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【16】







「すみません……足を引っ張っていますね」


 壁際に身を寄せ、グレースはため息をついた。隣に並んだユーグが顔をのぞき込んできた。


「疲れたか?」


 わざとなのか天然なのか、ちょっとずれたことを聞かれて、グレースは「そうかもしれません」と答えた。慣れない環境で疲れたのは事実だ。


「そろそろ抜け出しても気に留められないころだ。そっと抜け出すか」

「……ありがたいですけれど、ユーグ様はよろしいのですか」


 商家にとって、夜会でのあいさつ回りは重要だ。グレースもそれくらいは知っていて、確認したのだが、ユーグはあっさりと「帰ろう」と言ったのだ。


「いい。それに、俺もそんなに得意なわけではないからな」


 できるなら早めに引き上げたい、と言われ、グレースはやや頬を緩めた。商家の人間としてはよくないのだろうが、気持ちはわかるし、何ならグレースを気遣ってくれたのだと思う。ありがたいし、うれしいと思った。


「では……ご一緒します」


 少し笑ってそう答えたグレースだが、さすがにすんなりとはいかなかった。会場を出る前に、グレースの両親であるデュノア伯爵夫妻に会った。


「こんばんは、デュノア伯爵、伯爵夫人」


 無難にユーグが挨拶を述べた。グレースも「お久しぶりです」と他人行儀にあいさつをする。


「よい夜ですね、ユーグ様」

「この娘がご迷惑をおかけしておりませんかしら。気が利かなくて気も強くて、愛想も悪いでしょう」


 母がべらべらとグレースの悪口を述べる。父もグレースになど興味を持たなかったが、明確な悪意を向けてきたのは母の方だ。よく美人で明るいナタリーと比べられたし、グレースがナタリーに比べて美人ではないのも、性格が暗いのも、可愛げがないのも事実なので反論しにくかった。ナタリーは怒ってくれたが、そのナタリーはもういない。ちなみに、何かとグレースをナタリーと比べてけなす癖に、ナタリーにも文句をつけていたこの母である。もうどうしてくれよう。


 グレースが半眼で聞き流していると、ユーグはグレースの手を握り、不思議そうに言った。


「俺はグレースの可愛らしいところしか見ていないのですが」


 これにはさすがのグレースもあっけにとられた。父と母も驚きの表情を浮かべている。後から考えてみれば、失礼な話だ。親は娘を可愛いとも思っていなかったのか。


「話はそれだけですか? もういいでしょうか」


 若干のいらだちを交えてユーグがすっぱりと言った。グレースの両親があっけに取られている間に、ユーグはグレースの肩を抱いて引き寄せると、その場を後にした。


 両親が視界から外れて落ち着いてくると、すごいことを言われたかもしれない、とグレースは落ち着かなくなってくる。お世辞とわかっていても、ほめられて悪い気はしない。


「大丈夫か?」

「……えっ」


 顔をのぞき込むように気遣われて、グレースはきょとんとした声を上げる。ユーグは驚いたように目をしばたたかせた。


「いや……嫌な思いをしたんじゃないかと思って」


 つまり、両親と会ってグレースは不快だったのではないか、と言うことを聞きたいらしいと了解した。何度か瞬きをした後、「そうですね」とうなずいた。


「ですけど、ユーグ様がかばってくださったではないですか」

「それは……当たり前だろう」

「そうでしょうか。でも、ユーグ様が味方してくれて、私が勝手にうれしいだけなので、いいんです」

「そ、そうか」


 ユーグは少したじろいだように見えた。グレースは「はい」とうなずくと、急に立ち止まったユーグを見上げた。


「ユーグ様?」

「あれ、ユーグ!」


 グレースの声は少し離れたところから聞こえた大きな男性の声でかき消された。ユーグの意識は男性の声のした方を向く。つられてグレースも視線をそちらに向けた。軍服の男性が近づいてくる。


