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夜狗-YAKU-  作者: 俊衛門
18/87

2―5

 まるで空気が立ち昇るかのように揺るぎなく、柳が立ち上がった。手元が光った、時には細身の刃が抜かれて柳の右手に握られていた。

 仕込杖だ。柳がついていた樫の木で出来た杖、そこの刀が仕込まれていたのだ。鞘が床に落ちると同時に、切っ先を紫田の首につけた。

 反応できなかった。挙動は一切見えず、技の起こりは皆無。ノーモーションで抜刀された刃が、今にも紫田の頚動脈を切り裂かんとしている。

 ――しくじった。

「貴様!」

 加奈は懐から銃を取り出した。プラスティック製の短針銃フレッチャーを柳に向ける。玩具のような安物の銃口が柳を捉えると、黒服2人が同時に、銃を構えた。国産のリヴォルバーを、機械の正確さを以って加奈の頭部、心臓につける。遅れて秋水が、ゆっくりとグロック拳銃を構えた。銃を下ろしてください、と静かに告げた。口調に反して、険しい表情で。

「この距離なら、あなたとて無事には済まないでしょう」

「そこの爺が、刀をどけたらな」

 と言って、加奈が柳と秋水を交互に睨み渡す。引き金にかけた指に神経が集中してゆくのに、銃のグリップを絞り込んだ。秋水が構える銃口が、洞穴のように奥深い。もう一度、秋水は

「銃を、下ろしなさい」

「断る」

 両者とも、一歩も退かない。

 柳は直刀を紫田に当てたまま、視線を加奈の方に向けた。

「晴嵐、加奈さんか。こちらには、あんたの体を砕く武装はないが――」

 その言葉、加奈の身を竦ませるには十分すぎる威力を持っていた。

「わたしのことを?」

「知っているさな。セイラン・テクノロジーの令嬢にして、“特警”のエース。全身に埋め込んインプラント生体分子機械バイオナノマシンには全て自社のものを用いている。セイランの『歩く見本市』ってね」

 柳が乾いた声で小さく笑った。しかし、目は笑っていない。万物を見渡すように睥睨するようで、かつ突き刺す視線。柳の後ろに並ぶ、3つの銃口、そのどれよりも重い圧力を放っている。

義父ちちのこと、悪く言うと」

 奥歯が勝手に鳴りそうになるのを、ぐっと歯を合わせた。顎が痛くなるほど噛み合わせ、その咬合力の強さが刺激となって、神経を走る。皮膚感覚が鋭敏になり、筋肉の瞬発力に作用する。血が満ちてゆく、体の末端にまで。

「気に障ったかの、お嬢ちゃん?」

「貴様……」

 最後は茶化すように言うのに、引き金に力をこめる。

「やめておけ」

 と柳が言って

「その短針銃フレッチャーの針が届くより先に、紫田(この男)の首を掻き切る」

 そう告げられると加奈はなにも出来ない。紫田につけられた刃は、加奈が「撃つ」と思うより先に首を切る。柳の言葉の端々に、そう思わせる何かがあった。脅迫や恫喝の類ではなく、経験に裏打ちされた説得力を持っていて、「必ずそうなる」という確信を与えさせる。それは科学的根拠にも等しく感じられた。

 空気だ、柳の纏う空気がそう思わせているのだ。加奈の体を包みこむように、粒子の雲が漂って。加奈が動けば空気も動く、それが柳に伝われば即、切ることだろう。紫田の首を。

