SS #007 『終の棲家の建設現場』
王立騎士団に入団すると、最初に教えられることがある。
「パパ・グリムス、マダム・ロッサ、ドン・エランド。この『三巨頭』にだけは決して手を出してはならない」
ネーディルランド国内において、その名を知らぬ者はいない。彼らはマフィアでありながら合法的に組織運営する『やり手の経営者』である。ありとあらゆる専門家を抱き込んで法の網目を掻い潜り、業界の慣例に反することなく、庶民の目線に立って『悪とはみなされない悪事』を働く。
厳格な身分制度を設ける君主制国家である以上、王族や貴族が関与しない商売が収益を上げすぎることは好ましくない。市場経済が活性化するだけなら良いのだが、そこから裏社会に多額の資金が流れてしまうことが問題なのだ。マフィア経由でカルト教団などが武器弾薬を手に入れれば、国内の治安状況は急速に悪化する。取り返しのつかない事態を招く前に、水際で食い止めることが肝要である。
情報部からは今日もまた、三巨頭の動向について最新の報告書が回ってくる。
「あー、なんだって? ……ドン・エランドのところの若頭が新規事業を立ち上げる?」
「今度は何だ? まだ居酒屋チェーンを増やす気なのか? もう飽和状態だろう?」
「いや……今度は認知症患者の介護サービスだとよ」
「は?」
「公営介護施設から入所を断られた『超・重度の患者』でも終身介護いたします、という宣伝文句らしい」
「それって……遠回しに『口減らしはお任せください』って言ってねえか?」
「だよな? スタッフは全員刑務所上がりで、どこにも雇ってもらえない前科者たちを健全に社会復帰させる手助けをする事業でもある、とか書いてあるが……」
「うっわ……適材適所すぎて真っ黒じゃねえか……」
アル=マハとキルシュは顔を見合わせ、乾いてひきつった笑みをこぼす。
そう、『悪とはみなされない悪事』とはこのことだ。度重なる暴言やセクハラ行為で施設を追い出され、その後の受け入れ先が見つからないケースはいくらでもある。そんな人々に向け、「どんな状態でも受け入れますよ。死ぬまでずっと面倒を見ます。金額次第でどんな『お世話』も引き受けますよ」と優しくささやきかけるのだ。
介護疲れで一家心中や殺人まで考え始めていた人々にとって、それは『救いの手』以外の何物でもない。それも今回は周囲からの同情や理解が得られやすいよう、『前科者の社会復帰を手助けする事業』というタテマエまで用意してある。
「で? 情報部はどう動くって?」
「えーと……現状は様子見だと。『判断はそちらに委ねる』とか書いてやがるな。まあ、絶対的エースが不在だからな……」
「戦力不足で何にもできません、ってか? それって、ジルチがやりたいなら勝手にしろってことだよな?」
キルシュは何かを考える風に、ふいっと上を向いた。
「……なあ、家族からも見放されるほどの『超・重度の患者』の死体って、やっぱり合葬墓行きだよな?」
「あ? ん~……まあ、そうだな。遺族に引き取りを拒否されたら、最終的にそうなるんじゃないか?」
「それなら、火葬場に運ばれる棺桶の中にもう一体死体を突っこんでも誰にもバレないんじゃないか? 家族が火葬から納骨までを見届けるわけじゃないんだから……」
「……それもそうだな……?」
真っ黒すぎるマフィアの新規事業に、アル=マハも考える顔になった。
ドン・エランドファミリーは以前から葬儀社を経営している。この上さらに『終身介護サービス』にまで手を出せば、別件で発生した死体や証拠品を隠滅するのは今まで以上に容易になるだろう。
「先に処分方法を用意するってことは……いや、まさか、王宮のお膝元で……?」
「ああ、やらかした連中の『粛清』が始まるのかもな。ナインテールの時みたいに」
「勘弁してくれよ……」
二人は頷き合って席を立つ。
ジルチのリーダー、アーク・アル=マハ。
偵察・後方支援担当、キルシュ・スタンフォード。
この二人はまだ三十代であるため、『ナインテール事件』には直接かかわっていない。東部最大マフィアだったナインテールを壊滅させたのは当時二十代、若かりし日のメリルラント兄弟である。
ナインテールがどのような手口で『粛清』を強行し、何がきっかけで明るみに出たのか。事件の詳細を調べるため、二人はそれぞれ情報部庁舎と事務棟へ向かった。
特務部隊オフィスでは、メリルラント兄弟の悲鳴が上がっていた。
「マッジかよ!? しばらく幽霊部隊やってる間に何がどうしてこうなった!?」
「うへぇ~……救出した女の子たちの再就職先の斡旋までやってんのかぁ~……」
「この書類、何が書いてあるのか全然分かんないジャン……ッ!」
特務部隊に復帰したメリルラント兄弟だったが、二年間のブランク、とりわけマルコが入隊してからのシステム改革は非常に大きかった。一般事務は二階の三人娘、ミリィ、サーシャ、リナに任せて、マルコはこれまで手付かずだった被害者支援に着手していたのだ。
マルコは王族である。以前は門前払いを食らっていたような申請書類も、今なら特務部隊のスタンプひとつで『最優先決裁事項』として通されている。加害者からの報復を回避するために『新しい名前』を用意することも、遠くの町に移住させる手続きも、驚くほど簡単に書類が通ってしまう。今はチョコと二人、事件後に名誉回復がなされていない被害者をリストアップしているところだ。
「あ! この子知ってる! 俺たちが救出した子じゃない!?」
「あー……おお! 思い出した! 漁船の修理費の代わりに売られた子!」
「保護施設にいるって……え? 三年前の事件ジャン? まだ故郷に帰れてないの? なんで?」
メリルラント兄弟の疑問にはチョコが答えた。
「その子を親元に返すと、また売られる恐れがあるからですよ。借金のカタに無理やり連れ去られたわけでなく、親が自分から『お金の代わりにこの子で払います』と言いだしたパターンのようです」
「げ……最悪だな、その親……」
「親を逮捕したほうがいいんじゃないか?」
「死んで出直せ案件ジャン?」
「いえ、そういうわけにもいかないんですよ。そこの漁村ではそういうことが当たり前のようで、調べてみたら、ほとんどの家に『消息不明の子供』がいることが分かりました。子供を売らないと生活できないくらいの寒村で……うかつに手を出すと、エリア全体を巻き込んだ暴動に発展する恐れがあります。やるなら徹底的に支援体制を整えてからです」
メリルラント兄弟は顔を見合わせ、二枚目、三枚目の書類にも目を通していく。
中央市から遠く離れた漁村、農村の娘ほど、親元にも戻せず保護施設住まいになっている。五十枚以上の書類の束には、ごく普通の平和な住宅街で生まれ育ったメリルラント兄弟には分からない『異世界』の話が綴られていた。
もちろん、公文書を作成しているマルコにも寒村の事情は分からない。地方特有の問題をマルコに説明するのは、自身もそのような漁村で生まれ育ったチョコの役目である。
「チョコさん、この、『兄が小学校に入学するため』という理由はなんでしょう……?」
「あ、それはおそらく小学校への通学費用を工面するために売られたということです」
「小学校の学費は全額市町村が負担しているはずでは?」
「はい、そうですよ。学費は出ます。でも、小学校までの交通費は出ないんです。だから家を継がせる長男を学校に行かせるため、ほかの子供を売って交通費にするんです」
「通信教育もありますよね?」
「制度としては存在しますが、通信インフラが整っていません。地域によっては郵便船も月に一度しか来ませんから、必要な教材が届かないんです」
「それにしても……そんなに簡単に人身売買が?」
「はい。うちの村にも、たまにビラが配られていましたよ。『いらない子供がいたら夜中に広場に連れてこい。今なら三十万で買う』とか書かれていて……実際、同級生だった女の子が何人か行方不明になっています。その子たちの親に子供を探す素振りはありませんでしたから、まあ、おそらく……」
「……そんなことに……」
貴族と士族には見えていなかった世の中の有り様に、マルコもメリルラント兄弟も絶句する。
そんな漁村から『努力』というコマンドのみで這い上がったチョコは、いったいどれだけの辛酸を舐めてきたのだろうか。それは紛れもなく、四人の想像のはるか上を行く現実だった。彼らはいまさらながら、『叩き上げ隊員』たちの肝の据わり方に得心していた。
「つーか、まあ、逆に言えばアレだよな。歴代特務部隊がどれだけ英雄視されてても、結局、その場限りの英雄様だったんだな……」
「悪い奴ぶっ倒して女の子助けてハッピーエンド~♪ ……って、よく考えてみたらけっこう馬鹿っぽいジャン?」
「俺たちもいい年したオッサンなんだから、もうちょっとまともに世直ししたほうがいいんじゃない?」
「おう。すっげ―そんな気がする」
「とりあえず、王子様のコレ手伝ってれば第一歩っぽいジャン?」
「うん、それっぽい。やろう」
「どの辺手伝えばいい?」
「では、こちらのファイルをお願いします」
「おうよ! 任しとけ!」
若いころは『暴れ屋』として名を馳せたメリルラント兄弟も今や四十代。さすがに少しは落ち着きが出てきた。以前のように暴れるだけ暴れて後始末は事務方に丸投げ、という戦い方はしなくなったのだが――。
「兄さん、そこ、スペル違う! 全然違うから! それじゃ『市民権の回復』じゃなくて『市民権の転覆』だって!」
「ウッソだろマジか!? あ、そういえばなんか違うな!?」
「ヤバい。俺、自分の名前以外の文字なんかここしばらく書いてないジャン……」
「えっ!? 報告書などはどうなさっていたのですか?」
「あ、王子、それ聞いちゃいます?」
「ジルチは幽霊部隊ジャン……」
「アークが部外秘の活動日誌だけ書いておしまいだぜ」
「あ……なるほど。そうですね。存在しないことになっていますからね……」
「やべえ、俺たちの脳ミソ、完全に劣化してんぞ……」
「俺なんか軽く二年くらい死んでたんだよ? 脳ミソ完全停止してたんだから、兄さんたちよりヤバいって」
「今なら小三レベルのテストも赤点になりそうジャン」
「……んんん~……っ!」
さすがのマルコもフォローができず、眉間に手を当てて唸ってしまった。
その隣で、チョコは真顔で押し黙っている。
ただひたすらに強さを求めて研鑽を積んだメインアタッカーが四十代に突入するとこうなるのだ。『強さ=正義』のトニーと肉体改造手術まで受けたゴヤは、この先いったいどんなオッサンになってしまうのだろうか。
勉強しよう。筋力強化はほどほどにしておこう。文武両道こそが末永く幸せであり続ける最大の秘訣だ。
そんな心の呟きが聞こえるはずはないのだが、マルコとチョコはチラリと視線を交わし、同時に頷いていた。
がんばりましょう!
ですね!
