美術館にて
「お兄ちゃん、着いたわね」
「いきなり誤解を生むような発言はしないで頂きたいんですけど、能登さん」
そんなわけで僕らは(言っておくが兄妹ではない。例え章が変わっても能登沙耶香は僕の恋人だ)
あの美術館の入り口に突っ立っていた。
能登沙耶香。
つまりは僕よりも四つ下の大学生の彼女と僕は、
美術館の入り口で暫く立ち止まったままであった。
故に好都合なわけで、やっと自分たちの事について読者に語れると言うわけだ。
僕の名前は『安藤亜智』。
金も無い画家の卵だ。
そう言えば格好がつく…筈だ。
なぜなら、画家と言うものは売れるまでに少々歳月を要する。
売れるほどの才能を持っているならばの話だが。
ここでお金持ちとか深窓の令嬢(それ以前に僕はれっきとした男だが)なんて
言われた日には、設定が単純すぎるというクレームの嵐が来る事請け合いだ。
だがしかし、金も無い画家の卵と言う設定にも少々無理がある。
毎日のように美術館に通えるか?と言う疑問である。
それを打ち砕くのが、僕の恋人。
彼女の名前は『能登沙耶香』。
先ほど述べたように大学生をしている。
ここで言うのもなんだが、僕は正直言って彼女の『ヒモ』だったりする。
そう、クレームをつけられそうな設定。
彼女はまさしく深窓の令嬢なのであった。(例え残虐史好きであっても)
だからこそ、金に困らないと言うこと。
だが、誤解してはいけない。
僕はただ単に『借りている。絵が売れたら返す』という前提の下、
ヒモなんていうものになっていたりする。
僕は彼女が好きだ。愛している。
決して金目的なんかではないと、ここで弁解しておこう。
そろそろ動きがありそうなので、脱線した話を元に戻しておこう。
「そういえば、あの絵…開館当初からここに展示してあったとか言っていたらしいけど」
「そうなんだよ。毎日君のおかげでゆっくり絵を鑑賞できる」
「全く話がかみ合ってないわね。さては何か変な事でも考えていたり??」
僕は慌てて取り繕う。
「全くもって変な事なんか考えてません!!!」
勿論、日頃の感謝を忘れてませんよ?と付け加えて。
彼女はそう。とだけ言うと、つかつかと中へ入っていく。
怒ったかな…。
とにかく、彼女は癇癪持ちだ。
というか嫉妬心が強いらしい。
…独占欲が強いとでも言うのだろうか。
まぁ、それだけ僕も愛されていると言う事ですよね。
改めて、彼女の僕への愛を噛み締める。
そして、後に続いて中へと足を踏み入れる。
――不思議とあの時感じた恐怖感は無かった。
彼女といるおかげだろうか。
それとも、あの絵が展示されていなかったからだろうか。
…って、展示されてない????
「おかしいわね。ここにあったのでしょう?」
彼女はしきりに何の変哲も無い壁の一角を、食い入るように見つめていた。
ここで僕は待ったをかける。
「おかしい…確かにここに…でもこないだしか見てないし」
「あのね、安藤君。そういう事は」
出た。彼女のお決まりのポーズ。
髪をさらっとかき上げる姿がまたキマっている。
思わず見蕩れる僕に、彼女は言葉を更に続ける。
「学芸員さんに聞けばいいのではないかしら」
思わず平々凡々の提案にも関わらず僕は拍手していた。
美術館の鑑賞マナーそっちのけで。
何故か感動して涙が出る勢いだった。
何人かの絵画を鑑賞しに来たであろう人たちがせきばらいをして
その場を立ち去った。そして、その一角には僕たち二人だけとなった。
先に言葉を紡いだのは、彼女のほうだった。
しかも、かなり意外性に富んだ発言。
「安藤君。二人っきりになれたわね」
「いや、僕らは決してそういう意図でここに来たわけじゃ」
思いのほか心臓のほうにダメージがあった。
良い意味での。
頬が、耳が高潮するのが手に取るようにわかる。
「分かってるわよ。だけどほら、学芸員さんもいなくなってしまったわ」
彼女はぷいと僕から目線をそらした。
そういう時は大抵、自身の発言に対しての僕の反応にカウンターを喰らった時だった。
か、か、か、可愛い!!!!!
少し俯き加減のその角度がたまらない。
僕は自身が彼女に対して変態であることに否定はしない。
断固。
思わずTPOをわきまえずに抱きつこうとした時だった。
彼女はくるりと踵を返して来た時と同じように、帰って行った。
無論、順路は守って。
そういう偉い所も好きなんです。
僕もデレデレしながら(どうかつっこまないで頂きたい)その場を立ち去ろうとしたその時、
頭の中に声が響いた。
――いざ、行かん。
「…はい?」
思わず声が出る。
すると彼女がそれに気がついたのかつかつかとまたヒールの音を響かせながら
やや早足で戻ってきた。
「どうしたの安藤君。今更ツッコミってのは馬鹿にも程があるわ」
「いや、違う」
今になって、僕は真剣そのものだった。
何かに導かれているかのように、立ち入り禁止と書かれた通路を至極普通に通り過ぎた。
彼女はそんな僕に怯えたのか、あのつかつかと後を追う心地良い音は聞こえなかった。
――亜智さん、こっちですよ?
いつか聞いたあの見知らぬ学芸員(今思えば僕の名前を知っていたのが不思議でならない。今更過ぎる)
の声が僕を導いているような気がした。
そして、狭い迷路のような通路をこんな場所あったっけ?というノリは一切忘れて
通り抜けていく。
通路が開けると、あった。
あの絵画が。
「…」
僕はその荘厳さに改めて感動し、更に恐怖を覚える。
まさに言葉にならないとはこの事だった。
美しすぎる女神。その美しさ故に、人々がそれを奪い合い、殺し合った。
天女のような羽衣を纏い、ギリシア神話のヴィーナスよりも美しい女性。
羽衣は宙を舞い、腕にさらっとかけられている程度だった。
そして赤い花の髪飾りが金髪によく映える。
腰布と胸を押さえている細く、しかし妖艶な指先。
背景はどこまでも広がっていくような、青い空。
何十分経過しただろうか。
ふと思い時計を見遣る。
昼時をとうに過ぎていた。
どうりで腹の音が止まないはずだ。
「ここにあったってのが分かったし、あとは能登さんに…」
そう呟いて、立ち去ろうとしたその瞬間
女神の空のように青い瞳が歪んだ。
比喩的表現ではない。
目に見えて悪しく歪んでいた。
「うわっ…」
怖くなって逃げ出そうとする腕を誰かが掴んだ。
「ひっ…」
「落ち着きなさい、私よ」
能登沙耶香だった。
いつついて来たのだろうか。全く気がつかなかった。
そして、何故こんなに危険な香が漂う最中に引き返そうとする僕を止めるのか。
彼女はそんな僕の心を読んだかのように呟く。
「決まってるじゃない」
それと同時に、絵画全体が歪み始める。中心に渦をまくような形で。
すると風穴のように開いた『空間』に吸い込まれそうになる。
「私、この絵の秘密。知りたいから」
そう言い残して彼女は僕の腕から手を離し、絵画に開いた穴に吸い込まれていく。
同時に僕も急に意識を失って吸い込まれていった。
少しだけ寒くなった腕の温度を感じながら。
だんだん趣旨の見えない感じになってきました。
個人的に。
…果たしてちゃんと完結するのであろうか。