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夜狗-YAKU-  作者: 俊衛門
13/87

1―9

「だけど、ヒトとヒトとのキメラなんてねえ。双生児の片割れの血が混ざった、血液キメラなんてのはあるけど完全なヒトのキメラなんて世界中でわずかしか存在が確認されていないわよ」

 加奈はチップを抜き出す。目の前が、マトリックスの光格子のせいでまだチカチカしていた。明蘭は続けた。

「自然に胚が混ざったのか、それとも人為的に遺伝子導入したのか。どちらかね」

「まさか、じゃああの子はサムライだってのか?」

 差し出されたジュースを、鈴がストローを使ってちまちま飲んでいるのを見てショウキが言った。

「でも、それだけなのよ。2種類のDNA、あとは全く異常なところはない。身体に武器を仕込んでいるでも、生体分子機械バイオナノマシンで肉体改造しているでも、ましてや背中に羽が生えているでも角が生えてるわけでもないの」

「そんなのは見ればわかる」

 長らく技術畑にいたためか、明蘭はサムライについての知識は乏しい。羽や角がなんの役に立つんだよ、馬鹿め。

「それで、一体あのはどこの……」

「それはわからない」

 明蘭が首を振った。

「得られたDNA情報を元に、国内の民間遺伝子データベースを全てあたってみたけど合致しなかった。全て、“UNKNOWN”。あのコの遺伝子は、どこにも存在していない」

と投げやりに言う。

「海外のは?」

「全部だめね。犯罪者リストも当たってみたけど、なかったわ。あの塩基登録は、都市部の人でも“中間街セントラル”の人でも平等に課せられているというのに。生れ落ちたら戸籍とともに細胞を提供して、遺伝情報コードは保管されなければならない……でもそれがされていないということは」

「主義者の子供、かもしれないだろう」

 鈴の方をじっと見つめながら、加奈が口を開いた。

「何か?」

「自然固有主義者。過激なのになると、子供の塩基登録を拒否する親もいるって話だ。なにせ生命工学の進歩を望まない人間だからな、あいつらは。時代遅れの宗教家」

「だとしても、じゃあなんで子供に遺伝子導入を? 一番、奴らが嫌ってることじゃねえか」

 さあ、双子の片割れの胚が混ざったんだろう。言うと、パイプ椅子を引き寄せて座りこんだ。背もたれに肘をついて、足を組んでそれでも鈴から眼を離さない。鈴がまた、ぽつりぽつりと話し始めた。あまり覚えていません、気がついたらあそこにいました、じゃああなたのうまれは、それも覚えていません――マイク越しに聞こえる声は弱弱しい。明蘭は腕を組みながら

「記憶が混乱しているみたいね。多分、これ以上は何を聞いても無駄よ」

 かわいそうに、と洩らした。

「あの子供に、同情でもしているつもり?“中間街セントラル”じゃその辺に腐るほど転がっている話だってのに」

 加奈が言うと、明蘭がきっと睨んできた。

「そういう言い方、ないんじゃないの。あんな小さな子に」

「良く有る話だもの、だって。あの街にいるガキが辿る運命は二つ。ヤクザの手足になって使い捨てられるか、野垂れ死ぬか。体に爆弾巻いてなければ、あの子供は大方ヤクザどもの性欲処理さ。ケツの穴まで犯されてさ、精神を病んで記憶を手放したのかもね」

 過去は呪縛だから、と言い添える。

 珍しい話ではない。“中間街セントラル・シティ”の構造は契約に基づく公共性ではない。一番簡単で原始的な自然淘汰、ダーウィニズムの論理が前提となっている。適者生存のメカニズムが凝縮されている、悪徳都市バビロン。ホッブズが提示した自然状態が唯一の秩序だった。あそこで必要なのは力、そして金。それがなければそうさ、あそこじゃ実験用マウスをすり潰すより簡単にくたばる。

「あの子はまだ幸運ラッキーな方だよ、この都市内に来れただけでも」

 セブンスターの封を切って、最後の一本に火を点ける。絹糸を流したような煙が一筋立ち上がり、ニコチンが肺の奥に充満してゆくのを味わう。

「まるで見てきたように言うのな」

 ショウキが言うのに加奈は

「そう、見えるか?」

 燃え尽きた灰をヴァットに落とす。


 

 大した収穫も得られず、時間を無為に消費するだけの取調べが終ったころは夜。網膜は19:00を刻んでいた。

 少女は児童保護施設に送られることが決定された。

「別に構わないけど、なんでわたしたちが送るんだ……」

 ぼやく加奈は車の中。自動操縦オートマチックに舵を取るポリマーのハンドルに、道路沿いに据えつけられたLED灯の光が反射して粒子を散りばめたようになっているのをぼんやりと見つめていた。助手席に座っているショウキは、mp3からブラームスだかを聴いて深く瞑想するように目を閉じていた。