 ゆえに、動けない。

 ――クソッ

 歯噛みしても遅かった。今、紫田の命は完全に敵の手中にある。

「銃を下ろせ、晴嵐」

 押し黙っていた紫田が、口を開いた。この状況でも、顔色一つ変えず柳と向き合っていた。

「し、しかし……」

「斬るつもりならとっくに斬っておる、この男は。間合いの中に入った時点で、覚悟はできておるよ」

 怖れなど感じていない、という口調だった。変わらずに、淡々と述べる。

「それと」

 と紫田は続けた。

「少し、席を外してもらいたい。この場は、この男と2人だけで話したいのでな」

「それは……」

「命令だ、晴嵐」

 ぴしゃりと言い放つ。加奈は不承不承、銃を下ろした。すると柳が

「秋水、お前も席を外せ」

 刀をつきつけたまま言う。秋水が銃を下ろして、黒服たちに目配せする。機械的に構えられた銃は、機械的に下ろされた。

「晴嵐さん、こちらに」

 と秋水が、微笑みながら言った。

「お茶でもいかが?」

 横目でちらと、紫田の方を見やる。紫田がかすかに、頷いた。短針銃フレッチャーをホルスターに収めると、秋水の後に続いて部屋を後にする。最後に、柳を睨みつけて。


 加奈たちが出て行った部屋の中央で、未だ刀を構えたまま動かない柳と、その柳を見上げる紫田が残された。

 刃が、頚動脈の上に置かれていた。

 刀の柄を握る、柳の右手は卵を持つように柔らかい。無駄な力が入っていない。剣先はぶれず、揺るがず。呼応するように、両者の視線が険しさを増す。

 沈黙が一定時間続いた後、

「腕は落ちていないようだな、柳」

 紫田が口を開いた。

「『九段暴動』を思い出す。あの時も、お前に軍刀を突きつけられたな。何と言ったかな、あの時」

「さあ、何だっけ。覚えてねえよ、適当に叫んだんだから」

 柳はそう言って、カラカラと笑った。刀を元の杖に収めて、ソファーに背中を預けるように、どかっと腰を下ろした。目元から険しさが消えると、人懐っこいような笑顔になる。

「この間OB会だったんだろう? 後輩たちをしごいてきたか」

「わしらの頃に比べると、勢いがなくなっていたな。しごくような稽古はつけて無い。あんな稽古をつけたりしたら、たちまち人権委員会の査問にかけられる」

「いまどきの学生なんて、そんなもんだろう。もっとも、勢いありすぎて俺みたいになっちゃかなわねえがな」

 よほど面白かったのか、自分で言った冗句に自分で笑う柳。紫田は、笑えんよ、それはと言ってわずかに微笑した。

「すっかりご無沙汰だな、先輩方にも。あの『興国の政変』がなけりゃー俺だって」

「政変のせいじゃなく、飽くまでお前さんのせいだろう。大学から除籍させられたのだって」

「ま、そうだな」

 柳は先ほどまでとは打って変わって、屈託が無い。居酒屋で昔話に花を咲かせている、好々爺といった風情。だが、これが柳弘明という個人である。人懐っこく、明朗で豪快。そのことを、紫田は知っている。ただ、その素顔はゲリラの長という仮面の裏に、巧妙に隠されている。

 本当なら、昔を懐かしんで酒を酌み交わすことだって出来ただろうに――思っていても口には出さない。かつての盟友は、国家の敵であるのだから。

「懐かしいな、あん時はただ剣を磨いていればそれで十分事足りた。単位を落としまくっていてもな」

 仕込杖を軽く振った。乾いた笑い。細めた瞼が、淋しげだった。

「その杖」

 と紫田が切り出して、黒光りする樫の表面を示す。

「特注か。護身用にしては、刃が厚い」

「こんなもん、ただの飾りさ。軍刀もそう、銃の時代に刀なんざ」

「その割には、実に効果的に使う」

「精神的なものさ、後は見苦しくない最期を向かえるために。サムライの最期は、ハラキリって決まってる」

 紫田は呆れたように――それでも少し楽しげに――息をついて

「変わらないな、お前も」


「大学の時の、お友達なんですよ」

 と秋水が、加奈に湯飲みを差し出していった

「どうぞ」

「いらん」

 と突っぱねた。なんで、敵陣のど真ん中で敵の茶を啜らなければならんのだ、馬鹿め。

「そう、肩肘張らないでもっとリラックスしたらどうです?」

 ここ、置いときますねと湯呑みをサイドテーブルに置いた。濃緑の液体を湛えた茶碗から、湯気が沸き上がった。それが、空調の微風に煽られて形を変えた。渦を巻いて、輪を作り。そのまま、空間に溶けてゆく。