この瞬間、王子と叩き上げ隊員の心は確かに通じ合っていた。
五人はそれから雑談などを挟みつつ、必要書類の作成を進めていた。そこに響いたノックの音にマルコが応える。
「どうぞ、お入りください」
てっきり事務の三人娘と思っていたため、五人は入室者の顔を見て目を丸くしてしまった。
「あ?! おいアーク! こんな真昼間からこっちに出てきて大丈夫なのかよ!?」
「お前、表向きは死んでることになってんだから……」
「幽霊なら、ちゃんと深夜にエモい感じで出て来いって感じジャン?」
「なんといっても、『夜の特務部隊』ですからね!」
「うっ……」
チョコのB級ジョークでマルコのトラウマの扉が開かれかけたが、幸い、その話題はさらりと流された。
「エリック、アスター、レクター。ナインテール事件について聞かせてもらいたい。事の発覚から組織壊滅まで、順を追ってだ」
「はぁ? ナインテールぅ? お前、いきなり来てずいぶん懐かしい話を……」
「なんでまた? 組織再編の気配でもあるのか?」
「組織の残党は他のファミリーに吸収されたはずジャン?」
「特務のほうには、情報部からの報告は回っていないのか? ドン・エランドファミリーが新規事業を始めるらしいのだが……」
「こっちは貴族専門部署だかんな。始末屋のジルチとは回ってくるファイルの種類が違うんだよ。気ぃ利かせて雑談しに来てくれる灰色の猫もいねえしな」
「なら、初めから話す必要があるな」
「あの、アル=マハ隊長? そのお話は私たちがお伺いても……?」
「ん? ああ、王子たちにも、一応知っておいてもらいたい話ではある。時間があるようならぜひ聞いてもらいたい」
「では、ご一緒させていただきます」
五人はアル=マハとともにミーティングルームに移動した。
十八年前、東部最大勢力を誇る『ナインテール』というファミリーで代替わりが行われた。高齢を理由に隠居したボスの後を継いだのは、長年右腕として働いていた『総代』と呼ばれる男。その男は組織内での信頼も厚く、対外的にも約束事を守る男として信用を得ていた。彼があとを継ぐことに異を唱える者は限りなく少数であり、代替わりそのものは何の問題もなく、滞りなく行われた。
問題が発生したのは代替わりの直後だった。
総代が毒殺されたのだ。
ファミリー内で犯人探しが始まり、真っ先に疑われたのは総代の新ボス就任に反対した者たちだった。その時ファミリー内に総代の代わりを務められるほどの人物は他になく、ナインテールはいくつもの派閥に分かれて内部抗争を始めた。
「統率者のいない殺人鬼集団が、自分たちにとって都合の悪い連中を片っ端から『犯人』と決めつけて粛清を始めたんだ。ありゃあ地獄だったぜ? ぶっ殺した幹部の死体を串刺しにして駅前広場に晒すとか、何百年前のやり方だっての……」
「で、幹部以外は生きたまま棺桶に詰められて、ナインテールの下部組織が運営していた火葬場で燃やされたワケで……」
「情報部に問い合わせてみ? 棺桶の中から通信用ゴーレムで助けを求めた情報部員の、最後の音声が残ってるジャン?」
「その音声を全国の騎士団支部に送り、王立騎士団はナインテールとの全面対決を宣言した。それで世間の空気が一気に物騒になったんだが……地方の漁村とクエンティン子爵領じゃあ、あんまり影響無かったろ? マフィアの影響力が強い町なんかは、けっこう荒れたんだけども……」
エリックの言葉に、マルコとチョコは蒼白な面持ちで頷いた。
マフィアの内部抗争はそう滅多なことでは表沙汰にならない。ナインテール事件ではたまたま粛清対象に情報部のスパイが含まれていたことで騎士団側が状況を把握できたが、そうでなければいつの間にか組織の頭が挿げ代わり、騎士団は何も手出しできないままだった。
しかし、それにしても大きすぎる事件である。メリルラント兄弟が話を続けたところによると、内部抗争、粛清、その後の騎士団の強行突入での死者は三百人以上。負傷者は二千人を超えるという。マフィアとは無縁のクエンティン子爵領でも、少しくらいは騒がれそうなものだが――。
「私はその件について、新聞報道などを目にした覚えがありません。広場に死体が晒されて、それでも報道されなかったのはなぜでしょう?」
「されるわけがねえ。ナインテールの記事なんか載せた日にゃあ、新聞社が放火されるぜ」
「今でもナインテールの話は報道関係者のタブーになってるはずジャン? 残党があっちこっちの組織に散ってるから、うっかりつつくと想定外の場所から攻撃される可能性があるわけで……」
「『メリルラント兄弟』が妙に悪名高くなっちゃったのも、あの事件以降『報復する気も起きないくらい叩きのめす』ってのを徹底しちゃったせいだしねー……」
「それで? お前たちが突入するに至った経緯は?」
アル=マハの質問に、エリックは首を振る。
「『裏の事情』なんてねえよ。公式記録にある通りだ。ナインテールの本拠地だったカペラって町の治安状況が最悪になって、全国の治安維持部隊、国境警備部隊から強行突入チームがかき集められた。俺たち三人も騎士団本部からの選抜チームってことで戦列に加わったんだが、現地入りしてみたら妨害電波やら封殺呪詛やらで通信が遮断されてて……」
「先に現着しているはずのチームと連絡が取れない。マフィアと鉢合わせれば即時戦闘開始。町のあちこちにほかのチームのスパイゴーレムの残骸が転がってるし、地元支部員の死体は見せしめとして二階の窓から吊るされてる。とにかく戦わないと、今この瞬間にも仲間の誰かが殺されているかもしれない……っていう状況?」
「なし崩し的に戦闘開始。ほかのチームの現在地も戦況も分からない中で、完全アウェーの市街戦スタートだ。さすがにあれは気が狂うかと思ったぜ」
「俺たち本部選抜組は、生きたまま火葬されちゃった情報部員の弔い合戦のつもりだったジャン? だからほかのチームよりは気合いが入ってた感じだけど……」
「ほかのチームは全然関係ない街に連れて来られて『さあ戦え』って言われただけだからね。投入されたのは四十五チームだったけど、最後まで撤退せずに戦ってたのは俺たちと北部のトレアドール、近衛のギムノカリークだけだった。それでもどう頑張っても幹部がいる建物には踏み込めなくて、最終手段として錬金合成爆弾が投下されて強制終了」
「それも後で知った話ジャン? 気が付いたら本拠地が吹っ飛んでて、現場の俺たちはとにかく結界張って耐えてた感じ?」
「だよな。あれ、けっこう熱かったぜ?」
「爆弾落とすなら先に言ってほしいよね。ギムノカリークだけ作戦知ってたとか、マジでクソ」
「でもまあ、俺たちは一応保護してもらえたジャン? 自力で生き残ったトレアドールが低体温症になってたのはかなりウケたけど」
「あいつら全員氷属性のくせにな。自分らで張った防壁で自滅する連中なんて初めて見たぜ」
「身内じゃないと同属性でもダメージ食らっちゃうんだね、やっぱり」
アハハと笑い合うメリルラント兄弟だが、マルコとチョコは顔を引きつらせることしかできずにいた。
いくら防御力の高さを売りにしている近衛隊でも、自分たちの真上に爆弾を投下する作戦を立てるとは。それだけ無茶をせねば壊滅させられない組織だったのだろうが、しかし――。
「そのナインテールについて、なぜ今お話を?」
マルコに問われ、アル=マハは情報部のファイルを手渡す。
そこに記されているのはドン・エランドファミリーの若頭、グレンデル・グラスファイアが新たに始める終身介護サービスについての詳細データである。前歴者を雇うことを『社会貢献』として公式発表しているが、これは問題が発生した際、現場の労働者に責任の大部分を押し付けるための伏線であろう。そして以前から経営している葬儀社の存在。ナインテール事件の話を聞かされた後では、すべてに怪しさしか感じない。
「ドン・エランドファミリーはナインテールと違い、『マフィアらしいマフィア』ではない。ナインテールだったら人相の悪い構成員をけしかけて脅迫するような場面でも、ドン・エランドは弁護士を立てて合法的に、ぐうの音も出ないほど完璧に毟り取っていく。だから余計に怖いんだ。この『終身介護サービス』とやらが、本当にただの介護サービスとは思えない」
「合法的な『始末屋』として機能する可能性があるとお考えなのですね?」
「その通り。その資料にもある通り、現状では情報部ですら様子見の段階なのだが……」
「先に何らかの手を打ちたいところですね。私がこの施設の視察に行くというのはどうでしょう? 王族が出向くことで、牽制になるのでは?」
「王族や貴族の口からそれらしい名前が出ただけで『マフィアと交友関係にある』と決めつける頭のおかしい連中がいる。視察なんかしたら公認したようなものだ。それだけはやめておけ」
「と、なると……要介護者への給付金を引き上げる方向で進めるべきでしょうか……?」
「それもどうかな? 現状でもマフィアが運営する療養施設に知的障害者が囲い込まれているんだ。現金をばらまくだけでは、本当に必要な層へのサポートにはならない」
「うぅ~ん……障害や病気の程度も、家庭の事情もそれぞれ異なりますからね……」
「こんなところでほんの数分話し合って改革できるほど、世の中はシンプルにできちゃあいないさ。俺たちは俺たちらしく、武力で解決できる問題について考えよう」
「それもそうですね。公的支援の改善は福祉の専門家に話し合っていただくとして……我々が考えるべきは、この事業によってマフィアが『死体の処分ルート』を確保することを防ぐ方法ですね?」
アル=マハはゆっくりと頷き、チョコに視線を移す。
「ひとまずこいつを貸してもらおうか。別件の捜査という名目で工事関係者に接触させたい。貴族案件専任の特務が現場を見に行けば、あっちはどの件の捜査か分からず慌てるはずだ。適当な質問でボロを出させて工事を邪魔しよう」
「あの、そういうお話はベイカー隊長を通していただけますか? 私が勝手に返事をするわけには……」
「通せないからお前に言っている。今日はセレンも外回りだろう?」
「ええと……ベイカー隊長は隊長室にいらっしゃるはずですが……?」
「ああ、やはりお前は聞いていないか。ベイカーは今王宮だぞ」
「……あ……」
察してしまったマルコは、なんとも形容しがたい表情で視線を外した。
サイト・ベイカーはヴィヴィアン女王の愛人。
それは社交界の噂でも週刊誌のゴシップ記事でもなく、周知の事実である。ベイカーと女王は自他ともに認める愛人関係で、女王のティールームにはベイカーのために用意された椅子も専用のカップもある。
ベイカーは女王からの呼び出しで王宮に出向いては数時間から丸一晩ベッドルームに籠もり、人目を避けつつ騎士団本部に帰ってくる。妖艶な魔女と美青年がベッドの中で何をしているか、理解できない大人はいない。女王の息子であるマルコに何も言わずこっそり出て行くのも、当然の行動といえた。
「その……確かに隊長と副隊長がご不在の場合は、私が決定権を行使できますが……」
マフィアの新拠点かもしれない建物の建設現場に、チョコを一人で行かせるつもりか?
