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「どうぞ」

そう言って入口のドアを開けてくれるジロウさんは、とてもスマートで大人の男の人だった。


連れて行ってもらったお店はちょっとお洒落なイタリアンで、開かれた場所にもかかわらず隣の客が気にならないように配置された座席や、タイミングよく注文を取りに来てくれたりサーブしてくれる店員が、高級感を漂わせていた。


席に案内され、促されるまま椅子に腰を下ろして店の中を見回しながら、

「素敵なお店ですね」と自然に言葉が出てきた。

こんなお店には同年代の友達とは来ない。初めて外食に連れられてレストランにやって来た子どもみたいに、キョロキョロして落ち着かない。


「ここはイタリアンなんだけど、希望を言うと大抵のことは通してもらえるんだ。食べたいものとか、食べたくないものとか。だからわがまま言っても大丈夫だよ」

そう言ってジロウさんは柔らかく笑ってくれた。

なんだかジロウさんに見透かされているような気もしたけど、弥生はコクコクと頷いて返事した。


「弥生ちゃんは、お酒は飲める?」


「はい。そんなに強くないんですけど、飲めます」


「そうなんだ。ワインは?」


「あまり詳しくないですが、一応、飲めます」


「僕はワインが好きなんだけど、少し一緒に飲まない?」


「はい」


「あと、適当に頼んじゃっていい?」

頷くとジロウさんは、近くに待機していたウエイターにスマートにオーダーし始めた。



運ばれてきた料理と一緒にワインを飲む。

ワインの味がわかるほどワイン好きではない弥生にもわかるほど、あっさりと飲みやすく料理に合うワインだった。

「おいしい」

思わずつぶやいた弥生に「それは良かった」とジロウさんは目を細めて微笑んでくれた。


ジロウさんが注文してくれた料理はどれもおいしく、ワインと一緒に食が進んだ。

出てきた料理をおいしそうに食べる弥生を楽しそうに眺めるジロウさん。


「食べないんですか?」

自分ばかり箸を進めている気がして、思わず聞いていた。


「食べてるよ。弥生ちゃんは、それで足りる?好きなだけ食べていいからね。追加で注文したいものがあったら言ってね」

ジロウさんは料理よりもお酒を飲むタイプらしく、注文した料理には申し訳程度に手を付けながらワインを堪能していた。


「おいしい?」


食べることに夢中になっていた弥生は、ハッとジロウさんの方を向き、笑顔で「はい」と答えた。

「とっても美味しいです。こんなに美味しいお店に連れてきてもらって、ありがとうございます」


「どういたしまして。そんなに喜んでもらえたら、こっちまで嬉しくなるよ。」

そう言って目を細めながら微笑むジロウさんに、弥生はますます惹かれていた。


それから、弥生の大学時代の話や将来の夢、ジロウさんの仕事の話やジロウさんの密な夢など、色んな話をした。ジロウさんは話し上手だけど聞き上手であって、話すことが苦手な弥生の話を上手に聞き出してくれたから、弥生はお酒の力も手伝って、普段よりも饒舌に自分の話をした。


ジロウさんは‘少し’と言ったくせに、注文したボトルから空になりそうになった弥生のグラスにどんどん注いていく。

おいしい料理、目の前にいるジロウさん、場の雰囲気にのまれ、弥生は気づいたらかなり酔っぱらっていた。

かろうじて会話ができるほどではあったが、頭がふわふわしてとても楽しい気分で、下手をするとジロウさんにうっかり“好きです”と言ってしまいそうなくらい心は緩んでいた。



注文した料理をすべて平らげて、気付けば2本目のワインが空になったころ、「そろそろ帰ろうか」とジロウさんは言った。


「かなり酔っぱらっちゃったみたいだね。楽しかったから飲ませすぎちゃったかな。ごめんね」

そう言ってジロウさんは弥生の腕を取り立たせてくれた。


ふらり、と体が横に傾きうまくバランスが取れない。ジロウさんの手がないと体が勝手に右へ左へといってしまいそうだ。

立って初めて、弥生は自分がかなり酔っぱらっていたことに気づいた。


「あの、すみません。普段はこんなこと滅多にないんですけど・・」

そう言って、ジロウさんに手を引かれるまま帰路についた。



結局、店を出た後ふらふらで歩くことも難しかった弥生を見かねたジロウさんがタクシーを拾ってくれて、弥生は無事アパートまで戻ってくることができた。


本当に頭がふわふわする。気持ち悪くはなく、気分はむしろ良い。

だけど、自分では普通にしているつもりが、全くもって酔っ払いらしい。

タクシーの中でもジロウさんは心配そうに弥生の顔を何度も見ていた。


「着いたよ、弥生ちゃん」

そう言われて、自分の意識が半分なかったことに気づいた。

ジロウさんに促されるままタクシーから降りる。サッと支払いを済ませてジロウさんも一緒に下車した。

部屋番号を聞かれた後、部屋まで手を引いて連れて行ってくれる。至れり尽くせりだ。

もしかしたらこれは夢なのかもしれないと弥生は思ってしまった。

弥生にとってとても都合の良い幸せな夢なのではないか、と。


「着いたよ。鍵はある?」

無言で頷くと、弥生が鞄から鍵を出す間、ジロウさんはじっと待っていてくれた。


鍵を開けて家の中に入ると、ジロウさんは入口の外側に立って

「大丈夫?ごめんね、こんなに飲ませちゃって。本当に僕のミスだ」

そう言って申し訳なさそうな顔をした。

「ちゃんと鍵を閉めるまでここで見てるから。鍵ちゃんと閉めてね。おやすみ」

そう言ってジロウさんはにっこり笑った。


「はい。あの、今日はありがとうございました。すごく楽しかったです。」

俯きながら弥生は答える。

もしかしたら、もうジロウさんと一緒に出掛けることなんて二度とないかもしれない。

そんな考えが弥生の中に突如現れた。

嫌だ。またジロウさんと会いたい。お客と店員という関係ではなく、今日みたいに。

そんな思いが弥生を後押しする。

酔っ払いの弥生の思考力は低下しており、酔っぱらっていることが弥生をいつもより大胆にさせた。


「あの・・」

顔をあげてジロウさんの目を見つめて

「あの、また今度、会ってもらえますか?今日みたいに酔っぱらわないように気を付けるので、またジロウさんとお話がしたいです」

最後は尻つぼみになりながら、必死に言葉を紡ぎだす。


少し驚いたように目を広げて、ジロウさんは息を吸い込んだ。

「それは、とても嬉しいお誘いだね。今日は僕が無理やり飲ませちゃったから。また今度美味しいものを食べに行こう」

そう言って微笑んでくれた。


「は、はい!」

弥生も嬉しくなって自然と笑顔になる。


連絡先の交換をして、弥生が部屋に入って鍵を閉めてから、ジロウさんは帰っていった。

ジロウさんの足音が聞こえなくなるまで玄関の扉の内側で聞き耳を立てて、弥生は部屋に入った。



まさかジロウさんとこんなことになるなんて、今朝の弥生には想像もできなかった。

今日がお休みで、午後から買い物に出かけなかったら、帰りにジロウさんと出会わなかったら、こんなに酔っぱらわなかったら、ジロウさんと連絡先を交換することにならなかったかもしれない。


十分に酔っぱらっているはずなのに、頭だけは冴え冴えして、なんだか不思議な気分のまま弥生は布団に潜り込んだ。




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