一
考えるまでもなく、その答えは明瞭だった。
和正は本来なら今日は非番だった。
非番の刑事と交通課の警官が、殺人現場に職務中の刑事達より早く到着してるなんて不自然極まりない。
「あ、交通課の霧島 美優紀です」
時雨が名前を思い出せないのだと察し、美優紀が自己紹介してきた。
だが、時雨は既に美優紀の事を見ていなかった。
「和正さん、どういう事ですかこれ。そう言えば、あなた今日非番ですよね? どうしてこんな所に? まさかとは思いますけど、職務中の制服警官を……」
「あー、うるさいうるさい。お前は俺の彼女か。別に俺が俺の休みの日に誰とどこにいて何をしてようが関係ないだろ」
「か、彼女なんかじゃありませんよ!!」
否定する部分を間違えてる上に、不謹慎にも、殺人現場でつい声を張り上げてしまった。
驚いた鑑識官達が一斉に時雨を見た。
「あ、ごめんなさい……」顔を焼いたかのように赤面させながら、鑑識官達に謝り、もう一度和正と向き合う。
「じゃなくて、別にそれは勝手ですけど、制服を着てる警官をラブホテルに連れ込むなんて警察の威信にも関わるって話をしてるんです……!」
今度は小声で言った。
すると、そんな時雨に美優紀が抗議の声をあげた。
「あ、因みに私が和正さんの今の恋人です」
イラっとした。今いらないし、そのカミングアウト。
「あなたはちょっと黙ってて」
キッと睨んで美優紀を威圧し、その鋭い視線を和正に向ける時雨。
和正は面倒くさそうな表情で、左手の小指を左耳に突っ込んでぐりぐりしていた。
「和正さん、私の話聞いてます?」
和正に迫りよる時雨。その間に慌てて美優紀が立つ。
「あ、ちょっと、近いです春野刑事」
「交通課は引っ込んでて、ここ何処だと思ってんのよ」
言いながら美優紀の肩に触れた時、その時雨の手を和正が掴んだ。
力の入った、男性の手の感触が、掴まれた手首から伝わる。
「お前こそ此処をどこだと思ってんだ、殺人現場だぞ。発情期の犬や猫じゃあるめーし、弱いもんイジメしてんじゃねーよ。仕事しろ仕事」
「っ……、それはあなたが私の言ってる事を無視するからで、私は別にこんな交通課の新米なんか相手にすら——」
「なんだ、その口塞がれねーと分かんねーのか? あぁ?」
言葉を遮られ、右手で顎を掴まれて引き寄せられる。かなり乱暴で、強引に。
それを見て美優紀が「あ、ちょっと、駄目!」と、和正の右腕を掴み、引っ張る。
だが、和正の腕は美優紀の力ではピクリとも動かない。
「警察の威信がなんだって? 俺ら刑事は威信の為に仕事してんのか? 威信の為に日夜、犯罪と戦ってんのか? だったら今すぐ刑事をやめろ。くだらねぇルールで俺を縛るんじゃねーよ。そしたら、守るべき正義は守ってやる」
そう言った和正の瞳はギラついてるように見えた。この瞳はヤバい。見つめ続けると吸い込まれそうになって、会話の主導権を全て奪われてしまう。
和正に顎を離された瞬間、時雨はすぐに顔を逸らし、背中を向けた。
これがこの男、赤城 和正の性格の難点。
俺様系で、自己中心的で、威圧的。
背後で、和正に対して何やら喚いている美優紀の甘ったるい声を、時雨は鬱陶しく感じながら、小さく溜息をついた。
そこに一人の鑑識官が近づいてきた。
「春野刑事、ちょっと」
顔見知りの鑑識官に呼ばれ、時雨からも部屋の中に入って近寄る。
「何? どうしたの?」
「これなんですが……」
鑑識官が時雨の前に差し出した物は、小さな黒い機械だった。
「これって……」
鑑識官の手の平からその機械を取ろうとして、背後から伸びてきた手に先に取り上げられる。
誰がというまでもなく、その手の正体は和正だ。
「ちょっと和正さん……」
振り返って呆れ気味な口調で和正の名前を呼ぶ時雨。
その和正の背後で、廊下に立ったまましゅんとしている美優紀の姿が見えた。
恐らくは和正に怒られたのだろう。
いい気味だと思いながら、少しだけ機嫌を取り戻した。
「和正さん、その機械って」
気を取り直しながら、和正の横に立ちつつ、近寄る。和正は何も気にしていないようだが、廊下から時雨のその行動を見ている美優紀にとっては全然面白くない。
腹が立って仕方ない事この上ない。時雨に対して。
「おい、鑑識で他に手の空いてる人間はいるか?」
和正の唐突な質問に、鑑識官が「え?」と短い言葉を返す。
和正は言葉を続けた。
「もし居たら、俺のとった部屋もこれと同じものがないか調べてくれ。それと、時雨」
「はい」
「ホテルの支配人と従業員をここに呼んで来てくれ。こいつを仕掛けた人間がスタッフの可能性もある」
「はい!」
和正の指示に従い、時雨はすぐに部屋を出て行く。
その背中を見送った後、「——美優紀」と交通課の彼女にも声をかけた。
「は、はいっ」
「交通課に連絡してすぐに辺り一帯に検問を張ってくれ。こいつを仕掛けた犯人が、この殺人の犯人ならどこかでこいつの電波を拾いながら、逃走してる可能性が高い」
「はい!」
仕事の指示とあれば、美優紀もシャキッと背筋を伸ばす。すぐにその場から離れつつ、無線を入れる。
時雨と美優紀が颯爽と居なくなってから、鑑識官は和正に訊いた。
「それじゃやっぱり、それは……」
「あぁ……盗聴器だ」
そう答えてから、和正はその機械を握り潰した。そして、静かな声で言った。
「もう手遅れかもしれねぇけどな……」