マルコは目だけでそう問いかけた。
アル=マハはヒョイと肩をすくめると、ため息交じりに答える。
「安心しろ。俺も一緒だ」
「えっ!? 大丈夫ですか? アル=マハ隊長は死亡したことになっていますよね?」
「ヘファイストスの能力を忘れたか? 俺の姿を『見なかったことにする』くらいの記憶操作は簡単にできる。まあ、一応顔は隠すがな」
「ひょっとして、日常的に『神の力』を使ってらっしゃる?」
「私利私欲のために使わない限りは『主の裁き』は下されない。あくまでも治安維持活動の一環としてだ」
「チョコさんに危険が及ぶようでしたら、私も現場に出ますが? 本当に大丈夫ですか?」
「そうならないよう善処しよう」
マルコとアル=マハの間には信頼関係が構築できていない。どうしても横暴なヘファイストスの印象が先に立ってしまい、マルコはアル=マハの言葉を信用できずにいる。
そんな様子を見かねたメリルラント兄弟は三人で視線を交わし、小さく頷き合う。
「なあ、王子様よお? そんなに心配なら、俺たちもついて行っていいか?」
「ナインテールの残党が絡んでいるなら、俺たちのほうが適任だしさ」
「さすがに王宮のお膝元で、俺たち三人相手に喧嘩は売ってこないジャン?」
アル=マハは軽く首をかしげて「どうする?」と訊いてくる。今日は応援要員を必要とするような任務もない。マルコには「はいどうぞ」と答える以外の選択肢はなかった。
納得しきれない顔のマルコをオフィスに残し、アル=マハたちは建設現場へと向かった。
現場はダウンタウンの外れにあった。建物は八割方出来上がっていて、養生シートや金属製のフェンスは外されている。ざっと見た感じではこれから内装工事などを始めるところのようだ。
チョコは手近な作業員に声をかけて「現場監督はどこですか」と訊ねた。チョコが訊いたのはそれだけだ。それ以上の言葉は発していないし、攻撃的な態度も見せていない。
だが、男の反応は友好的とは言い難かった。
「あ? んだよ、おい。騎士団が何の用だ?」
この建設作業員もマフィアの構成員なのだろうか。それとも喧嘩っ早い下町気質の男なのだろうか。
チョコの後ろではアル=マハが姿を消してナイフを抜いている。ただの幻覚魔法と違い、神の力で人間の記憶を操作しているのだ。『神の器』たちには通用しないが、一般人相手にはピーコックの幻覚魔法以上に完璧なステルス効果となる。
作業員は自分の首筋に刃物が突き付けられていることも認識できぬまま、威勢よくまくしたてる。
「何しに来たか知らねえが、てめえらに見せるもんなんかねえ! 帰れ!」
これは明らかに何かを隠している。この男の声を聞きつけて集まってきたほかの作業員たちも、自分たちの体で壁を作るように並び、口々に言う。
「視察に必要な令状はもってきたのか?」
「無いなら、私有地への立ち入りはできねえよなぁ?」
「帰ってくれ。仕事の邪魔だ」
「俺たちゃフツーにお仕事してるだけなんですがねェ?」
チョコではなくメリルラント兄弟、それも兄のエリックのほうを見てそう言うあたり、やはり彼らはマフィアの構成員であるらしい。
双方、超至近距離でメンチの切り合いを始める。が、姿を消しているアル=マハはさっさと中に入り、「現状を維持せよ」とのハンドサインを残していなくなってしまった。
(うわぁ~、難しいこと言うなぁ~……)
十五センチ先に人相の悪いヤンキー小僧の顔があるのだ。この酷い面構えに拳を叩き込まず睨みあいを続けろとは、なんと厳しい指示だろう。
チョコはピーコックの言動を思い出し、こういう場面での彼の態度を真似させてもらうことにした。
「あっれあれ~? なぁんか雰囲気ケンアク~? 俺たち、ひょっとしてマッズイこと聞いちゃいましたぁ?」
現場監督の居場所を聞いただけで喧嘩腰になったということは、現場監督に知られるとまずいことがあるか、現場監督の指示でまずいことを隠しているかのどちらかだろう。
チョコの手に気付いたメリルラント兄弟も、続けて挑発を始める。
「お前ら雑魚に興味はないジャ~ン? 話の分かる人連れてきてもらえるぅ~?」
「俺たち、弱い者いじめはしたくないんだよ?」
「ヴィルヘルム・エランドのところで飼われてて、俺たちの顔を知らねえワケはねえよなぁ? あ? メンチ切ってるだけで手ぇ出してこねえたあ、ドン・エランドファミリーもずいぶん丸くなっちまったもんだなぁ? えぇ?」
ボスの名前を出したことで、作業員たちの顔つきが変わった。
「てめえ、気安くボスの名前を……」
「死にてえのか、この野郎!」
「舐めてんじゃねえぞ、クソどもが!」
しかし、それでも互いに手は出さない。こちらは正式な手続きを踏んでいない以上、彼らを取り押さえる理由がない。あちらは『何の問題もない工事現場』ということにしたいのだから、ここで暴力事件を起こして騎士団に口実を与えるわけにはいかない。これは先に手を出したほうが負ける『にらめっこ対決』なのである。
だがこの時、特務部隊員の心はひどい荒れ模様だった。
(くっ……こいつの顔、見れば見るほど若干面白い……! ホクロ毛ってなんでこんなに一本だけチョロっと伸びるんだよ? つーかその入れ墨、どこのタトゥー屋で入れた? 神聖文字で格好つけてるつもりかもしれないけど、そのスペルじゃ『神をも超えて高笑え』じゃなくて『神サマ笑わす、めっちゃすごく』って意味になっちゃうぞ!? いいのか? お笑い芸人でも目指してんのか!? そうじゃないだろ!? 気合い入ったドラゴンの絵と合ってねえよ! あ、こら! やめろ! やめてくれ! そのホクロ毛を俺に見せつけるな! マジでやめて表情筋がヤバい! 頑張れ! 頑張るんだ俺っ!!)
(ガチムチガテン系日焼け肌……二十代じゃあなさそうだな。三十くらいか? こいつの胸筋、触り心地よさそうだな……)
(お兄チャンにメンチ切ってるあいつ、ひょっとしなくてもお兄チャンの好みド直球ジャン……??)
(兄さんお願いだからそのままキスしないでね? 頼むよ? ここでおホモだち事件は本気で収拾不能な空気になるから、マジやめてね?)
(こ、こいつ! 首筋のホクロもホクロ毛なのか!? ということは、まさか三個目もどこかに!?)
(やっべぇ~、見れば見るほど好みだわ、コイツ~……)
(お兄チャンの眼が完全に品定めモードだ!?)
(やめて兄さん! お願いだからここではやめて!)
(あったぁーっ! ホクロ毛三個目は二の腕だぁーっ!!)
(ふぅ~……なんていうか、もう、これ、間違いねえな……好き!)
(兄弟歴41年の経験が俺に告げてる!? これは……恋!?)
(やーめてー! ホントやめてエリックにーいさーん!)
(ホクロ毛四個目は肩だあああぁぁぁーっ! はいリーチ! リーチだよこれ! あと一個でビンゴ達成ぃぃぃーっ!?)
(なんでもいいから一発手ぇ出してきてくれねーかなー。そしたら持って帰れるのになー)
(お兄チャン、もしかしてお持ち帰り方法考えてる……? うん、いいよ! お兄チャンがその気なら、俺も協力するジャン! 頑張れお兄チャン! 俺は恋のキューピッドジャン!)
(従兄弟歴41年の直感! アスターに止める気はない!! これ、本気でヤバいやーつ!!)
(ファアアアァァァーッ! もうダメ! 顔の筋肉壊れる! 助けて! アル=マハ隊長早く戻ってきてぇぇぇーっ!)
(あ! アークがなんかヤバいもん見つけてきてくれれば、このガチムチ君、ほぼ無傷で持って帰れるんだよな? 頑張れアーク! 俺はお前を信じてるぜ!)
(つーか俺にメンチ切ってるオッサン口臭い……フナの水槽の臭いがする……)
(く……兄さんたちを真顔で止められるのはお前だけだ、アーク! なんでもいいからとりあえず戻ってきてくれ! ヘファイストスくらいの火力がないと、この二人にはツッコミが入れられない……っ!)
