最終章 破 7 決戦前夜
「それから。これは個人的な申し出なんだけど」
「メガネのお姉さん」こと、ドッペルゲンガーのベクリミシュルは、こう前置きしてから、俺へと「とある案」を提示した。
「情報では、この国の女王の身体が、邪神に乗っ取られたそうね」
「あ、ああ。その通りだ」
「で、そこに居る女の子に、女王の影武者をさせようって事かしら?」
メガネ姉さんは、女王に扮したデオランスを視線で指し示し、ちょっと鼻に付くような言い方で、俺達の企みを看破する。
「そうだ……これ以外、いい方法が無くてね。何か妙案があれば、ご伝授願えるだろうか?」
ちょいと言い回しに節を付けて、俺は少々卑屈っぽく尋ねてみた。
だが、ベクリミシュルは、
「もちろんあるわよ」
と、やや大きめのバストを誇示するかのように、「ずい!」っと胸を張って、こう言うのだった。
「私の部下のドッペルゲンガーに、あなた達の女王の代役をさせるの」
「え! 魔物さんが女王様にヘンシン出来るの!?」
美奈の驚きは、まるで屈託が無く、それ故にドッペルゲンガーであるという彼女には、好意的かつ新鮮なリアクションに映った様子だ。
「あら、知らない? 私達ドッペルゲンガーは、ロキシアに姿を変えられるの。今のこの身体も、実は遠い昔に見たロキシアの姿を借りているのよ」
「へへ~、初めて知った! すっごーい!」
「でも。ドッペルゲンガーって、化けた者の前に現れて、その人を殺すって言われてますよね」
「ええ!? それホント? ベルガくん」
「うふふ、昔はね。そうして魂を奪ったそうよ?」
「じゃあ今は?」
「それはナイショ」
おっかない事実を、かわいいウインクで隠すあたり、この魔物も、ある意味相当な曲者なんだろうな。
「それはありがたい。が……なぜそこまでしてくれるんだ?」
それは、自然と俺の中から滲み出た疑問だった。
「女王にすり替わり、この国を乗っ取る……なんてコトは無いよな」
「そ、それはヒドイよ大地くん。このお姉さんのご厚意を、そんな風に取るなんて」
美奈が、まるで古くからの友達を庇うかのように、ベクリミシュルを擁護する。
が、当の彼女は、そういう意見は至極真っ当だというように一つ頷き、
「一般的に、そう考えるのは当然だわね。ダイチくん」
至って朗らかな笑顔を湛えつつ、俺へと、そしてこの場の皆へと言うのだった。
「もしこれが、他の誰かだとしたら……そうね。仮に、この国に国王がいたとして、その者が邪神に身体を乗っ取られた。そうなった場合、私も、大魔王軍も、ここまで親身になって、この騒動に付き合ったりしないわ」
「その理由は……太一か」
「そう。身体を乗っ取られたのが、タイチくんが思いを寄せる者だから。それ故に、彼の心を煩わせたくないの」
「メガネのおねえさん……太一くんのこと……好きなんだ」
少したどたどしい言葉で、美奈は自らの想いを交えて、ベクリミシュルへと尋ねる。
正直なところ。そこに、美奈のちょっとした「やきもち」のような感情が見て取れた気がした。
何故だか、俺にはそう感じられ……胸の奥の、何か闇の部分に、「ぽっ」と薄明かりが灯った気がした。
その明かりは、決して穏やかな輝きにはならない、点いてはいけない灯火なのだと、心のどこかで薄っすらと認識している自分がいた。
「んー……好き、とはちょっと違うかな?」
「じゃあ、なんでそこまで?」
「大魔王様は別として……タイチくんは、この命を懸けられる者、だからかな」
屈託ない笑顔で、そう語るベッキー。
その微笑は、きっと太一へと向けられた想い、そのものなのだろう。
俺は、そんな彼女の言葉に、友人を誇らしく、そして我が事のように嬉しく思えた。
――けれど。
心の奥底では、また何か奇妙な薄明かりが、今度は燻りとなり、「パチン」と弾けて、小さな「炎」を広めた気がしたのだった。
大魔王軍の助力もあり、俺達ワダンダール勢は、邪神再出現までの時間をフル活用し、新たな脅威へと備えていた。
まず、先のワダンダール城での爆発騒ぎの弁明を、影武者である女王に、国民の前で布告してもらった。
