2―10
「クリア」
ショウキが言うと、煙の中に骸が4つ、倒れているのが確認できた。4人のうち3人が下顎だけ残して頭が吹き飛んでいる。もう1人は額に帯電針を突き立てて、泡を吹いて倒れていた。
M500の銃口から棚引く硝煙を、西部劇みたいに吹き散らしてショウキが
「あと1人、残ってんなあ」
ショウキの視線の先を、加奈が振り返った。青いバンダナを巻いた、日本人の青年がベレッタ拳銃を向けていたが
腰が、引けている。
「銃を捨てなさい」
静かに命じた。バンダナの日本人はガタガタを震えて、目の焦点もあっていない。もう一度、命じた。
「あんたら、何モンだよ。たった2人で……」
「2人、ねえ。一応、あいつの頑張りも認めてやって」
ショウキが指差す方向には、マシンピストルを引っさげて入ってくる山下の姿があった。山下は転がる死体に蹴躓きながらも、中央で縛られている鈴の元に駆け寄り
「対象を確保」
と告げる。加奈はそれを確認すると
「全く、小遣い稼ぎか何か分からないけど随分杜撰な計画ね。何がしたかったの? 細胞が欲しいなら、まず誘拐なんかせずにその場で削り取るし。それとも臓器が目的?」
「つーか、その誘拐もお粗末過ぎるぜ。あれじゃ、追ってきてくださいって言ってるようなもんだ」
ショウキはシリンダーを抜き取って、銃弾を再装填する。強装弾は撃発時に薬莢が破裂して、シリンダー内部にへばりついてしまう。よって、シリンダーごと交換する必要がある。高くつくから、弱装弾にしろと言ってはいるのだが、この男は聞く耳を持たない。
「何だ、何だってんだてめえら……この人数相手に、こんな……」
死にかけの金魚みたいに口を開閉させて、バンダナはやっとそれだけ言った。
「なんだ、俺らのこと知らないなんて、モグリだな」
「ま、そんなものでしょう。世間知らずのガキは」
短針銃とブローニング、2つの銃口を向ける。
「“特警”、といえばそれでもわかるかしら?」
それを聞いた瞬間、男の目がかっと見開かれた。なにか、とてつもない思い違いをしていた。取り返しのつかないことをしてしまったかのように。
「な、なんで……夜狗が出張ってくるなんて、聞いてねえよ……」
うわ言のように呟いた。もう一度、警告する。いきなり、男が銃を乱射してきた。あまりに突然のことだったので、反応が遅れた。銃弾が加奈の耳元を掠め、大きくよろける。加奈が短針銃とブローニングを同時に撃った。シリコン針が男の肩に突き刺さり、銃弾が背後の壁に突き刺さった。男は銃を乱射しながら遁走する。倉庫の奥の裏口から、逃げた。
「待て」
バンダナの男は錯乱したように、銃を滅茶苦茶に撃ってきた。加奈は射線から身を隠し、短針銃を撃つ。男の背中に突き刺さったが、男は止まる気配が無い。倉庫の裏手に引っ込んだ。
「俺が行く」
とショウキは、左腕に新たな帯電針を装填して
「お前はここにいろ」
と言い残し、ショウキは倉庫の裏口を蹴破った。
ショウキが外に出ると、相模湾の潮の匂いが鼻腔をくすぐった。
直ぐ正面には車が5台、停まっている。いずれも軍用車を改造したものだった。ショウキは見覚えがある、あれは確か三菱が開発した装甲四駆だ。朝鮮で、国防軍が導入したものだが、それをなぜギャングが持っているのか。
ぎゃっ、と絞り込むような悲鳴が聞こえる。
潮の匂いに混じって、もう二つほど嗅ぎ慣れた臭いが漂ってきた。ひとつは、さっきまで倉庫内に充満していた血の臭い。さらに一つ。
闇を携えたものの臭いだ――と感じた。そのような臭気が存在するというわけではない、強いて言うなら空気だった。
“中間街”にいるヤクザやサムライ、それもハイレベルのものになると分厚い空気の層を纏っているかのような重々しい気に包まれている。中で倒れている、チンピラとは比べ物にならない。うねる瘴気、死の粒子帯。
「こいつぁ……」
目の前に、男がいた。