 ミラー越しに、後部座席を見やる。

 真新しい服を与えられた鈴は、スカートの裾を握り締めている。紺色の生地から覗く白い膝は淡く、きめ細かい肌は広告塔のネオンには不釣合いだった。女たちが夜ごとクリニックへ通いつめナノバイオ技師にオーダーメイドで作らせる、ヴァット培養の切り貼りされた表皮には当てはまらない。生まれてから一度も手を加えたことのない、滑らかな肌をしている。 差し込む街の光が、虚ろな目で窓の外を眺める横顔を浮かび上がらせる。まっすぐな黒髪が首筋に纏わりついて、触れたら簡単に壊れそうな薄い肩はかすかに震えていた。移ろう景色には関心を持った様子もなく、ただじっと無機物めいた目を外に向けている。

「都市は初めてなのか」

 と訊くのにも返事が返ってこない。漂白されたような喉がかすかに上下した。

 無視かよ。

「あんた、そんな性格じゃあこの先苦労するよ。この後行くところは、あんたみたいなガキを保護するNPOだけど、引き取り手がいなければいつまでも施設にはいられないんだからね。今のうちに愛想良くしときな」

 ちらりと隣を見ると、ショウキはやはり黙して語らず。ワイヤレスイヤホンから、かすかに音が洩れている。というより、寝ているんじゃないだろうなこいつは。

「“中間街セントラル”もつらいけど、だからといってここが楽というわけじゃない。“中間街セントラル”上がりにとっては、特に」

 同じような景色、形式化された街。生活基盤の全てが、この環境建築の都市で循環される。円環サークル状に建設された企業ビルとプラントが生産し、建造物の下を歩く人間たちが消費する。排出されたエネルギーの残滓、スクラップは分解されて再利用される。完璧で完全な自然の周期サイクル、だがそれゆえに一度かみ合った歯車に新たに追加する部品が入る余地はない。ルーティン化された都市のシステム、精密機械のように自動オートな街。そうした、精緻な構造は一つ“ゲイト”を超えると通用しなくなるというのは妙な気分にさせられる。

 その“ゲイト”に近い所、都市の中心部より外れたところにその施設はある。NPO法人“燕の家”は、主にストリートチルドレンの保護と教育を国からの援助で行っている。加奈が車を着けると、円筒形の建物の中から40代後半ほどの女性が出てきた。所長と名乗ったその女性は、鈴を認めると中へ入るよう促す。

「ほら」

 加奈がせっついた。鈴は唇を噛んで、俯いたままだった。人のよさそうな所長が、大丈夫よ、怖がらなくてもと言うのにもまるで無反応。

 肩が、震えていた。鈴が左手で、加奈のスーツを掴む。柔らかい力が引っ張ってきて、加奈はため息をついた。

「そうやってわたしを困らせたいんだろうが……」

 無理やり引き剥がして、女所長に引き渡す。

「あんたとはもう、これっきりだ。取調べは他の者がするし、しばらくはあんたも病院通いだろうよ」

 加奈が言うと、鈴はやはり俯いたままだった。行きましょうと言って女所長が鈴の手を引く。建物に入る前、鈴が一瞬振り向いたが直ぐに半透明のドアの向こうに消えた。

「随分とまた、センチメンタルだね」

 ショウキが欠伸をしながら言う。やっぱり寝てたのか、この男は。

「嫌がらせのつもりだろう。わたしが気に食わないんだ、あの子」

「そうか? そうは見えなかったけど」

「どう見えようと知らんよ。もう会うこともない」

 円筒形の施設の窓、2階部分に鈴と女所長の姿が見えた。なにやら色々と説明を受けているが、鈴は黙祷しているような俯き姿勢を崩さない。この先、都市の人間として生きていかなければならないのにあれではな――もっとも加奈には関係のない話だ。

「なんかよ、あの娘。お前に似てる気がするな」

 ショウキが出しぬけに言った。

「はあ? どこがだよ」

 と加奈が返す。

「見た目も違うし、第一わたしはあんなウジウジした性格じゃない」

「そうだけどさ、そういう容姿や性格というんじゃなくて……なんというかお前さんを子供にしたらあんな感じになりそうだなと」

 何言ってんだこいつ、と思ったがこれはショウキ流のジョークなのだろうか。こいつは時々真顔で大惚けかますからな、と首を振って。

「全く、あんたって訳がわからないよ。馬鹿なこと言ってないで、さっさと帰るぞ」

 加奈は車に乗り込んだ。

 水素エンジンの、清澄で滑らかな駆動音がする。網膜に表示された、時刻は19:49、加奈はGPSの液晶を叩いた。頭上には、三日月が掛かっている。ふと見やると鉄の双璧が夜に溶け込んでいた。“ゲイト”が直ぐそこに、視界の先にある。ビルの谷間から見える鉄の壁。その先は荒涼の街。砂利と鉄屑、錆び付いた骨格。


 ――“中間街セントラル・シティ




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