「ジュスト」


 絞り出すような低い声でユーグがつぶやいた。軍人の彼はジュストと言うらしい。ユーグは軍人として働いていたことがある。もともと、フォートレル男爵家の跡取りは、ユーグの兄エドメだった。だが、彼が出奔してしまい、ユーグは退役し、家の後を継ぐことになった。姉が駆け落ちして姉の婚約者と結婚したグレースもなかなかだが、兄が出奔して家を継ぐことになり、望んでついた仕事も辞めさせられたユーグも相当な経歴の持ち主である。


「夜会帰りか。そちらが?」

「……妻のグレースだ」


 端的にユーグに紹介されたグレースは、「初めまして」と名乗る。ユーグは彼を「軍人時代の同僚のジュストだ」と紹介した。今でこそ商会の跡取りをしているユーグだが、もともと次男だった彼は、国軍に属していた。その時の同僚のようだ。


「ジュスト・ブルレックです。お会いできてうれしいです、グレース様」


 もともと愛想のいいひとなのだろう。笑顔で話しかけられてグレースは戸惑う。夜会ではあからさまな態度をとる人はあまりいなかったが、それでも好意的にみられていないことはわかった。それらと比べると、ジュストの態度はかなり好意的と言える。


「実を言うと、ユーグが婚約者の妹と結婚したと言うので心配していたんですけど、本人を見て納得ですね。ユーグの好きそうなタイプだ」

「ジュスト」


 ペラペラと話すジュストを止めようと何度か呼びかけていたユーグだが、ジュストは気にせずに話を続けている。


「え、だってお前、こういう子好きだよな。ナタリー嬢とも仲が悪いわけじゃなかったけどさ。グレース様、気難しいやつですが、今後ともよろしくお願いします」

「えっ、はい」


 勢いに流されて思わずうなずく。ぱちぱちと目をしばたたかせるグレースに、ユーグが「別に返事をしなくてもいいぞ」と憮然として言った。


「そんなこと言うなよ。親友だろ」

「友人だと思っているしこんな俺に付き合ってくれてありがたく思っているが、よけいなお世話だ」

「そうかぁ?」


 やり取りを聞いて本当に仲がいいんだな、と思ってグレースはくすくす笑う。グレースにはこんなやり取りができる友人がいないので、少しうらやましい。


「話はまた今度にしてくれ。グレース、行こう」

「よろしいのですか?」

「お前をこんなところにずっと立たせておけないだろう」

「確かに。すみません、グレース様」


 ジュストにも謝罪され、グレースはまごつく。そんな彼女の肩を抱いて、ユーグは馬車乗り場に向かった。


「ユーグ、また。グレース様もまたお話ししましょう」

「余計なことを言うな」

「ありがとうございます」


 気さくに挨拶をしてくるジュストに、ユーグとグレースは相反することを言って近くで顔を見合わせた。その様子を見て、ジュストが腹を抱えて笑った。


「すまない。いいやつなんだが、ちょっと押しが強いと言うか」

「ええ。それはわかります」


 いい人なのはわかった。グレースに偏見なく、普通に接してくれたのだからそれがわかる。ああいう態度をとってくれると、グレースも話しやすい。


「お二人がよいお友達なのだとわかりました。ちょっとうらやましいです」

「……」


 じっとユーグがグレースを見つめるのがわかったが、何も言ってこないのでグレースも首をかしげるだけだ。


 馬車に乗り込み、動き出すとユーグが手を伸ばしておもむろにグレースの頭をなでた。


「な、なんですか?」

「いや……なんとなく」


 男性に頭を撫でられることなんて、ユーグと結婚するまでなかった。姉のナタリーはよくなでてくれたが、女性の小さな手のひらとは違う感触がする。


 その手がするりと降りてきてグレースの頬を撫でた。そのまま顎にかかり、首をなでる。肩の形を確かめるように触れられ、グレースはびくっと震えた。さすがにこの状況はまずいのでは。いや、グレースとユーグは夫婦なのだから、それでいいのか?


 思わず目をつむったグレースにユーグはため息をついた。


「何もしない。今のところは」

「はあ……今のところ」


 と言うことは、いつかはするのだろうか。しかし、その前には離婚しているような気もする。そう思って、落ち込む自分がいることに、グレースは驚いた。








ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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