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夜狗-YAKU-  作者: 俊衛門
28/87

3―4

「で、刻んだ玉ねぎを炒めて、一呼吸置いてニンジンを入れるの」

「ああ、はい……」

「水入れて、中火でね。アクを取るの、忘れないでね」

などと、キッチンの方から声が聞こえる。加奈はテーブルの上で、頬杖を着いて眺めている。涼子が、自宅から持ってきたという圧力鍋をかき混ぜて、鈴が物珍しそうにガスコンロの青い炎を見つめていた。鍋がぐつぐつと煮えたぎって、湯気が天井まで立ち昇っている。

「……なにやってんの、涼子」

「カレー作ったことないの? 加奈」

涼子が笑って、調合されたスパイスを入れた。鈴に、火を弱めて、というと鈴がそれに従う。わざわざ材料を切って、火を通す前時代式の調理を、涼子は好んで行う。カセットコンロなんて古臭い調理器具なんてものを使って。それがいいのよ、と涼子は言った。

「サプリメントや、ヴァット培養の冷凍食品なんて味気ないわよ。やっぱりちゃんと火を通して、下味付けて。それでやっと、食べ物足り得るんじゃないかしら?」

「あーそう……あんたいっつも、そんな面倒くさいことやってんのね」

「最近はわりと流行ってるのよ。それ、ホームセンターで買ったのよ。電磁器具しかない家庭用に、ガス式のコンロを売っていてね」

 だからって、わざわざ持ってこなくても。加奈が言うと

「だって今日はお祝いじゃない」

「なんの」

「鈴ちゃんの入居を祝して」

「いや、それは……上から……」

 鈴が炊飯器の蓋を開ける。これも涼子のものだ。天然ものの白米が焚き上がっているのを、鈴が、わあっと感嘆の声を上げていた。

「できました、阿宮さん」

「涼子で良いわよ、鈴ちゃん」

 はい、鈴は笑った。ここにきて3日、適応能力が高いのか知らないがもうこの家に馴染んでいる感がある。今日なんか、加奈が帰ってくると散らかり放題だった部屋が掃除されていた。

 触るなと言ってあったのに……が、もはや咎める気にもなれなかった。

「祝うようなものでも、ないだろうに」

磨かれたフローリングをみて、セブンスターを咥えるが

「煙草はダメよ」

涼子が横から、加奈の煙草を取った。

「鈴ちゃんがいるんだから、副流煙は有害なのよ」

「そんなもん、生体分子機械バイオナノマシンが……」

 と言いかけて、ああそうかと思い出す。鈴は分子機械ナノマシンどころか、生体素子バイオチップすら埋め込んでいない。例の、奇妙な“隙間”を除いて。

「だからって、ここはわたしの家なんだから」

「そのぐらい我慢しなさいな、なんならこれあげる」

 涼子がポケットからバイオセルロースで包装された、飴を取り出した。

「禁煙飴よ。中身は少量のニコチンと、血液浄化用のドラック・デリバリー・マシン」

「ええっと……」

 透明膜越しの、砲丸めいた飴をつまみ上げて目を凝らし

「つまり、やめろと? 煙草」

「いい機会だし」

 頬杖をついて、にっこりと笑うと

「鈴ちゃん、お皿に盛り付けたら運んで」

「あ、はい」

 ぱたぱたと駆けて、陶器の器に白米を盛り付けてゆく。食器など一つも無いこの家のどこに、そんなものがあったんだ。訊くと

「涼子さんと一緒に選んだんです」

 嬉々として言う。そういえば、こいつの笑う顔は初めて見たなと思った。いつもどこか思いつめたような、悲壮な表情をしていたな、と。

 こいつもこんな風に笑うのだな――当たり前だが、こうして見るとやはり子供だった。鈴も、やはり都市ここでなら笑えるのか、“中間街セントラル・シティ”ではおそらくこんな顔は見せないだろう。

