全てが白紙になった日
夢を、見ていた。天井には幾重にも続くステンドグラスが陽の光を浴びてキラキラと輝いている。
壇上には大きな十字架が、そして聖母マリア像の前で、佇み祈りを捧げている人がいる。
後ろ姿をぼんやりと眺める。銀髪の腰まで届く長い髪を後ろで結った人だった。女性に見えるが、外国人だろうか……
全く知らない人だった。
教会、だと思う、けれど、私は人生で1度も教会を尋ねたことはない。そのはずなのに、、
なぜだろう、なぜかこの風景に驚くほど懐かしい感覚がする。
あなたは、誰? 声に出そうとしたがそれは声にならなかった。
………きっとこれは、夢だ。
でもどうして、私は夢でこんなところにいるのだろう。
昨日私はいつ眠っただろうか?
そうだ……私は、、昨日学校が終わって、いつもの日課の神社に行って、それから、、確か誰かと、会っていた。
とても重要なことだった気がする。でもそれは誰だっただろう、でもそれも思い出せない。
前方で祈り続けている人をじっと見ていた。
しかし後ろ姿だけではよく分からなかった。
…そう、ただの幻だ。これはただの夢、
誰かが昔言っていた。夢は時に、自分の心の中を表す
それならばこの景色も、あの人も私は知っているのだろうか。
分からなかった。
しばらくして、開かれた窓から強い風が吹きこむ。途端に足元が崩れ去った。
!
光がはじけてその人は見えなくなる。
体制を崩し後ろから倒れ込んでしまう。
最後に、私が視界を飲み込まれる瞬間、その人が、振り向いた、気がした。
そして何も見えなくなった。
どんどん、落ちていく。暗闇を一人ぼっちで。
私はどこに向かうのだろう。こんな状況なのに、思考だけは、頭だけは冴えて冷静な自分がいた。
「お願い、貴方にしか出来ないの 」
「私はもうここにはいられない、私の代わりにー」
どこからか、声が聞こえる。それは頭の中に直接響いてくるような感覚だった。そしてその声を私はどこかで聞いたことがある。
「もうこうするしかないから。だって私には…それしか選択肢がない。」
「頼みましたよ、もう1人の私ー」
声はそこで途切れ、
そして私の意識は、深い闇の底に呑まれていった
……白い。
真っ先に目に浮かんだ景色に、そう感じた。1面の白い景色が広がっている。
そしてすぐに私は自分が仰向けの状態で見上げていることに気づいた。私が見ているのは白い天井だった。視線を右にずらすと、今度は窓が見えた。いくらかある窓の1つが少しだけ空いており時折風が吹き込み緑色のカーテンがゆらゆらと揺れる。さらに詳しく自分の状況を顧みた。口には何やら救護マスクのようなものが装着されていた、左腕には小さな管が繋がっていてその先には小さな機械が何かの記録を波のようにピッピっという音とともに不規則な線を刻んでいる。
ここは、、、病院だ。おそらく。少なくとも私の知る限り。
あれ……私、どうしてこんな所にいるんだっけ。
昨日までなにをしていたっけ…?
それ以前に、私の名前、名前が思い出せない……
まだあたりの景色が霞んで見える。頭がぼーっとしてうまく働かない。
しばらくするとふと通りかかった看護師らしき人がベッドに座って廊下を見ていた私と目が合った。
「うそ!?、目が覚めたのですか!?す、すぐに先生をお呼びします!」
驚いた表情でそう言ってパタパタと走っていった。
松永?後ろのネームプレートに松永結衣様とかかれている。どうやらそれが私の名前のようだった。
すると1分もたっていないだろう間に医師らしき人とさらに数名の看護師が駆けつけてきた。
そして、さらに奥の治療室に運ばれ、人間ドックのような検診と、問診、MRIなど様々な検査が延々と行われた。
「あの…私の身に、何が起こったのでしょうか?私、どうしてこんなところで寝てたのか、分からないんです。
私は、一体」
「記憶が、ないのですか?お伝えづらいのですが……あなたは、、」
「え……」
頭の中が真っ白になった。
