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夜狗-YAKU-  作者: 俊衛門
15/87

2―2

 ショウキが割り箸を割るのを、ぼんやりと見ている。食堂には、まだ人はまばらだった。

「それだけで、いいのか」

 と、蕎麦をすすりながら訊いてくる。加奈の手元にはサンドウィッチが皿の上に乗っていた。ヴァット培養のクローン肉で加工されたハムをはさんで、野菜は全て温室栽培の物。水気のない、ぱさぱさしたパン生地を口に運んで、コーヒーで無理やり流し込んだ。

「あんたこそ、よくそれだけ食べれるね」

 と、すでに3杯目に手をつけたショウキに言う。傍らには、常人の三人前分ぐらいは収まりそうな丼が二つ、積まれていた。

「腹が減っては戦はできぬ、っていうだろうによお」

 と海老天を頬張った。

「冷凍物を詰め込んで、腹壊しても知らないよ。満腹になると、腹に被弾した時死に易くなる」

「そいつは、お前さんの出来次第だ」

 汁を全部飲み干して、ようやく箸を置いた。時刻は11:40、そろそろ人が入り始める。壁に張り付いたモニターには、国営テレビの映像が流れていた。ノイズとともにキャスターが原稿を読み上げる。

「ほう、見やがれ」

 とショウキが言うのに、透明シートに泳ぐEL分子が造る像を見やる。空港の映像が流れて、飛行機から中年のでっぷり太った男がタラップを降りてくるのが見えた。キャスターが「総統閣下」と呼ぶその男こそ、共和国の長たる中森慎三だった。

「北方領土の視察から帰ったのか。あそこも色々やかましい。5年前も駆り出されたな、俺も。極寒のロシアによ」

「軍務に就いたことが?」

 とコーヒーに口をつけた。化学調味料と添加物が、喉の奥で膜を作るように広がった。舌に感じるのは合成された糖分の痺れそうな甘さのみ。

「択捉に。もっとも雇われの身だったがな。露助どもとやりあったお陰で、元の髪全部焼かれちまった」

 頭をぽんぽんと叩いて、軽く鼻で笑った。解放戦線か、と加奈は思った。日本人ゲリラが北方四島に潜伏して、ロシア軍と衝突しているということは聞いている。

「そういや、お前さんも軍出身だったなあ、加奈。海軍だっけ?」

「陸戦隊よ」

 加奈はぼんやりとスクリーンを見て

「外交努力もしないで、いきなり軍を送り込むってのも短絡的だね。あの禿げた頭に詰まってるのは脳みそか? 単細胞生物でも飼ってるのかしらね」

「やめなって、どこで誰が聞いてるかわからねえぞ」

「ふん」

 と、一気に飲み干すと、空になった紙コップ握りつぶした。遠投の要領で潰れた缶を、壁の廃棄箱に投げ入れるとヴァットに満たされた分解菌が動き出す。

「俺ら、一応政府に使われる身だから」

「聞かれたらまずい? 粛清でもされる?」

「解釈のしようで、どうとでも取られるさ。人権保護法なんてのが出来たからにはなあ……」

 ショウキはそれきり、あとは黙ってスクリーンを見つめる。言うことはもっともだった。

 人権を保護し、差別を撤廃することを目的としたこの法律は人権を侵害する行為、発言を行った場合本人の訴えによって処罰される。ただ、人権を侵害したかどうかの解釈は基本的に曖昧である。なんでもない、当たり障りのない発言がある特定の人間が「差別だ」と訴えればそれが差別的発言にされるということもある。人権を侵害されれば、それを罰すればいい話。だと言うのに、発言の一つ一つをいちいち差別かどうかを吟味するという行為は果てしなく労力を使うわりには効果を上げていない。解釈の違いから、差別でない発言も差別ととられることもある。法律は時に、人を寡黙にする。

「軍にいて、それでどこに?」

 ショウキが訊くのに、加奈は生返事を返した。

「朝鮮半島にも行ったことあるよ、もっともわたしが行ったのは殆ど後片付けみたいなものだったけど」

 軍、か。くしゃくしゃになったセブンスターを取り出して、一本咥える。

「禁煙だぞ、ここ」

「知らない」

 火を灯して、ニコチンを吸い込む。どうせ館内の換気システムが煙を吸い上げてしまうのだから。やること為すこと、人がすることの後始末は全て、発達したテクノロジーがどこかで片付けてしまう。羊水に浸っている胎児を扱うように、何でもかんでも始末をつけてくれる。そういう風に出来ているんだ、環境建築アーコロジーというのは。過保護というか、なんと言うか。その気になれば一ミリだって腕を動かさなくても生きて行ける、ここなら。

