第二部 第一章 5 酔っ払いのおっさん
その日の夕刻。
俺は随分と場違いな場所にいた。
四六時中薄闇に包まれているゴーンドラドにおいて、そこだけは心沸き立つ明るさに包まれているという場所がある。
パスニオール商人街のほど近くにある繁華街、大人達の憩いの場、飲んだくれと娼婦らの吹き溜まり――その名も「ボッスール通り」
約五百メートルはあろうかという通りに、まるでひしめき合うように酒場が軒を連ねており、酔っ払いや客引きの賑やかな声がこだまする場所だ。
下戸の俺が何故こんな縁遠い場所に居るのかと言うと……もちろん「あの人」に会うためだったりする。
「探しましたよ、ベミシュラオさん」
いかにも場末といった味のある酒場「火吹き竜亭」の奥で、机に突っ伏しているぼさぼさ髪へと、俺は声をかけた。
「んあ? ……おお、これはこれは……誰かと思えば我が部隊の隊長様ではありませんか……それにチーベル殿まで……うぇっぷ……な、何用でございまするかな?」
ツングースカさんが東の地へと送られる際、「ぜひお供を!」と願い出たにもかかわらず、元老院達から許可が下りずに本国残留を余儀なくれたベミシュラオさん。
そしてあろう事か、俺の部隊への配属をも強いられてしまい……以来、このボッスール通りで酒をあおる日々を送っている。
「勿論、用があるから来たんです」
「おお怖い。ヒック……今度の上官殿は前のお方と比べたら鬼のような恐ろしい方だぁ~~ときたもんだ」
焦点の合わさらない目で俺を見る、典型的な酔っ払い。彼が吐いた息を吸うだけで、俺も酔ってしまいそうだ。
「ベミシュラオさん、もういい加減にしてください! そろそろまともに登城して、己の任を果たしてください」
「う~い……おやおや、言うね大将。生憎だが……小生の仕えるお方は――」
「ツングースカさん、でしょ? 俺だってそうです!」
少し荒げた声が、テーブル四つにカウンターという簡素な店内を駆け巡る。
途端、店のマスターらしきブルドック顔の魔物がビールジョッキを洗う手を止め、やれやれと肩をすくめてから、また手を動かし始めた。
「ははは、左様ですか。それなら話は早い! ならば今すぐにでも、共に閣下をお迎えに参りましょう……う~い、ヒック」
「無茶を言わないでください、ベミシュラオさん。タイチさんもそうしたいのをぐっと堪えているんですよ?」
チーベルの心配そうな声が、目の前の飲んだくれへとかけられる。
――が、ピクリと眉尻を動かしただけで目を逸らし、これといっての反応を見せない。きっと、何も言い返せないでいるんだろう。
そう。泥酔状態ではあるものの、心の奥底にある「根っこの部分」は、未だ失ってはいないようだ。
常に飄々としていて、どこか掴み所が無い人ではあったけれど……他人を気遣う心優しい者という、その部分だけは。
「無論、ツングースカさんをお迎えするつもりですよ……ですが、今はまだその時じゃありません。あなたも判っているでしょう?」
「はて、わかりませんね……さて……っと、ここは部隊長殿の来るところじゃないですよ? 早く帰ってミルクでも飲んでなさい」
挑発的な言葉が返ってきた。
普段のベミシュラオさんからすれば、こんな言葉は出てこないだろう。
と、ここまでは俺達の予測事項――分かっていた事だ。
実のところパル婆様に相談した時、こんな問答になるという推測をもらっていたんだよな。流石は年の功だよ。
で、次に俺達が言う台詞は――
「ベミシュラオさん。あなたがそんなだと、ツングースカ閣下は、この先ずっと戻ってこれなくなってしまうんですよ? それでもいいんですか!」
チーベルが、少し語気を荒げて言う。
そしてその言葉に食いつくベミシュラオさん。
「小生のせい? ほう、チーベル殿には何か具体的な先見でもおありですかな?」
「はい。なぜツングースカ閣下があんな辺境へと飛ばされたのか、お分かり――」
「 そ れ は 濡 れ 衣 だ ! 」
ベミシュラオさんが「ドンッ!」と机を叩いて叫んだ!
