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ロボット技術の発展が、社会の全自動化を推し進めているとしても、こういう仕事はいつの世も人対人であるべきだ――と迫水芳江は思う。児童福祉センターの所長として、迫水はいつもそうした信念のもと業務に当たっているつもりだ。NPO法人“燕の家”、ここに引き取られているのは特に、年端もゆかぬ子供たちばかりであるから、余計に強くそう思う。
ここには年間、20人前後の子供たちが預けられる。その殆どが“中間街”で発見されたストリートチルドレンなのだが、ここ最近は都市内部でも置き去りにされる子供が保護されるケースが増えてきている。浮浪者となるか、ヤクザや細胞仲買人たちの手に渡るか、孤児たちの行きつく先なんて決まっている。一人でも多くの子供たちを救う――なんて大層な使命感を持ってしても、実際に施設を運営することには多くの障害が付きまとう。年間いくらと自治体から補助金が支給されるものの、経費を切り詰め、あとは数少ない義援金を当てにする毎日。人件費削減のため、ここのスタッフは迫水と数十人の職員がいるのみだった。
“燕の家”のような施設は、都市内でも数少なく、孤児たちが例え発見されても彼らを保護する受け皿がないのが現状だった。大体、こんな仕事に就くという奇特な人間が少ない。ストリートから引き上げられた子供の世話するくらいなら、レジャーに買い物、そういう有意義な方に時間を裂くと、都市に住む者の殆どはそう思っていることだろう。現実はそういうものだと、迫水は諦観している。いくら『人権保護』や『人種平等』をマスコミが叫んでも、“門”を出れば“中間街”、秩序が保たれたこの街を出てまで『人権保護』を実行する人間などいない。安全な都市の、“門”の内側にいる迫水とて同じ事。安全と平和が保障されたところじゃなければ、自分以外の誰かのために何かする、なんてことはしないし、実際できない。人権を謳うマスコミと、表面上は同情するそぶりを見せるだけの都市の人間。彼らとわたしは何も変わらないと、迫水は自嘲する。「子供を保護する、慈善事業」なんていっても、結局は自分の身が可愛いだけなんだから。本当に子供たちを救いたいのなら、“門”の外に出て、食べるものも食べず、己の命削ってでもこの“燕の家”に似た児童保護施設でも作れば良い。それをやろうとしない自分は、子供たちを置き去りにする親たちと変わりは無い。
「所長」
と声をかけたのは、大学を卒業したての若い職員だった。彼女は保護施設に来て間もないが、飲み込みが早く数少ないスタッフの中にあって貴重な戦力だった。
「所長、そろそろわたし上がりますね」
ええ、お疲れ様と迫水は旧式のコンピュータ画面を見ながら手を振った。失礼します、と事務室から出て行くのを見送って、コーヒーを一口飲む。スタッフは全員帰宅し、子供たちも寝静まった零時過ぎ。まだまだ終らない、迫水の業務は。キーを叩くと、つい最近受け入れた中国人と見られる少女の顔写真がモニターに映し出される。
鈴、とだけ書いてあるプロフィールには空白が目立つ。一週間前、“特警”が東京で保護したというこの少女の遺伝子を調べた結果、遺伝情報が登録されていない“UNKNOWN”であったと聞いた。どんなに劣悪な環境に置かれた子供でも、各都道府県に設置されたDNAバンクに塩基情報が登録されていればとりあえず身元は分かる。身元が分かっていても、親元に帰れない子供を預かるのが“燕の家”を始めとした児童保護センターの役割。しかし、その身元すらわからないというのは。
この一週間で、“特警”の人間が来ては尋問を繰り返していた。新伝龍三という、今最も騒がれているテロリストについて、または鈴自身のこと。鈴の思想的背景――どうやら自然固有主義を疑っているらしく――に話が及ぶこともあったが、そこは迫水が子供の健康状態を鑑みて止めるよう、指示した。病院で診断した結果、記憶障害が見られたためだ。下手に刺激しては、精神を病んでしまうこともある。
