形式だけの仲間
「……」
カーテンが優しく頬を撫でる感覚で目が覚めた。
クローゼットと、全身鏡、机とベッドのみのほとんど何も置かれていない簡素な部屋が目に映った。
そうだ、私… 昨日から、寮で暮らしていたんだった。
見慣れない景色に幾許かぼーっとした後、すぐに我に帰る。
私は軽く身支度すると、教会の礼拝堂に向かった。
まだ、斗真さんはー来てない?
礼拝堂の扉を開けると
奥の整体像の前で誰か知らない人が祈りを捧げていた。
濃いブロンズ色の長い髪を後ろで一つに纏めている。
男性のようだった。
秋凛学園の制服、ということは、白百合寮の人みたいだ。
何か祈りの言葉を口にしている、だんだん距離が近づくにつれて少しづつ聞き取れる言葉になってゆく。
「天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にもおこなわれますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン」
それはとても神秘的で、まるで幻想を見ているかのようだった。私は我も忘れて吸い込まれるように彼の祈りに魅入っていた。
いくらの時が過ぎただろうか。
祈りの言葉が終わったようで辺りは静けさに包まれる。
「あの……白百合寮の、人、ですよね?」
私は彼の傍らまで周り声をかけた。
「…私、昨日から新しく白百合寮で暮らすことになった松永結衣といいます。」
「…悪魔の相だ」
「え?」
「お前、家族にも親戚にも見限られたらしいな。挙句の果てに身を案じてくれる友人1人いないなんて、憐れな奴だな」
「……誰が、そのことを…」
「記憶を無くす前のお前はろくでもない人間だったに違いない。自業自得だな」
酷い……
喉まででかかった言葉を飲み込んで耐えた。
確かに、彼のいうことは事実だけど、初対面の人にそんな言い方しなくても…。
男性は振り返って私を鬱陶しそうな眼差しで見てそう冷たく言い放つ。
「それは……知ってます。事故で記憶を失って、信じられない思いでした…でも、もう一度1からやり直したいと決めたんです。ここでクリスチャンになって、私の罪を洗い流したいんです。もう2度と同じ過ちをしないように…。」
「自分がどんな罪を犯したかも覚えていないのにか?」
「それはー」
「口先では何とでもいえる。お前は上辺だけだ、」
「教会は己の罪を償う場所なのですよ。結衣は自らクリスチャンになることを願い出たのですから、むしろ感謝するべきです。」
いつの間にかユナン神父が礼拝堂に来ていた。
「さぁ、ミサの準備を行います。寮生はそれぞれ役割の確認を」
そういい祭壇の方へ歩いていく。
「おい、教会を汚すような行いをしたら即刻出ていってもらうからな。」
「…。」
「全く、ユナン神父は何でこんな罪人を教会に立ち入ることを許したのだ…」
彼はそう独り言のようにいいながら壇上の方へ歩いていった。。
罪人って、私が……?
あの人は私を知っているのだろうか?
少しすると教会に多くの人達が集まりだした。
大体中年大〜高齢者が多い。一般市民にも解放していると言ってたっけ。
「ご機嫌よう 」
「………ご、ご機嫌よう…」
大半が黒色をしめる修道服を着ているシスターたちだ。黒いベールに頭をおおい胸からは皆銀の十字架を下げている。ちらほらと同じような黒でおおわれた修道服を身につけた修道士と思われる男性たちがいた。シスターとちがいベールは身につけないようだった。
祭壇やその付近には、逆に足先までおおう白いコートにさらに上から白いマントのようなものを何枚も重ね着している人が三人いた。ユナン神父も同じ服装だから、彼らが司祭のようだった。
「おはようございます」
その後礼拝堂に学生服を着た斗真さんがやってくる。
「おはようございます!聞きたいことがあるのですが、
あの人って… 白百合寮の人でしたよね?」
私は祭壇の近くのパイプオルガンの傍に座った先程の彼を指差しとう。
「えぇ、彼は三年の瀬野悠真ですよ、子供のころから孤児院が一緒だったんです。堅物で無愛想な奴ですが、この寮の中では一番クリスチャン歴が長いんですよ。」
「彼が…」
「それでは、時間になりましたので、5月1日、日曜 朝のミサを行います。」
ユナン神父の声が教会に響き渡る。
「父と子と聖霊のみ名によって。」
「アーメン。」
ユナン神父は壇上の十二本ある赤い燭台のようなものに1つ1つ灯をつけていく。
瀬野さんは教会のオルガンを奏でている。なんの曲かはわからないが、驚くほど上手かった。
「祝福された空気に包まれたでしょう?」
隣に座る斗真君が微笑む。
「そうね…。」
「天上の父よ、あなたの御心をつむ子羊たちをどうぞお導き下さい。祈りましょう。
..聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。」