これには、「この国に巣食う邪な者が一掃された」という解釈がなされ、女王・エリオデッタやワダンダール・クルセイダースの名声が上がり、国民の支持基盤がガッチリと固まる手ごたえを感じたのだった。
そして、その騒動により、ワダンダール・クルセイダースの11名や、ドアンド国の臨時元首・マックスが命を落とした事を、国民に広く伝え、その国葬を盛大に催す事にした。
――しかしながら。
その裏では、密かに邪神と戦う仲間のスカウトや、軍事力の整備。そして、大魔王軍との連携作戦の会議など、「時間が無い!」と叫ぶほど、目まぐるしい忙しさに振り回されていた。
こうして、あっという間に邪神・ルシファーがゲートを開くであろうと目される日の、前日まで時間は過ぎ去ってしまった。
かろうじて。ではあるが、準備は万端に整い、あとは明日の戦いを、皆が怖気付く事無く、そして何より、太一に気取られる事無く、乗り切るだけ。
俺は明日に備え、皆に「鋭気を養ってくれ」と、朝までの自由時間を与え……そして一人となった瞬間。なんだか一気に気が抜けたような倦怠感に見舞われ――自室のベランダにて、一人夜空を見上げて佇んでいた。
「だいちくん……いる?」
そんな俺を、自室のドアの向こうから呼ぶ声がする。
その声は美奈だ。こんな時間に、どうしたんだろう。
「開いてるよ、入って来て」
俺は声だけ掛けて、そのまままた、夜空を見つめるという行為に耽っていた。
「何をしているの?」
「何も」
そんな、俺のそっけない返事に、美奈は優しく、そして明るく返す。
「そっか。『何もしてない』をしてるんだね」
振り返ると、ルームランプの薄明かりに、美奈の笑顔が幻想的に滲んでいる。
俺は改めて、美奈の来室の意味を問いかけた。
「珍しいね。一人で俺のところに来るなんて」
「えへへ、そうかも。でも、だってさ。いつも大地くん、誰かと一緒だったじゃん」
「はは、そうだった。こうして一人になるってのも、結構久しぶりだもんな」
俺に、自然と笑みが宿るのを感じた。
「美奈。いつの間に、マルりんの特殊能力を使えるようになったんだ」
「え、なんのこと?」
「俺。知らぬ間に、笑顔になっちまったからさ」
「うふふ。それは私の力じゃないよ」
「いや、美奈の力だよ。俺は今、美奈にすごく会いたかった……そこに美奈が来た。自然と笑みになったのは、やっぱり美奈のお陰だ」
「そ、そうかな? てへへ……え? な、なんで私に会いたかったの?」
「い、いやそれは……それより、美奈。なんで俺の部屋に?」
「あ、うん。なんかね、大地君、ここんとこ元気なかったでしょ?」
「え、あ……まぁね。いろいろと忙しかったから」
俺は、月並みな答えしか返せなかった。
――だが。俺自身、浮かない顔をしていた自覚は、あるにはあったんだ。
そして、その理由も、自信で自覚していた。
『一体俺は、何のためにこの世界にいるんだ?』
太一と間違われた結果とはいえ、主人公としてこの世界に招かれ……何を成し遂げたのかと言えば、小国を、一応「都」と呼べる国へと成長させただけ。
そして、友人を憎み、あまつさえ、その命すらも奪おうとした。
正直に言ってしまうと――そこには、太一への、そしてアポルディアへの嫉妬の炎が燃え盛っていたのだと思う。
――だが。そんな炎は、一旦消し去った筈だった。
改めて、太一を親友として迎え入れ、共に戦う。
そんな日々に、過去のわだかまりは払拭された筈だったんだ。
でも。
楽しむべきこの世界を、「終わらせても仕方がない」という考えに至り、自身の愚かさを見てしまった己が、不甲斐なくてしょうがなく思えたんだ。
「どうにかして現実世界やこの世界を救い、テッテ―的に遊び尽くしてやる!」という、太一らしい考えが、眩しくてしょうがなかった。
そして、大魔王軍だけに留まらず、ロキシアの世界にも大きな影響を持つ太一が……羨ましくてしょうがなかった。
そう。
今の俺は――ただ、何か「輝くもの」を与えてほしいと駄々をこねる、子供と同じなんだ。
