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夜狗-YAKU-  作者: 俊衛門
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空想科学祭出展作品です。

 眩暈を伴うまどろみから覚めると、眼下には墨を流した排水と同じ色の駿河湾が広がっていた。


 空艦艇“ハチドリ”が唸る、振動を肌越しに感じて窓を開ける。分子モーターが収縮するときの、独特の重低音。腐りかけの肉に群がる羽虫と同じ声で鳴く。ただし、今聞いているのはその何十倍もの喧しさをともなって、重さ25tもの機体を空中に停止させている。生物機能工学が生み出した4対の羽が、機体の前後から伸び、羽ばたいている。毎秒2000往復という呆れるほど落ち着きがないセラミックとシリコンの融合翼。効率は良いかもしれないが、この五月蝿さは敵わないなと合成飲料を飲み下し、晴嵐加奈せいらん かなはセブンスターをくわえ込んだ。細く煙が棚引いて、潮風に散りゆく。

 外の光景、流れてゆく景色に目を奪われる。

 湾の向こうに、静岡の環境建築(アーコロジー)群が煌びやかさとある種の毒々しさを伴った光を放っていた。黒くそびえる企業の構造物群、官公庁と遊技場(アーケード)。密集したビルとビルの間、またはその天頂。煌々と照る、ネオンとLED照明。都市を縫うように張り巡らされた、蜘蛛の巣状の高速道路(ハイウェイ)上を、ハイブリットカーたちが毛細血管を行き来する血球のごとくに忙しく走っている。

 ビルの谷間には、青白い光の筋がナイフで切りこみをいれたようになっていた。広告塔が購買意欲を無理やりに想起させるべくどぎつい色の画像を映し出し、突き出たビルの上空に売り出し中のアイドルのホログラム映像が写しだされている。虚像の上に旋回するのは、自律AIを備えた広告用飛行船だった。カーボンとガラス繊維で編みこまれた、風船の内側にヘリウムガスが一杯に詰められている。電光文字が点滅して、加工された紫水晶(アメジスト)の粉をまぶした、浮遊する玩具が都市上空を流れていく。幾千の鉄とネオンの下に蠢くのは、微生物のような人の群れ。

 都市に住むことを許されたのは、それでもほんのわずかな人間。その事実を思えば、大量消費に裏打ちされたあの環境建築(アーコロジー)群も小さなものに思われる。人工的に造られた繁栄、一種狂気じみた幻想が生み出した享楽社会。資本主義が勝利を向かえてから約1世紀、人類がたどり着いた桃源郷。けど、その恩恵を受けうるのはごく一部。わたしもその中の一人なのだろうか、と加奈は思う。格子状の薄赤いネオンが走性を持つ細菌のように走る広告塔を横目で見ながら、都市の南側に目をやる。

 そこは何もない闇だった。一切の建造物は見当たらない、ように見える。だがわずかだが、そこにも人の居住空間が広がっている。粗末なバラックが立ち並ぶスラム群がある。もうひとつの街、環境建築(アーコロジー)群に入れない、“門”の外へ弾かれた人々の。かつてあそこにいたときとは、雲泥の差がある。並び立つ二つの都市を見比べて、どちらが都市たらしめているのかは明白だった。わずかな食糧、芋の切れはしを奪い合うような街が優れているということはないだろう。

 スラムから環境建築(アーコロジー)群へ。それは喜ぶべきことなのか、分からない。初めてあの街、電子とネオンの都市に入った時は現実感がなかった。夢か、もしくは自分の意思に反して脳に直接、映像を見せられているとしか思えなかった。ここで住んでも良い、と聞かされたときも。おそらくスラムの連中なら狂喜するだろう、そんな話。だがそれを告げられたときも、そして実際に住んでみても、非現実的で浮遊するような不安定感が拭えない。それは、あの街で暮らして15年経つ今でも変わらない。

「加奈、そろそろだ」

 と言う声が、耳元でする。半ば放棄しかけた意識が、引き戻された。振向くと鍍金加工したような銀色の髪が加奈の目の前で揺れている。派手な頭髪には似合わぬ渋い顔をした、30過ぎの男が覗きこんでいた。