数時間にも及ぶ検診は終わりようやく自室のベッドに着けた。
どうして、こんなことになってしまったのだろう……。
私に関する記憶は何一つ残っていない。
覚えているのは夢で見た謎の教会で祈っている人と、その後に聞こえた女の人の声だけ。
「結衣さんは五日前、夜中に八王子神社の階段下で倒れていたのを近隣の方に発見されたんですよ。
外傷は特に見当たりませんでしたが、酷く衰弱していて、あなたは五日間、ずっと意識不明だったんです。
あなたの生還は、本当に奇跡的なものです。」
「神社……?どうして…そんな所に」
神社って、夜中に、そんなところに何をしに行ったんだろう。
私は医師に自分の名前も境遇も何も覚えていないことを話した。
医師は一種の一時的な記憶喪失ではないかと話した。
医師が話した内容はこうだった。
事故により全ての過去の記憶を失った人の事例はまれにはある。しかし彼らはもうほぼ脳死と断定された状態、植物状態で奇跡的に目覚めた患者たちであること、彼らは何年、何十年と意識がなかった人々であり私のようにたった数日意識不明だった患者がこのような事例は珍しいということ、また脳波、脳のCT検査の結果一般人と何ら変わりない数値だったという。
事故により前頭葉を損傷し、記憶の一部を失った人々であれば、多くは過去の記憶を刺激するもの、思い出の場所や大切なもの、人、アルバムや日記などを見ることで思いだすケースが多いらしい。
私の情報で分かることは名前と、17という年齢だけ。
そして、厄介なことに、私には戸籍がなく、身元も分からない、その名前は、私を最初に見つけてくれた近所の男性が、私をよく知る知り合いで、地元の定時制高校に通う学生で、紫音寺と名乗っているらしい。
だけど本当のところは分からず、警察に今身元調査をしてもらっている最中だというが、親戚も身よりも今の所見つかっていないという。
厄介なことに私の所持品は、わずかな所持金の入った財布と、化粧ポーチ、ハンカチだけだった。
その知り合いだという名前を聞いても、何もピンと来ない。 同じ学校でもないのに何の接点があったのだろうか。考えても分からない
親戚も身よりもいない 、
そんな状況だから、当たり前だと言われたが、何をどうしたらいいのか、もう考える気力もなくなっていた。
警察の方の付き添いの誰かから、私はまだ未成年だから、全寮制の高校に通うことを強く勧められた。全寮制の高校ならば国から奨学金が出るし、私と同じように施設育ちの身寄りのない生徒が多く通っているという。
施設の場所や新しい学校、手続きなどを細かく説明されたけれど、私の耳にはほとんどが右から左へ通り抜けていった。
その日は、一睡もできなかった。自分が誰なのか、何を見て、何を考えて、どんな人生を送ってきたのか、何もかも分からず、頼れる身内も、誰もいないということに、絶望にも似た何かがずっと私の頭の中を駆け巡っている。
それから、知り合いだと言ってくれたあの男子生徒も、1度も会いに来ることはなく、看護師さんにそれとなく尋ねたけど、あの人は本業が忙しいからなかなか時間が取れないから仕方ないとか何とか、意味のわからないことを言われた。
どうして私は生き延びてしまったのか、その奇跡すら恨んだ。
翌日、私は外出の許可を取った。行先は、私の倒れていたという八王子神社 おそらくそこへ行けば何か思い出すんじゃないかという短絡的な考えだった。
夕方、看護師の言葉を適当に受け流し、窓の外をぼーっと見つめる。目覚めてから3日が過ぎた。
結局神社へ行っても何も手がかりはなかった。
随分辺鄙なところにあり、森の中をたくさん歩いて、疲れただけ。
ここは病院だ、いずれは出ていかなければいけない。寮に入るにしろ、養護施設に入るにしろ、結局はどちらかしか選択肢はない。
それは分かっていた。
でもー、
記憶もない、頼れる身内もいない、誰も面会に来てくれない。そんな絶望的な状況で、私はこの先どうしたらいいというの?