だが奇妙なことに、この少女は知らない大人たちにあれこれ聞かれても怯えることもなく、ひどく落ち着いて受け答えをしていた。もちろん、自分が答えられる範囲で、ではあるが。警察の行き過ぎた取調べで情緒を不安定にさせないか、不安であったのだが……それは杞憂に過ぎなかった。見た目よりも、ずっと肝が据わっている子なのかもしれない。
奇妙と言えばもうひとつ。この“燕の家”にくる子供たち、その人種は実に多種多様で、扱う言語も多岐に渡る。北京語、広東語、朝鮮語、タガログ語を使う子供さえいる。大抵は、子供たちの通訳は迫水が行うのだが。だが鈴は通訳など必要なしに、あらゆる言語を一人で繰る。鈴は、都市でいえば中学生ぐらいなのだが、その年代の子供が習う言語レベルをはるかに凌駕していた。言語だけではなく、この国では高校生でも習わない代数学の知識を持ち合わせており、小さい子供たちに教えているくらいだ。一体、記憶を失う前はどのような環境にいたのか――迫水は、鈴は“中間街”ではない、もっと高次の文化レベルに身を置いていたのではないか、と思った。都市の中でも、かなり教育水準の高い私立の学校などに。そういうハイレベルな教育を受けられる、環境に――。
キーボードを叩く指を休めて、そんなようなことを思っていると。デスク脇のモニターがポーンと鳴った。
画面を映す。
監視システムが、入り口にいる3つの人影の存在を示す。モニター越しに写る影は、少年のようだった。来客だろうか、しかしこんな時間に何の用だろうか。
時刻は零時を20分、過ぎている。難儀だな、こんなときにと腰を上げようとする。モニター越しに少年の一人が、何か筒状のものを担いでいるのが見えた。全長70cmほどで、先端に円錐状の物がついている。どこかで見覚えがあるなと感じた、直後。
下の階で爆音が響いた。衝撃で建物全体が揺れて、迫水は椅子ごと転んでしまった。起き上がると、黒煙が事務室の扉の隙間から立ち昇っているのが見えた。けたたましいサイレンの音が館内に響き渡っている。モニターを見た。先ほどの少年たちがいない。そこで迫水は、少年が担いでいた筒状の物体が何であるか思い出した。昔、ニュースで見た、ゲリラの使うロケット砲弾にそっくりではないか――。
警察を、と慌てて腕をまくりPDAを露出させた。すると廊下から断続的な銃声が聞こえた。あの少年たちが、施設内部に踏み込んできたのだ。いけない、早く子供たちを避難させないと。立ち上がったが、膝に力が入らず床にへたり込んでしまった。足が、自分の物ではないようだ、全く動かない。仕方なく、床を這うようにして事務室を出る。
頭に、冷たいものが当たる。
顔を上げると、バンダナを巻いた、金髪の男がライフルを突きつけて立っている。あなたたち、何者なの、と問うた時。別の男がが廊下を走っているのが見えた。
ライフルを右手に持って
左肩には、気絶した鈴を担いで――。
「ダメ!」
叫んだ次の瞬間には、迫水の脳天に銃弾が突き刺さっていた。
カワサキの750ccをかっとばして本部についたショウキを、加藤が迎えた。
「ショウキさん!」
と加藤は言って、ショウキはバイクから飛び降りると
「状況は、どうなってる」
「“燕の家”が、何者かに襲撃されたのが30分前。対象Aが拿捕された模様」
「犯人は」
「今、照合かけています」
クソ、こんなときに。昇降機に乗り込んで司令部に向かう。紫田と加奈もいない、最悪のタイミングだった。よりによって、東京で保護した少女が攫われるなんて。ショウキが連絡を受けたのは10分前だった。今日一日の仕事を終えて、帰宅途中に突然入った報。対象Aが拉致された、と。
ただの誘拐事件なら都市警の管轄だが、殊あの少女に関してはそうもいかない。途中でバイクの舳先を、本部に戻した。
司令室の自動ドアを潜り抜ける。壁一面のモニターの前には、アンドロイドのオペレータたちがネットワークに接続して、個々に備え付けられた端末とAIを電極で繋いでいる。ホログラムが切り替わり、GPS情報と配列化されたデータ解析、点が点いては消えての繰り返し。めまぐるしく変わる、データと文字情報、数字たちが渦巻いて、塩基演算素子が並列処理するデータをアンドロイドたちが集積し、数値を叩き出してフィードバック。決められた操作をこなしていく。ショウキは端末の前に座りこみ、データを呼び出す。
「“燕の家”、現場はもう滅茶苦茶ですが防犯カメラがやられなかったのは不幸中の幸いっすね。犯人と車、ばっちり写ってました」