 なにがリラックスだよ、わたしとお前は敵なんだぞ。

「敵、っていうのは自分で作るものなんですよ」

 秋水が湯呑みに口をつけた。

「己の心が作り出すものです。この人は敵、この人は味方、と。その他の要素も絡んできますが、結局は自分の心が敵と味方を選別するのです。瑣末な問題ですよ、そう考えると」

 何故テロリストに説教されなければならないのか、良く分からなかったが。

「父、柳弘明と紫田さんは」

 秋水がお茶を啜りながら言った。

「もともとは同じ学び舎で、剣の腕を磨き合った仲と聞きます」

「部長が? 柳と?」

「ええ。大学で、剣道を」

 だからあの腕か、と先ほどの重圧感を思い出す。起こりの見えない抜刀、正確無比な剣捌き。立つ、抜く、構える。たった三つの動作の中に、鍛え抜かれた戦士の剛胆さと、役者のような気品を漂わせていた。

 しかし紫田が剣道とは。はっきりいって、似合いそうも無い。紫田はデスクワークのイメージしかなかったから。

「昔は友でも、簡単に敵味方になる。自分の心構え一つで、そういうものですよ。所詮は」

「それは少し違うだろう。どちらかというと、立場の問題だ」

 とセブンスターに火をつけると、横から秋水の手が伸びた

「ここは禁煙よ」

 煙草を取って、揉み消した。

「地下だから、煙は厳禁」

「それはいい事聞いた。今度来る時は発煙弾をしこたま持ってきてやるわ。テロリストを、燻り出してさ」

「テロリスト、ね」

 秋水は一言、呟くと

「あなたたち政府は、皆そうね。テロリスト、テロリストって。そう言えば、自分たちの罪を全て他人に転嫁できると思っている」

 秋水が少しくだけた喋り方になったが、そこは特に気に止めず

「どういうこと?」

「“中間街セントラル・シティ”を見れば分かるでしょうけど」

 と秋水が言う。

「都市に入れないのは、ヤクザだけじゃない。むしろ、一般の民衆が多いんだから、“中間街あそこ”に住んでいるのは」

「いや、だからって」

「命を脅かすもの、このままだと先細りだって分かっていて、武器を取るしか選択肢がない。いや、それすらも選択できない人がいるというのに。そういう人たちを全部“テロリスト”という言葉で括るの? 全部が全部、凶悪な殺人者と」

 そうまくし立てた。

「それは……」

 言葉に詰まる。

「あそこに住んでいるのは、国から見捨てられた人。自らの無為無策を棚に上げて、都市の外にいる人間を有害たらしめたのは他ならぬ共和国政府よ。凶悪なテロリストに仕立て上げて」 言うことがいちいち胸に突き刺さる。“中間街セントラル”のストリートから臨む、都市を囲う“ゲイト”をやけに遠く感じていた、子供の時分を思い出していた。

 “中間街セントラル”の汚えガキ――大体がそういう評価だ、あの街の人間に下されるのは。施設にいても、そこから出て路上に出ても。ガキはただのガキ、それ以上でも以下でもなく、なじられて踏みつけられていく。それが普通だった。

 ――それを疑問には思わないの?

 そう、訊いた奴がいたっけ。その問いに、わたしは何と答えたのだろうか。何と――

「晴嵐さん? 聞いてます?」

 秋水が言うのに、我に返った。いけない、またフラッシュバックか。しかし、眩暈はいくら待っても襲ってこない。プラスティックケースを取り出すも、錠剤は必要なさそうだと懐に仕舞い込んだ。

「そうは言うが」

 額の汗をそっと拭いながら

「あんたたちは、少なくとも違うだろう。国民にとっては脅威なんだから、その武装は」

「ま、わたしたちはこれでも筋は通しているつもりだけど」

 すると、秋水は困惑するような顔になって

「どうも、その辺理解していない輩が多くて……」

 そこから先は、何も言わなかった。

 テーブルに置かれた湯呑みから、温度が奪われていく。

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