病院だって、あと1週間もすればいられなくなる。寮に入ってそのあとは?記憶喪失で、お金も身寄りもない私を皆が奇異の目で見るに違いない。私の居場所なんて、もうどこにもないのかもしれない。
でも、ある日転機が訪れた。
それは、退院を1週間後に控えた、ある午後のことだった。
「失礼します、紫苑寺という男子学生さんがあなたに面会を希望していらっしゃるのですが、お通ししてよろしいでしょうか。」
「え??」
「歳はあなたと変わらないくらいの方でした。あなたの、旧友だと、おっしゃっていますが」
2週間前に聞いた、私の唯一の知り合いだと名乗っていた人だった。
正直、会うか迷った。友達なのか、どういう関係かは分からないけど2週間もたって、今頃接触をしてきたことに、疑問を抱いたからだ。
「…分かりました。通してください。」
正直少し戸惑いもあったけれど、私に逢いに来たのなら追い返すのは失礼だと思ったし、何より私の記憶の手がかりを探すためにも、彼に会って見たいという好奇心が勝った。
数分後、病室を訪れた彼は確かに学生服を着ていて、私と同年代くらいに見えた。銀色の、腰まであるだろう髪をポニーテールでまとめている背の高い大人びた男の人だった。
この人、どこかで……私は一瞬既視感を感じたが、それをどこで、いつ見たのか、思い出せなかった。
一瞬女性かと見間違えるくらいの雪のような真っ白な肌に淡い藍色の瞳をしている、見惚れるくらい綺麗な顔立ちの人だった。
「結衣……ホントに、目が、覚めたんですね……!」
その人は花束と鞄を無造作におくとベッドサイドまで近づきベッドの上に座り込んでいる私に突然抱きついてきた。
でもすぐに離れ、花束を一輪花瓶に指し、手土産らしきフルーツを取り出して机の上に置いている。
私はわけも分からないまま硬直するしかなかった。
「中々会いに来られなくて、本当にすみませんでした。ずっと心配していたんです。でも、仕事で関西にまで出張していて、ようやくこちらに戻ってきたのは今朝で、」
フルーツのバスケットからりんごを取り出すとパレットナイフで丁寧に皮をむき出す。
「いえ、、仕事なら、仕方ないですよ。むしろ、帰ってきたばかりなのに、ありがとうございます。」
それが嘘か本当かは分からなかったが、
せっかく会いに来てくれたのだし、細かいことを考えるのはやめにしよう。
「医師から聞きました…記憶がないと」
一通り皮を剥き、綺麗に切り分けられたりんごの入った皿を私に差し出すと、神妙な顔で話し出す。
「……はい、私、何も覚えていなくて、、あの、、、あなたは…一体?」
「あ、ああ、すみません。肝心な名前を名乗っていませんでした。私は紫苑寺斗真、あなたと同じ17歳ですよ」
と、彼は一呼吸おいて告げた。
名前こそ日本人そのものだが、目もよく見たら片方がオッドアイで、どう見ても日本人さがなかった。でもそれ以上何も追求する気は起きなかった。
せっかくお見舞いに来てくれたのに、名前を聞いても顔を見ても記憶の断片1つ思い出せなかった。
「気にしないでください。私のことなど覚えていなくても良いです。あなたが生きていてくれたことが、何よりも嬉しいのですから。」
察したのだろうか、見透かしたかのように笑いながらそう言い突然手を握った。。
「主は、私の祈りの聞き届けて下さったのです」
今度は流石に驚いて反射的に手を払ってしまった。しかし彼は気にすることなく微笑している。
「あ、あの、あなたは、私の以前のお友達ですか?」
私は話題を変えることにした
「友達…」
一瞬目を逸らし少し俯き、呟く。その声色は少し寂しそうだった。
「ー私はあなたの、、幼なじみですよ。」
やがて顔を上げ、微笑みながらそう呟いた。
「幼なじみ…?」
言葉の意味は分かる。だが戸籍もない私が学校に通っていたことはないはずなのに、突然現れた幼なじみだと名乗る彼に、どう対応していいのか分からずいた。
「ええ、あれは確か…まだ小学生に上がる前から結衣とは家が近く交流がありました。それから中学まではよく遊んでましたが、私は高校に入ってすぐに八王子に引っ越しまして、それからは、会っていませんでしたが、、」
「え!?」
私は少なからず驚いた。彼と私の家が近かったということにだ。
「では私の両親のことも、知っているのですか?」
「ええ、幼い時に、結衣の家によく遊びに行っていました。」
「それなら昔の私の家に行けば、何か分かるかも、警察の人は、私の戸籍はなくて、身元も分からないって、言っていたけれど、」
「結衣の家は何年か前に取り壊されて、今は別の建物になっていますよ」
「そう……ですか、」
「……辛い境遇だと思いますがあまり気を落とさないで下さい。いきなりで信用できないと思いますが、私はいつでも結衣の味方です。今日はゆっくり休んで下さい。退院は1週間後でしたよね?また来ますね、おやすみなさい。」
まだ聞きたいことはたくさんあったのに話を打ち切るかのように一方的に切り上げられてしまった。
本当にこの人、幼馴染なのだろうか……口調は穏やかでとても優しい感じの人だったけれど……
何か裏があるのかもしれない。ひょっとしたら私を騙して金銭を得ようとしている?