 少なくとも、都市の内部では、の話だが。

「朝鮮も、“中間街セントラル”も似たようなもんだった。でもまあ、サムライみたいな妙な連中がいないだけマシか。信じられる? 戦場の方がマシだって思えるんだよ」

「そうかい、まあ分からんでもないが」

 と言ってほうじ茶をすすって

「お前さん、どうして“特警”に?」

 ショウキが訊く。灰を落とす手を、止めた。

「何で、そんなことを」

「いや、だってあまりいねえだろう。セイラン・テクノジーの社長の娘ともあろう者が軍に入って、今度は“特警”だなんて」

「本当の父親じゃないよ」

 と言って煙草の火を消した。

「ストリートで死にかけていたところを、拾ってもらった。わたしは孤児だ」

「だとしてもだ、せっかく拾った命。この都市内部で平和に暮らそうとか思わなかったのか? なんでわざわざ“中間街セントラル”に戻る道を選んだんだよ」

 なぜって――それは。言いかけたとき、また、眩暈がするのを感じた。来たか。腕の端末が、脈拍の乱れを警告している。

「余計なこと言うから」

 ぶつくさ言いながらプラスティックケースを取り出した。錠剤を3粒、最近は都市にいてもあの症状が襲ってくる。

「蝙蝠病か」

 ショウキが言う。錠剤を噛み砕くと、残像は消えてゆく。

「最近、増えたな薬。あまりると体に毒だぜ」

「しょうがないって、こればっかりは」

「何がしょうがないんだよ、だから何でそうまでして“特警”に――」

「黙りなよ、ショウキ」

 声のトーンをいくらか落として言った。

「関係ないだろうよ、あんたには。わたしの問題だし、あんたはいちいちここにいる全員になんで“特警”に入ったか訊いて回っているのか? 詮索屋は嫌われるよ?」

「そういうことじゃなくてだな……」

 ショウキが口ごもっているのに、加奈は

「ま、こういう仕事ってのは他に誰もやる者はいないから。誰かがやらなきゃならない、それが偶々わたしだったんだよ。ここに……」

 と言って、心臓を指差した。

「軍事用の生体分子機械バイオナノマシン、こんなもの埋め込んでいるくらいだ。便利な体だけど、逆に言えば鉄火場に身を置く以外に道はなかったとも言えるかな」

 肉と骨に金属が混じった女なんて、普通に生きていく方が難しいだろうよ、と言う。ショウキは茶色の液体を飲み干して

「俺は、別に“特警”じゃなくともいいんじゃないかと思うがね」

 と言う。

「蝙蝠病なんてのになってまで、続ける理由でもあるのか?」

 ショウキが問うのに加奈は

「別に」

 これ以上話しても平行線だ。話題を変える。

「それで、例の東京の件。新伝の生体が手に入らないという……」

「ああ、それな。うん、そのことについて、なんだが」 

 ショウキがちらりと、モニターを見やった。

「総統殿に呼ばれたそうだ、あそこまで」

 と言う。画面には、宮殿を模したような白亜の建物、総統府が映っていた。



 完全防弾のリムジンに乗り込んで、仰々しく重苦しいスーツ姿のSPに囲まれている。それが、国民が知る中森慎二の姿である。完全防備の、徹底したVIP扱い。そんな風に見られている中森のそれ以外の姿を知るはずもなく、一国の元首として何をしているか、その心労や気苦労など全く推し量りもせずマスコミは好き勝手に書いて国民を煽る。

 まったく大衆という奴は! 自分たちは求めることしかせず、政治に参加しようともしない民衆はただ結果のみをあげつらってどうこう言うんだ。君主を廃して共和制に移行してから20年弱、この国の国民の政治に対する無関心さは国家体制が変わっても何一つ改善されない。ナノバイオ産業を根付かせて、この国の経済発展に寄与したのは誰のお陰だと思っているのか。国民は良く知りもせず、ヤクザをどうにかしろだの“中間街セントラル・シティ”を放置した現政党の罪は重いだの、全て中森個人に押し付けようとしている。知ったことか、なぜあんな薄汚い場所のことまで気を配らなければならない。サムライとかいうバイオの化け物が闊歩するあんなところにやれ経済支援だとかいう名目で予算を裂くなんてことは税金の無駄使いだ。ヤクザに援助するようなもの、それが分からないで安い人権意識を振りかざす。そもそも、“中間街セントラル・シティ”が生まれたのもヤクザがいたからだ。君主を廃した際、当然予想されうるナショナリズムの暴走を許したことで、これまではお上に逆らわない方針を取っていたヤクザたちの台頭を許した。それは初代総統が犯した唯一の失敗と言える。だから、その失敗を取り戻そうと躍起になっているのも事実だった。軍に次ぐ第三の暴力装置、“特別保安警察”を組織してまで。