ふと、加藤の話を思い出す。“中間街セントラル”で自爆したという少女の話だ。鈴と同じくらい、と言っていたな――もしそんな子供に遭遇したら、自分が同じ立場だったらどうするかと考えてみる。考えるだけ無駄だった。加奈だったら、即座に撃ち殺している。何度シュミレートしてみても、同じ答えだ。撃って、殺して――多分、その場で忘れてしまう。

加藤は覚えていた。その少女の死を、自分のせいであると自らに枷をはめた。そんなこと、時間の無駄だと加奈は思う。でもそれが、加藤の原動力となっていたとは正直、驚いた。ガキ一人、覚えていることが奇跡だというのに。

加藤をスカウトしたのは紫田だった。2年前、今日からお前たちのチームの一員として働いてもらうと紹介されたときは、どこのストリートギャングかと思った。ラフなジーンズに、だぼついたシャツ。髪を金色に染めた若者を見たとき、正直紫田の見る目を疑ったものだが――少し経つとそれが誤りであったと知る。なかなかに優秀な男で、格闘術はいまいちだが射撃の腕は加奈に並ぶほどだった。おまけに情報戦の心得もあるらしく、先日鈴が誘拐されたときは、衛星追尾システムを一人で操ったと聞く。

その加藤の原点であり、忘れ得ぬ過去。その事件を戒めとして、昇り詰めた。直ぐに記憶を捨てたがる、自分や施設の連中とは違うなと感じた。

場面を、想像してみる。暗い“蟻塚”を走り回って、走る背中を追う。金属の溶けた水溜りを跳ね上げて、帽子キャップを被った子供が逃げてゆく様が目に浮かんだ。

追い詰める、壁際に。銃を構えて、動くなフリーズ、と一言。手を上げるとき、イメージの中の子供が帽子キャップを取った。折り畳まれた、長い黒髪が解ける。その子が顔をもたげた。

 曖昧だった、顔のイメージが積み上がってゆく。そいつが、その顔が鈴の思い詰めた表情を象って――

「加奈? どうしたの?」

 と涼子が覗き込んできた。意識が引き戻される。“蟻塚”の内部からリビングへ、いきなり放り込まれたような心地がして

「あ……いや」

「なによ、ボーっとして。冷めるわよ」

 いつの間にか、加奈の前にはきれいに盛り付けられたカレーが置かれている。ウコンで着色されたルウが照明に反射して、ガラムマサラとクミンの香ばしい匂いがする。艶やかな白米の一粒一粒が輝いていた。

「あ、ああ悪い」

 慌ててスプーンを取る。カレーの山を切り崩して、一口、食べた。

 程よい辛さが、舌の上に転がる。ほのかに、甘さもある。凝縮されたスパイスと野菜のと肉の味がぱっと弾けて、あとは潮が引くように消える。ヴァット培養の肉やクローンの野菜、冷凍ものではこうはいかない。涼子が、火を使った天然物の料理にこだわるのも、分かる気がする。

