ヌヴェル35 くわばら
三丁目の角のタバコ屋は、時枝と言う名の老婆が営んでいる。
今のご時世、タバコ屋だけでは生活は成り立たない。多少の年金はあるにはあるが。
本業は、高利貸しだ。ただし、闇。
それが強盗に襲われて、かなりの大金を奪われたらしい。
警官が駆け付けたときは、目隠しに猿ぐつわ、両手両足をロープでぐるぐる巻きにされ、居間にころがされていた。
犯人は、時枝が高利貸しであり、家にしこたま金を隠していることを知っている輩であろうということで、金を借りている連中に的を絞り捜査が行われた。
そこで浮かんできた容疑者は、“桑原”という男だった。
安アパートの一室で、桑原は泥鰌という渾名の男と会話している。
裸電球の明かりの下、二人の前には、札束の山がある。
桑原「どうも気になる」
泥鰌「さっきから、ずーっとそればっかりやなぁ」
桑原「おまえが、あのとき俺の名前を呼ぶからやろ」
泥鰌「しゃあないやろう、あのときは。それに小声で言うたんや、あの時枝婆には聞こえてへんて」
桑原「いやぁ、やっぱ気になる。ちょっと確かめてみるか・・・」
次の日、今にも雨が降り出しそうな空模様の中、桑原は時枝のタバコ屋を訪ねた。
店先から奥を覗くと、薄暗い居間で時枝が茶を啜っているのが見える。
桑原が声をかける。
桑原「大変やったみたいやなぁ」
時枝「ほんまや、えらい目におうたわ。ほんで、今日はどうしたん?金返しにきたんか?」
桑原「見舞いに来たんやがな。ついでに煙草もらうわ」
空はしだいに雲行きが怪しくなり、遠くの方で光り雷の音が聞こえ出した。
えらいことや本降りの雨になるぞと時枝が空を見上げたとき、強烈な閃光とともに稲妻が轟いた。
「ひえ~」と叫んだ時枝が何かを唱えるように喚いた。
それを聞いた桑原は形相を変え「おまえ、分かってたのか!」と叫ぶと時枝の胸ぐらを掴んだ。
そのとき、張り込み中の刑事が二人がかりで桑原を取り押さえた。
桑原は観念した。
時枝「ほんま、助かったわ。よう、いてくれはってよかったわ」
刑事「桑原に目星をつけていたのでね。尾行して様子を見ていたんですわ」
時枝「せやけど、びっくりしたわ。いきなり『分かってたのか!』て叫ばれて、胸ぐら掴まれて」
刑事「あのとき、なんか喚いてはりましたな?あれは、何て?」
時枝「ああ、呪文や呪文」
刑事「呪文?」
時枝「ほら、雷鳴ったら言うやろ。“くわばら、くわばら”って」
追記
”くわばら、くわばら”の由来
平安時代、右大臣となった菅原道真は、左大臣・藤原時平の讒言により大宰府へ左遷され、失意のうちに亡くなってしまう。その後、都では疫病が流行り、落雷や火災が相次ぎ、道真の祟りとして恐れられた。
その折、道真の家があった京都の桑原の地だけが落雷の被害に遭わなかったことから、道真公を火雷天神とする御霊信仰が起こった。
雷が鳴ると、身を守るために「くわばら、くわばら」と唱えるのは、このことに由来している。
参考文献 日本の神々と仏 株式会社青春出版社