頭の先からつま先まで、真っ黒な男だった。最初に思ったのは、葬儀屋みたいだ、ということ。格好が、それだけではない。そいつが纏うもの全て、死の臭いしか感じられない。刺青が施された顔は、石膏で塗り固めた死に顔のように無機質だ。何もかもが黒い、そんな中。右手に握られた、白銀の刃がやけに眩しく映える。
そいつの足元に、人間の頭が転がっていた。良く見ると、今しがた逃げ出した日本人男のものだった。血が転々と、まっさらなコンクリートにこびり付いている。なのに、刃には血がついていなかった。
「てめえが、やったのか」
ショウキが問う。男はなにも答えない。しばらく、睨み合っていた。やがて男は刀を納め、走り出した。
「待てっ」
とショウキが怒鳴ったが、男は止まらない。背中にむけてマグナムを撃つ。かきん、と金属がぶつかり合う音がした。男の手には、クローム仕上げのクナイが握られていた。そのクナイを、男が投げつけてくる。左腕でもって防ぐと、男の姿は見えなくなっていた。
一体あいつは……と投げつけられたクナイを見る。ぞっとした。
複合チタン殻の――徹甲弾も通さない義手に、クナイの刃半分ほどがめり込んでいた。
横浜港にパトカーが集まって、都市警がわらわらと降りてきた。
「“特警”だ」
と加奈が告げると、若い巡査が最敬礼の姿勢を取った。
「ギャングたちが、我々の重要参考人を拉致し、抵抗されたので全員射殺した。以上だ、異論はあるか?」
「いえ、ご苦労様です」
格式ばって言う。物分かりがいい奴だ、と内心思ったが
「あの子供」
と鈴を指差した。婦警に抱きかかえられるように、パトカーに乗り込むところだった。
「ええ、はい」
「都市警が連れて行くの?」
訊くと、若い巡査は困惑したように「ええと……」などと言って目線を泳がせた。
「多分、はい」
多分じゃないだろう、多分じゃ、とため息をついて
「言ったはず、あの子は“特警”がマークしていたんだ。都市警はギャング共の方を調べて、その子は我々が預かる」
「そうも、いかないな」
後ろで声がした。ベージュのトレンチコートを羽織った、横浜市警の刑事が立っている。加奈はこの男を知っていた。張劉賢、移民でありながら都市警の長官にまで昇り詰めた男だ。強引なやり口で知られ、他の都市警や所轄からも煙たがられている。張は精力的な、脂ぎった顔をしかめて
「ここは都市内部、我々の管轄だ。“特警”が出る幕はないんだよ、本来は。それを、勝手にうちの縄張りで暴れやがって」
縄張り、なんてヤクザみたいなことを言う。加奈は張の全身から漂う加齢臭に眉をひそめながら
「その縄張りで、ガキ共に好き勝手やらせてうちに出し抜かれたのは、どこのマヌケ野郎でしょうかね」
精一杯の嫌みを言ってやる。
「その子供は、こちらで引き取ります」
張が鼻をひくつかせて、醜悪な面を歪ませた。
「調子づいてんな、雌犬が」
「何?」
「てめえらなんぞ、クソの臭いしかしねえ“中間街”がお似合いだ。犬は犬らしく、ごみ溜め漁ってりゃいいんだよ。人間様の居場所まで、しゃしゃり出て来んな」
頭に血が昇って行くのを、どうしても我慢出来なかった。網膜にアドレナリン分泌多寡、の表示が出ているがそれもそうだろう。今すぐ、ふてぶてしく笑う面の真ん中に拳をくれてやりたい――詰め寄って。
「じゃあ人間様。ごみ溜めが相応しいのはどっちか、ここではっきりさせましょうか?」
右手を握り締めた。張は悠然と構えている。周りの警官たちが警戒の色を強めた。張の背後で、山下が懐に手をやっているのが見えた。一発触発、そんな張り詰めた空気が流れる。
「そこまでだ」
という声が、しかしその場を諌めた。
「部長」
加奈が、その存在に気づく。紫田がいつものように、涼しい顔をして近づいて
「長官、ご無沙汰しております」
慇懃な態度で、言った。
「ふん、狗の大将か」
「いかにも。ただし、飼い慣らされた記憶はございません故」
