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人の知りうる人の歴史の始まり──つまりは、人が絵ないしは文字を“遺す”ことを覚えた頃よりのこと。竜は人にとっては天災に等しかった。
晴れた空に翳る翼に怯え、雨や雷の日には皆安堵した。竜は飛びたがらない日だから。
晴れた日の竜はもちろん天災として扱われるが、野の荒れる雨やら雷やらのひどいときというのは文字どおり天災である。人々は安らかに過ごすことのできる日を持たなかった。
そうして数百年。細々と生きてきた人間達は、いくつかの国を建てそれぞれの王を持った。
そのひとつが、我らがディリアの国であり、初代国王クランナット1世である。
ディリアは大陸に占める割合で言っても、他国との領土比較で言っても、大国とは言えない国だろう。
そんなディリアが世界で唯一の竜騎士団を持ち、周囲の国々、果ては南のサンラーの島に至るまでその名を馳せるのは、ひとえにクランナット1世の功績としか表しようがない。
『ディリア建国史』[初代国王の偉功]
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リュカと建国史の授業を受けることを約束してから三日。
どうやら、『海の向こうのお客様』の滞在で、王族の一員として、もてなすお仕事をしているらしいリュカとはあれきり会えていない。
フレザさんを通してその旨を認めた手紙を受け取っている。本来、同じ建物の中にいたって直接言葉を交わせるような存在ではないことを再確認させられて、つくづく今の状況に首を傾げることになる。
───なんか、家にいるときよりゆったりしてるわ。
目の覚めた時に起きて、好きなだけ本を読んで、リュカに教えてもらったあの場所で竜騎士団の建物のある方角を眺める。まだ竜の姿を見ることは出来ていない。やっぱりはじめの日に見ることが出来たのは運のいいことだったみたいだ。
人の手を借りずに着られるようなシンプルな造りで、品のいいデザインのそこそこいい素材をつかったドレスを、コルセットなしで着る。髪は簡単に結って、飾りをひとつさしておく。食事は、部屋に運ぶと言われたけれど三食とも部屋にこもっていてはつまらないので、昼食は食堂を使わせてもらうことにしている。
王城の一階に大きく設けられた食堂は、騎士や役人、王城で働くいろんな職種の人達でいつもにぎやかだ。
誰と一緒にというわけではないけれど、静かにひとりで食べるよりも気楽で、傍に席をとった人達とお話することもある。一昨日声をかけてくれたのは馬丁のおじさま、昨日は選択係のお姉様方。なにやら陽気な人達だった。
王城で働く人達は、職種ごとに服の形に規定があるけれど色は好きに選べるようで、やはり食堂の中は色が溢れかえって活気がある。
今日はなんとなく出歩くのが億劫で、部屋の中で本を読んで過ごしていた。
一番混む昼時を避けるために早めに食堂に入るために、そろそろ動こうと本を閉じる。
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「お嬢さん、向かい側に座ってもいいかな?」
男の人の声が聞こえて、手元のスープに向けていた顔をあげる。
自分のトレイを下ろしながら、にやにやしている男。
金色の癖のない髪をあごのあたりで切りそろえた、世にも珍しい緑色の目の男──すなわち、私の従兄殿である。オーウェル。オーウェル=ラソット。
「・・・オーウェル。」
「やぁ、リナリア!何でこんなところにいるのかな?見学?にしては妙に馴染んでるよね。」
この十年は、年始のラソット家での集まりで挨拶を交わす程度しか顔をあわせなかった彼である。別段私は、オーウェルを嫌っている訳では無いけれど、すこしばかりキザったらしい言い回しをする所が苦手で、竜騎士への道を着々と進む姿が羨ましくて長らく関わることを避けてきた相手でもある。
積極的に避けなくても、騎士見習いとして王城の寮にいるオーウェルにはまず会うことがなかったのだが。
「えっと、エリュカミラ殿下に呼ばれて。」
「リナリアが?ひとりで来たの?」
「そう。学友として一年滞在するといいって言われて。」
「へぇ!それは、めでたいね!とても光栄なことだよ、リナリア。」
「ありがとう。オーウェル。」
とりあえず、話は終わったはずだとスプーンを持ちなおすと、オーウェルもパンをてにとった。