「アーメン。」
それから聖歌を歌い、きの遠くなるほど神父の聖書朗読の時間が過ぎた。
一応、ミサの流れは予習しておいたけれど、、何を言っているのか半分も理解できない。
「それでは、聖体拝領を行います。
主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちの糧、あなたをおいてだれのところに行きましょう。
今日から皆さんの仲間になる新たなクリスチャンを紹介します。結衣、前へ」
!眠くなりうつらうつらしていたところ突如名前を呼ばれ驚く
神父が私に目配せする。そういえば、昨夜私の紹介があると言っていたのを思い出した。
私はすぐさま壇上に向かいユナン神父の前にたつ。
机の上には赤いワインと一口サイズのパンがカゴにいくつか入っている。
神父はワインをグラスに注ぎ私の元へ差し出す。
「これは神に流れる血です 受け取りなさい。」
私は言われるがまま
ワイングラスを取って飲み干した。
「これは神の肉、受け取りなさい。」
次に小さなパンの欠片を手に取って口にした。
「松永結衣、今日という日から、信仰ある限り、あなたは私たちと同じクリスチャンであることを認めましょう。」
そういうと昨日いただいた私のロザリオにキスをした
「これから、命と信仰ある限り、共に祈りを捧げましょう」
「いと高きところに神の栄光あれ」
皆んなが同じように自分のロザリオに口付ける。
ようやく
ミサが無事終了し、寮に戻ろうとしていたとき、ユナン神父に声をかけられた。
「おめでとうございます、今日から私たちの正式な仲間ですよ。」
「あ、ありがとうございます。」
「7時から朝食ですので、寮の一回の食卓に来て下さいね。」
「はい!」
7時に寮のキッチンに向かうと既にユナン神父に寮生全員集まっていた。
テーブルの上には5人分のクリームシチューと色とりどりのポテとサラダが綺麗に盛り付けられていた。
「美味しそう…!」
立ち込める暖かな湯気と甘い香りが漂っている。
「これ、全部斗真さんが?」
エプロンをつけ皆の飲み物を準備していた斗真君に問う。
「えぇ、といっても昨日の夕食の残り物ですけれど。今週は私の当番ですから。食費は上限がありますから、決して豪華ではないですけれどね。」
「それでも凄いです…!」
「結衣、待って」
私が箸に手をつけようとしたとき、ユナン神父が制止する。
?
「食事のときは祈りを捧げてからですよ。」
「祈り?」
「そんなことも知らないのか?クリスチャンとして当然の礼儀だぞ。寮の規則にも書いてあるだろう」
「…昨日はあのまま疲れて寝てしまって…まだ読めてなくて…」
「なんだと?気が緩みすぎじゃないのか、本当にクリスチャンになる気があるのか疑うなぁ」
「すみません…」
「結衣はこうやって寮で食事を取るのは初めてなんですから、大目に見てあげましょう。」
「ですが神父、食前の祈りは基本もいいところ、孤児院の子どもでもしていますよ!」
「まあまあ、結衣は記憶をなくして大変なときです。お互い協力し合わなければなりませんよ。
結衣も、今日はまわりと合わせるだけで構わないので、、明日からは、できるようにして下さいね。」
「はい、すみません」
「主よ、この食事の賜を祝福して下さい
体の糧が、心の糧となりますよう、今日食事に事欠く人にも、必要な助けをお与え下さい」
全員揃って同じ言葉を口にした。
「アーメン」
「さぁ、食べましょう。」
シチューは素朴だったがとても暖かい味がした。
学園初日は無事に終わり、放課後になった。
最初はどうなることかと思ったけれど、転校生というだけで話しかけてくれる女の子がたくさんいた。
記憶のことを言わなければ、普通に仲良く出来そうかもしれない。
一抹の安堵とは裏腹に、
何となく、気になっていることがある。
それは、些細な違和感
だけど、きっと記憶がないから、何でも少し新鮮に映るだけだろう、そう思い気にしないようにしていた。
私は昨日神父に貰った資料を取り出し開いた。
・平日は原則5時起床とする
・6時に聖体の前で約30分朝の祈りを捧げる
・朝食までの間に当番の寮生は教会内と敷地内の清掃を行うこと
・日曜日 ミサにおいて、進行の準備及び司祭、シスターの補助を行うこと
具体的に、ことばの典礼
聖歌の合唱、
新しく迎えるクリスチャンへの洗礼、聖体拝領の補佐、
福音書の一節の朗読
パイプオルガンの伴奏
賛美歌合唱など
・朝夕の食事の準備は当番制に基づき寮生が自ら準備すること
・食材の買い出しは前日の夕方までに済ませる
メニューは自由だが朝夕合わせて予算は定められた金額に抑えること
・寮の門限は6時までとし、それ以降敷地内外への外出は原則禁止する
急用、やむを得ない事情の際は司祭の許可を得た場合のみ許可とする
・平日、帰宅後から入浴までの時間は原則学校の制服を着用すること、入浴後は男女それぞれ備え付けの部屋着で過ごすこと