でも、所持金は愚か貯金すらない、、今は一時的に国の補助金を借りているから入院出来ているけれど、そんな人間に詐欺目的だとは考えにくい。
それとも私に恨みを持っていて復讐しようとしている?
神社で最初に通報してくれたらしいが、階下の真下に倒れていたというのも変だ。もし私を殺そうとしていて、失敗したから、また私に接触して、復讐の機会を伺っている?
疑いたくなんてなかったけど、嫌な方向にばかり考えてしまう。
最初は、そんなことばかり考えていた。けれど、
彼は翌日も面会に来てくれた
彼はそのたびに律儀に花を入れ替えてくれている。彼は私に色んな話を聞かせてくれた。
でもその話は自分のことばかりで、、私の話をそれとなく聞いても、知らない、分からないの一点張りだった。
それでも、彼が面会に来るのを心待ちにしている自分がいるのも確かだった。
その日は、怪我の方も大分直り、退院も近々できるだろうという旨を話していた。
「ところで、紫苑寺さんはどうしていつも敬語、なんですか?私に気を使っているならー」
「いえ、私はこれが物心ついたときから性分なので…それに私は主に身を捧げる忠実な使徒ですから、全ての隣人を敬うことは、私の中の忠誠心で、譲れないものなのです。」
「以前も言っていましたけれど、主とは何ですか?」
「主は、天に召します我らが父、イエス様のことですよ。私はこう見えて幼き頃から根強いクリスチャンですので。」
「クリスチャン?」
私は少し驚いたが、すぐに納得した。品行方正な位で振る舞いも、性格、と考えることもできるが、その多くは信仰心によるものだったのならば合点が行くからだ。
「初耳、でしたか?」
「クリスチャンについては一般知識程度ですが知っています。なるほど、、それなら納得です。ずっと思っていたんです。すごく敬虔で丁寧な方だなって、」
キリスト教徒、だったんだ。
それを聞いて、私は夢で見た教会のことを思い出した。私も同じだったんだろうか?それなら、彼と学校以外で接点があったって、不思議ではない。
「あなたは記憶を取り戻したいと思いますか?」
いつものように面会に来てくれた紫苑寺さんとたわいも無い談笑していると、突然そんなことをきかれ驚いた。
「え、はい、それは、もちろん…」
「それがあなたを傷つけるものだとわかっていても?」
「?…はい。それでも、何にも知らないままなのは、やはり、嫌です…」
「記憶とは、不思議なものです。失ったといっても脳のどこかで、その記憶の引き出しは存在している。引き出せないというだけのこと。喪失は終わることではない。記憶の形成は人格だと誰かは言いました。でも、あなたは記憶がなくても昔の私の知るあなたのままです。」
普通の友達ならば、記憶を戻すために行動に写すべきだ、というと思っていた。彼は思い出して欲しいとは、思わないのだろうか。
「って、あなたにとっては出会ったばかりの人間なのに、信用、できませんよね。すみません、偉そうなこと言って」
「いえ……」
彼は私に選択肢を与えてくれている。
私のためを思っているのか、自分のためか、その真意は分からなかった。
………………………………………………………
2日後、私は紫苑寺さんに連れられて、久しぶりに出た外の景色に、一喜一憂しながら散策していた。
そこで私は、さらに驚かされることになる。
八王子駅から数分ほど歩いた高級住宅街の中に佇む、とりわけ大きな豪邸がある。
庭だけで迷路が出来そうなほど広く、庭には一面に豪華な色とりどりの薔薇が咲き誇り、中々普通の住宅街ではお目にかかれないような豪邸ー、
それが紫苑寺さんの自宅だと言われ呆気に取られた。
「今は、全寮制の高校に通っているので、今は使ってないですけどね。客人を招くなら、寮よりもこちらの方が良いと思いまして、」
小さな頃よくお邪魔していたらしく、記憶を取り戻す手がかりになるかもしれない
そう言って案内してくれたのだ。
「あ、あの、ご両親や、御家族に迷惑じゃー」
「今は誰も住んでいませんし、気にしなくていいですよ、」
「え、、?」
こんな広いお家に、誰も住んでいない?
