another Ⅰ 前編
『見届ける者 消す者 another』とは本編とは別視点の短編の読み切り物です。
構成上、本編には入れられなかったもう一つの選択肢を読み切り物としてリリースしています。
本編をまだ読まれていない読書諸兄におかれましては是非本編の
#3”予知夢”までを読了した後お楽しみ下さい。
又、『見届ける者 消す者 another』は読まれなくても本編を読まれる上で問題はありません。
another Ⅰ
from #3予知夢
~if miku visits mother at that time~
前編
「望、未来ごめんね。お母さん疲れちゃった」
母はその時初めて未来の方を向き、寂しげな笑顔でそう言った。
「何言ってるの? 何する気? そのナイフを貸して。だめよお母さん!絶対にだめ!」
未来が必死に近づこうとしても何故か距離が全く縮まらない。
母はゆっくりとナイフを自分の手首にあてがった。
「待って! やめてお母さん!! ダメー!!」
飛び起きて目に映る光景はいつもの部屋の風景。何も変わらない。普段と違うのは酷い動悸と鳥肌だけ。遮光カーテンの隙間からは、ほのかな陽光が漏れてる。お気に入りの熊のキャラクターが彫られた壁掛け時計を見ると六時二五分を指していた。
又、視たのだろうか? 予知夢を。でもただの夢かも知れない。だってお母さんが自殺するなんて有り得ない。
今日は会社で未来が初めて任されたプロジェクトのリーダーとしてプレゼンを行う大事な日。27歳の小娘でしかない私を信じて任せてくれた課長に仕事で結果を残す。その為に今日までプロジェクトのメンバー達と徹夜に休日返上と、仕事漬けの毎日を歯を食いしばって頑張ってきた
『貴方に任せようと思う』課長が言ってくれた言葉が嬉しかった。
『絶対に成功させるわよ!』サブに徹し、未来の手が回らない調整を完璧にこなして励ましてくれた親友の美穂子の存在が心の支えになった。
だからこそ、何がなんでもこのプレゼンは成功させないといけない。未来はそう決意していた。
そうよ、お母さんが自殺なんてする訳ない。今年は忙しくてお正月の後は帰省できてないから、あんな夢を見ただけ。そうに決まってる! このプロジェクトが終わったらちゃんと帰省して、お母さんをどっか連れて行ってあげよう。
『望、未来ごめんね。お母さん疲れちゃった』
なんで……、なんでお母さんのあの寂しそうな笑顔が消えてくれないの? 私にとって今日は大事な日なの! 絶対にプレゼンを成功させないといけないの!
六時四五分
もうそろそろ起きないといけない時間。シャワーを浴びて大きめの襟がついたシャツと、今日の為にクリーニングに出しておいたお気に入りの紺のスーツに着替えよう。
ぽつりと手の甲におちる雫。
なんで……、なんで涙が止まらないの?
なんで今日なの? 課長を、みんなを裏切れない。
だけどやっぱり無理。あんな顔のお母さん放っておけない。夢なら夢でもいい。お母さんに会いたい! 課長、プロジェクトのみんなごめんなさい。
「つまり未来ちゃん、今日は休むって事ね」
「すみません課長。体調不良でどうしても出勤出来そうにありません。プレゼンならサブの美穂子にお願いしてありますので、きっとうまくやってくれると思います」
「……わかったわ、残念ね」
ガチャ
課長の声は明らかに怒ってた。私に裏切られたと思ったのだろう。イヤ、私は裏切ったのだ。課長の信頼を、信じてついてきてくれたプロジェクトのメンバー達を。
九時三五分
二又瀬 未来は実家の玄関の前に居た。
母が住む比良坂市まで車を使えば一時間もかからないが、今年のお正月に帰省したきり、仕事が忙しくて帰省出来ていなかった。
「ただいま、お母さん!」
呼び鈴も押さず扉を開けるが、返答は無かった。
一年程前までは、兄の望夫婦と甥の瞬君そして母の四人が暮らし、腕白な三歳児の瞬君を中心にドタバタ劇が繰り広げられていた二又瀬家。今では玄関から見える侘しげな廊下が未来を出迎えるだけであった。
ーーもしかして……、でも夢の中であれは夕刻頃だったはず。
心臓の動悸が早まる。間に合わなかったかも知れないという思いがまとわりつく。
「ウソ、ウソ、お母さん!」
思わず未来が叫ぶと背後で
「未来?」
存在を確認する様な声が聞こえた。振り向いた未来が見たのは、少し驚いた様に立ちすくむ母の姿であった。
「も~びっくりさせないでよ。帰るなら帰るでちゃんと前もって言ってくれないと、何も準備してないわよ」
「えへへ、お母さんをびっくりさせようと思って。ごめんないさい」
未来の突然の訪問に、ぶつぶつ言いながらも嬉しそうな母は、冷たい麦茶と未来の大好きな梨をお盆に乗せてリビングのテーブルに座る。母は手馴れた手つきで果物ナイフを使って梨を剥く。幼い頃に見慣れた風景。夏には涼しげな風鈴が鳴る縁側で、望と一緒に母が剥いた梨やスイカをほおばったものだ。
『お兄ちゃんの方が大きい!』
『え?未来の方が先に選んだんじゃないか』
『やだ! そっちがいい。かえっこして!』
『また未来の”そっちがいい”が出たな』
母が剥いた果物を前に何度同じやり取りを繰り返しただろう。梨もスイカもクリスマスケーキもいつも私に選ばせてくれて、先に選んだ私が必ず兄の物と取り替える。兄は一度だって拒まなかった。私の選択を笑って振り出しに戻してくれた兄。私はいつもそれに甘えていた。
でも今度は間違えない。笑って許してくれる兄はいない。
誰も知らない未来
言っても信じてもらえる筈のない未来
そんな未来なんてぶっ壊してやるんだから!
今までの予知夢の経験から、未来を変えるには場所を変化させる事が効果的だという事を未来は学んでいた。未来は母を家から出す為に、日帰りの温泉旅行を計画していた。
「お母さん、温泉行こうよ。行きたがってたでしょ。連れて行ってあげる」
「え? 急に帰って来たと思ったら何を言いだすの、この娘は」
「いいから、いいから、早く準備して!」
多少強引にだが母親を家から引っ張り出す事に成功した未来は、隣の温泉で有名な県に車を走らせていた。着くのは昼過ぎの予定である。道中では望や未来が小さかった頃の思い出話をしながら、夏には家族三人で花火を観に行く計画を母に伝えた。
「……そうね」
今までニコニコと笑顔で未来の話を楽しそうに聞いていた母が、花火の計画を聞くと寂しげな表情でそう答え、窓の外を流れる海岸線の景色に視線を向けた。
未来は自分の見た夢が予知夢であったと認めざるを得なくなっていた。だとしても自分なら止められる。かつて兄を救った様に。
三人で花火を見る為に未来は負ける訳にはいかなかった。