・談話室の解放は夜8時までとする
・消灯は夜10時とし、それ以降は部屋から出ることを禁止する
・原則一階の女子寮に男子生徒は立ち入ることを禁ずる、また逆も然り
・休日は七時までに起床
私服による外出を許可しますが、街を出る場合は司祭に報告をすること
また門限は8時まで
・休日の食事当番生はありません。各自自由にとること、もしくは修道院でシスターと共に食事をしても良いとする
・異性同士の、恋愛関係への発展を禁止する、違反した場合は双方共に退寮とする
・4半期に一度、1週間を最長とし、実家に帰省をしても良いとする
読むのに疲れ始めた私は飛ばしながら重要そうな部分のみ目を通していた。実際はその他細かなルールが延々と数十ページ分は書き記されていた。
その次にはクリスチャン専門用語とその意味がびっしりとかかれている。
「そんなに難しい読み物ではないでしょう?」
休み時間から暇があればその本を開き読んでいたが、よっぽど眉間に皺を寄せたような難しい顔で読んでいただろうか。放課後斗真さんが私のクラスに来てそう笑いながら呟く。
「いいえ、とても難しいです、この規則はいったい誰が作ったのか気になるわ…規則が100か条以上…。随分と厳しい規則なのですね。寮というのはこういうものなのですか?」
門限があるのは分かるが、起床時間と就寝時間は早すぎると思われたし、食事も清掃も全て自己責任とは珍しいように思う。また特に興味はなかったが、寮生同士の恋愛関係を持つことがなぜいけないことなのか私にはわからなかった。さらに6時以降は敷地内は良いとはいえ外出してはいけないとは何とも軟禁のような生活ではないか。
「いや、普通の寮はもっと緩いですよ。この白百合寮は、修道士候補生たちですから、修道生活を送るシスターたちに少しでも近い暮らしをすることをモットーとしているんです。」
「修道士候補生?」
「えぇ、私たちはまだ未成年なので隣の修道院にははいれないんですよ。ですが私たちは全員クリスチャンでさらに神聖な教会の横で司祭と共に暮らす身です。
いわゆる、修道生活の準備期間のようなものです。」
「では、斗真さんたちは全員、成人したら隣の修道院へ?」
「いえ、修道院に入る人が多いというだけで、本当は職業の選択は基本自由なんです。実際、この寮の卒業生で民間企業に就職した人もいますし。」
「そうですか…良かった。あ、いや、修道院が嫌とかいうわけじゃなくて、まだ将来の夢とか決まってなくて」
「いいんですよ。私もまだ未定ですし。まあ、瀬野は修道士しか考えていないでしょうけれど。」
「はぁ…でもまさか私、こんなに頭が悪かったなんて…」
「まぁまぁ、まだ二年ですから、今からでも学業に専念できるじゃないですか」
斗真さんと寮まで下校中、今日帰ってきたテストを見返して意気消沈する。
私は昔から頭が悪かったのか、それとも無くしてはいけない知識まで無くしてしまったのか、見事に授業の内容もちんぷんかんぷんだった。将来のことも考えなければいけなかった。記憶が何もない私には、以前の私が進学を目指していたのか就職を目指していたのかすらわからなかった。せめて私物がたくさんあれば、自分やまわりのことがわかったのだが、
私物らしきものは何一つ見つからず、私の携帯電話すらない始末。
教会の敷地に入り寮へ帰る途中、教会の庭に綺麗に咲き誇っている薔薇の前で、ガーデニングをしているシスターを見かけた。なぜだろう、今までシスターの人は何人も見かけたことがあるのに、なぜか彼女のことだけが、目に止まった。
「ご機嫌よう 」
「!こんにちは」
綺麗な人……修道服に身を包んでいたため髪は見えなかったけれど、雪のように真っ白な肌に淡いブルーの瞳をした外国の人のようだった。何度かミサで見たどのシスターとも違う雰囲気の、美しい人だった。
「斗真さん、あの人は…?」
私は先を歩いていった斗真さんの元へ駆け寄る。
「ああ……彼女は…シスターですよ。ほら、教会の隣に同じくらい大きな建物があるでしょう、そこが修道院で、彼女たちはそこで暮らしていますから。」
……
「それは知っているんだけど…」
彼ならあの人の名前を知っていると思ったのだけど、、斗真さんは、修道院の人たちとはあまり関わりがないのだろうか。
いや、でも白百合寮せいは隣りの修道院工場の補助をしなければいけない規則だって書いてあったし、前回のミサのときだって、シスターたちと一緒に司祭側に回って手伝っていたことを知っているし…
「結衣?」
立ち止まった私に彼が声をかける。
「…ううん、なんでも。」
そのときは、気づかなかったのだ。彼が彼女を見るときに見せた微細な表情の変化も、彼と彼女を巡る物語も、私は、何も知らなかった。
できる限り現代のキリスト教に沿った儀式を書いたつもりですがもしかしたら誤った情報があるかもしれません。ご了承下さい。