Time does not get back.
ある日夢を見た。思ってもなかった、それでいてとても夢のある夢だ。もしこれが現実だったら。眼を瞑りながらきっと僕は笑みを浮かべていたに違いない。
――僕は超能力を使うことが出来る。と言っても人を傷付ける凶器のような、時の流れに反して瞬間移動するような、そんな大それた能力ではない。単なる地味な能力である。
だが便利な、便利すぎる能力。それは僕が頭で念じるだけで発動する、非科学的な能力。面倒臭がりな僕には丁度いいだろう。なぜかというと――
まさかこれが夢であろうかと、落胆していた。現実的にはありえないことだが、僕は正夢ではないかと願い続けていた。それが起こるまでは――
あるところに一人の男がいた。無趣味、彼は何事にも興味を示さず、それでいて勉学にも励まず、喰っては寝、喰っては寝、とただただ無駄な日々を過ごしていた。彼は仕事にも行かず、親の脛を噛じりながら何とか生活をしていた。だが彼はそれを苦にも思わず、むしろ満足だとでも言うように、毎日を過ごしていた。
だがある日たった一人の親である、母の命が絶たれた。彼は絶望し、悲しみに悲しんだ。しかしそんな彼の嘆きも、最早母の死ではなく、唯一彼の生活を援助する者がいなくなった不安のものであった。
彼は別段何をすることなく生きてはいたが、暇な毎日を嫌には思わなかったし、この生活がこのまま続いてもいいと考えていた。だが、収入源の無くなった彼は、仕事を探して自身の体を養わざるを得なくなった。彼は母の死を気にも留めず、すぐに仕事を探し始めた。
それはやはりすぐには見つからなかった。事務、土木、建設等さまざまな場所を訪ねたが、どれも門前払いにされた。それは彼の華奢な身体つきと、意欲の異常なほどの無さが祟った、と言っても過言ではない。他方に招いて朝刊、夕刊を届けるという単純で、彼でもすぐに慣れそうな実力主義の仕事だ。基準の月給はとても効果とはいえないほどであったが、量をこなせばこなすほど、ぐんぐんとそれは上昇していくらしい。
もちろん数日も経たないうちに彼は仕事を断念しかねていた。普段運動もせず、家でのうのうと暮らしている彼にとって、歩いて何軒も家屋をまわるのは非常に辛いことであった。それでも辞職をする覚悟という、思い重圧が彼の心を引き止めた。それは彼の意欲の無さをさらに引き立て、仕事はもちろん、彼の心身にも影響を醸し出させていた。
そして今日も上司に喝を入れられながら、いつもの如くミスを繰り返しながら朝の仕事を終えた。彼は既に鬱状態であった。夕刻に近づくにつれ焦燥は増すばかりだった。
その夕刻。彼はついに何もかもに諦めがつき、自宅に閉じこもってしまった。彼は苦しみを捨て去るように布団に潜り込んだ。仕事を無くした今、彼は寝床につくことしか出来なかった。
彼はふと思い出した。数日前の夢のことを。結局現実は辛い事を思い知らされただけであったけれど、彼は幸せな夢の内容を反芻し、大粒の涙を流した。そして自分を生まれて初めて呪った。そして彼の心に変化が見えた。もう一度頑張ってみようかな、と。しかし心地良い感覚に心を許してしまった。
気が付いた時には夜だった。彼は焦って布団から跳ね起き、乱れた髪も気にせず家を飛び出した。もう仕事のことは諦めようとしていたはずなのに、不思議と体が勝手に動き出したのである。
仕事場にはまだ責任者が残っていた。彼は恐る恐る近づくと、覚束無い口調で挨拶をし、素直に謝ろうとした。するとどうだろう、責任者は見たこともない飛びっきりの笑顔で予期せぬ言葉を発した。
“お疲れ様、今日は良く頑張ってくれたな。どうしたんだ、こんな夜分に。忘れ物か?”と。
男は呆気に取られ、息の荒さもどこかに吹っ飛んだ。男は軽く問いただすと、責任者は解せない顔で、男がまるで別人のように仕事を素早く終わらせた、と簡潔に説明を加えた。
男はまだ目が点のままであったが、一瞬まさか、と思い、その場を何とか自然に断ち切った。
――まさか、数日前みた事が正夢であれば。
男は胸を躍らせるように、人気の無い路上で眼を瞑った。そして頭の中で念じた。
男は自宅に佇んでいた。そして時計を見た。丁度仕事場を往復して掛かる時間だけ、長針は単位を重ねていた。同時に彼は確信した。『僕は時空を移動できる』、と。
彼は手に入れた超能力を主に仕事に使った。朝刊、夕刊を届ける時に惜しげもなく使用し続けた。だがそれも数日も経たないうちに、悩みへと変わった。
彼は時空を移動できる。簡単に言うと、自身が気付かないうちに自分の行うことを実行しているということ。自らが気づいた時には、時は進んでいて、しかもその間の自らの体はちゃんと動いているというのだ。つまり彼はイメージするだけで、仕事を終えた時間まで瞬間移動しているというわけだ。
だがそれにも欠点があった。時間が経過しているということは、体も動いているということでもあるので、疲れはきちんと積み重ねられていたのである。それに気付いた彼は翌日から仕事を休みだす始末、普段の生活に戻っていったのである。
しかし稼いだ少額の給料もすぐに底をつき、再び彼を悩ませた。空腹と積もり積もった疲労で困憊した彼をさらにストレスが襲い、心身はボロボロになっていた。
彼は何か食料を探そうと、人気のある街へと彷徨うように訪問した。だがそれも間違いの元であった。一文無しの彼は店で売られる食物を余所目にただ涎を流すことしか出来なかったのだ。だが彼の精神は最早我を忘れ、気づいた時には、店頭に並ぶあらゆる食物へと手をのばしていたのだ。泥棒!という店主の甲高い声と同時に、彼は必死に来た道を戻った。そして彼は頭の中で描いた、自宅で幸せそうに食事をする自身の姿を。
だが、彼の超能力は時を動かすことが出来ても、未来を予想することは出来なかった。
――翌日の朝刊の小さい面に一つの記事があがった。
“愚かな果物泥棒、大型トラックに撥ねられ死亡”
超能力があったらな、とよく思ってみる。よく映画などで取り入れられる強大なものではなく、わたしは地味なものの方が良いですね。わたしも面倒臭がりなので、この小説で書いたような力があれば、と思いながら書きました。
しかしやはり人間は苦労するもの。その分幸せも訪れてくるのだと思います。世の中を機械が制する時代。確かに便利ではありますが、その分幸せをどこかに逃してはいませんか?わたし達は限りある時の中で、一秒一秒をしっかり生きています。楽に生きることよりも、楽しく生きることが一番大事なのだとわたしは信じています。