「ショウキか」

「ショウキか、じゃない。なにボケッとしてんだよ」

 ショウキは呆れたように言う。

「別に」

 加奈はセブンスターの火を消す。“ハチドリ”に備え付けられた分解ボックスに吸殻を投げ捨てると、半透明のヴァットの中でものの3秒も掛からずに溶けてしまう。廃棄物を分子サイズまでに分解する、環境修復用の磁性細菌が溶液に浸っている。艦内にはおかげで塵一つない。もっとも、溶液をこぼしたりしたら艦そのものが分解されかねないから注意が必要なのだが。

「“ゲノム・バレー”がそんなに面白いか」

 ショウキがハッチを閉めて風が入り込むのを遮る。加奈は立ち上がって肩をすくてみせる。まさか、というように。環境建築(アーコロジー)を見てもなんも満たされないさ、遠くからでも近くからでもさ。

「なら、んな熱心に見ることもないだろう」

 ショウキはそう言うとmp3のワイヤレスイヤホンを外す。一瞬だけ音が漏れて、聞き覚えのある旋律が流れる。ヴィヴァルディか、と言うとショウキが良く知っているなと大げさに驚いた。よく言うよ、この男はネットからいくらでも最新のヒットチャートを落とせるというのにクラシックばっかり聴いているのだ。暇さえあれば、どこででも。そんなものだから、少し聴けば曲名と作曲家の名前まで浮かぶようになってしまった。イヤホンから音が洩れてきた。  『四季』、か。

「あんた、大概に古典的(クラシック)なんだよ。趣味が」

 そうかね、などといいながらショウキは左腕の有機ディスプレイを確認する。グローブとボディーアーマーの隙間から垣間見える、黒金の地肌。手首に刻まれた、不自然な関節。クローム加工された旧型の中国製の義手には、最新のPDAチップはいやにアンバランスである。

「それなのに、髪は移植毛髪か」

「うるせえな、俺は毛根が弱いから仕方ねえんだ。お前こそ、なんだよその茶髪は」

「これは天然よ」

 肩まで伸びた、栗毛色の艶めいた髪を一つに束ねるとゴムで止める。少し長さが足りないポニーテールにしてから

「もっとも、最初から最後まで造られたなら……」

「なんか言ったか」

 ショウキが胡散臭い目を向けるのに、加奈はなんでもないというように手を振る。


 紫田遼むらた りょうは67歳。平均寿命が120を超えたこの国では、決して老いた方にはならないものの真っ白に色の抜け切った髪と深く刻まれた皺は紫田をあと20歳ほど老けたものに見せる。もっとも老けて見えるのは外見のみで、矍鑠とした機敏な動作やしゃんと伸びた背筋はむしろ若々しい。金をかけて外見をいじれば、もっと若く見えるのにと女性職員の間ではもっぱらの噂である。ただ紫田本人は、そうしたことに価値を見出せないのか外見はおろか体の内部にも手を加えない。単純に保守的なんだろう、というのが隊員たちの紫田に対する評価である。

「科学班の“猟犬”が嗅ぎつけたところによると」

 と言って鋭角につり上がった目で他の隊員たちに睨みを利かせる。壁には20インチの有機ディスプレイが貼り付けられており、画面を遮らない位置に紫田が立っている。そして前方に並べられたアルミ椅子には、タクティカルスーツに身を包んだ7人の人間が座り殺気立った空気を漂わせている。暗い室内の中で、唯一光を放つELディスプレイ。紫田と、最前列に座る男たちの顔を照らしあとは影となっている。青く塗りたくられた画面の中央には三角形が三つ合わさったロゴマークがあり、ロゴの真ん中には縦書きで“特警”と記されている。紫田が端末に触れると幾何学文様が消え去って、一瞬ノイズが走った。有機EL素子が乱れた、と思うと次には濃緑の構造物が映し出された。