誰一人まともなことを考えていなくとも、事態はシリアスに進行していく。この睨みあいに気付いたらしく、工事現場の仮設事務所から続々と人が現れる。それはほとんどが作業服を着た男たちだが、中に一人、いかにもマフィアらしい派手なスーツに身を包んだ男がいる。ドン・エランドファミリーの若頭、グレンデル・グラスファイアである。
「何の騒ぎです? 特務の方がうちに何の御用で?」
シルバーアッシュの髪、紫色の瞳、細身ながらも筋肉質な体つきと入れ墨の入った褐色肌。一目で人虎族と分かる容姿の若頭は、ネコ科特有のしなやかな動作でエリックに歩み寄る。
「おやおや、メリルラントさん。お久しぶりですね」
「おう、元気そうだな」
「いつ以来でしたかね? ご病気で二年も休職されていたそうですが……半年くらい前にもお会いしませんでしたっけ?」
「気のせいだろう? 他人の空似じゃねえか?」
「ま、そういうことにしておきましょうか。その節は他人の空似さんが悪~い詐欺グループを壊滅させてくださったおかげで、我々のような善良な一般企業がたいへん楽に商売できるようになりまして。ありがたすぎて笑いが止まりませんよー」
「アラアラアラァー、それはよかったデスネー。お慶び申し上げマスゥー」
互いに空々しいにもほどがある。壊滅させたのはもちろんエリックだし、潰されたのはグラスファイアの舎弟が経営していた健康食品販売業者だ。表向きには完璧な業務体制を整えていたため、エリックが強行突入して裏取引の証拠を奪取する作戦だった。二人はその現場で鉢合わせて手合わせしているはずなのだが、何食わぬ顔で『お久しぶり』な会話を続ける。
「本日はどのようなご用向きで?」
「いやいや、ただの質問をしに来ただけなんだけどな? 特務が出てくるってことは、要するに貴族のお偉いさんからのご依頼だ。ちょっとした質問がある」
「やんごとなき御身分の方が、庶民向け介護事業にどんなご質問を?」
「一番入居費用の高い部屋の面積と設備、介護体制について。貴族向けの養護院が庶民以下の設備だったら笑いもの確定だろ? 庶民向け設備の最高ランクを知りたいんだとよー」
「ホォー、左様でございますかぁー」
どちらも顔に「んなワケねえけどな!」「だろうなクソ野郎!」と書いてある。
いつだ。いつ戦闘が始まるんだ。
両陣営とも、いつでも殴り掛かれるように呼吸を整えながらリーダーのゴーサインを待つ。
しかし、グラスファイアは冷静だった。エリック・メリルラントが『強行突入』ではなく『現場視察』に来るということは、騎士団側は決定的な証拠を持っていないということだ。ここで挑発に乗って攻撃的な態度をとれば、そこを突かれる。
グラスファイアは部下に指示して介護施設のパンフレットと入居申込書を持ってこさせる。そして工事現場の入り口に折り畳みテーブルとパイプ椅子を置き、簡単な『施設説明会』を始めた。
ことを荒げるな。
若頭の言わんとすることを理解した作業員たちは数歩下がり、見え透いた芝居を見守っている。
「……と、いう仕様になっておりまして」
「なぁーるほどぉー。んじゃ、こっちのB室のほうはぁー? AよりBのほうが広くねえかぁ? 最高級の部屋がAだろぉ?」
「そちらはA室よりはグレードが劣りますが、透析などの専門的な治療が受けられるよう、機器を設置するスペースが広くとられています」
「専門的な治療ってどういう水準だ? 透析治療って、地方貴族のオッサンたちにとっては超高度な治療法に見えちゃうはずなんだよなぁ~。庶民の癖にそんなグレードの施設があるなんてー、とか言われちゃいそうだなぁー」
「中央の医療水準と地方都市を比較されてしまうと確かにそうなりますが、だからと言って市民が治療を受ける権利を奪うことはできませんよ」
「まあそういうことにはなってるけどさぁ~? いや、どうかなぁ~? ド田舎貴族のオッサンがゴネたらこの計画、ヤッバいんじゃないかなぁ~?」
「その点につきましては、直接お問い合わせがございましたら誠心誠意ご説明させていただきます」
「直接? いやいや、それってないと思うぜぇ? ま~た俺が代理人かもなぁ~?」
わざと横柄な態度で足を組み替えて見せるエリック。エリックの一挙一動に血の気の多い若者たちはいちいち反応して飛び出しそうになっているが、その都度年のいった作業員たちが腕をつかんで止めていた。
グラスファイアが『クールダウンタイム』のつもりで設けた席を、エリックは逆に『予熱時間』に使おうとしている。
これはホワイトタイガーとサンダービーストの化かし合いである。戦闘行為を封じられた戦闘種族同士の言葉の応酬には、誰もが表現しがたい漠然とした恐怖を感じた。
二人のネチネチとした舌戦はそれから十五分ほど続いたが、決着はつかずに終わった。なぜなら、敷地の隅のほうから黒い水が噴き上がったからだ。
ボンという音とともに跳ね上げられたのは大量のコンクリート片だ。それは噴き上がった水を止めておくために流し込まれていたのだろう。非常に硬い鉄筋コンクリートがいともたやすく砕かれて、妙な粘り気のある黒い水にまみれている。
「なんだありゃあ!?」
「ただの地下水……じゃ、なくてあれ……」
「『闇』が混ざってるジャン? それもかなり濃いやつ?」
「え? ちょっとこれ、かなりヤバい奴じゃないですか? もしかしてここ、本当に竜族の生き残りとか封印されてたんじゃ……」
メリルラント兄弟とチョコがそう言っている間に、グラスファイアは人虎族の得意技、氷の魔法を放っている。それは攻撃呪文ではなく、土木や建設の現場では非常に重宝される《氷壁》という魔法である。想定外の漏水、地下水の噴出に即時対応可能であるため、これさえ覚えておけば工事現場で雇ってもらえるというのは有名な話だ。
しかし、この呪文は『闇』に対しては効き目がない。凍らせた数秒後には液体に戻り、再び噴出が始まった。
「チッ、氷じゃ駄目か! おい、封印してから埋めたんじゃなかったのか?」
「す、すみません。一番腕の立つウィザードにやらせたんですが……」
部下と小声で話し合うグラスファイアに、エリックはハッタリをかましつつ訊ねる。
「あっはっは! やっぱりリークされた情報の通りだったなぁ~? あれがあったから騎士団関係者入れたくなかったんだろぉ~?」
「あー、ったく。しょうがねえなぁ……ええ、そうですよ。でも、勘違いしないでくださいね。我々は間違いなく、法的に問題ない手順を踏んで地下水対策を行いました。ですけどまあ、御覧の通り、なんか変な水でしてね。国から呪詛認定なんか食らった日にゃあ、せっかくここまで進めたプロジェクトが台無しですから。ド根性で封印して鉄筋コンクリートでガッチガチに固めておいたんですけど……騎士団は、あれが何かご存じなんですか?」
「ああ。ありゃあ『闇』だぜ」
「ヤミ?」
「簡単に説明すると、てめえらの腹の底よりドス黒い連中だ。通常の魔法や物理攻撃はほとんど通用しない。だから作業員連れて隅っこのほうに避けてろ。ヤバいと思ったらすぐに逃げ出せるようにしとけよ。おい弟! 従弟! やるぜ!」
「ほ~い♪ チョコ、結界構築よろしくジャン♪」
「はい!」
「よし! それじゃあ、まずは俺が属性チェンジで……」
と、それぞれの役割分担を確認し始めた矢先である。
建物の裏手から火柱が上がった。
無駄に派手な閃光とイルミネーションのような明滅光を伴う艶紅色の炎。ただの火炎系魔法で無いことは一目瞭然だった。
「あ……」
「うわぁ……」
「あちゃあ……」
阿呆のように見守る一同の前で、花火のように打ち上げられたアル=マハは天頂から直滑降して黒い水へと飛び込んだ。
間欠泉の如く噴き上がる水の中、誰がどう見てもドラゴンそのもののシルエットが浮かび上がる。それは高さ五メートルはあるだろうか。アル=マハはその影に魔弾を撃ち込んでいる。
ヘファイストスの『神の炎』を身に纏い、闇への防御を固めたうえでの二丁拳銃ゼロ距離射撃だ。魔弾で千切れた闇の断片を身に纏う炎で焼き祓う作戦のようだが、正直な話、いい手であるとは言い難い。
闇への防御と浄化の両方を炎の鎧ひとつでまかなっている。どこか一か所でも綻びが生じれば、もうアル=マハの体を守る物はない。簡単に闇に呑まれ、堕ちてしまうだろう。
「……あんのバカ野郎……」
「つーかこの戦い方、間違いなくアレだよね……?」
「うん。今あの体動かしてるの、ヘファイストスのほうジャン?」
己の火力に絶対の自信があるからこそこんな手に打って出たのだろうが、相手は誰がどう見ても水属性だ。わざわざ自分の苦手属性に真っ向勝負を挑んでいくのだから、やはりあの神に戦闘センスはない。
「だあああぁぁぁーっ!! んだゴルァッ! ボケエッ! 余計なことすんな! 鍛冶屋はトンテンチンカン金槌振り回して剣だけ作ってりゃあいいんだよ! おい二人とも! 《雷霆》で援護射撃入れんぞ!」
「待って兄さん! ここで雷系呪文使ったら、多分この辺の人みんな感電する! ダウンタウン全域が電気系統やられるかも!」
「そうジャンお兄チャン! この水、地下でどこまで繋がってるか分からないジャン!?」
「チックショウこのクソが! 雷撃使えなかったら俺たち何できんだよ!」
「いや、俺は一応属性チェンジできるけど?」
「んはっ?! 従弟が無敵すぎる!?」
「レクターばっかりずるいジャン!」
「別にずるくないだろ? チョコ! やるぞ!」
「あっ、はいっ!」
チョコが《防御結界》を構築したのを確認すると、レクターはフッと気配を変えた。
周囲の闇を取り込んで、己の力に変える。
これはほんの僅かでも限界値を超えれば闇に呑まれて堕ちてしまう、一か八かの捨て身の戦法だ。農耕神から軍神へ属性チェンジするセトだから制御できるのであって、そういった特性を持たない神や天使が真似をしようものなら、あっという間に闇堕ちになってしまうだろう。
(う~ん……慣れてきたけど、やっぱりこれ、個性強すぎて浮くんだよなぁ。なんで俺だけ……って、いや、違うか? 俺だけじゃなくてもう一人……)
闇の力を取り込んで、己のものとして使う。
その戦い方はピーコックと同じ。それを思い出し、レクターは自嘲気味に笑う。
本当ならこういうマフィア絡みの案件はあいつの得意分野なのに――と。
「あーあ。ホント、しみったれてんなぁ……」
トンと地を蹴り、レクターは宙に舞う。
取り込んだ闇のエネルギーを炸裂させ、身体能力だけでは跳び上がることができない高さまで一気に上昇。そこからエネルギーの炸裂を連続して発生させ、何もない空中を駆ける。
「ヘファイストス! 避けろよ!」
レクターは高さ十メートルからの直滑降・超加速踵落としを繰り出す。
初撃は敵の脳天にクリーンヒット。ただし、相手は闇のモンスターである。この程度の衝撃で気絶してくれるほど甘くない。
吼えるように衝撃波を放ち、ドラゴンはそのままレクターを丸のみにしようとする。が、その動作はお世辞にも速いとは言えない。コニラヤやミカハヤヒの超速攻撃を見慣れたレクターにとってはあまりに緩慢な動作だった。
「おっせえよ! これでも食ってろ!」
ひらりと躱し、ドラゴンの口に《有機肥料スプラッシュ》を叩き込む。
これはその名の通り『家畜の糞尿や生ゴミを発酵させたものを畑に散布する技』である。レタスの守護神セトと農家にとっては非常に真面目で有益な技なのだが、これを戦闘中に使うととんでもないことになる。
何が起こるかと言えば、相手がマジギレするのだ。
大激怒したドラゴンは出鱈目に頭を振り回した。
