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「ご苦労だった、2人とも」
東京から舞い戻った加奈とショウキに、紫田は労いの言葉をかけた。
「新伝を追い詰めることは出来なかったが、まあこういうことは間々有ること。次の機会にかけるとしよう。それに、全く収穫がなかったわけではない」
「あの娘のこと言ってんですか」
ショウキと並び、加奈は軽く睨みつけてでそう言った。腕を組んで、いかにも不満であると。あれから所轄に状況を説明し、引き上げてもらってから少女を連れて帰ったのだが。帰りの車内で他の乗客からの好奇の目に耐えなければならなかった。
「お前たちが持ち帰った煙草から検出した唾液を解析している。あれが新伝のものであれば、少なくともあそこにはいたということになる。煙草の減り具合からして、お前たちが踏み込む10分以内には、な」
「しかし、他に逃げ道はなかったんだぜ? 裏口は固めていたし。煙のように消えたってのかよ?」
ショウキが言うと、紫田は顎に手をやって言った。
「お前たちが正面でサムライ相手に大立ち回りを演じている間に、正面から逃げたのかもしれんぞ。堂々とな」
「い、いやそれは……」
「必要だから、そうしたまでです」
加奈が横から答えた。
「あのまま何もしなければ、突入することも不可能でした。特殊弾頭を使わないよう努力して、あの結果です」
責められるいわれはないとばかりに噛みつくが、紫田は、別に責めているわけではないがと断って
「まあいい。あの部屋で何があったか、それを知るためにあの子を保護したわけだ。今あの子は科学班にDNAを調べさせている。それが終り次第、取調べを」
解散だ。そう言うと、紫田は立ち上がる。
マジックミラーの向こうに、例の少女が座っている。スチール製のデスクの向こうには女性職員が一人座っていた。相手が未成年であることを考慮してか、取調官はその一人のみだった。向かいの女性職員が、質問をしているのに少女はぽつぽつと答えている。
「名前は、なんていうの?」
「……鈴」
それだけ言う。中国語のイントネーションだった。やはり移民かと思ったが、次に職員が質問したことに対しては流暢な日本語を話していた。
「両親は?」
「……いません」
「そう。親戚とか兄弟は?」
「……それも、いません」
マジックミラー越しに、マイクで伝えられる鈴という少女の声はやはりどこか怯えがあるもののしっかりとした口調だった。
「ありゃ、日本人なのか? てっきり移民かと」
隣のショウキがそう言った。どうやら、加奈と同じことを思っていたようだ。もっとも、最近では移民の多くは日本語を学んでいるので喋れたとしても不思議はないが。
注意深く見てみる。シャワーで汚れを落として着替えると、さらに気品を漂わせるものとなった。大人しく膝に手を置き、俯き加減ながらもしっかりと職員を見すえている。年齢のわりには気丈な性格なのかもしれない。薄い唇を噛んで、何かにじっと耐えているかのようなそぶり。黒い、大きな瞳が少し潤んでいる。
「あの娘、大きくなったら美人になるな」
ショウキが言うのに、加奈が怪訝な顔になった。
「なにあんた、やっぱりそっちの趣味があるの」
「違うわド阿呆。俺は可能性を指摘しただけだ」
ショウキがムキになって否定するのに、少しだけ可笑しさがこみ上げてくる。少しだけ微笑して
「ま、今がどうだろうと20歳を過ぎれば整形用分子機械なんてものもあるんだ。目の大きさ、鼻の高さ、骨格に至るまで自分の顔を好きなように造りかえられる。外からメスをいれることなくな。美人かどうか、なんて基準は分子機械の出来次第でしょう」
「なら、お前の顔もマシンで造ったものか?」
「なぜそうなる」
するとショウキは少し顔を背けて
「いや……顔が云々言うなら、な」
この男、なにかというと口ごもって押し黙る。何が言いたいんだ、と聞き返そうとするが、ドアがけたたましい音を立てて開いたのにタイミングを逃してしまった。
「はあい、ショウキ。元気している?」
鼻にかかった声が響く。ショウキが顔をしかめた。
「出たよ、顔どころか全身整形女が」
「なによお、つれないわね」
うんざりしたように言うショウキにしなだれかかったその女からは、きつい香水の匂いが漂ってくる。涼子のとはまた違う、存在を主張するような甘ったるい匂いだ。白衣を着てはいるものの、下に着ているのは胸元の大きく開いたゆったりとした服。派手派手しい、どぎつい色をした口紅がやけに目を引いた。一見するとどこの商売女だと思いたくもなるが、白衣の左胸部分には“特警”の幾何学模様のロゴが縫いつけられている。
「明蘭、そういうことは他所でやってくれないかな……」
「なによ、加奈。妬いてるの安全」
と猫なで声で返す。明蘭はショウキが嫌がるのも構わず、首に手を回して豊満な胸を押し付けている。加奈は爆発しそうな苛々を押さえ込みながら