「山下はどうした」

 端末を注視していた紫田が、ふと顔を上げて目を細める。画面を見ながらガチャガチャと銃をいじっていた他の人間は手を休めて互いの顔を見る。

「酔ったらしいっすよ」

 一番後ろでライフルのバレルを調整していた加藤が言う。

「“ハチドリ”って、結構ゆれますもん。気持ち悪いって言うんでトイレ行かせました」

 髪を金色に染め上げて、唇と両耳にピアスをあけた、いかにも俗めいた若者である。話し方にも緊張感というか、どこか浮ついた言葉遣いが抜けない。隊員たちの間からくすくす笑いが洩れる、しかし紫田は無言で目つきだけ鋭くさせた。眉間により一層険しさが刻まれる。

「ブリーフィングがあることは分かっていただろう、勝手な行動を」

「いいじゃないっすか。ここであいつのゲロかぶっちゃ、作戦もへったくれもないでしょう。臭いでバレる」

 また、笑いが洩れる。さっきよりも一オクターブほど、高くなって。紫田は苦々しく奥歯を噛むと、「まあいい」と言って再び端末に向かった。

「“猟犬”によると――」

 と言って続ける。

「先月の六本木爆破事件、その現場で採取した成人男性の生体を解析した結果、広域指定暴力団『天正会』系組員10名のサンプルを採取。“猟犬”がそのデータを元に追った結果、潜伏場所を特定した」

 紫田が言うのと、隊員たちが唾を飲み込んだ音が聞こえた。加奈は少し上体を乗り出して、画面に注目する。“中間街(セントラル・シティ)”と呼ばれる、旧市街地には良くある密集型建築物のようだ。環境建築(アーコロジー)群にはないタイプ、古い建築様式に従って建てられ、そのまま放置されたものである。

 コンクリートを塗り固めた粗末でかつ巨大な伽藍は、映像で見てもはっきり分かるぐらいに痛んでいた。壁のあちこちに穴が開いて、入り口付近に瓦礫の山が積まれている。人工の石で編まれた“中間街(セントラル・シティ)”を象徴する、旧時代の遺物。都市に住まうものたちがとっくに過去のものとした、巨大な“蟻塚”がそこにある。途方もなく、馬鹿馬鹿しいまでの労力を動員して磨かれた、フラットな鏡面の構造物とは違う。煤けた壁と脆い柱の。

「六本木事件で検挙した組員からの情報によると、今夜『天正会』と中国系マフィアと接触するということだ。今回は――」

 その映像を見ているうちに、脳裏にさまざまなものが勝手に浮かんでは消える。思い出すとき、大抵それは水とオイルと血液の臭いを伴っていた。暗い通路の先にずっと広がった空洞の底に溜まった、黒い液体。むせ返る、湿気と生臭い空気。目の前に星が閃く。フラッシュバック――。

「加奈」

 ショウキの呼ぶ声に、我に帰る。手のひらは汗に濡れていた。

「なにやってんだよ、またボーっとして。寝不足か?」

「いいや」

 頭を振って、幻影を追い出す。肺の奥に溜まった息を吐き、替わりに新鮮な空気を吸う。そして懐に手をやって、プラスティックのケースを取り出す。手のひらに収まるピンク色の四角い容器はところどころひび割れている。修復すべくテープを幾重にも巻いたが、そろそろ変え時か。蓋をあけて、なかから錠剤を取り出して口に放り込む。白いそれを奥歯で噛み締めて、じんわりとした苦味を舌の上で転がしつつ唾液とともに飲み下した。紫田が端末に手を置いたまま、じっと加奈を見ている。

「なお今回は――」

 と紫田が向き直ると、加奈に向けられた隊員たちの視線がいっせいに前に向いた。

「ナノカメラの使用が許可される“中間街(セントラル・シティ)”という場所柄、構造物の把握は難しいからな。それと」

 紫田がこちらを見た。

「今回は特殊弾頭を装備して行う。全員、通常弾に加え対機甲弾の準備を」

 “ハチドリ”のAIが、合成された音声で目的地上空に着いたことを知らせる。その場にいる者たちの間で緊張が走った。紫田は端末を睨んで、やがて

「降下する」

 とだけ言う。

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