レクターの狙いはまさにそれで、頭を振れば体表を覆う黒い水には斑が生じる。厚い部分は数十センチにもなり、逆に薄い部分はほんの数ミリになる。数ミリ程度の『水の装甲』など、ヘファイストスにとっては無いも同然。火炎系攻撃でたやすく貫ける。
「今だ! っておい! なんでそんな遠くまで逃げてんだよ!?」
これだけわかりやすく攻撃ポイントを示してやれば戦闘音痴のヘファイストスでも連携攻撃ができるだろう。そう考えたレクターだったが、彼は失念していた。
ウンコ攻撃を見れば、誰だって全力で後ずさるということを。
「レクター! 前! 前!」
「あぶねえぞ!」
「えっ!? うっわあっ!?」
ドラゴンの巨大な尾が眼前に迫っていた。
避けられない。
相応のダメージを覚悟したレクターだったが、ドラゴンの攻撃は素通りした。
「……え?」
ドラゴンの尾と自分の体が重なり合っている。どうやらこの尾は闇のエネルギーで作られた『見せかけの肉体』であるようだ。レクターが触れようとしてもスカスカと素通りしてしまい、パンチもキックも当たらない。
「ええぇ~っと……あれ? でも、さっきヘファイストスは攻撃できてたよな……?」
魔弾は確かに着弾し、ドラゴンの肉をえぐっていた。全身いたるところにその傷跡が見て取れる。魔法攻撃ならばダメージを与えられるのは間違いない。
「え? でも、さっきの踵落としは物理的に当たったんだから……あれ?」
頭部限定で物理攻撃が通用するなんて、どうにもおかしな話である。どんな理屈で動いているモンスターなのかは分からないが、レクターはひとまず、確実にヒットする魔法攻撃で戦うことにした。
「まあいいや。とにかく削ってやらあっ!」
闇の衝撃波を放つと、相手もほぼ同じ技で応戦してきた。ドラゴンとレクターとで闇の衝撃波の応酬となる。
「ゥオラオラオラオラオラアアアァァァーッ!」
竜族がどれだけ上位の種族であっても、レクターには神の加護がある。五百年以上も昔に滅んだ種族が闇の力を纏ったところで、それほどの脅威とはならない。が、しかし――。
「レクターさん! 周辺住民が避難していません! あまり強く撃たないでください!」
「ええっ!? いや、そんなこと言われても……!」
チョコの言葉にレクターは困惑する。ほどほどの強さの衝撃波では相手の攻撃を相殺することしかできない。決定打を撃たずにスタミナ勝負に持ち込むことも可能だろうが、戦いを長引かせれば闇同士が共鳴し合い、周辺に黒い霧が発生してしまう。間欠泉の如く地下水が沸き上がる現場では雷系呪文も使えないし、物理攻撃はどの程度効くのか分からない。
どうすればいいか分からなくなったレクターは、率直に訊いた。
「チョコ! どうすればいい?! 急所とかないのか?!」
「今調べてます! ええと……あっ! レクターさん! そいつ、熱反応があるのは頭だけです! X線画像にも頭蓋骨しか映ってません!」
チョコは《防御結界》を構築しつつ偵察用ゴーレムを飛ばしていた。手元の端末でサーモセンサー、X線画像、超音波探知結果を確認し、結論を述べる。
「そのドラゴンは死体です! 首を切られて死んだ竜の、亡霊のようなものだと思います!」
「亡霊っ!? マジかっ!? それなら……兄さん! アスター! 援護射撃入れてくれ!」
「おうよ! 魔弾装填! 《サンスクリプター》!! 《ドッペルフレア》!!」
「魔弾装填! 《サンスクリプター》!! 《スターシェル》!!」
さすがは士族というべきか、メリルラント兄弟が装備する魔導式短銃はサイドアームを含めて各員三丁ずつである。エリックとアスターはそのうち二丁を抜き、それぞれ対霊特殊魔弾の《サンスクリプター》ともう一種のチャージを始めた。
《ドッペルフレア》は大量のチャフとフレアを放出して各種探知機器から姿をくらます魔弾だが、至近距離で直視すれば目を焼かれるほどの閃光を放つ。
《スターシェル》は照明弾と呪詛の浄化作用を併せ持つ特殊魔弾で、特にひどい呪詛汚染の後始末に使われる。
兄弟が魔弾をチャージしている間に、レクター自身も魔導式短銃を構えている。
何がどう作用しているのか定かでない。しかし、同じ闇属性でも実体のない部分には触れられないのは確かだ。魔弾と魔法攻撃で実体のない体を破壊し、ちぎれた闇を光で浄化していくのが最も効果的な倒し方であるらしい。
「く……まさかヘファイストスの戦法が大正解だったなんて……」
そのヘファイストスは体の制御権をアル=マハに返し、アル=マハの防御に専念している。さすがに自分で戦うのは無理だと気付いたらしい。
「俺にもやらせろレクター! 魔弾装填! 《ティガーファング》! 《ブラッドギル》!!」
アル=マハが選んだのは貫通力のある《ティガーファング》と散弾型の《ブラッドギル》。面で仕掛けて守りが弱くなったところを容赦なく貫く、いつもの完全殲滅スタイルだ。
「適当に合わせるぞ」
「OK、適当にね。お前が出てきてくれて嬉しいよ、アー……じゃなくて、未鶴!」
「いまさらそっちで呼ぶのか!?」
「誰かに聞かれるとまずいだろ?」
「くっ……俺もコードネームを決めるかな……」
「いいじゃん別に、本名で。誰も知らないんだから」
「そういう問題でもない。右から行く」
「了解」
細かな打ち合わせはいらない。この二人は互いの戦闘スタイルをよく理解している。
アル=マハは炎の鎧を纏ってドラゴンの懐に入り込み、至近距離から魔弾と火炎呪文を超高速連射。レクターはその隙に背面に回り込み、闇の衝撃波でドラゴンの注意を逸らす。
この敵は多方向からの同時攻撃に対応できるほど賢くないようだ。レクターのほうに振り向こうとして、アル=マハに対して完全に背を向けてしまった。
「もらった!」
容赦なく撃ち込まれる《ティガーファング》。それはドラゴンの頭部を貫通し、闇の核となっていた頭蓋骨を粉砕した。
あっけない幕切れ。
誰もがそう考えたのだが――。
「……は?」
「うわ、おい、なんだよ……どういうことだ?」
「熱反応、分散しました! 頭蓋の中に大量の虫が収まっていたようです! えーと……たぶん、ミズグモの類です! わりとキモイ奴!」
そう叫ぶチョコだが、そんなことは言われなくても分かっている。ドラゴンの姿がボロボロと崩れていくと、闇は数百匹の蜘蛛を核にそれぞれ実体化を始める。
闇が凝縮して現れたのは毎度おなじみ闇モンスター。
と、言いたいところなのだが。
「えっ!? なんか違くない!?」
「黒くないな!?」
小さな蜘蛛を核にして、ブクブクと泡立つように膨張していくモンスター。次第に形がはっきりしていくと、それは出来損ないの人間のようになった。
毛髪はない。体毛もない。耳朶も無ければ鼻もなく、爪や臍、乳首、生殖器などの『詳細部位』は何一つ存在しない。左右の手足の長さも、筋肉のつき方も、顔の造作も、何もかもが出鱈目な気味の悪い生物。だがこれはモンスター化した堕天使とも、闇堕ち状態のコニラヤとも違う。外見上はあくまでも人間をベースにしたモンスターであると言えた。
丸裸のバケモノたちは、幼児の落書きを実写化したような顔をアル=マハに向ける。
眼球は白目と黒目の区別のない黒一色。姿は異なれども、これも『闇堕ち』には違いないようだ。
バケモノたちは一斉に動き出し、最も近い位置にいたアル=マハに迫る。
「エリック! アスター! 《サンスクリプター》はいらない! 三丁すべて《ドッペルフレア》と《スターシェル》に切り替えろ!」
「無茶言うな!」
「どんだけ魔力使うと思ってんジャン!?」
「溜まってる分だけでもぶっ放せ!」
「クソ!」
「まだ七割だけど……っ!」
二人は同時に引き金を引いた。
鳴り響く発砲音、辺りを包む閃光。フルフェイスマスクをつけているアル=マハと闇の鎧を纏うレクター以外、全員が手で顔を覆っている。だが目を焼かれるほどの閃光の中でも、彼らは『神の眼』で正確に状況を視認できていた。
敵の数はざっと見て三百以上だ。闇はそれだけの数に分散した。だが数を増やした分、ドラゴンの姿だった時と比較すれば一体当たりの闇の濃さ、体の強度は落ちている。その程度の闇ならば神の力を使わずとも、人工的な光で十分浄化できるはずである。
そんなアル=マハの読みは半分当たっていて、半分外れていた。
残った個体は百程度。人工的な光で浄化されないだけあって、モンスターとしての完成度が高いのだろう。消えた個体よりは身体のバランスが整っている。
ほぼ完全に人間の姿をした数体がレクターに殴り掛かる。
「はっ! 数ばっかり多くても……って! え、ちょっ!? マジっ!?」
踏み込みのタイミング、下肢へのタメの動作と、蓄えた力を利用した体重の乗った中段打ち。格闘技の基本型のような正確なパンチに、レクターは予想外の苦戦を強いられる。
「こいつらの動き……癖が全くない……っ!?」
『基本に忠実』という言葉は、時として『練度が低いこと』と同義に使われる。格闘技を習い始めの素人ほど基本通りの動作をすることからそのように考えられるのだろうが、実際にはそうではない。
最も効率よく、確実に、相手の返し技を回避しつつ打撃を入れる動作を突き詰めた結果出来上がったものが『基本の型』なのだ。修業を積むうちに『決め技にすべてをかけた一撃必殺型』『パワーを犠牲にして速度を上げた手数重視型』『防御を度外視した超攻撃型』『相手の消耗を待つ守備型』などに発展していくが、それらはいずれも長所を伸ばす代わりに短所ができる戦い方である。
このモンスターは全く何の癖もない。つまり、欠点がないのだ。警戒すべき隠し技は持っていないようだが、基本に忠実なまま練度を上げた『達人』のような動きをする。闇の鎧と『神の眼』による全方位警戒がなかったら、レクターの実力では見切ることすらできないだろう。
「兄さん! チェンジ! これ絶対エリック兄さんの仕事! こいつら素手で殴っても『闇』出て来ないから大丈夫! 代わって!」
「おうよ!」
言われるまでもなくエリックたちは動いていた。
一対多数の殴り合いならば、エリックの独壇場である。
レクターの背後から迫っていた一体にドロップキックのような動作でとびかかる。が、その足で相手を蹴りつけるわけではない。両足を素早く相手の首に絡め、そこを支点に上体を前方に倒す。とびかかった勢いに加え、さらに前方への加速をつけたのだ。ボキンと首が折れる鈍い音がして、一瞬で全身の力が抜ける。エリックはそのまま前方に一回転し、モンスターの体を使って回転軌道上にいたもう一体の首もへし折る。
二秒半で二体の首が折られたが、エリックにとってはまだ立ち位置を確保するための『予備動作』でしかない。
立ち上がると同時に斜め後ろから近づく個体に肘鉄を食らわせ、ガードの開いたボディに中段蹴り。これは攻撃と同時に相手を間合いから蹴り出し、体勢を整える意味もある。
わずかに足を引いて腰を落とし、殺到するモンスターを先着順でポンポン放り投げていく。もちろん投げる方向も考えている。自分の次の動作に繋げられるよう、『やりづらい方向』から近づく敵にぶつけて動きを止めているのだ。
史上最強の戦士。絶対王者。無敵の壊し屋。
そんな二つ名で呼ばれるエリック・メリルラントの戦いぶりに、グラスファイアたちはそろって歯ぎしりしていた。この男のせいでいくつの下部組織が潰されたことか。そのひとつひとつを思い返すほどに忌々しさと殺意が湧く。今ここで事故に見せかけてこの男を殺せたら、今後の活動はどれだけ楽になるだろう。
誰もがエリックに対して不穏な感情を募らせている。
心の中はこれ以上なく真っ黒だ。
それはこの場において最も不都合なエネルギーに変換される『負の感情』だった。
「んっ!?」
