第一章 2 ベルアゼール
我が家の玄関を開けるなりリビングに向かってひた進み、
「おいおい! 呪いのメールなんか送ってくるんじゃねぇよ母ちゃん!」
と、先制の一喝を入れる俺。その勢いに飲まれ平身低頭で詫びを入れる母親の姿。
いや待て、ここは俺の怒りを心底知らしめるために「母ちゃん」のところを「クソババァ!」とするのもいいかもしれない。
いやいや待て。逆にビジネスライクに徹して、
「本日あなた様から頂いたメールのせいで、当方は多大な迷惑と精神的苦痛を生じるに至りました。つきましては謝罪と賠償を請求いたします」
と、クールに詰め寄るのもいいかもしれないな。上手く行けば今月あと2冊くらいラノベタイトルを買えるほどの慰謝料を請求できるかもしれないぞ。
などと自宅までの道中を、浮かばれない妄想に費やす俺がいる。我ながら情けない話だ。
一応、脳内会議の決定は、プランCであるビジネスライクに慰謝料請求で可決したのだが……。
家に辿り着き玄関を開け、中からなにやら話し声がするリビングのドアを開けたその時に目の中に飛び込んできた出来事の前では、俺がさっきまで道すがら一人脳内会議をやっていたなんて記憶すら一瞬で忘れさせ――いや! 母ちゃんが犯罪ギリギリのメールを俺に寄こしたなんて事すら忘れさせる様な現実が待っていたんだ!
年は俺と同じくらいだろうか? ソファーに座り、さらりとした白金色のストレートヘアをふわりと靡かせながらこちらを振り向く、白と黒のゴスロリ系ワンピースドレスの美しい少女。
俺の胸の高鳴りは一瞬でマックスゾーンに突入した。
青い瞳に白い肌のパツキン美少女――そう、かなり俺の好みだ!
「はじめまして、太一さん」
涼やかな声と素敵な笑顔で会釈する北欧人を思わせる異国からの来訪者に、一瞬で俺のハートは奪われてしまった。
「あ、あぁ……えと、こんちは」
生まれて初めて頭が真っ白になった。
目の前の出来事に頭が働かず、なんとも間の抜けた挨拶しか出来なかった自分が恥ずかしい。
「おかえり太一! 見て見てこの子、かっわいいでしょー? この子の名前はね、ベルアゼールちゃんっていうのよ」
そんな呆気に取られた俺を現実に強制連行したのは、御陽気顔で一人はしゃぐ母ちゃんの声だった。
「どうぞ、ベルーアと呼んでくださいね」
爽やかな微笑を浮かべながら、小さく首をかしげて俺に言う彼女。可憐と言う形容がこれほどまでに似合う少女もいないだろう。
「は、はい! 勿論そう呼ばせていただきます! 呼ばせていただきますともさ!」
直立の敬礼と共に、俺の口から発せられた言葉だ。如何にテンパっていたかがよく伺えるだろ?
「クスクス……面白い方なんですね、太一さんって」
両手を口に沿え、お上品に笑ってみせるベルーアちゃん。育ちのよさが伺えるよ。
しかしまぁなんとも流暢な日本語だ。ずっと日本暮らしなのだろうかね?
「ベルーアちゃんはね、わざわざ遠い異国から遠縁であるうちに、たった一人でやって来たのよ。偉いわよねー」
「マジかよ? それはすごいな! こりゃ母ちゃんの言う通り、超ビッグニュースだ」
「あら、ビッグニュースはそこじゃないわよ?」
「へ? なんだまだ驚かすような事があるってのか?」
「聞きたい?」
「あ、ああ。なんだよ? もったいぶっちゃって」
「ふふーん。じゃあ発表しまーす! ななな、なんと! このベルーアちゃんが本日より我が佐藤家の一員となって、一緒に暮らすことになりましたー!」
「な、なんだってー!」
あまりの唐突な展開が俺を襲った! キバヤシに「西暦1999年に人類が滅亡する!」と言われて叫ぶ、MMRのメンバーに匹敵するほどの驚きだ。
「このベルーアちゃんはね、先日ご両親を亡くされたそうなの。それで遠縁であるうちを頼って、わざわざ日本まで来たのよ。可哀相よねー。悲劇よねー。でもってお父さんにさっき電話で相談したの。そしたら二つ返事でね、喜んで了承してくれたのよ」
……うーん、なんなんだ? この物分りの良過ぎる人達は。今までよく訪問販売の詐欺に引っかからなかったもんだ。
でもまぁ彼女はそんな悲しい思いを胸のうちに秘め、はるばる日本までやって来たのか。偉いよなぁ。俺だったら途方にくれて、そこいらでのたれ死んでいただろうな、きっと。