「遊びに来たんなら帰ってよね。こっちは東京から帰ってきたばかりで気が立ってんだから」
「ああ、そうね。東京で無様にコケて尻尾丸めて帰ってきたんだっけね」
真っ赤な唇から飛び出してきたのは、いつものことであるが馬鹿にしたような皮肉だった。この女は、ことあるごとに加奈に突っかかってくる。これで科学班のチーフだというのだから。明蘭はショウキに身体を密着させて
「どうでもいいけどね、あたしのショウキの足引っ張るようなことしないでよ? あなたみたいなガサツな女といると、ショウキまで毒されちゃうわ」
「誰がお前のものになったんだよ、誰が」
離れろ、とショウキが無理やり引き剥がすと明蘭は吐息をショウキの耳に吹きかけた。
「んもう、照れちゃって」
「照れるか阿呆。俺はガキには興味ないがババアにももっと興味がねえんだよ」
明蘭は、見た目は20代後半といったところだが実年齢は80を超えている。生体分子機械によるアンチエイジングで、モデルでも通用しそうなプロポーションと美貌を維持しているのだ。ドラッグ・デリバリー・マシンで細胞外マトリックスにコラーゲンを導入し、筋肉組織の衰えをプロテインマシンで補っている。21世紀初頭、生命工学による不老長寿の可能性を提示し、それを具現化したのもセイラン・テクノロジーであった。治療目的の生体分子機械は、マイナスの状態をゼロに戻すためのものだった。それが現在ではゼロの状態をプラスに、肉体強化や美容目的に用いられるようになっている。“特警”内部でも、明蘭のようにアンチエイジングマシンを埋め込んでいる者と加奈のように強化マシンを埋め込むものが多くいる。
「つまんなあい、ショウキったらあたしよりこのゴリラ女がいいっての? 色気も何もない男みたいなのに」
「明蘭、顎割るよ?」
加奈が握り拳を作って、その拳がわなわなと震えている。明蘭はわざと黄色い声を上げてショウキの背中に隠れた。なんだってんだ、全く。
「明蘭……」
うんざりといった様子でショウキが息を吐いた。
「遊んでないでさ、そろそろあの娘の解析結果を教えてくれよ。そのために来たんだろうに」
「解析?」
明蘭は笑いながらICチップを差し出した。
「あのコのDNAシークエンシングの結果よ、これ」
全くこの女は。ふざけているようで、やるべきことはやっている。伊達に長生きしているわけではないらしく、仕事はきっちりこなす。科学班の筆頭を勤め上げるだけはある、それは認めなければならないだろう。その他諸々は気に食わないが。というより、ちゃっかりまたショウキの腕に絡みついている。加奈が黙ったのを良いことに。
「貸してみ」
顔を引きつらせながらチップをひったくり、腕の端末に差し込んだ。
金色の格子が網膜に瞬いて、螺旋に飛来する粒子の欠片がちらつく。数列と記号、視覚情報の海に浸って行く視界。断片的な情報、数式が幹から枝へと伸びて行き、やがて四文字のアルファベットの配列が形を帯びる。
生命の源、肉の器を作り出す遺伝情報が算法の正確さを以って縦横に表示された。整然と並ぶA、T、G、Cの文字は、本来は有機化合物の2本の鎖によってつながれている4種類の塩基だ。それが一つのデータとして提示される。果たして遺伝情報の鎖が解かれて、数式となった。
ヒトの塩基配列、遺伝子そのものを同じく生物の塩基で形成された分子コンピュータで表示されるというのは毎度のことながら妙な気分に陥る。
データを閲覧しているど、
「あのコ……鈴ちゃんっていったっけ? DNA鎖を2本持っていたわ」
「キメラか」
すかさずショウキが言った。一つの固体に複数の遺伝情報を持つ生物をギリシャ神話になぞらえてキメラと呼ぶ。通常、2個以上の胚が混ざりあい、一つとなったモザイク胚から発生した固体であるが異なる動植物の胚を混合させてクローニングする技術はすでに30年前には確率されていた。寒冷地、砂漠地帯でも育つ穀物やより多く肉が取れる食肉用の家畜など、その用途は幅広い。食肉用のキメラは食糧問題に瀕した国ではもっとも喜ばれる。過去、食糧自給率の問題が指摘されて以来、食肉キメラの創造は政府から認可されて大々的に行われた。その結果、先進国中最下位という食糧自給率をどうにか平均の水準まで引き上げることに成功した。
一方で、こうしたクローニング技術を使えば、理論上ヒトと動物との集合胚、キメラを生成することが可能となる。ヒトの胚に動物胚を混ぜた胚を「ヒト性集合胚」と呼ぶが、これを造ること自体は、21世紀になりたてのころは禁止されていなかった。ヒトと動物のモザイク胚を作ったとしても、それを再び子宮に戻さなければキメラは生まれない。しかし20年前、生命倫理法が制定されとそうした集合胚の製造も「倫理に問題がある」として全面禁止とされた。もし、こうした集合胚を胎内に戻せばヒトと動物の混合生物が生まれるかもしれない、という理由からだ。