 その“特警”を統括する紫田遼が総統府を訪れたのが、午前10時。空港から帰って直ぐのことだった。

「来たか」

 と革の椅子に身を沈めて中森が言った。

「北方の視察でお疲れの所、恐縮ですが……」

「構わんよ、呼んだのはこちらなのだから。それに」

 傍らに控える秘書を一瞥する。秘書は小さく会釈して総統室を後にする。察しがいい秘書はどこでも重宝されるものだ。

「例のことか」

「ええ、例の」

 テーブルに備え付けられたパネルに触れて、それが中森の指紋と静脈を読み取る。機械が甲高い音を立てる。四方の壁から駆動音、鉄のこすれる音がしたかと思うと窓と入り口を防護壁がせり上がって塞いだ。防音と防弾を兼ね備えて、自律戦車にも使われている素材だ。これで内部の声は聞かれることはない。 

「『天正会』の資金源が、北宋中華の拉致と関連していたとはな」

「いえ、拉致をしていたのは地元のマフィアで仲買人ブローカーが生体を流していたそうですが」 

「どちらにしろ、同じことだ」

 と中森が頭を抱えた。

「東シナ海側はただでさえ火薬を抱えているんだ。そんな中にこんなことが発覚したら、国際問題に発展しかねんよ」 

 中国が内乱によって分裂した、いくつもの暫定政府のうち国交を結んでいるのは俗に「北宋中華」と呼ばれる北方中華民連政府だった。世界最大の市場は2020年に崩壊し、後に残った軍閥政府のうち国連に国家として承認されているのは北宋中華のみであって、未だ常任理事国に君臨し続けている。漢民族のみで構成された、純粋な中華政府。

「また、私が矢面に立たされることになるのか」

「拉致はともかく、資金の流れを断ち切ることが先決ですな」

 ため息ばかりつく中森に対し、紫田は冷静に言う。

「あの後、私の部下に調べさせまして。やはり、主だったヤクザ組織の資金は京都から流れていますな」

「あの時代錯誤の右翼共か?」

「まあ、右翼と申されましても軍に匹敵する勢力ですから。それこそ国が手を拱いて……」

 中森が睨んでいるのに気がついたのか、紫田は咳払いをした。しかし、現状はそうだった。関西方面のゲリラを制圧するのに、どれだけの金と時間をかけるのかとここ数年マスコミの糾弾が激しくなっている。安易に軍を派遣したら、それはそれでマスコミの格好の餌食になる。国内で軍を動かすことは、移民たちの反感を買うことにもつながる。この国の、軍というものにアレルギーを持っているのはほかならぬ移民だった。先の戦争より1世紀近く経つが、中国人や朝鮮人たちの遺伝子に深く刻まれた反日感情は未だ消えず、それゆえにこの国の軍に対する嫌悪の感情も根深い。誰のお陰で混乱の大陸ではなく比較的平和な島国で暮らせると思っているというのか。無為無策に移民など受け入れたりしたから、今では純粋な日本人よりも多いくらいだ。国政に絡む移民たちの殆どは中国人で、彼らの主張は北宋中華政府の意思を反映したものとなっている。北宋中華政府とは、いまや経済的にも政治的にも結びつきを強めているだけに、下手には動けない。国民と移民が人質に取られているようなものだから。

「京都の背後には」

 と紫田が切り出した。

「台湾国民政府が支援しているということですが」

「それが問題なんだよ、あそこは旧体制の日本国を支持している。その系統を次ぐのが今の京都とされているからな。兵庫の旧軍港を使って取引しているようだが……」

「まるで北宋中華と台湾の代理戦争のようですな」

 と紫田が言うと、中森は語気を荒げて

「それは、わが国が北宋中華の傀儡であるとでも言いたいのか?」

「いえ……」

 紫田が口ごもるのに中森は

「まあいい。そこで、君を呼んだ訳なのだが」

 と言って身を乗り出して

「京都に、行って貰いたい」

 紫田の鉄面皮の表情が、わずかに変化した。眉根を寄せて、

「と、言いますと」

「北宋中華の拉致が、わが国の外交問題に発展する前にその芽を摘んでもらいたい」 

「それは、京都の殲滅ですか」 

「それが出来るならとうにやっている。そのための切り札も、随分前に機能しなくなって――」

 そこまで言って、はっとして口をつぐんだ。訝かしむような顔をしている紫田に向かって

「と、とにかく今は国外の有事が先決、内部で分裂している場合ではない」

「左様で」

 紫田の鋭い視線に、冷や汗をかく。 

「今から言うことは、政府の言葉だ」

 中森が身を乗り出して、言った。


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