と、じろりと睨みつける。そのひと睨みで、張はうっと呻いてたじろいだ。
「あの娘に関することは、全て総統閣下より特別保安警察に一任されております。どうか、お引取りを」
「き、貴様。こんなことしてただで……」
「もう一度だけ言います、お引取りを」
語尾を強めて、紫田が言った。張は額に脂汗を、びっしり浮かべて。ようやく、言葉を発した。
「ふ、ふん。そういうことなら手を退こう。総統閣下が、そう言うのであれば」
総統閣下、という単語を強調していた。張は巡査に「ガキ共の身元を洗え」だの指示して自分はさっさとパトカーに乗り込んで行ってしまった。
「総統閣下、ですか。らしくないこと、言うんですね」
加奈が、過ぎ去るパトカーを見送って息をついた。
「何だって良い。新伝に繋がる手がかりは、いまは一つでも惜しい。なにより、お前の理性が吹き飛んだりしたらそれこそ手がつけられない」
「あら? これでも冷静ですよ。ちょっとあの間抜け面、整形してやろうと思っただけです」
「それがいかんと言っているんだ。この街も大分不安定になってきたが、だからといって都市内での我々に対する風辺りが弱まるわけではない。特に都市警、彼らは都市が出来る以前からこの街を根城にしてきたのだ。入れ込む気持ちも、分からんでもない」
「いやに同情的ですね」
「そうか?」
紫田は鈴の方に近づき
「怪我はないか」
鈴は、虚ろな目で空を見つめていた。加奈が歩み寄って、鈴の肩に手を置く。
「まあ、無理もないでしょう。あんな近くで人の頭が吹っ飛ぶのを見たのですし、PTSDの可能性がないか専門の機関で――」
最後まで言い切らないうちに、鈴がばっと顔を上げた。潤んだ瞳が見上げてくる。一瞬、言葉に詰まった。
「どうした?」
と訊くと、鈴がいきなり加奈に抱きついてきた。小さな体がぶつかって、細い腕が腰に絡みついてくる。
「ちょ、何?」
驚いて鈴の背中に手をやる。震えていた。しがみついた両腕は、強く結ばれ。薄い肩が小刻みに揺れる。引き離そうと思ったが、かすかに嗚咽するような声の前にそれも躊躇われた。
相当な恐怖だったようだ、無理もないなと紫田が言う。いや、見てないでなんとかしてくださいよと懇願するように返すと
「ほ、熱烈なこって」
いつのまにかショウキが、横に立っていた。見てないでこいつなんとかしろよ、と言うと山下が
「無理そうです」
と言う。紫田が顎に手をやって
「その状態じゃ、話を聞くのは難しいな。今夜は色々ありすぎた」
「ですねえ……」
山下が、感慨深げに頷いた。お前はなにもやってないだろう、と抗議しようとするとショウキが
「部長、センターも潰されちまったし。ここは加奈に一任したほうが安全じゃあないですかね?」
と言う。思わず、「はあ?」と素っ頓狂な声を上げてしまった。
「うむ、一応病院で検査をしたいのだが……この状態ではな」
ウサギみたいに震えている鈴を一瞥すると
「特に外傷は見当たらない。晴嵐、この子をお前に預ける」
「え、いや、ちょっとなに言ってるんですか。普通、こういう場合は本部の施設で」
「あいにく、子供を一晩泊めておくような場所はない。地下の拘留室に置くわけにもいかないだろう。一晩だけ、お前の所に泊めるんだ」
「い、いや無理ですって!」
しがみついたままの鈴をそのままにして、紫田に詰め寄った。ショウキがにやついて
「いいじゃねえか、丁度懐いていることだしよ。お前は一人暮らしなんだから、子供の1人や2人」
そういう問題じゃない――と言う前に紫田が
「それでは頼んだぞ、晴嵐。山下、2人を送ってやれ」
「はっ、心得ました」
と山下は馬鹿丁寧に敬礼した。どうやら、加奈の意向は全く反映されない様子だ。山下が、車を回して来ます、といって倉庫の方に走っていくのを見送って
「なんなの、これ」
抱きついたままの鈴を放置して、力無くうなだれた。