 二口目にいこうとしたとき

「それで?」

 と涼子が言う。

「何?」

「何じゃないわよ。何か無いの?」

「え……」

 と、スプーンを下ろした。涼子がさらに

「感想とかないわけ? これ、ほとんど鈴ちゃんが作ったのよ。何とか言いなさいよ」

 向かいに座っている鈴に目をやる。上目遣いに、不安と期待が入り混じったような目で加奈を見ている。ほら、と涼子がせっついてくるのに

「あ、いや……」

 鈴のこわばった表情は消えない。それどころか、段々泣きそうな顔になってくる。あまつさえ目に涙まで滲んで……

「な、なんだよその顔は……味は悪く無い、って」

慌ててフォローするが、鈴はしかして大きな瞳を潤ませて顔に絶望感を張りつかせている。

「そうじゃなくて」

 と涼子が咎めるように言って

「美味しいのか、そうじゃないかって事。どうなの」

 どう、と訊かれても……加奈は咳払いをして言った。

 顔から火が出そうになる。

「あ、うん。美味い、よ」

 鈴の顔が明るくなった。


「意外な一面ね」

 涼子がコーヒーを飲みながら苦笑して、加奈は禁煙飴を舐めながら頬杖をつく。一言、「うるさい」と言って。

「慣れてないんだから、ああいうのは。仕方ないだろう」

「いいじゃない、大した進歩よ」

 くすりと笑って、ソファに座ってテレビを見ている鈴に視線を送る。鈴は、子供向けのアニメを食い入るように観ている。よほど気に入ったのか、それとも今まで観たことがないのか。

「コミュニケーションっていうのは」

 と涼子が切り出した。

「言葉だけじゃないのよね。目の動きや、表情筋のかすかな変化、声のトーン、身振り。そうした全部が、相手に伝わると相手の方もそれを受けて対応を変える。難しいのよ、意思の疎通って。言葉だけなら、簡単なのに」

 画面で、極端にデフォルメされたキャラクターが何やら叫んだ、かと思うと大音響とチープなSE(効果音)が鳴る。閃光フラッシュとグラフィックがコンマ何秒、という単位で切り替わった。鈴は瞬きも、忘れているかのようで画面を凝視している。目、悪くするぞと加奈が言っても耳に入らない様子。

「データとして、情報として言葉を送る。迅速だけど、人対人マン・トゥー・マンのコミュニケーションも覚えたほうがいいわよ。これから一緒に暮らしていくなら」

「暮らす、というのは違う。涼子、あんた勘違いしている」

かり、っと飴を噛み砕いて唾液で喉の奥に流す。細かくなったそれを飲み込んだ。あまり美味くない。

「わたしの任務はね、あの子の護衛と監視だ。首筋にビーコンを埋め込んで、どこに行ったか何をしているのか、逐一報告して。プライベートでもあの子に随行して、張りつく。あの子は『天正会』の連中を釣るための餌。言わば……」

 ――囮。

 加藤の言葉が、半液状の有機物体のように絡みついてくる。溶けた指、崩れた触角が具現化して、喉を締め付け、入り込んでくる感じを覚えた。あんな子に、あんな小さな子にと繰り返す単語。“蟻塚”の像が浮かぶ。帽子キャップの子供、膨張する肉体の断片的な視覚情報が脳に焼きつく。

 仕方ないだろう――口の中で呟いた。仕方ない、わたしたちは救うためにやってるんじゃない、これは仕事ビズだ。正義を行うためじゃない。仕方ない、仕方ないんだ……

 ――冷たい人

 明蘭の科白が思い出され、胸を突く。冷たいつるぎに貫かれても、なにも痛みは感じない。ただそこだけが、ぽっかりと穴が開いている。闇が満ちていく感覚、虚無が広がる。この感覚、知っていた。

 欠落ノックアウト、だ。

「でも、なんというか」

 涼子が言うのに、広がりかけた黒い膜が消えた。

「あの子といるときの加奈、楽しそうよ」

「……楽しそう? どういうこと」

「クールな加奈が、あんなに慌てるなんて」

 くすくすと笑う涼子を睨みつけるが、涼子は意に介したようでもなく

「いいんじゃない? 任務とは別に、交流を深めるぐらいは構わないでしょう」

「交流って、別にそんなつもりは……」

 テレビの方を見ると、ソファに鈴が横になっていた。目を閉じて、寝息を立てている。

「あらあら、疲れちゃったのかしら」

 涼子が微笑んで、自分の上着を抜いて鈴にかけてやる。

「じゃ、わたしはもう行くね。ジャケットは明日返してくれればいいから」

「明日、は無理そうだ」

「どうして?」

 涼子が訊くのに、加奈は自分の胸の辺りを指し示して

「明日は養父ちちの所に行かなければならない。年一回の、検査のために。“ゲノム・バレー”まで、ね」

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