異変に気付いたのはアル=マハだ。
魔弾が効かなくなった。
威力はないが弾数の多い《ブラッドギル》で広域攻撃を仕掛け、距離を稼ぎつつダメージを与え、動きの鈍った個体の頭を《ティガーファング》で撃ち抜く。それがアル=マハの得意とする戦法だ。だが《ブラッドギル》が効かないのであれば別の手を考えねばならない。
アル=マハは銃撃をあきらめ、肉弾戦に打って出た。
「魔弾解除! 形状変化、ロングブレード!」
音声コマンドに従い、両手に持った魔導式短銃が形状を変えた。
引き金と撃鉄が本体内に格納され、銃身はグリップに対し一直線になる。そして銃口から現れたのは魔力でできた光の刃である。
銃から刃渡り七十センチを超えるロングブレードへとトランスフォームするこの武器は、アル=マハのためだけに特注されたオリジナルガンソード『アンフィスバエナ』。このガンソードの消費魔力は通常の魔導式短銃の五十倍以上。底抜けのスタミナを誇るヘファイストスが憑いているからこそ扱えるが、常人が起動すれば二分と持たずに命を失う。これは他の何者にも使用不可能な規格外の武器なのだ。
「はあああぁぁぁーっ!」
接近してきたモンスターに刃を突き込み、そのまままっすぐ上へと振り上げる。
腹から頭までを真っ二つに裂かれたモンスターは、上半身を左右ににベロリと開きながら崩れ落ちていった。
「セイッ!」
掛け声とともに両腕を開き、両側から迫るモンスターの首をはねる。
返す刃で前方から迫る一体の胴を薙ぎ、強引に開けたスペースへと前進。背後からとびかかってきた一体を躱す。
防御はしない。ただ突き進み、行く手を阻むものを一人残らず斬り殺す。
相手の力と勢いを利用するエリックとは対照的に、アル=マハは圧倒的なパワーと破壊力で強引に敵をなぎ倒す。そのため実際の強さはともかく、見た目の豪快さだけで比較すればアル=マハのほうが強そうに見えてしまう。
「若頭! あいつ、メリルラント兄弟より強えんじゃないですかね!?」
「とんでもねえパワーだ!」
「何者なんだ……!?」
うろたえる部下たちとは対照的に、グラスファイアは落ち着いていた。
フルフェイスマスクを被っていても分かる。あの動きも、あの武器も、グラスファイアは確かにその目で見たことがあった。
「……マハ家のボンボンも、死んじゃあいなかったってわけか……」
爆発事故で死亡したと発表された先代特務部隊長が生きていた。ということは、その他のメンツも全員生きている可能性が高い。
グラスファイアは部下に事後処理を命じ、自身はこの場を立ち去る。彼はこの工事現場の『施主』であり、『現場責任者』ではない。現場に残る必要はないのだ。
アル=マハのサポートに回っていたチョコはグラスファイアの動きに気付いていたが、この状況では追うこともできなかった。
「クッソ、逃げられた!」
盛大に舌打ちするチョコの肩をアスターとレクターが叩く。
「捕まえたところで、グラスファイアに適用できる罪状がないジャン。肝心の介護施設もまだオープン前だし……てゆーかたぶん、『訳アリの土地をつかまされた被害者』として訴訟くらい起こしそ~ジャ~ン?」
「あー……訴えられる元地権者さん超カワイソウですね……」
「ケツの毛まで毟られるの確実だね……」
アル=マハとエリックが強すぎるせいで、サポートといってもやることが少ない。周辺への被害を防ぐための《防御結界》の構築、二人の死角への《物理防壁》、アル=マハとエリック以外に向かっていく個体の撃破。それをチョコ、アスター、レクターの三人でおこなっているのだ。それぞれが主力として戦えるだけの実力者である分、余裕がありすぎて暇を持て余していた。
そんなどこかだらけた空気の中、ハプニングが発生した。それはエリックが三十五体目の首を一回転半させ、アル=マハが二十七体目を三枚おろしにしたその時である。
次の標的として狙った攻撃対象が被った。
「おっと!?」
「すまん!」
危うく腕を斬られそうになったエリックが二歩ほど後退。と、そこに素早く襲い掛かったモンスターがいた。
「くっ!?」
側頭部にパンチを食らった。
最低限の防御呪符は起動させていたが、ダメージを軽減しきれなかったようだ。
エリックは体勢を崩して片膝をつく。
「エリック!」
咄嗟に《緊縛》を使うアル=マハだが、その鎖でモンスターの体を絡めとることはできなかった。
「……え?」
モンスターが消えた。
少なくとも、その瞬間はそう見えた。
「……何が……?」
一瞬は消えたように見えたが、実際にはどこにも消えていない。モンスターは真上からの『強い衝撃』を受けて、地面に叩きつけられて潰れていたのだ。それはまるで力いっぱい叩き潰された蚊のようで、原型を留めず、ぐちゃぐちゃの肉片と血溜まりとなって痕跡を残す。
アル=マハは言葉を失い、茫然と立ち尽くした。
こんな魔法は見たことがない。風や磁力でなら似たようなことはできるかもしれないが、それらしい魔法の気配は一切感じられなかった。
では、これはいったい何か。その答えは、思考よりも先に直感が告げる。
空間そのものが圧縮されたのだ。
時空間に干渉する能力は神や天使の中でもごく一部の、限られた者にしか使えないはずである。少なくとも、こんな破壊力のある時空間操作ができる神に心当たりはない。
「……誰だ……?」
答えを求めてはいたが、誰かに尋ねたわけではない。アル=マハのつぶやきは純然たる独り言であり、その声はすぐ近くにいるエリックにも届いていなかっただろう。
しかし、その問いに答える者がいた。
「誰とはご挨拶だなぁ? 情報部エース様のご登場だよぉ? もうちょっと喜んでくれてもいいんじゃなぁ~い?」
「っ!?」
声がしたのは真後ろだった。
反射的に振り向いたアル=マハは、そこにありえないものを見た。
ピーコックがいる。
頭の中が真っ白になった。
アル=マハは阿呆のように口を開けたまま、そこにいる男を凝視する。
空色の瞳、灰色の髪、ピコピコと動くフワフワの猫耳、筋肉質なくせに逞しさよりも優美さが際立つ体つき。
ここにいるはずのない彼は、情報部の制服の裾をひらりと風になびかせ、トトンと軽いステップでモンスターの肉片の上で飛び跳ねる。
「あっはは♪ ホントにぺっちゃんこ♪ どんだけ闇の力が強くても、空間ごと圧縮しちゃえば一撃だよねぇ? や~い、ざまあ♪ このクソモンスターめ! あはははは!」
ピーコックは水たまりで遊ぶ子供のように血溜まりで踊り、無邪気に肉片を蹴り上げている。
べちゃり。
びちゃり。
ぐちゃり。
ぶちゅ。
そんなグロテスクな音を聞きながら、アル=マハは必死に考えていた。
この状況はなんなのだ、と。
そして己の内にいるヘファイストスに必死に問いかけるが、炎の神は答えない。
「……おい。なんだ? なんだよ、これ……」
そう呟いて、アル=マハはようやく気付いた。
自分とピーコック以外、時間が止まっている。
エリックは片膝をついた不自然な姿勢のまま、アスターとレクターは兄を助けようと駆け出した格好のままで。チョコも、敷地の隅にいるグラスファイアたちも、誰もがピタリと静止していた。
彼らだけではない。自分の中にいるヘファイストスも、セトやほかの神々も、残りのモンスターたちも、誰もが動きを止めているのだ。
「……ピーコック? お前……一体、何をした……?」
乾いた声で問われると、彼はスッと動きを止めた。
そしてアル=マハに背を向けたまま、独り言のような調子で語り出す。
「むかしむか~し、とおいむかしのお話です。地球で役目を終えた四人のカミサマがこの世界に移り住むことになりました。四人は定年退職後の悠々自適なセカンドライフを夢見ていましたが、こちらの世界の有様に心底落胆しました。先に移住していた朱雀が闇堕ちになって幽世に送られ、白虎と玄武は絶望して半堕ち状態。青龍に至っては今の人生に早々に見切りをつけ、転生の準備を整えているではありませんか。神々はこの世界でのんびり暮らすため、半堕ち状態の白虎と玄武を封印、彼らが散らかした闇を残らず吸い取り、安全に暮らせる環境を整えるところから始めねばなりませんでした」
ピーコックは言葉を切り、フウと息を吐き、それから続きを語る。
「……ああ、そうだよ。そうだったんだよ。奴らを封じたのは俺だった。だから俺には白虎と玄武の封印が解けたし、闇を吸収することもできた。バンデットヴァイパーなんて、そもそも必要なかったんだ。バンデットヴァイパーを移植したから能力を手にしたんじゃない。嵐神バアルの子孫で能力の強い者ほど、ほぼ同じ能力の天使サマエルのバディとして適合しやすいってだけの話だったんだ。ハハッ。馬鹿だよな。何もかもが逆だったんだよ。バンデットヴァイパーのおかげで強くなれたんじゃない。『最終決戦』に備えて天使サマエルを強化するために、俺や俺の前任者たちが『宿主』になっていただけなんだ。寄生型武器とはよく言ったもんだと思わないか? あれは本当に寄生していただけなんだ。なあ、わかるか、この気持ち。さんざん足掻いた挙句がこれだぜ? やってらんねえだろ?」
「……ピーコック? おい、大丈夫か? とにかく、ちょっと落ち着いて……」
「……れるかよ……」
「え?」
ピーコックはゆっくりと振り向き、見慣れた笑みでおどけてみせる。
「このままで終われるかよ、ってさ」
いつも通りの道化の笑顔。
しかし、今までとは決定的に異なる点がある。
空色だった瞳は、深紅に光り輝いている。
嵐神バアルと一つになった彼はツイッと歩み寄り、アル=マハの顔にぐっと迫った。
鼻先が触れ合いそうな距離で、赤い目の神は甘い吐息で囁きかける。
「今のこの俺は並行世界の俺だ。バンデットヴァイパーの前任者は死ななかったが、別の隊員が命にかかわる大怪我をし、急遽行われた昇進試験でめでたく特務入り。その後情報部に異動になって、エースとして大活躍するっていう並行世界だ。さて、これがどういうことか分かるかな? 十五年前に大怪我した特務部隊員と言えば?」
「……いや、待て。どういうことだ? こっちでもあの人は負傷して情報部に配置換えされたが、人員の補填は行われなかったぞ……? それに……」
すべての並行世界の記憶が並列保存されているはずなのに、そんな記憶は引っ張り出せない。その理由を考えようとするアル=マハに、嵐神バアルはニヤリと笑う。
「人員の補填が必要な理由? そんなもの、特務部隊の仕事が忙しくなるような事態が発生したからに決まっているだろう? そう、例えば……」
そっと耳元に寄せられた唇。
耳朶に吐息が触れるほどの近さで嵐神バアルは告げる。
「ナインテールの残党が中央で抗争を始めるとかな?」
「……まさかっ! お前!?」
「ヒントは出してやったぞ? せいぜい足掻けよ、ヘファイストス!」
「この……ふざけやがって! よくも俺の動きを止めたな、バアルッ!」
瞬間的にアル=マハと入れ替わり、ヘファイストスは《可鍛の豪焔》を放つ。
が、バアルには当たらない。彼の姿は消えていた。
次の瞬間、停止していた世界が動き出し、炎はバアルが踏みつけていたモンスターの残骸を焼いた。
「悪いな! 助かったぜ! さあ、残りの連中を片付けようか!」
「え? ……あ、ああ、そうだな!」
エリックがバランスを崩した直後から再開された時間軸。モンスターが空間の圧縮で潰されたことも、停止した世界で並行世界のピーコックが接触してきたことも、アル=マハとヘファイストス以外の誰にも感知できていないようだ。
平静を装い、アル=マハは残りのモンスターを仕留めていく。
(あれは……あいつのいる並行世界は、いったいなんだ……?)
