした催しを行っているのだと言う。地域住民との触れ合いか、と加奈は呟いた。

「子供にナノバイオテクノロジーなんて、分かるの?」

「分かるようにするさ。次の世代を育てるのも、我々企業人の務めだからな」

 それにしても、と幸雄が言い

「びっくりしたよ、本当に。久しぶりに帰ってきた我が娘が、子連れだったものだから。つい、あり得ないと思いつつもよからぬ想像をしてしまったよ。どうも、似ているからな。あの子」

「誰に」

「お前にだよ」

 また言われた。加奈は困惑しながらも

「似てないでしょう、別に。顔も容姿も、ついでに性格だって正反対よ、あの子とは」

「そうかねえ……」

 と幸雄は目を細めて、鈴が歩いて行った方向を見つめる。相好を崩していたのが、急に真顔になっていた。

「見た目が似ているというよりな、どうも……同じ感じがするのだよ。言葉では言い表せ無いが、まるで……」

 まるで――とそこまで言って、直ぐに幸雄は

「いや、思い違いだろう」

 と首を振る。何が、と加奈が訊くより先に

「さあさ、早いところ検査を済ませてしまいなさい。その後は一緒に食事でもしよう、あの子も交えてな」

 元の笑顔に戻って、幸雄が言った。

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