「しかし外人さんの遠縁かぁ。うちって海外に親戚とか居たんだな。それって初耳だぜ? マジでビックリだよ……つーか、母ちゃん。なんでそんな大事な事、今まで隠してたんだ?」
「あら、母さんも初耳よ?」
「へ? じゃあ父ちゃんの……」
「お父さんも知らないって言ってたわよ?」
……一体この俺の母親を名乗る人は、何を言ってるのだろう。
「オッケー母ちゃん。まずはその満開のお花畑思考を一度リセットしてから、俺の話を一語一句よく噛み締めて聞いてくれ」
「あら、なぁに?」
「いいか、今の今まで聞いた事も無いような遠縁を名乗る者がだ。しかも海外からやって来た、どっからどー見ても西洋の外人さんがだぞ? うちの縁者だと言って、その言葉のどこをどう信用できるんだ?」
「でもご本人がそう言ってるじゃない? ね、ベルーアちゃん」
「はい、おば様」
彼女の眩しいような微笑が、周囲に花を咲かせているように感じた。気を抜けば、そのなんでも許されるオーラに飲み込まれそうだ。
「いやいや、そんなの信用できねって! じゃあなんだ、証拠とか系図とかあるのか? 大体どこの国から来たってんだよ!」
俺にそう言われて、彼女の瞳に悲しみと困惑の色が宿った。やばい、ちょいとムキになって言い過ぎたか?
「その、あれだよ。ほら、何かご両親か誰かに聞いたんだろ? うちが遠い親戚か何かだって。その話をちょこっとでもさ……」
「アー……ニホンゴーマダヨクワカリマセーン。オバサマ、カレハナニイッテマスカ?」
「あらあら、ごめんなさいね。気にしなくてもいいのよ? この子は今ね、反抗期なの。何にでも反抗しちゃう病気なの」
「おいちょっと待てや。さっきまでの流暢な日本語はどうした?」
「…………ナニ?」
きょとんとした顔で、何を言ってるのかわからないという仕草を見せるベルーア。ますます怪しすぎんぞこの女。とりあえずさっき奪われた俺のハートは返却していただこうか。
「太一、もういいじゃない。昔の人の言葉にあるじゃないの『こまけぇことは気にすんな!』って」
「よかねぇよ! 大体――」
「そう? そもそもベルーアちゃんがうちの遠縁と偽ったからといって、我が家に何のデメリットも無いじゃない? こんな可愛い家族が増えるのは、お母さん大歓迎よ」
「えっ……」
「それに、わざわざ遠くから我が家を頼って来た身寄りの無いいたいけな女の子を、怪しいからと言って無碍に追い出すの? お母さんにはそんな残酷な事出来ないわ!」
「いや、それは……」
言われてはたと気が付いた。そう言われればそうだ、我が家にとって何の支障も無い。
恥ずかしながらうちには財産なんて気の利いたものは無いし、とーちゃんの仕事もしがない配管工で、産業スパイに狙われるなんて心配もない。
更には我が佐藤家は代々何かの秘密を守る一族だーなんて設定もあるワケが無い。彼女が遠縁だと偽って我が家へ接近したとしても、なんら支障は無い訳だ。
いかんいかん。どうやら俺は、目の前に突然現れた美少女の存在に我を失っていたようだ。
むしろこんな可愛い女の子と一つ屋根の下で暮らせるというメリットの、何をどう拒否する?
部屋だって二階に使われてないのが一部屋あるわけだし、その部屋は俺の部屋の隣だし、そこはベランダが繋がっているし、覗き――いやいやとにかく、家族が増えると言うのはいい事だよな。うん。
「あ、ああ。ごめん、母ちゃん……ごめんよ、ベルーアちゃん。どうやら突然の事に気が動転していたようだ。こんなに可愛い異国の少女が我が家を頼ってはるばる来てくれたんだ。なのに疑ってかかるなんてどうかしてたよ」
「いえ、気になさらないでください太一さん。私も気にしておりませんから」
そしてまた周囲に花を咲かせる微笑で、俺に言うベルーア。
おい、日本語判るじゃねえぇか。
若干腑に落ちない点が些かあるが、それはまぁよしとしよう。
それより……なんとなく何処かであった様な感じがするのは何故だろう?
こんな美少女、どこかで会ったっけ?
次話予告
次の日、大地が太一へとおかしな相談事を持ちかける。それはベルーアとあの奇妙なラノベとの関係を示唆していた!
次回 「悩める大地」
最後まで目を通していただいて、ありがとうございました!