と加藤が言う。スクリーンにグラフィックが立ち上がった。車種は特定出来ているようだった。トヨタのクラウン、やけに旧型だなとCGがつくる像を見て思った。
「骨格照合、出ました」
アンドロイドの一つが合成音声を発する。起こせ、と命じるとスクリーンに、3人の男の顔が浮かび上がった。日本人が1人と、白人が2人、いずれも20代前後の若い男だった。頭蓋骨、特に顎の骨格は固体によって違う。個人を特定するのには、X線で走査した骨格データが、DNA判定に次いで最も多く用いられる。
「ヤクザ、じゃないすね。学生?」
プロフィール形式に吐き出された、実行犯の日本人を見て加藤が首を傾げた。ストリートのガキだよ、とショウキが言う。あいつらは一日いくらって小遣いやりゃあ、なんでもするクズ野郎だ。細胞の運び屋から解体まで、金額に応じて汚れ仕事を請け負う。サムライたちが「筋肉」なら、ストリートギャングたちはヤクザたちが用いる「手足」に相当する。
しかし“中間街”じゃなく、環境建築群の内側でこういうことが起こるとは。都市内も穏やかじゃないな、絶対的なものなんかやはりないのかと思いつつ
「オペレーションφを発動」
とショウキが告げる。
「加藤はここで、衛星から監視。ネットから、犯人グループの足取りを追え。俺が追跡するから、そいつを逐一俺に報告しろ」
「了解」
言うや否や、加藤が隣の端末の前に座りこんだ。スクリーンに映ったのは横浜市のマップ、衛星回線から送られる追尾システムが貼り付いている。アンドロイドたちが、高分子マニュピレーターたる人造筋肉の指で端末を叩いて、ネットにAIを同調させる。オペレーションφ――都市の至る所に設置された、監視カメラで同骨格を持つ人間を走査し、衛星から特定車種の追跡を行う。並列化されたDNAコンピュータが、犯人の居場所を突き止める。本来なら違法とされるシステムだが、“特警”に至っては超法規的措置が認められる。
迅速に、かつ正確に――。
「データ、送れよ」
と言ってショウキは司令室を出ようとする。
「あ、ショウキさん」
加藤が呼びとめた。
「何だよ」
「いえ、カナさんにも連絡入れますか?」
「何で」
「今、京都からこっちに向かっている最中なんすよ。一応、この件カナさんも関わっていたんだし。それに何ていうかショウキさんとカナさんって2人でワンセットな――」
「好きにしろ」
加藤の言葉に被せると、ショウキは駆け出した。それどころじゃねえよ、こっちは。こういう、ガキを狙った犯罪は時間との勝負だ。いくら衛星が優秀だろうと、追いつく前に殺されて解体されでもしたら元も子もない。特にあの娘は、新伝に繋がる唯一の鍵かも知れないのだから。
失って、なるものか――。
再び地下駐車場に降りたショウキを、山下が待っていた。
「ショウキさん」
と山下が言い
「お前は後からついて来い」
了解、と山下が車体に架空の工務店名が書かれたバンに乗り込んだ。ショウキもカワサキに乗り込む。懐、左手に手をやった。銃弾は十分にあるか、帯電針は――全て問題ない、と判断してエンジンを吹かす。
『目的地は』
高速に乗ると、コンピュータが言ってきた。PDAと同調させると、AIが了解の意を告げる。しかし、なかなかスピードが上がらない。
「おい、もっと速く走れねえんか」
『法定速度を遵守して、走行しております』
「あとさ、そっちじゃ遠回りなんだけど」
網膜に貼り付けられた、マップ上を移動する赤い光点を見ながら言う。この自律走行バイクときたら、高速道路を迂回して市街地を通るつもりでいる。
『運転は、実際の交通規則に従って走行してください』
「従ってちゃ間に合わねえんだってば」
『繰り返します。実際の交通規則に……』
「あーもういい」
と、自動運転を切って手動に切り替えた。AIが沈黙すると、水素タービンエンジンを一旦、大きく轟かせる。こういうときは融通が利かなくて困るよ、機械って奴は、とハンドルを切ると高速道路を逆走する形となる。対向車線のトラックと接触しそうになるが、うまくハンドルを繰ってそれを避ける。頭を、ボディにくっつけるようにして、メーターが振り切るのもお構いなしに走った。
間に合え、と念じつつ。