そして、この世界で唯一欲しかったもの。
美奈の笑顔が、俺の傍にある。
心が満たされ、笑顔が自然と溢れてくるのを感じるよ。
「親友のために戦う。それは願ってもない事なんだ」
「うん」
「でも……俺にも、この世界で生きた証が欲しかった」
「あかし?」
「そう、証。俺は……何をしているんだろう? って、最近クヨクヨと考えてる」
「そんなの、大地君らしくないよ」
「いや、俺は根っからの後ろ向き人間なんだ」
「それなら、そうだと分かってるなら、前向きに生きる努力をするべきだよ」
「はは……そうだね」
俺は力無く笑うだけしかできなかった。
そしてそんな美奈の優しさに縋るように、心の中の淀んだものを、つい、口の外へと出してしまう。
「俺に宿る神は、正義を司る神。だが、今の俺は、そんな事すらままならない」
「どういうこと?」
「美奈。お前は慈愛を司る神として、幽鬼の王子を改心させた」
「うん。でもでも、その一歩手前で、残念な結果になちゃったけどね」
「マルりんは、皆を笑顔にしているし、ベルガは調和をもたらそうと日々頑張っている」
「うん」
「だが、俺は! 俺だけは、正義の名を汚し、何の努力もしていない」
「そ、そんな事無いよ! だいちくんは頑張ってるじゃない」
「いや。ウソで国民を騙し、魔物の助力を得なければ、何もできない非力な神なんだ」
俺は、自分の情けなさを、ついつい吐露してしまう。
だが美奈は、手足をバタつかせながら、「そんな事無い! そんなこと無いってば!」と、必死に俺の言葉を否定し続ける。
上手く言葉にできないけれど、その「絶対に違う!」という思いだけは、とんでもない程に、俺の心へと響き渡った。
「ありがとう、美奈」
「違うからね。大地君は、誰よりも頑張ってるからね」
「その言葉だけで、俺はこの世界にやって来た甲斐があったよ」
「うん……うん」
涙ぐみながら、それでもなお、俺を気遣う美奈が、途方もなく愛しかった。
俺は、彼女の瞳を見つめ、この想いが伝わればいいのに。と、心の中で一人ごちた。
美奈は、俺の瞳を上目遣いで見つめ、そして……俺の手を、そっと握ってくれた。
「……美奈」
「誰だったか、前に言われた事があるの。私は……太一君か大地君の、どっちが好きなのかって」
「うん」
「その時はね、『そんなの分かんない』って思ってた」
「……そっか」
「でもね」
「何?」
「今は……あなたのそばにいたい」
「……」
「あなたの傍らにいて、癒してあげたい。慰めてあげたい。そう、明確に思ってる」
「……ありがとう」
俺の唇が、ゆっくりと、美奈の唇へ近付く。
彼女は、そんな俺の行為を、瞳を閉じ、嫌がる事無く、すんなりと受け入れてくれた。
俺の唇に、温かく柔らかい感触が、切なく広がる。
時を戻すかのように、ゆっくりと唇同士が離れ……ふと気づくと、瞳を開いた美奈が、涙を湛えながら、俺を笑顔で見つめていた。
「ごめん……気持ちを抑えきれなくて」
「ううん」
「正義の味方、失格かな?」
「そんな事無い。せいぎのみかただって、キスぐらいはするよ」
そう言って、お互いクスクスと笑いあった。
握り合っていた手を、愛おし気に放し――そしてお互い、いつもの間柄へと戻る。
「なにはともあれ……明日は決戦だ」
「そうだね」
「美奈は来るな……と言っても、絶対付いて来るんだろ?」
「うん!」
「じゃあ。何があっても、全力でお前を、そしてこの世界を守って見せる」
「うん。期待してるね、佐藤君1号」
笑顔で、なんだか懐かしい呼び名を告げる美奈。
恥ずかし気に走り去る彼女の後ろ姿に、俺は小さく感謝の言葉を告げた。
「ありがとう、な。美奈」
俺はこの瞬間、絶大な「輝くもの」を手に入れた。
これで、何物にも臆する事無く、己の正義を貫く決心が出来たんだ。
「太一のために、命を捨てる覚悟」という、俺の正義を。
最後まで目を通していただき、誠にありがとうございました!
お花見行きたい。
とうもころし食いたいです。