こちらと繋げるべきではない世界。
それは間違いないだろう。嵐神バアルは時間を操作して見せた。空間を圧縮して見せた。天使サマエルとほぼ同系能力であるとも言っていたし、何よりこの場に現れてナインテールの名前を口にした。
ナインテールが内部崩壊した原因は就任したばかりの新しいボスが『毒殺』されたことにある。その実行犯は最後まで謎のまま、ナインテールは錬金合成爆弾でカペラの町もろとも物理的に壊滅させられた。
何の確証もないが、これだけヒントを出されれば嫌でも分かる。
実行犯は彼だ。
嵐神バアルが時間にも空間にもとらわれない性質の神だとしたら、過去の世界に飛んで人間を毒殺することなど容易かろう。そしてその後、ナインテールの残党を焚きつけて新たな抗争を起こさせることも――。
(ピーコックが生き残る並行世界があることは分かったが……なぜこちらに接触する? こちらと繋がらなくとも、向こうは向こうで『別の世界』として成立しているはずだよな? あいつはこちらに『戻ってくる』つもりなのか? しかし、あれだけの力を持つ神がいるのなら、あちらでは仲間の誰も死んでいないのだろうし……いや、それとも、まさか……?)
最後の一体に光の刃を突き込んで止めを刺し、死骸を乱雑に放り出す。
戦闘で乱れた呼吸は、動揺を隠すには都合がよかった。
(……だとすればあいつは、何に、どこまで関わっている……?)
どこからともなく別の空間から発生する闇のモンスター。死んだ途端に透けて消えてしまうそれがどこから来て、どこに行くのか。なぜいつもタイミングよく現れて、都合よくこちらの面々の進化や覚醒を促すのか。
何もかもの謎が解けてしまいそうで、解いてしまったら心が折れてしまいそうで――漠然とした不安に、アル=マハは小さく震えていた。
駆け寄る仲間と労をねぎらい合っても、後から駆け付けた情報部の面々と現場の事後処理について話していても、アル=マハの耳には彼の声が反響し続けていた。
せいぜい足掻けよ、ヘファイストス!
彼が自分に何をさせようとしているのか、なぜ自分にだけ接触してきたのか。
何ひとつ分からない。何もかもが分からない。
胸に渦巻く得体の知れない感情は恐怖とも畏怖とも違う。これはそんな大それたものではなく、もっと個人的でシンプルな感情だ。しかし残念なことに、彼にはそれが分からない。己の内の神に問うたところで、ヘファイストスもまた、この感情の正体を知る立場にない。
彼らにはある種の経験が不足している。そしてその経験不足を悟るには、自己の努力だけではどうにもならない。
何を足掻けばいいのか。
どう足掻けばいいのか。
それすら分からないまま、彼らは現場を後にする。
工事現場に湧いた地下水も、そこから現れた竜族の頭蓋骨も、頭蓋骨から涌いて出たミズグモの類も、それぞれの分野の専門家が調査すべき事案である。特務部隊の仕事は『謎の呪詛』に起因すると思しきモンスターとの交戦・撃破。それで終了なのだ。現場処理や関係各所との連絡は情報部と事務方に任せて、おとなしく帰還するほかない。
本部から寄越された馬車に乗り込んだアル=マハは、顔を隠していたマスクを外した。
座席に深く腰掛けて、誰にも話しかけられないよう、疲れた素振りで目を伏せる。
(ピーコック……『そっち』では、いったい何が起こっているんだ……?)
馬車の外では、すっかり傾いた太陽が今日の終わりを黄金色に染めあげている。有無を言わさぬ光の奔流は遠慮も風情もなくずかずかと馬車の中にまで入り込み、うつむくアル=マハに祝福の言葉を投げつけてきた。
「……?」
小さな覗き窓からちらりと外を見れば、空には無数の天使が舞っていた。彼らは住処に帰る鳥に化け、今日の労働に疲れた人間たちに癒しと祝福を振りまいているようだった。
「……は?」
いまさら夕焼け空の正体に気付き、アル=マハは複雑な表情でカーテンを閉めた。
(……いや、そういうメルヘンな感じのアレは、無邪気に喜べる子供のころに知りたかったな……)
彼の心の声に応える者はいない。ヘファイストスは舌打ちしながら天使の舞う空を睨みつけていた。
黄金色に輝く世界に、静かに夜が忍び寄る。
本部に帰還した一行は医務長、事務長、副団長、団長から順番に説教を食らい、大量の報告書と始末書を提出する破目に陥った。上からの指示も令状もなく民間企業の工事現場に出向き、そこで戦闘行為におよんだのだ。そのうえ白昼堂々衆目の前で許可なく発砲。それも使用した弾は第一級非常事態と判断される《スターシェル》と《ドッペルフレア》だ。これらはいずれか一つでも懲戒処分に相当する、非常に重大な事案である。
本来ならば始末書程度では済まされないはずだが、今回ばかりは事情が違った。
現場周辺の住民たちは噴き上がる真っ黒な水と巨大な竜の姿をその目でしっかり目撃しているし、グラスファイアの部下たちはわざわざ人目に付く駅前広場で新聞社のインタビューに答え、『特務部隊が邪悪なドラゴンを退治してくれた』と触れ回っている。ドン・エランドファミリーは介護事業の宣伝材料として利用しているだけなのだが、ドラゴン出現から三時間が経過した午後八時現在、市内のどのラジオ局もこの話題で持ちきりである。
〈やあみんな、DJショーンだ! 今日も一日お疲れさん! 平日八時の音楽番組、『ジャスト・オン・ミュージック』の時間だぜ! 今夜の夕食は何かな? カレー? シチュー? それとも屋台村のテイクアウト? まだ何も用意してねえわ~ってズボラな独身野郎も今夜ばかりは大正解だぜ? 前番組のヒューゴも言ってたけど、今日は特務部隊がドラゴンを退治したらしいんだ! 場所はダウンタウン十三番街の川辺の工事現場! そう! 川を挟んだ向かい側、『クイン・モリガン恩賜公園』の噴水前広場から一望できるあの場所だ! 何を隠そう、今夜はスタジオを飛び出してクイン・モリガン恩賜公園からの生放送なんだぜ!? ……って、周りの音でもうバレてるよな? 今夜は噴水広場に集まったミュージシャンたちの生演奏をそのままお届けするぜ! どいつもこいつもお祭り騒ぎが大好きな大馬鹿野次馬野郎どもだ! 特務部隊がまたドラゴン退治をしたって聞いて、いてもたってもいられなくなっちまったんだってよ! なあ、そうだよなぁ!? ……なっ? すっげえ盛り上がってるだろ? 近くの奴は今すぐ集合! 遠くの奴はボリュームアップ! 今夜は楽しいお祭りだ! 隣近所までガンガン鳴り響かせていこうぜ! 誰にも文句は言わせねえ! なんたって、最初の曲はこれだからな! とびっきりのロックアレンジでお送りするぜ! ネーディルランド国歌、『ドラゴンスレイヤー/祝杯を挙げろ』!!〉
ラジオからあふれ出す音の大洪水。噴水広場に集まった何千人もの人間が、疾走感のあるエレキギター伴奏に合わせて大合唱しているのだ。
ネーディルランド国民なら誰でも歌えるこの歌は、元は勇ましい軍歌である。552年前、初代魔女王は十二剣士らとともに竜族を滅ぼし、血まみれの剣を掲げて建国を宣言した。竜族の奴隷として生きていた人間たちが自由と尊厳を手に入れたその日、その時の感動をそのまま歌い上げた歌詞で、当初は国歌でなく騎士団の団歌だった。それがいつのころからか市民にも広まり、誰が定めたわけでもなく、いつの間にか『国歌』と認識されるようになっていたのだ。
勇壮なメロディーラインとエレキギターの華のある伴奏は相性が良すぎた。突発的に発生した音楽フェスのオープニング曲として、驚異的なまでに会場を盛り上げている。
ラジオから伝わる中央市民の熱狂に、特務部隊とジルチ、情報部の面々はそろって溜息を吐いた。
こうなったら流れに乗るしかない。市民は『正義の味方』を求めている。メリルラント兄弟とチョコ、フルフェイスマスクの謎の隊員を『ドラゴンスレイヤー』として華々しく表彰せねば、最高潮に達したこの熱狂はおかしな方向に向かってしまうだろう。
そんな事情もあり、本来懲戒処分を受けるはずだった彼らは『口頭注意』という非常に軽い処分で済まされたのだが――。
「えーっと? アーク? 俺がナインテールの資料をかき集めてる間に、お前はいったい何をやらかした? なんで突発的ロックフェスが開催されちゃってるんだ? 俺たちは幽霊部隊なんだぞ? その辺分かってるか? なあ、本当に分かってるか?」
「すまんキルシュ、こんなはずでは……というか、本物の竜の骨が出るなんて想定外すぎて……」
「チョコ、申し訳ないが、最初からもう一回説明してもらえるか? 俺が王宮に行っている間に何がどうしてこうなった? なぜマフィアの介護施設の立地面での安全性を騎士団が保障してしまうことに?」
「ええと、アル=マハ隊長がマフィアの新規事業が怪しいという話を持ち込まれて、現場にご一緒させていただいたら偶然水が湧いて、なぜか竜が出て、それから蜘蛛も出てモンスター化して……すみません。ありていに申し上げますと、俺にも理由がさっぱりです……」
「ちょっとエリック! アスター! アンタらが行くならチョコいらなかったでしょ!? 勝手に連れ出さないでよ! この子をオフィスに放置プレーしておかないと、アンタたちが散らかしっぱなしにしたいろんなモノが片付かないのよ! アンタたち、チョコの有能さ全然分かってないでしょ!?」
「あーはいはい悪かったって。つーかセレン、お前、相変わらずさらっと酷いこと言ってんなぁ~……」
「チョコの扱い酷すぎジャン? ……って、あれ? もしかして元凶俺たち……なの?」
「レクターさん。現場の事後処理を担当されている情報部の皆さまから『戦闘中に有機肥料を散布することだけは本当にやめていただけないものか』とのご意見が寄せられているのですが……」
「王子にクレーム対応窓口のようなことをさせてしまいましたことを誠に申し訳なく思っております。情報部様からの貴重なご意見を真摯に受け止めさせていただきますとともに、今後に向けて戦闘スタイルの改善を検討させていただく所存でございます……」