その一瞬の出来事に、チーベルがたじろぎ、怯えた……フリをする予定だったんだが、どうやら本気で怯えている様子。
婆様曰く、
『一度怒らせて、冷静さを取り戻させるほうがいい……そう、か弱そうなおなごなどを連れて行くといいさ。そしてその子に声を荒げさせるようなことを言わせるんだ。なぁに、心優しいと噂の優男。その一声で、己の良心へ呵責がかかり、酔いなんて吹っ飛ぶさね』
と言うものだったんだけど……予定ではもう少し会話した後に「ツングースカさんから頂いたその名前。強者忠義の名が泣きますよ!」とチーベルが責めの言葉を掛けるはずだったんだが――ベミシュラオさん、いきなり声を荒げるんだもんな。
チーベルも身構える前に不意打ちを食らったんだ、そりゃビックリするってもんだよ。俺だってビビったぜ。
「あ……いや、これはすまないチーベル殿。小生はそんなつもりで……いやいや、どんなつもりにせよ、これは我が失態――どうかお許しを」
「あ、は、はい……別にいいですよ、気にしていません」
チーベルが怯え顔を一度収め、にっこりと微笑み言う。
と、過程はどうあれ、婆様の言う通り、今の出来事でベミシュラオさんの目の焦点が定まり始めてきた。どうやら少しはまともに話せそうだな。
「ベミシュラオさん、さっきチーベルが言いかけた事――あなたが言う濡れ衣。なぜあんな罪無き罪を掛けられ、左遷されたのか、わかりますか?」
途端、酔っ払いのふにゃけた顔に、真剣の表情が戻る。
「判ってるさ……あのいけすかないトラの嬢様めに師団長の座を与えたい、と言う『親馬鹿』の差し金だろう」
確かに、半分は当たっている。だけど、パル婆様の見解はその先――黒幕の存在を見越していたんだ。
「それも多少はありますが……実は、ある人から忠告を受けたんですよ。我等が大魔王軍の中でも、ツングースカさんの発言力はかなりのものがあったらしいんスね」
「あ、ああ……大魔王様直属の部隊であるからね。そりゃあ多少の無理も利くさ。だからこそ、我が娘にその座を与えたいと、あの中年虎の輩が――」
「いえ、その発言権が大きくなれば、困る者、煙たがる者がたくさん出てくるじゃないですか。そう考えれば、いずれ自分の娘にも同じ目が向けられる恐れがあるんだし、今回の黒幕はアップズース卿ではないと言っていいでしょう」
「そうか……と、言うことは……元老院達か?」
俺も最初はそう思った。けど、その根っこはもっと他の部分にあるらしい。そう、こいつはかなり根深いと、婆様も苦笑いで言ってたっけ。
「いえ。元老院達が唯一気を使う者達、と言えば……わかりますよね?」
その言葉に、些かほろ酔いが残るベミシュラオさんの顔が、冷水を掛けられたように引きつり、青ざめた。
「上級貴族か!」
俺も婆様から彼らの闇の部分を聞いて、正直反吐が出そうになった。
「大魔王様をたらしこみ、下賎の身から師団長の座を簒奪した成り上がり者」と言うのが、奴等死鬼族・獣族・魔族の名のある貴族達「上級貴族連合」の一致したツングースカさんへの見解らしい。
つまりは――ただのやっかみだ!
だからこそ、ベイノール卿が元老院裁判で口出しできなかった……いや、しなかった事にも頷けるし、四大貴族の中の獣族最高位の娘である由緒正しい出のレフトニアさんが、師団長に選ばれたんだ。
「そうか……元老院達がやたら小生に接触してくる事から、もしかしたら奴等が小生を懐柔し、閣下の弱みを得ようとしているのでは? と疑問視はしていたのだが……その先にまだ黒き幕が降りていたとはね」
「いや、それは……いえ、なんでもないッス」
俺は言葉を出そうとして引っ込めた。
パル婆様に相談した本来の事「ベミシュラオさんはかつての神々の戦いでの英雄」という真実。
その事について、「まだ本人に知らせる時期ではないよ」との言葉をもらっていたんだ。
俺もそう思うし、何より今、記憶が戻り、元の英雄としての自分を取り戻したとしたら――この先もっと混乱することだろう。
もちろん、この「こんどうはるよし」さんが異世界の人間だって事は、婆様にも未だ内緒だけどね……俺にも関わる事だし。
「そうか、奴等め。閣下は気に入らんが、その力は大魔王軍にとって必要不可欠……だから遠方へと追いやったと言う訳か……卑劣な!」
「で――ですよ。俺達が、この上級貴族連合に口出しさせない地位に行くためにも、あなたの力が必要なんです!」
なにやら考え込む仕草のベミシュラオさんへ、俺は懇願の眼差しを送り、声を掛けた。
「ならば隊長殿、いっそのこと――上級貴族連合共を根絶やしにしてしまうってのはどうですかな?」
本気とも冗談ともつかないにやりとした笑みで、そう返すベミシュラオさん。
けど俺は、その冗談めいた返答へと真摯に向き合い、一切のふざけた感情を消し去り答えた。
「必要とあらば、そうしてやるさ……」
一瞬ギクリッとした表情を見せるベミシュラオさん。その仕草から、俺の真意は伝わったようだ。
「さて、仰りたい事はそれだけですか?」
「あ、ああ。それだけです」
「……ならば、小生はこれにて失礼します」
そう言うと、ベミシュラオさんがふいっと席を立った。
そしてカウンターへと銀貨数枚を置き、おぼつかない足取りで出口へと向かい――おい、おっさん! 何処行くんだよ?
「ご心配なく。今宵一晩で完全に酒を抜いてまいります。そして改めて明日登城し、隊長殿へと挨拶に伺います……どうか本日の無礼、お許しくださいませ」
ベミシュラオさんは背中越しに俺へとそう告げ、華やかな輝きさざめく薄闇へと消えていった。
「パルおばあちゃんの言った通りですね……ベミシュラオさん、ただ背中を押してくれる人を待っていたんですね」
チーベルがポツリと言う。
「うん……気持ちは痛いほどわかるよ。でも……大人って、素直になれない事があるんだな――俺、まだ子供でよかったよ」
「そうですよね、太一さんはお酒も飲めないお子ちゃまですもんね」
「うっさい! 下戸は大人も子供も無ぇよ」
「でも……その『気迫』は大人をも飲み込んでましたけどね」
「あ? 何言ってんだよお前は」
「うふふ、分からなければいいですよー」
「ちょ、気になるだろ!」
と、やいのやいのと二人で言い争いつつ店を出ようとした……そのとき――!
「おい、あんちゃん。さっき出てったの奴の代金、ぜんぜん足んねーんだけど?」
その日。「俺」が皿洗いから解放されたのは、深夜をずいぶんと回ってのことだった。
最後まで目を通していただき、まことにありがとうございました!
風邪をひいて寝込んでしまいました。
皆様も風邪など召しませぬよう、お体には十分注意してください!