「では、お茶をお持ちします。自分の家だと思って、寛いでくださいね」
私はホテルの一室かと見間違えるような豪華な客間に案内され、彼はそのまま部屋を後にする。
……きっと御家族がお金持ちなんだろう。それなのに、服装や、佇まいはとても地味で、そうとは感じさせない雰囲気があった。
寮に通ってるって言ってたし、何か事情があるんだろうな。
でも私は幼なじみだという彼のことをほとんど知らない。
どうして彼は、私によくしてくれるんだろう。
それはきっと彼も話すつもりもない何かがあるのだと感じた。
ふとソファの下から何かの切れ端が見えた。覗くと、小さなメモ帳のようなものが落ちているのに気づいた。
それは古びたメモ帳だった。
表紙は敗れていて、メモ帳に書かれていた最初の文が見えてしまう
【⠀この家は呪われている
一瞬で思考が停止し、固まる。
扉が開く音がして、何を考えたのか、私は慌ててメモ帳をポケットに隠した。
その後は彼の幼少の頃のアルバムを見せてくれたり、小学校で作ったという工作や表彰状などを見せてくれた。
だけどその幼少時代の写真はどう見ても自宅ではなく、保育所とも少し違う、どちらかと言えば養護施設や孤児院と言った感じの雰囲気の場所で、胸に十字架をかけたシスターや、神父さんのようなお爺さんが多々写っていた。
それに、教会の中や、中庭のような場所で撮影された写真も多く、私はこの人のことがますます分からなくなった。
こんな素敵な自宅があるのに、、
彼は1度も家族の話をすることはなく、
その日は八王子駅で明日は仕事があるため明後日にまた来ると言い、別れた。
私はずっと気になって仕方がなかったものをポケットから取り出す。彼の家にあったメモ帳だった。
恐る恐る次のページを捲ると、綺麗な達筆で書かれた文字が目に入る
【最初に使用人が、その次に祖母、それから両親が。絶対に偶然じゃない。
次は私と弟の晩かもしれないと言ったら、笑われて話も聞いてくれなかった。
挙げ句の果てには、いなくなって良かったじゃないなんて物騒なことを言う。
あの力を手にしてから、だんだん私の知る弟じゃなくなっていくような気がする
弟は優秀だ、とてつもない才能を持ってる、でも、だからこそ心配だ。】
次のページはそこで終わっていた。弟って?もしかして、紫苑寺さんだろうか?でも、彼が見せてくれたアルバムに、お姉さんらしき人は写っていなかったし、彼も姉がいるとは言っていない。
このメモが本当で、弟が彼のことならば、彼の両親は、もう……それに、あの力って?
次のページには、また同じような筆跡で、書かれていた。
【Rが教会に通うようになってから、全ての歯車が狂ったような気がしてならない
Rはこの屋敷の未来を次々に当ててみせる。
Rには私には見えない何かが見えているのだろうか。そして執拗に私を勧誘してくる。キリスト教ではない、彼が立ち上げたというあの宗教に】
【⠀この屋敷のせいだとRは言った。悪意に満ちていると。だけど私はそれが人外的な何かだとはどうしても思えない。そうだとしても、必ず人の意思が宿っているはず。】
【⠀最近見えない何かに監視されているような気がする。
お屋敷を出たあともずっと、私の跡をつけてくる
Rかもしれない。断っても断っても私の前に現れる。今の現実に満足しているのか、このままこの教会にいても何も変わらない、何度も言われた
【⠀今日、おぞましいものを見つけた。屋敷の地下に夥しい鼠やカラスの死骸と血液の入った試験管が大量に並べられ怪しい見た事もないような紋様が床に描かれた変な部屋を見つけた。もしかして、あの人の宗教って、、】
その次のページには付箋がしてある
そして今までの達筆とは打って変わって殴り書きのような走り書きで、
訳の分からない文字列や原子記号のようなものの羅列と、夥しい数式でびっしり埋め尽くされている。
そして、日本語でこう書いてあった。
悪魔の呼び出し方
召喚陣の書き方
生贄となるもの
そこからページは敗れ、最後のページに、殴り書で
ハルフィア クラウス
と書かれていた。
…何、これ、、、私はしばらく思考回路が止まり呆然としていた。
そしてメモ帳を見たことを後悔した。
罪悪感にも襲われる。明らかに、見てはいけないものだった。
彼の両親、お姉さん、そして、Rという謎の人物
悪魔や生贄という単語にも頭を悩ませる。
そんなの神話の中の話だ、そんなもの、、存在するわけが…
駄目だ。私は記憶を取り戻したいだけなのに、全然違う方向に向かっているきがしてならない。
このことはとても彼には言えず、罪悪感ばかりが芽生えた。
そして私は、一晩考え、この件は胸の内に留めるだけにしようと決めた。