騎士団本部・三階会議室に集まった仲間たちの前で平謝りする一同だが、それほど深刻な顔はしていない。なぜかといえば、これだけ市民の注目を集めてしまった以上、あの介護施設を『死体の処分ルート』として利用することは難しくなったからだ。
家族にも見放されるレベルの認知症患者を受け入れるつもりだったのだろうが、今回の件を理由にあの施設への市民の好感度は非常に高まっている。これにより、本当に手厚い介護体制を期待して入所させる家族が増えると見込まれる。入所者の家族が毎日見舞いに訪れる施設で後ろ暗いことはやりづらい。あの施設は『市民の人気取り』として真っ当に運営し、それとは別に、また新たな事業計画を立ち上げることになるだろう。
あれだけの規模の事業計画はなかなか認可が下りないものだ。次にそれらしい計画が動き出すまで、どんなに短くとも丸一年は時間が稼げたことになる。
色々あったが、一応は結果オーライ。
この件に関し、騎士団各部署の総評は概ねそのようなものだった。今回はすべての事象が偶発的に、なし崩し的に発生していったため、『裏の事情』のようなものは考慮する必要がない。今後は事後処理と市民感情の誘導に全力を注げばいい。
このときは誰もがそう認識していた。だがこの場でただ一人、アル=マハだけはそうではないことに気付いていた。
黒幕は今この瞬間にも、こちらとの次の接触を計画している。
停止した時間の中でピーコックに会った事も、彼が言っていたことも、誰にも、何も話せなかった。どこからどう話せば良いか分からないということもあるが、それ以上に、自分が見たモノは本当にピーコックだったのかという疑念が湧いていた。
いつも通りの表情で今後の方針や部署間での連携を確認しながら、アル=マハは心の中でずっと考え続けていた。
なぜ彼は、自分にだけ接触してきたのか。
ピーコックと個人的な付き合いはなかった。騎士団の仲間として挨拶を交わすことはあっても、それ以上の会話はほとんど無かったと言っていい。それなのに、どうしていまさら――。
そう思った瞬間、アル=マハは思わず「あっ」と声を上げてしまった。
「うん? どうした?」
「なんだよいきなり」
「報告し忘れた情報でも?」
一斉に向けられる視線。その視線に構うことなく、アル=マハは胸のポケットから手帳を取り出す。
ペラペラとページをめくる音が響く会議室。何事かと見守る仲間たちの前で、アル=マハは目当てのモノを見つけて驚喜した。
「あった! やっぱりこれだ! 『挨拶以外の会話』と言えばこれくらいだからな! アハハハハ! あの野郎! 本気でなにやってやがる!」
怪訝な顔をする仲間たちの前に、アル=マハは投げ捨てるように手帳を放る。
「一体何が……えっ!?」
「これ……嘘だろ!? ピーコック!?」
「は? え? なんだ!? どういうことだ!? おいアーク! 説明しやがれ!」
「なんであいつの落書きがここにあるジャン!?」
「この猫の絵、あいつの署名代わりのだよな!?」
手帳に落書きされた猫の絵。それはピーコックからの『ちょっとしたお知らせ』に必ず描かれていたものである。気の利く猫は情報部の定期報告に、独自ルートで仕入れた追加情報のメモをつけてくれることがあった。その『お知らせ』のおかげで命拾いしたことは数知れず。ジルチのメンバーにとって、猫マークのメモは絶対に見逃せない最重要情報だったのだ。
それは今週、八月十一日から十七日までの週間予定の見開きにあった。アル=マハの字で書かれた予定のほかにもう一つ、明らかに筆跡の異なる文字列が書きこまれている。
〈ビビった? ざまあwww 考えすぎるとハゲるぞ(^_-)-☆〉
いつものピーコックの、いつも通りのムカつく落書きだ。
並行世界で何か企んでいるようだが、悪の大王になったわけでも世界の敵になったわけでもなく、彼はあくまで彼のまま、何らかの目的意識をもって行動していると示したいらしい。
それからアル=マハは戦闘中に起こったあの出来事を話し、一同から総ツッコミを受けた。しかし彼と会ったこと、エリックの窮地を救われたこと、彼が嵐神バアルとして覚醒していたことまでは話せたが、会話の内容までは話せなかった。
「いつも通り人をからかって、ニヤニヤしながら消えた」
そう言うと、仲間たちはみんな信じてくれた。なんで現場で言ってくれなかったんだと、エリックが殴り掛かってきたのも好都合だった。床に転がされて悲鳴を上げるアル=マハに、これ以上問い質すことができる者はいない。
「痛い! 痛いから! やめろエリック! これ以上は本気で関節が……ギャアアアァァァーッ!」
「うっせーボケ! ピーコックの野郎、他になんか言ってなかったのかよ! なあ、おい! 本当に何にも言ってなかったんだよな!?」
「いっ……! ギブ! ギブアップ! 本気で無理……っ!」
「クソ! あの猫! 今度会ったらマジでぶん殴ってやらあ!」
「ぐ……っ!」
「……あのー……エリックさん? そろそろ本当に危険な域に達しているようですが……?」
「あ?」
マルコに言われ、エリックはハッとした。
怒りのあまり、ついつい本気で首固めを極めてしまったようだ。
「ウォーイッ!! 大丈夫かアーク! 生きてるか? 生きてるよな? しっかりしろーいっ!」
「ぅ……ぅぅ……お迎えの天使が見えた……ヘファイストスが追い返してたけど……」
「お、おう、そうか。それたぶん本物だな……。ちょっと熱くなりすぎた。悪い」
「いや、あの場で言わなかった俺も悪かった。すまん」
互いに謝って和解成立。ちょっとした揉め事で多少やりすぎたとしても、後に引かないのがジルチのノリである。
その後は全員でピーコックの思い出話などを交えつつ、今後の方針と各部署の担当業務を確定してお開きとなった。
ピーコックは生きている。少なくとも、そういう並行世界が一つはある。
それが分かっただけで彼らの眼には光が宿り、心に灯りがともった。皆、ある日突然いなくなってしまった仲間のことをあきらめきれずにいたのだ。可能性はまだある。希望を捨ててはいけない。
その思いは誰もが同じだった。
少なくとも、アル=マハ以外は。
その晩、ベッドの中でアル=マハは考えていた。
彼は相変わらず彼だった。
情報部エースのピーコックは彼以外の何者でもなく、いつも通りの道化の笑みでこちらの反応を見て楽しんでいる素振りだった。
しかし、ならばなぜ、彼はあんなことを言ったのだろう。
彼の言葉がどうにも引っかかっていて、アル=マハはうまく眠りにつけずにいた。
「……なあ、ヘファイストス? あいつは俺の手帳に落書きしていった。ということは、俺の時間も少なくとも一度は止められていた。それは間違いないよな?」
「だろうな。いつ止められたのかは分からんが……」
「どうして俺……いや、違うか。お前だったんだろうな」
「うん?」
「あいつはあの時、俺ではなくお前に向かって『せいぜい足掻け』と言ったんだ。あの場で、自力でバアルの術を解けたのはお前だけだった。あの神は、お前に何をさせたいんだろうな……?」
「……さあな。俺には分からない。だが……」
「なんだ?」
「俺は鍛冶屋の神だ。俺が全力で足掻くとしたら、神々の武器の新造と改良だろうな」
「武器か……とすると、あいつは何か、とんでもないモンスターを送り込んでくるつもりかもな……?」
「あの神の腹が読めない。備えておこう。俺の作った武器を、他の神々が使ってくれるとは思えないが……」
「……ああ。そうかもな……」
罰を受け、許しは得た。しかし、それで被害者の心の傷が癒えるわけではない。罪に対する許しを得ることと仲間として受け入れられることとは別なのだ。
今日のマルコの反応を思い出し、アル=マハは目を伏せる。
ヘファイストスの『居場所』になれるのは自分しかいない。
それは現状ではどうにもならないことだ。アル=マハにとっては『心優しい手先の器用なカミサマ』でも、他の神々と人間からすれば『横暴で支配欲の強い嫌な奴』でしかない。それだけのことをしてきた事実は、どんな償いをしても無かったことにはできない。
「ヘファイストス……その……俺は……」
何か気の利いたことを言えたら良いのだが、残念ながら、アル=マハの辞書にそんな言葉は収録されていなかった。
ヘファイストスは優しく微笑み、アル=マハの髪を軽く撫でる。
「もう遅い。お休み未鶴。良い夢を……」
フッと姿を消し、そのままどこかへ行ってしまった。
神の気配の消えた寝室で、アル=マハはもう一度同じ言葉を繰り返す。
「……あの神は、お前に何をさせたいんだろうな……?」
もともと、ピーコックの人間的な部分は何一つ知らない。挨拶以外にろくに会話もしたことがない相手だ。自分にとっての彼は『情報部エース』であり、確かにその仕事ぶりに関しては信頼のおける男だったが――。
「……あいつの『居場所』って、どこだったんだろうな……」
職業ではない。肩書でもない。彼が思う、彼自身の心の在り処はどこであったのだろう。
自分にとっての『居場所』はこの騎士団本部だ。それは自信をもって断言できる。仲間がいて、生き甲斐があって、ヘファイストスとも一緒にいられる。生活のすべてがここにあって、趣味で集めた缶バッチコレクションを飾っておくためのスペースも旧本部には山ほどある。
ならばピーコックの居場所も騎士団本部だったのだろうか。自分と同じく、彼にも身寄りと呼べる家族はいなかったはずだ。
だが、彼が何かに熱中しているとか、特定の誰かと仲良くしているような話は聞いたこともなくて――。
「……本当に、俺はあいつのことを何も知らないんだな……」
アル=マハは布団を被って目を閉じた。いくら考えたところで答えは出ない。自分の中にいる彼は、道化の笑みで素顔を隠した『ピーコック』という情報部員でしかないのだから。
それでもきっと、世界のどこかに、誰か一人はいるのだろう。
ケイン・バアルという名の男の、本当の笑顔を見た者が。
瞼の裏の暗闇で、落書きされた猫の絵が嗤う。